第五話 ラカの想い
ラカ……というか、無霊戦士のスペックは、魔獣(初期段階)を上回ります。
だからジェイド(魔族)は、前話の魔獣とは比べ物にならないくらい強かったんです。
魔族が出た。
封魔の里は、その話題で持ち切りになっていた。
魔族。より細かく分類すると、今回出没したのは魔獣だ。
野犬が魔族化したものらしい。
魔族。
それは瘴気によって変質した存在のことを言い、大まかに三種存在する。
生物が魔族化したものを、魔獣。
魔力に宿った思念が瘴気に侵され、変容して発生するものを、魔物。
それら、魔獣と魔物を統合したもの、あるいは人間が魔族化したものを、一括りに魔族と呼ぶ。
姿や性格もバラバラ。唯一の共通点と言えば、赤眼ということくらいか。
封魔の里には、これまで魔族が現れたことなどなかった。
アルフェリア王国全体の話でさえ、魔族の侵攻があったのは千年近く昔の話だ。
中央大陸で魔族が現れるのは、最も魔大陸のそばにある、シェダル帝国だけのはずなのだ。
封魔の里の者たちは、宴会を行った広場に集まり、会議を開いていた。
その場には里の出であるサーシャとレイラ、魔獣を発見したラカはもちろん、余所者であるミコトたちの姿があった。
広場のそばには、ラカが討ち取った魔獣の亡骸がある。
人々は魔獣の死骸を、恐る恐るといった様子で観察していた。
「ほかにも魔族がいたというのは、本当なのか!?」
「ああ、間違いねーよ」
住人の一人が発した言葉に、ラカはハッキリと頷いた。
ざわざわと住人たちが騒ぐ。その表情や声音には、不安や焦燥があった。
封魔の里の者たちは、総勢で三〇人足らず。まともな実戦経験がある者はいない。
魔術戦闘が可能な人数で見ると一〇人程度だ。
もともと封魔の里は、外敵のいない平穏な地である。
いくら《封魔》の魔力資質が優れていようが、努力がなければ実力は身に付かず、そういった環境がなければ努力もしない。
「そんなに強くなかったけどな、魔族」
ラカの言葉に、レイラは五カ月前のことを思い出していた。
ジェイドという、《無霊の民》がいた。その男が魔族化したときは、サーシャが危うく殺されそうになったのだ。
サーシャが苦手な近距離戦闘で、相性が悪かったというのもあるが、魔族が弱いとはとても考えられない。
不安そうな表情を浮かべるレイラを見兼ねて、グランが怠い体に鞭打って助言する。
「……魔族の強弱は、個体によって様々だ。それに、魔族化の初期段階なら、そう強くはない。だが、瘴気に慣れた中期以降は、凄まじい力を得る」
「詳しいわね」
「実戦経験があるからな」
グランの言葉に、不安に揺れていた住人たちが視線を向ける。
無責任だとわかっていたが、魔族との実戦経験があると聞いて、希望を向けてしまったのだ。
しかしグランの顔色を見て、彼らはそんな自分の考えを戒める。
今にも倒れそうな、血の気の引いた顔。そんな人物を戦いに向かわせる非情な者は、封魔の里にはいなかった。
体調の悪い体に鞭打って、この会議に参加してくれるだけでも、ありがたいというものだった。
ともあれ、グランの助言があっても、会議は進展しない。
会議は三つの意見に割れていた。
様子を見る、という意見。
しかしこれは、放っておくとさらに厄介になる、というグランの言葉に却下された。
それに、魔族から襲ってくる可能性もある。事実、ラカが打ち倒した魔獣は、里に侵入するところだったらしい。
助けを求める、という意見。たとえば、王国の騎士団に魔族出現の報告をする、などだ。
これは、距離が問題となる。ウラナ大森林から王都は、往復すると一カ月以上は確実。魔族がその間、大人しくしていてくれるとは限らない。
