第一〇話 福嗤う怪物
早く、離れないといけない。
仲間の元から。巻き込んでしまわないように。
耐えることは、もうできなかった。
この痛みに、歪みに、狂気に。抑えることは叶わない。
もう誰かを守ることすら、自分にはできない。近くにいても傷付けるだけだ。
武器は手元にない。だが今の肉体なら、人を傷付けるのに武器など必要ないだろう。
邪晶石を飲み込んだ時から、もう三年は経つ。
本来ならば、もっと早くにこうなってもおかしくなかったのだ。今まで抑えられたのは、素質か運か、それ以外か。
だが、もうそんなことは、どうでもいい。
体が痛い。
心が痛い。
命が痛い。
痛い。痛い。痛い。
体が作り変えられる。
心が狂気に染められていく。
命が瘴気に堕ちていく。
「ぐ、ぁぁあ……っ」
自分の呻き声が、どこか遠くに聞こえる。
がんがんと響く頭痛が、次の瞬間、ひどく鳴り響いた。
目の前に、同種がいる。
「いぃぃ瘴気だァ!!」
黄色い毛並みを持った獣族だった。その印象を動物で例えるなら、狐か。
糸目から覗く血色の瞳が、爛々と輝く。
「だけどなぁ! 制御できてないんじゃあなぁ! 宝の持ち腐れってもんだよ!」
鋭い牙を見せて狂笑する獣族が、強欲の欲望を瞳に宿して待ち構える。
「だからァ――寄越せよな、俺っちにさぁ!! 魔王教、《ラ・モール》所属、マモン! おめぇの魔力を頂くぜ――!?」
直後に交錯、直撃、衝撃。
空高くへ打ち上げられたのは――マモンのほう。
「ぐぎっ、は……?」
跳躍。異常な脚力でマモンの頭上に回り込む。そして、上方で両手を組み、ハンマーのように振り下ろした。
マモンの腹部に、拳が減り込む。肋骨が砕け、肺に突き刺さり、吐血させた。
空高くから叩き落され、マモンは土に沈み込んだ。
マモンを放って、彼は彷徨う。
徐々に怪物へと変貌していく肉体。しかし、それを気に掛ける暇はない。
意識が朧げに、遠ざかっていくに連れて、体が軽くなっていくような気がした。自分の体が、自分のモノじャなイみたイダ。
幸福も不幸もない。
狂気に堕落していく世界で、彼が想うはただ一人。
「セリ、アン……」
◆
異変事態が発生したウラナ大森林で、魔獣の波を突き破る。二人の人物がいた。
ラウス・エストック。
三白眼で悪人面の男が、レイピアで次々と魔獣の急所を突き、絶命させていく。
クロミヤミコト。
白髪混じりの黒髪の少年が、猛獣の脚部と腕部で魔獣を薙ぎ払う。
殲滅速度は、どちらも凄まじい。
だが、差を見た場合、ミコトが圧倒的だ。戦い方が、あまりに化け物じみているのだ。
少しでも動作に障害が出る傷を負えば、群れの真ん中で自爆。
死んで終わることもなく、自分の命を顧みることもなく、気絶もなく、拘束もできない。その進撃は、誰にも止められない。
「おい若白髪ァ! お仲間さんはどこだってんだぁ!?」
ヘレンを探しながら、ラウスはミコトに問い掛けた。
ミコトは目を閉じる。
「……魔獣が多すぎて、生命探知が効かない」
「くっそ、使えねぇ!!」
ラウスは罵りながらも、同時に幸運だと内心安堵していた。相手が先に合流してしまえば、ラウスはもはや用済みだ。
ラウスは舌打ちしながら、ミコトに襲い掛かる魔獣を切り裂いた。
目を細めるミコトに、ラウスは唾を吐き捨てる。
「勘違いすんじゃねぇぞ。てめぇが死ぬ一瞬で、取り囲まれた俺が死ぬんだ!」
ミコトが生き返るタイムラグは約一〇秒。
その間、ラウスは魔獣の大群に対し、一人で挑まなければならないのだ。
これで死んでくれるなら、ラウスとしても喜んで逃げるところなのだが、そうなることはない。
ということで、一緒にいる間は、利用できるだけ利用する方針だった。
これで恩を感じ、少しでも手を緩めてくれたら万々歳、という考えもあった。
(まぁこの様子を見る限り、ありえねぇだろぉがな)
死骸を食い散らかし、異形に変じていく怪物を横目に、ラウスは溜め息を吐いた。
