第一三話 貪欲な知識欲
封魔の里の広場。
そこでは、里の住人が全員集まっていた。
火弾の爆音と水弾の破裂音、魔獣の咆哮が響く。
魔術師と魔獣の攻防戦が繰り広げられていた。
レイラの防衛を抜け、山の麓に向かわなかった僅かな魔獣が、里に攻め入っていたのだ。
里側の人数は三〇、魔術で戦闘が可能な者は一〇人程度。であるが、残りの二〇人も、まったく魔術が使えないわけではない。簡単な弾丸魔術を使える者を加算すれば、あと一〇人は増える。
だが、戦いも知らない子供であったり、魔力の少ない老人であったりする。そんな彼らは、後方支援に徹していた。
サーシャを始めとする魔術師が、弾丸魔術などを魔獣へ撃つ。その隙を突いて襲おうとする魔獣を、ほかの魔術師、または後方からの魔術で防ぐ。
誰一人、一歩も持ち場から離れられない状況にあった。
「レイラちゃんを助けなきゃいけないのに……!」
歯を食いしばったナディアが、火弾を放つ。
しかし、焦って放った火弾は、狙いが疎かであった。あっさりと魔獣に避けられる。
その魔獣が避けた方向に、ぴったりと合わせて撃たれた水弾があった。
魔獣が地面に着地するかしないかというところで、着弾。凄まじい破裂音と共に、魔獣は蹴り飛ばした人形のように吹っ飛んでいった。
そんな強力な魔術を放った人物が、ナディアに声を掛ける。
「大丈夫、ナディア?」
サーシャ・セレナイト。
『操魔』があるため、生命力を一切消費をしない彼女は、この防衛戦において多大な活躍をしていた。
サーシャがいなければ、戦況はもっと苦しかっただろう。死者が出た可能性もある。
今も彼女が助けれくれなければ、ナディアは魔獣に跳び掛かられていただろう。
「え、ええ、大丈夫よ。ありがとうね、サーシャちゃん」
サーシャだって、レイラを助けに行きたいはずである。実際に、ナディアからレイラが一人で戦っていると告げられた時は、防衛を放り出そうとしたのだ。
それを引き止めたのはグランだった。そしてサーシャの代わりに、不調の体に鞭打って跳び出してくれたのだ。
しかしそのグランは、いつまで経っても戻って来ない。
グランも一緒になって戦っているのだろうか。……いや。避難が済み、レイラが防波堤となる必要はなくなったのだ。それをグランが理解していないはずがない。
つまり何か、アクシデントがあった可能性が高い。
グランが戻って来れない、何かが。
「――――ッ!」
怒号と咆哮、火と水の弾丸が飛び交う。
広場を囲む魔獣の数は、増えることはないが減ることもない。殲滅速度と魔獣の進行が、ほとんど同じなのだ。
危険がかなり上昇するが、魔獣が積極的に攻勢に出てくれれば、殲滅速度も上がるのだろう。
しかし魔獣は、半数近くは様子を見るばかり。
噂に聞く魔獣は、狂暴で理性のない怪物だ。
なのに一定数は襲い掛かろうとしない。
その違いは何か。
先頭の隙間を思考に充て、視線を巡らせたナディアは気付く。
襲い掛からない魔獣は、何かを見ている。
狂暴になっていた魔獣も、その何かを見た瞬間、狂暴性が衰えていく。
魔獣の視線の先を辿り、何を――誰を見ていたのかがわかり、ナディアは困惑した。
サーシャ――魔獣と似た、赤い瞳の少女だ。
「ああもう、うざったいなぁみんな!」
昔のサーシャとは掛け離れた、粗暴な口調と共に、莫大な魔力が彼女の左手に収束する。
世界の魔力である青、魔王の魔力である瘴気の赤。水と油のように、混ざり合うことのない斑模様の魔力。その二つが、無理やり支配され、魔法陣を形作る。
「『ヴィル・アクエスト』――!!」
断続術式は、連続で同魔術を発動するための、難易度の高い合成術式だ。
さらに、魔法陣の中心以外にも、三つの『砲口』が取り付けられている。
毎秒四発。
一六秒間――集めた魔力が続く限り、合計六四発の水弾が射出される。
数を優先したそれは、一発の威力は低く、狙いも定かではない。
しかし、それが幾つも重なれば、多大な効力を発揮する。
横殴りの雨のように撒き散らされる、形を持った水の暴威が、魔獣の包囲に襲い掛かった。
炸裂する水弾。衝撃と、肉が潰れて骨が砕ける粉砕音。
魔獣の絶叫が、大合唱を奏でる。
しかし、魔獣の数は減らない。
後から後から、何体でも現れる。この里に集ってくる。
道は、開かない。
「じゃまァ……しないでよぉ!!」
血色の瞳に、荒々しい狂気を滲ませて、サーシャが怒号した。
進展のない魔獣との戦闘が、再び再開する。
数少ない、戦闘経験のある住人と。
素人の魔術師と。
そんな彼らの後ろで、守られている者たちの中で、ユミルは体を震わせていた。
里の住人には、ユミルと同年代の子供も、少ないながらも存在する。
彼らも同様に恐怖を覚えていたが、しかし、ユミルの怯えようは度を超えていた。
顔は血が引けて青白くなり、肩を抱いて震えている。
瞳を落ち着きなく揺らし、凍えたような過呼吸を繰り返す。
完全に正気を失っている。
叫び出さないだけマシといったところだ。
そんな幼き少女に近付く、一〇代半ばの少女がいた。
黒髪黒目。ミコトやサーシャたちの同行者となった、イシェルだ。
「どうしたのかなー、童女ちゃん」
ニコニコと、貼り付けたような中身のない笑顔を浮かべ、イシェルは後ろからユミルを抱きしめる。
ユミルはビクリと一瞬だけ反応したが、イシェルの温もりを実感すると、しばらくして受け入れた。