魔獣が現れたとなれば、騎士団も辺境だろうと無視できないだろうが……嘘だと思われ、タチの悪い悪戯だと一蹴される可能性もある。
それに、レイラたちが滞在できる期間も、そう長くはない。ゆっくりしていたら、エインルードが来る。
戦おう、という意見。
だが、戦える者がいない。魔族化の進行状態も、数も未知数なのだ。
「どーすっかなぁ、これは」
進展しない会議の中、ラカは溜め息をこぼした。
一対一なら勝てる自信はある。しかし、ラカが討ち取った魔獣は、グラン曰く初期段階のものらしい。
これが中期、後期ともなれば、どうなるだろう。
そもそも、よく考えてみる。初期とは言え、二体、三体と襲い掛かられれば、さすがに対処できない。
こちらの勢力は、余所者であるラカたちを含めて、一〇人足らず。
これで討伐隊を出すのは無謀だ。
不安が絶望に変わりゆく。
彼が立ち上がったのは、そんなときだった。
会議参加者の注目が、一点に集まる。
なぜならその少年は、この場の誰よりも自己を出していないにも関わらず、誰よりも存在感を放っていたからだ。
少年――クロミヤミコトが、言う。
「俺が殺してくる」
気負いのない言葉に、誰もが本能的に恐怖を覚えた。それは死から遠ざかろうという、生存欲求だ。
少年は、こちらを見てもいないというのに。
「ま、待てよ! お前が行くなら、オレも行くぞ!」
ラカがそう言ったのは、ほとんど反射的な行動だった。
当然、反対する者がいる。
「ちょ、おいバカラカ!」
「来るな」
引き止めるテッドと、突き放すミコト。
二人の反対を押し切り、ラカは一歩踏み出した。
久しぶりにミコトと、目を合わせた気がする。
虚ろな目からは、何を考えているのか、さっぱりわからないが。おそらく、死の恐怖を感じることもなく、魔族を虐殺してくるのだろうが。
だが、ここでミコトを見離して。
アイツが戦ってるから、オレたちは安全地帯にいればいい……などと、言えるはずがない。
足を引っ張るかもしれない。邪魔だと言われるかもしれない。
けれど、何もしないなんてこと、絶対に許さない。
「オレは行くぜ。勝手にやってやる」
「……わかった。ラカの意志を尊重する」
ラカの決意に、ミコトはほんの少し目を伏せて、最後にそう言った。
慌てたのは、納得できないテッドだ。
「待てってラカ! お前が行く必要なんか、どこにもないだろう!」
「オレの必要、必要じゃないを、テメーが決めんじゃねーよ。別にこの若白髪馬鹿のために付いて行くっつってんじゃねー。オレが、オレのために戦うんだ」
封魔の里の住人が見ている中、ラカは勇ましく啖呵を切った。
まさに戦士。住人たちの不安を薙ぎ払う、勇敢なる気迫である。
ミコトによる、畏怖ゆえの安心ではなく。
ラカによる、勇気ゆえの希望だ。
「これが無霊の戦士、か。……わかったよ、そうまで言うならわかった! だけどな、僕も付いていくからな! こんな若白髪野郎と一緒だなんて、絶対に認めないからな!」
「なんで張り合ってんだ? いや、お前がいれば頼もしいけど」
テッドの不安を、いまいち理解できないラカであった。
ともかく、これで三人の討伐隊が集った。ミコト一人の戦力を考慮すれば、これで十二分だ。
「わたしもミコトについてくぅ!」
「待て待て待ちなさいサーシャ、アンタじゃ相性が悪いでしょうが!」
サーシャが挙手しようとするのを、レイラは押し止めた。
射線を確保できない森の中では、サーシャは全力を発揮できないのだ。
それに、
「念のため、防衛のための要員だって必要でしょ」