怪物の攻略法は、未だ見つけられない。蘇生や変容は、魔術によるものではなく、止める方法は思い付かない。
無敵の再生者。
不死身の亡者。
こんな奴、どう倒せばいいというのだ。
悩みながら突き進んでいると、魔獣の進軍から抜け出すことに成功した。
とりあえず、ラウスは一息ついた。
それから、数秒後のことであった。
「人間の集団がいる」
ミコトから告げられた情報に、ラウスは眉根を寄せる。
ここは人里離れた森の中だ。こんなところに、誰かが集まるとは考えられない。
もし、そんな奴らがいたら。
この異変に関わっている可能性がある。
ラウスとしては、どうでもいい。
どれほど魔獣が増えようと、自分が無事ならそれでいいと考えている。
ぶっちゃけて言えば、さっさとヘレンを見つけ出し、異変を放置して逃走したい。
しかし、この怪物が逃走という選択肢を取るはずもなく、
「悪人面、行くぞ」
「チッ。はいはい若白髪、了解したってのクソが」
ラウスはこの怪物に逆らえない。
歯向かったら最期、命はないのだから。
木々を薙ぎ倒してできた広場に、無法者が集まっている。
その光景を、木々の隙間から、ラウスは目撃した。
「……何やってんだ、あいつら?」
呆然と呟いたラウスの横で、ミコトの瞳が血色に輝く。
「瘴気に汚染されている。魔族化するのも時間の内だ」
ミコトの言う通り、長期間瘴気を浴びたらしい無法者たちは、魔族化の途中にあった。
薄い理性を繋ごうと呻き声を上げ、変容する肉体に悲鳴を上げる姿が、おおよそ五〇。大人数が呻く光景は、ラウスの目には気色悪く映った。
「ってか、おいおいおい。俺もここにいたら、あんな風になるのかよ……」
「それまでに原因を潰せば問題ない」
言った直後、ミコトが無法者の集団に飛び込んだ。
とんでもない跳躍力で広場の中央に降り立ち、怪物が牙を剥く。
狂人が、嗤う。
裏返った甲高い狂言が、森に響き渡る。
「こんにちはァ皆さん! ……アァ? こいつ誰? っていう雰囲気――たまんねえなァオイ! ふいんきふいんきふいふいふい、なぜか変換できなーいギャハハ! 挨殺はキチンとしま賜死まし死ィ――――!!」
大爆発が発生した。
灼熱の爆炎が巻き上がり、刃物のような肉片が弾け飛び、溶解液と化した血液が飛び散る。
それを浴びたものに、傷を負うことは免れない。肉が溶ける、肌が焼ける、骨まで突き刺さる。
「テメェらはァ、裁くカカッ! 裁く! さばく? さばくさばさば捌くさば鯖、魚捌く? ――あぁ、お刺身食べたいなぁ、ハハッ。テメェもお一つどォですかァ!? 血液お醤油たぁっぷり漬けといてェ、脳漿山葵もちゃぁんと盛り付けとくからさァァア!!」
次々と殺されていく、魔族の成り損ない。
口々に叫ばれる怨嗟を、怪物は意にも介さない。
誰かが夢を口にした。そいつを殺す。
誰かが野望を語った。そいつを薙ぐ。
誰かが希望を持った。そいつを潰す。
誰かが約束を言った。そいつを破る。
誰かが誓いを告げた。そいつを戒す。
誰かが、何かを想っていた。
瞳が赤に染まり、苦しみに髪が脱色しても、微かな人の心が残っていた。
それを嗤い、喰らい、殺す。
「おいテメェらぁ、全員殺すのメンドォだからさァ、みんなで殺し合おうぜェ! 最後に生き残った一人は見逃してやらァ!! ……あァ、残り物には福来たるってネ。ふく? ふくふくふく、福笑、福嗤ってェ? ――あぁ、なんか久しぶりにやりたくなってきたァ!」
人の希望を利用する。
まともな理性を失っていた無法者たちは、その言葉をまともに信じて、仲間同士で殺し合う。
吐き気を堪えながら、ラウスは呻いた。
「うわぁ、気持ち悪ぅ」
血を浴びる怪物。あの様子では、生き残った一人さえ殺すだろう。
木々の隙間から観察しながら、ラウスは目を細めた。
様々な闇を見てきたラウスは、自分のことを悪人だと自覚している。だが、狂人ではない。
対し、あのクロミヤミコトという怪物は、完全な狂人だ。取り返しようもないほど歪み、壊れている。
