表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
117/187

第二二話 父と娘

 場所を移して、そこは墓場だった。


 先導するサヴァラが、立ち並ぶ墓石の脇を抜けていく。

 その後ろでサーシャは、複雑な眼差しを父に向けていた。


 サヴァラが立ち止まったのは、ある墓石の前だ。

 刻まれた名は、『サヴァラ・セレナイト』『ナターシャ・セレナイト』。


「状況が状況だったからな。誰かもわからない遺体も多かったし……そりゃ、死んだと思われて当然か」


 サヴァラは呆れた口調で、墓石を撫でる。

 妻の名に触れたときの表情には、深い懺悔の感情が浮かんでいた。


「昔、ナターシャと結ばれる前、村長宅で文献を見つけてな」サヴァラは娘に背を向けたまま、空を見上げる。「この里の、成り立ちについてだ」


 夜闇の中、一陣の風が吹き抜ける。

 数秒の沈黙。サーシャは全身を強張らせて、言葉の続き待った。


「四〇〇年前。《操魔》イヴを殺すため、エインルードは当時の《虚心》の使徒と協力し、生命搾取『ライヴ・テイカー』を完成させた」


 その話は、ミコト伝いに聞いたことがある。ひとつ憶えがないことを挙げれば、《虚心》の使徒が関わっていたことだ。

 いや、それは今、関係ない。サーシャは気を引き締めて、話に集中する。


「結果は、失敗だ。魔力を掌握するという点において、イヴに敵うはずがなかった。純度の高い聖晶石を器にしても、一時的……三〇秒と封印は持たなかったらしい」


 サーシャは疼きを感じて、胸を押さえた。

 短い間だったが、イヴに乗っ取られた瞬間の全能感を憶えている。あれで、本来の一割にも満たないのだ。


 あまりにも圧倒的で、三〇秒も耐えた『ライヴ・テイカー』のほうこそ、サーシャは驚嘆していた。

 驚嘆であって、賞賛ではないが。


「どうにかして『ライヴ・テイカー』を利用できないか……そう考えたエインルードは、《操魔》に耐え得る人材を見つけ出した。それが俺たち封魔の、クソみたいな始祖サマだ」


「どうして受け入れたのかな……」


 サーシャにはわからなかった。

 恐れられる存在を身に宿すことに、躊躇はなかったのだろうか。 


「金が欲しかったらしい。食べ物も碌にない孤児で、金があればなんでもできると考えていたそうだ。まぁ、結局は後悔したらしくてな、文献は文句たらたらだったが」


 サヴァラは苛立ちを抑えるように、溜め息をひとつ。「始祖サマが記した文献は、エインルードを半端なく罵っていたよ」


 エインルードの異常性。

 使命のためなら他を顧みず、外道や邪道にも手を染める、狂った血。


 かつてエインルードの者の保護を受けていたはサーシャは、複雑な思いを抱いた。

 裏切りで傷付けられた心が疼く。


「あぁ、始祖のことはどうでもいい。問題は、エインルードと封魔が交わした、一方的な契約だ。――いずれイヴを殺す手段を編み出した時、《操魔》の宿主を差し出せ、というな」