サーシャは固定砲台に徹した時こそ、最も強い。
レイラの設置魔術にしても、逃走や防衛に真価を発揮するのだ。
適材適所というものだ。
「い、いいんでしょうか、本当に……」
住人の一人がそう言った。
討伐も防衛も、ほとんど任せきりになってしまう。そのことに罪悪感を覚えているようだった。
「なぁに言ってんのよ。アタシだって、この里の仲間なんだから」
この里に、危機がやってきている。
今度こそ守ってみせると、レイラは決意した。
「オレは戦士だからな。最前線で戦うのが、性に合ってんだよ」
ラカはニヤリと、笑わなくなった誰かに代わるように、不敵な笑みを浮かべたのであった。
◆
薄暗い森の中。
三人の人影が、森の奥へと進む。
クロミヤミコト。
ラカ・ルカ・ムレイ。
テッド・エイド・ムレイ。
この三名である。
今日だけで魔族すべてを討伐できるとは、全員が考えていない。
魔族の数は未知数。どこに、どれだけ潜んでいるかもわからない。全滅させるには、何日も掛かることは間違いない。
正直に言うと、討伐隊には三人も必要ない。効率だけを考えるなら、ミコト一人で十分だ。
ミコトは朝も昼も晩も夜も、晴れも曇りも雨も、何があろうと不眠不休で戦い続けられるのだから。
そして、魔族との実力差という点でも、凄まじく掛け離れていた。
ミコトの生命探知が、魔族の瘴気を感知した。
水属性の身体強化が脳のリミッターを破壊し、さらに『変異』が脚部を異常に強化する。
下半身が不自然に膨張した直後、ドン! とその場の地面が抉れた。
風の速度を超え、遮る木々に足を緩めることなく、魔族へと接近する。
《無霊の民》であっても、追いつけない速さ。
その場に辿り着いたときには、すでに戦い……否、虐殺は終わっていた。
尋常でない膂力により、胴体と首を引き千切られた、野犬が魔族化したのであろう魔獣。
その生首を、魔族以上の怪物が咀嚼していた。
顔を魔獣の血で汚し、遅れて追いついてきたラカとテッドに、血色の視線が向けられる。
仲間のはずなのに、敵よりも恐ろしい。
テッドは思わず後退り、警戒する。その横で、
「怖くねーよ、若白髪」
広がっていく血溜まりに、ラカは踏み出した。
ラカの足が血で濡れる。ミコトは何を思ったか、目を細めた。
――けど、こいつが何を考えているかなど、関係ない。
「次はオレにやらせろ。せっかく立候補したってーのに、テメーの戦果が上がるばっかりじゃ、オレの立つ瀬がねーだろうがよ」
「……けど」
「いいな!」
ラカは反論も効かず、強引に押し切る。
数秒後、血色の瞳が黒に戻った。
「……わかった」
ミコトが久しぶりに見せた、逡巡と躊躇。
仲間の言葉なら、なんだって頷いた人形からは、逸脱した感情。
それを見て、ラカはこんな状況だというのに、嬉しくなる。
こんな行動で、ほんの少しだけでも、この馬鹿が変わってくれるなら。
自分はきっと、まだまだ頑張れるから。
それ以降、ミコトは生命探知以上のことをしなかった。
魔族を感知し、ラカとテッドに居場所を教える。ラカたちは接近し、魔族を討ち取る。
魔獣討伐など、ミコトだけで事足りる。
しかし、それを他人がすることに意味があるのだと、ラカは信じていた。
魔獣の首の骨を砕きながら、ラカは方針を決めた。
今のミコトには、許しも罰も意味がない。だから、いつか言葉が届くようになるまで、自分の想いは後回しだ。
許すか、許さないか。
そんな悩みは、とんでもない馬鹿が、少しマシな馬鹿になった時に、答えを出せばいい。
ラカの中で燻っていたものは、いつの間にか感じなくなっていた。
やっぱりラカが主人公でいいんじゃないかな。