少なくとも、最初に会ったときは、このような人物ではなかったのだが、
「半年ちょっとで、よくもまぁこんなに壊れたもんだ」
ほんの少しだけ、ラウスは同情した。まぁ、ほんの少しだけだが。
その時、風が吹いた。ラウスの隣に、絶世の美女が降り立った。
緑の髪と青い瞳。
《風月》の使徒――ヘレン。
彼女はラウスの横で、怪物の暴走を見つめていた。
頭痛を感じているのか、目を細めている。その瞳に宿る感情は、憐憫か。
「知り合いなのか?」
ラウスの問いに、ヘレンは首を振ったが、「でも」と続ける。
「夢に、似たような女がいた。エアリスにとって、そいつは悪友だった」
懐かしそうに、寂しそうに微笑みながら、ヘレンはこちらを見もしないミコトに告げた。
「貴方が《黒死》に選ばれたのね……可哀想に」
風が吹き、大気を運ぶ。
ラウスとヘレンの姿は、瞬きの間にその場から消え去っていた。
◆
◆
「よぉ、エアリス。お前、シェダル帝国の出身なんだって?」
「だったら何よ、メシアス」
まだ、メシアスが《白命》だった頃の夢。
「いやぁ、俺ら勇者って、ほっとんどアルフェリア王国出身だろ? ほかの国ってどんなとこなのかなー、ってさ」
「私が住んでいたのは田舎だから、どうも言えないわ」
「へぇ、田舎かぁ。んじゃ俺と一緒だな。緑豊かで、自分で言うのもなんだが、いい空気の場所でさ。隣人みな兄弟的な? そんな感じの」
「私の故郷は、シェダル帝国の中でも南部にあった。……魔族の襲撃を受けて、もう滅んだわ」
その時にエアリスは、勇者として目覚めたのだ。
使命感ではなく、復讐心によって。
「私が魔王と戦うのは、世界のためなんかじゃない。復讐をする、そのためだけに」
「……そっか、まぁ頑張れ。復讐は何も生まないとか言うけど、マイナスをゼロにするのはいいことだと思うし? それで世界が救われて、ついでに俺の守りたいもんが守れるってんなら、万々歳だしさ」
復讐をしたいと誰かに話すと、賢しらに空虚な未来を示唆された。そのくせ、正義に生きろと言う。
そんなことをやっても、虚しくなるだけだと。でも世界は救ってほしい、などとほざくくせに。
だが、メシアスは。
率直に言うと、変な奴だった。
お調子者で、口が悪くて、いつもふざけて。
でも、誰よりも仲間を大切にしていた。
「だからさ、もっと俺らを頼ってくれよ?」
「……それ、一番突っ走る貴女が言うこと? ちなみに訊くけど、貴女の守りたいモノって何かしら?」
「――家族と仲間」
そう言ってメシアスは、ニヤリと不敵に笑ったのであった。
◆
◆
死骸の山を積み上げて、《黒死》の使徒は森を見やる。
《風月》の気配はなくなった。ラウスの姿もない。
生命探知は、上空で飛翔する二人の命を捉えていた。
ミコトは、それを見送った。
なぜ見送ったのだろう。わからない。懐かしい感じがするけど、誰だったんだろう。
どうでもいい。
「い、生き残ったぞ! 俺が最後の一人だ! 生き残ったんだ!!」
右手に『黒死』の泥を生み出す。
『黒死』の範囲は広大だ。知覚範囲内にいる限り、逃すことはない。
「な、なぁ、助けてくれよ! 死にたくないんだよ、なぁ!!」
『黒死』を振るおうとして、やめた。
ラウスの近くには、ヘレンとかいう女もいるはず。
なぜかはわからないが、まともに向き合わないまま、殺すべきではないと考えた。
ミコトは『黒死』をやめ、この殺意の行先を迷う。結果、言う。
「俺を殺せ」
「えっ、は?」
ミコトの命令に、生き残った無法者が恍けた声を漏らす。
殺意を込めてひと睨みすると、ヒッと竦んでから、意を決したように右腕を薙いだ。
頭部が吹き飛び、絶命する。
「や、やった……? やった、やったぞ、生き残ったんだ! あは、あははははは、ざまぁみろ化け物が!!」
「残り物には福来たる――福嗤いって言っただろ?」
直後、男は漆黒の泥に飲まれ、絶命することになる。