 つい先ほどまで、仲間だった二人を思い出していたからか。

 それを聞いた瞬間、頭の中で何かが繋がった。


 フリージスという、凄まじい魔術の天才が生まれた。

 リースという無属性魔術師が生まれた。

 彼らの活用方法を――イヴの殺害方法を、エインルードは考え出したのだ。


「じゃあ、おかあさんは……」


 その瞬間から、死ぬ運命が決まっていたということなのか。


「ああ。もし魔王教に襲われていなくても……やはり今頃、ナターシャは生きていなかっただろう」


「っ、なんで!?」


 なんで――、その先は口にできないのに、言葉は内心で次々と湧いてきた。


 なんで、守ろうとしないのか。

 なんで、守れなかったのか。


 なんで、なんで、なんで。


「話は少し変わるが」サヴァラが足元に視線を落とす。「不満に思うだろうがな」


 そう言うサヴァラは、ひどく話し辛そうだった。

 やがて、引き伸ばすにも限界が訪れる。サヴァラは観念した風に、しかし、やはり視線は足元に落としたまま、


「使徒の継承方法を、知っているか?」


「えっ、と。よく、知らない……」


 サーシャの返答に、サヴァラは緩慢な動きで、握った右拳を胸の前に上げた。


「まず一つ目」と右の人差し指を立てて、


「使徒の死亡だ。そいつの力は、世界樹の元で眠る勇者に還元される。その後、勇者は未だ子宮の中の適合者を見繕い、霊脈に乗せて力を届ける……といったもの」


 サヴァラが言いよどむような要素は、そこには見当たらなかった。

 となれば、残り一つが……。


「そして、二つ目」と中指を立てて、


「――適合者が、生きた使徒の心臓を喰うこと。……同じなんだ、使徒と《操魔》の継承方法は」


 サーシャは下唇を、血が出るほどに噛んだ。

 ただただ、悔しかった。死にかけだった自分のために、そうしてくれたのはわかっている。

 だが、どうしても。何か、ほかに選択肢はなかったのかと、思ってしまう。


「一つ目……死亡が条件というのは、使徒も《操魔》も似ている。違うのは、《操魔》には意思があって、還元されることなく彷徨うということか」


 ああ、でも、きっと。

 自分はそういうことを、聞きたいんじゃない。


「どちらにせよ、他者の思惑で宿主を選べないし、胎児の時にしか宿ることができない。この方法で、お前に宿るはずがなかったんだ。二つ目しか、なかったんだ……!」


「そうじゃ、ない」


 叫んだのは、無意識だった。


「そうじゃ、ないよ!」


 サヴァラはわかっていない。

 なんで。なんで、なんで。


「なんで、おかあさんが死ぬ前提で話してるの!? なんでエインルードから守ろうとしないの!? なんで魔王教から守れなかったの!? なんで、なんで、なんで……!」


 自分はひどいことを言っているのだろう。

 ひとつ疑問を吐き出すたび、父の表情が悲痛に歪んでいくのに、止められなかった。


 サヴァラは反論しなかった。きっと、どうしても覆せない理由があるのだろうに。それを一言も、言い訳として口にしない。


 だから、というわけでもないが。

 サーシャはついに、言った。


「なんで、わたしを見捨てなかったの……!!」


 心臓を喰わされたことに、憤ってるわけじゃない。

 ただ、自分の今が、母の犠牲で成り立っているということに耐えられなかった。


「見捨てられたはず、ないだろうが!!」


 張り裂けそうな叫びだった。頭に血が上っていたサーシャは、冷水を浴びたように体を硬直させた。


「お前は俺たちの願いだ! 光だった! 封魔の宿命に囚われることのない、新たな時代の子だったんだ!!」


 言ってから、サヴァラは首を力なく横に振った。


「いいや、そんな理屈はどうでもいい。結局最後には、お前に継がれてしまったわけだしな。だから、こんなことを言う資格はないのかもしれない。だが、それでも言わせてくれ」


 サヴァラが顔を上げる。

 真摯な眼差しだった。



「――サーシャ。お前を、愛しているから」



「……ぁ」


 言葉が見つからなかった。

 文句はたくさんあったのに。言い足りないと思っていたのに。


 なのにそれらは、吹き飛ばされてしまった。

 胸の内から湧いてきた、喜びの感情に。


 でも、それを素直に認めるのが、どうにも恥ずかしかった。


「ちゃんと、言い訳して」


 だから、また傷付けるかもしれないとわかっていても、


「おかあさんを、守ろうとしなかったのは、なんで?」


「……エインルードに敵うはずがなかった。《地天》や最強の魔術師を相手にして、勝てるわけがない。それに、封魔の皆は人質だった」


 そこにいたのは、力不足に嘆く、ちっぽけな男だ。


「おかあさんを守れなかったのは、なんで?」


「お前を救いたかった……いや。お前が死ぬことに、俺たちが耐えられなかった」


 そこにいたのは、母と娘の板挟みで苦しむ、人並みの父だ。

 彼はまだ、炎の地獄に囚われているのだ。


 サーシャは溜め息をこぼした。

 落ち着けば、やっぱり文句は湧いてきた。けれど。


 もっと、伝えたい言葉がある。



「ありがとう」



 解放してあげたかった。

 あんな地獄に囚われたままなんて、辛すぎるから。


「――――あぁ」


 サヴァラは空を見上げ、顔を片手で覆った。

 声が震えていた。月明かりに照らされた煌めきが、頬を伝う。


「こちら、こそ……。生きていてくれて、ありがとう」


 あの地獄で、サーシャは命を救われて、サヴァラは心を囚われた。


 そして、三年半もの月日が流れて。


 ようやくサヴァラは、地獄から解放されたのだ。






「……なんだ、アレは」


 呆然とした呟き。

 目元を拭ったサヴァラは、山の頂の方角を見ていた。

 サーシャは釣られて、その方向に顔を向けた。


 黒い煙。

 否、違う。小さな物体が無数に集まったことで、そう見えていただけだ。


 羽音が聞こえた。

 だが、それは羽の音というのに、あまりに騒音染みていた。


 重なり、響き、増幅し合った音が、空気を弾く。

 その大群が、凄まじい勢いでこちらに迫っていた。


 先行しててきた飛翔物体を、サヴァラがハルバードで叩き落した。

 地面に転がったものは――赤い複眼の、黒いハエ。


「サーシャ!!」


 憶えのある、少女の声がした。

 上空から視線を下ろすと、森から抜け出す三人の人影が見えた。


 テッドとグラン。そして、ラカ。

 三人が生きていたことに、サーシャは安堵した。が、その様子がおかしいことに気付く。


 グランを背負うテッドは、一言も発せられないほどに疲弊していた。墓場の入り口に辿り着いたところで、小石で躓いて転んでしまう。

 サーシャの元にやってきたラカは、肩で息をしながら、張り裂けそうな叫びを上げた。


「ハエが……っ、くる……! 早く、逃げ――!!」


 言葉は、途中で遮られてしまう。

 声は発していたのかもしれないが、それは掻き消された。


「―――― アア ァ アアァ    ァ  アァァ ――――――――ァァアア !!!」


 この世のものとは思えない。その咆哮はラカの声量を上回るどころか、ウラナ大森林全体に広がり、人の鼓膜を破らんと大気を振動させた。


 次の瞬間、遠く山の中で。

 山の高さを優に超えるモノが、現れた。


 ――本物の怪物を、見た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