一言も話さないユミルに対し、イシェルはやんわりと、逃がさないように、
「お姉さんに言ってごらーん、童女ちゃん。君はいったい、何に怖がっているのかなー?」
ユミルの怖がり方は、死に対するものではない。
ここ最近、ミコトのそばで死にゆく者を観察していたイシェルには、それがわかった。
死よりももっと恐ろしい、絶対的で敵うことのない絶望だ。
もともとイシェルは、ユミルに対して少なくない興味を抱いていた。
あの《黒死》の使徒が拾ってきた少女なのだ。興味がないわけがない。
それがここに来て、この少女の怯え方を見て、興味が強まった。
「おもい、だし……ました。あ、あのひとが、くるんです」
記憶を失っていたユミルは、思い出したのだ。
この状況で。こうなった経緯を。これが何者の仕業であるのかを。
そして。
決定的な言葉を。
「――まおうきょうが、きたんです!」
ユミルは、告げてしまった。
もしもユミルが、もっと早くに思い出していれば。
あるいは、話す相手が、イシェルでさえなければ。
だが、何を言っても、もう遅い。
イシェルは聞いてしまったのだ。魔王教という言葉を。
知ってしまったのだ。彼らが、ここにいるということを。
「……へぇ」
イシェルの作り笑顔が、本当の笑顔へと変わる。
自分を繕い、他者を騙す偽物から。自分を曝け出し、他者を顧みない本物へ。
「魔王教――ずっと前から興味、あったんだよねー」
ユミルの耳元で、イシェルが囁いた。
くすぐったくて身をよじった……その次の瞬間、ユミルは首筋に鋭い痛みを感じた。じわりと、急速に力が抜けていく。。
イシェルの手には、細い針が握られていた。
戦う才に恵まれなかった少女が、それでも関心事を知るために会得した暗殺術。
彼女は針に、即効性の睡眠薬を塗っていたのだ。
ユミルの意識が、闇へ落ちていく。
イシェルはユミルを担ぐと気配を消し、里の面々が敷いた防衛網を掻い潜り、魔獣の包囲を擦り抜ける。
気を失ったユミルと攫い、イシェルはウラナ大森林へ入っていった。
◆
規則的な振動。
その歩行は、彼女の意思によるものではなかった。
気を失っていたレイラは、ぼんやりとした意識を覚醒させる。
「ここ、は……?」
掠れたような声音だった。
次第に肉体の痛みを自覚していく。そうして、何があったかを思い出した。
「そうだ、魔獣は!?」
「おいおい、暴れるなよ。傷がひどいんだから」
レイラのすぐ前から、男の声。包帯で覆われた後頭部が、レイラの目の前にあった。
それでレイラは、自分が男に背負われていることを知る。
温かく懐かしい、背中と声。
包帯で覆われた姿では、容姿はわからないが……この人物が誰なのか、レイラは確信していた。
「サヴァラさん、よね?」
その確認に、しかし男は答えずに、
「……あの獣族、どこかに消えたぞ」
「え?」
予想とは別の言葉が返ってきて、レイラは一瞬戸惑う。
しかし、言葉の意味に思い至った瞬間、レイラは背負われたまま辺りを見回した。
ここは里の中だった。男は里の中心、広場に向かって歩いているところであった。
そのどこにも、グラン・ガーネットの姿はない。
「はっ? ってぇええ!? 嘘でしょ!? あの怪我で!? 体調不良なのに!? いったいどこに!?」
「落ち着け、レイラ」
「これが落ち着いていられるわけないでしょう!」
怒鳴るレイラに対し、男は逡巡してから、
「おそらく、森だろう」
怒りで真っ赤になっていたレイラの顔が、急速に血の気が引けて、青白くなっていく。
「あの体で!? 死ぬわよ間違いなく! 馬鹿なの!?」
危険だらけな森の中へ、死に体で入っていったというのか。
なんという無茶無謀。いくらグランと言えども、あの傷で魔獣に囲まれれば、生還は絶望的だ。そうでなくとも致命傷なのに。
グランが死ぬかもしれない。
今まで、ずっと旅をしてきた仲間が、魔獣に噛み砕かれているかもしれない。
それは、恐怖だった。
身を震わせるレイラ。しかし、助けに行くとは言い出せない。
動くのも儘ならない体で、どうやって助けに行こうというのだ。
一刻も早く皆と合流し、救出隊を派遣する。
それが最も、可能性が高い。だが依然として、グランの生存は絶望的だ。焦りが急速に高まっていく。
男はしばらくの間、無言だった。
しかし唐突に、口を開く。そこから出てきた言葉は、絶望を加速させるものだった。
「あの男はもう、助からないと思っておいたほうがいい」
「なん、で……っ、そういうこと言うんですか、サヴァラさん!」
怒鳴るレイラに、男は訥々と語る。
「あの男の体内に、瘴気の塊がある。アレはおそらく――邪晶石」
そして。
サヴァラは、言う。
「――あの男は直に、魔族化する」
え? と。
レイラは、訊き返すこともできなかった。
「すまないな、レイラ。俺に、あの男を救うことできない。それに――」
ひどく辛そうな声音で、男は謝罪した。
しかし、その雰囲気には、なぜだか強い決意があって。
「――俺には、優先すべきことがある!」
水弾の散弾が撒き散らされる。ハルバードが振るわれる。
広場を囲んでいた魔獣が、一掃される。
男は、背負っていたレイラを広場に降ろすと、その少女に向き直った。
その少女――サーシャ・セレナイトは、鋭い視線で男を睨み付けていた。
男とサーシャが、対峙した。