表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
93/97

ph 93 屍の果樹園

phase 93 屍の果樹園


 1


 愛理の首は空中で黒い霧となり、散った。


 ジークは頭の中が真っ白になるのを感じた。

「愛理!! だから、待ってろって言ったのに!!」

 衝撃が駆け巡り、彼は冷静ではいられなかった。


「愛理、嘘だろ? おまえはいつだってニコニコ笑ってたじゃねーか…」

 ジークは愛理の胴体を探した。

 胴体も霧散したのか、全然見当たらない。

 気配も感じられなかった。



「大切な、妹みたいなコだった…」

 ジークの眸から涙が溢れ出た。

 彼は心の芯がポッキリ折れてしまったみたいに感じた。


「愛理…。あのバカ女…」

 ジークは萎むように龍の幻を失い、ヒト型の姿に戻っていた。

 彼の(パルス)(にわ)かに弱々しくなった。

 愛理との短い時間が、次々に思い出された。


 思えば、口喧嘩ばかりしていた。

 彼女に本気で殴られたこともあった。

 でも、いつも飾り気のない愛理は、正直でストレートで優しいコだった。

「こんなことってある!? 信じられねーよ。こんなにあっさりと死んでしまうもんなの!? おい、愛理。おまえは黒瀧秀郷の孫なんだろう!?」

 ジークは涙で顔をくしゃくしゃにしながら、頭を左右に振った。


 ジークの中で何かが壊れる音がした。

「許せねぇ……。憂…」



 ジークの理性が一つ、ガラスのコップのように砕け散った。

 急激な感情の高ぶりが、彼に変化をもたらした。

 顔の隈取りが一層荒々しく、全身がタトゥー柄で満ちた。

 眸が銀色にぎらぎら光った。



「待ってたよ、ジーク」

 憂は血を飲み干し、ディーヴァに支えられて起き上がった。

「憎しみに駆られて暴走しろよ。それでオレ達は同じ生物。さぁ、来いよ」


 憂は片方の翅をもがれて、もう飛べない。

 崩れかけた高層ビルへ向かって、先に跳躍した。




 2


 彼等の目の前に、県下最高層のオーシャンズ・タワーがそびえていた。

 ミッドタウンの夜景を見晴らせる、五つ星の超高級ホテルだった。


 ベイサイドの広い公園の真ん前にあり、滑らかな曲線から天上へ昇っていく階段状の姿が、一際美しかった。

 今では、崩れて傾いている。

 世の終末を象徴する絵のように、灰色の雲の海に届く高さでありながら斜めに傾ぎ、剥落した外壁の惨めな姿が哀愁を感じさせる。



 憂はオーシャンズ・タワーの曲線の壁面を駆け上がった。

 ジークはタワーを見上げた。

 夜空に雲が流れ、月を覆い隠していく。


「今の俺の気分は、おまえの血でしか晴れねーよ。憂!!」

 彼もタワーへ向かって跳んだ。

 胸と腹に開いた大きな風穴から、血を滴っていく。


「愛理の仇は絶対に討つ!!」

 ジークは冷静さを完全に失って、無我夢中で憂を追った。



 ジークは憂を切り刻もうと、滅茶苦茶に黒飛龍剣を振り回した。

 空間が裂け、藍色の空がつぎはぎのように(まだら)になった。


 空間は異界と混じり合いながら、振動し歪んでゆく。

 ジークの意志とは無関係に、オーシャンズ・タワーの空間は二人の視点を軸に狂っていった。



 崩れかけの建物は、異界の熱を帯びて曲がった。

 この世にはない造形をもたらした。


 奇妙で美しく、醜い世界。

 矛盾だらけの世界。

 この世なのか、あの世なのか、定かではない境へ二人は踏み込んでゆく。



 オーシャンズ・タワーの美しい曲線は途中から曲がりくねった。

 まるで植物の蔦のように、自由に伸び広がった。

 壁が溶けて穴が開き、元からのアーチのように変形した。

 割れたガラスが消滅し、アーチが連続し、曲がった鉄骨が人間の肋骨のようである。


 これは例えれば、魔性の宮殿のイメージだ。


 誰の設計でもない。

 建物が異界によって浸食されていく。

 天井が抜けて瓦礫がオブジェのように重なり、神話か、古代遺跡みたいに蘇る。

 地上の人間達の建造物にはないデザインと表現、美が誕生した。



 非現実的な景色の中で、そのフレームにぴたりと嵌まりこむように、憂が昆虫の手足を曲げて着地した。

 対峙するジークと憂は、与えられた舞台の主役として、幕が上がっていくのを感じた。



 西洋風長椅子が変化してシャンデリアと絡み合い、植物が成長するように木製部分が伸びた。

 クリスタルグラスが剣山のように刺々しく連なった。

 そんな奇妙なモノに掴まり、憂が息を弾ませていた。


 ジークは波が寄った天井にコウモリみたいに逆さにぶら下がり、憂と、逆さのA市の夜景を眺めていた。

 眩しかったはずの夜景は今や、難民達が吸血鬼(ダーク)に怯えて暮らす、僅かばかりの光の粒々になっている。



「この世界におまえはいらない。死んでくれ、ジーク!!」

 憂が叫び、轟音とともに爆風が起きた。

 フロア全体が砕けて飛び、階下を押し潰した。

 赤い絨毯の上に、粉塵とクリスタルグラスが横殴りの暴風雨のように降り注いだ。


 ジークは(パルス)を発して、暴風雨を弾いた。

 彼は粉塵の中を転がった。


 憂は息を吸い込んで腹を膨らませ、毒の嵐を吐き出した。

 建物の重力場がひっくり返り、上下も左右も無くなる。


 ジークはタワーから眺める夜景に、ブラックホールのような闇が広がるのを見た。

 彼は強引に引っ張られ、闇に飲み込まれそうになった。

 彼は黒飛龍剣を建物の外壁に突き立て、その場に残ろうとした。


 足元で、空が闇に食われていった。

 タワーは闇にすっぽり包み込まれ、この世界が丸ごと魚眼レンズに落とし込まれるように、歪んで萎んでいく。

 萎む中心に渦があり、虫の口が牙を剥く。


 アリ地獄のような、黒い闇の虫けら。


「うああ…!! 飲み込まれる…!!」

 ジークは自分がバリバリとひしゃげていくことに、焦りまくった。

 彼のカラダはひしゃげ、重力に潰れながら闇に飲み込まれた。




 3


 風が唸り、髪に絡み付く。

 酸っぱい血の匂い。屍の匂い。


 ここはどこか。

 わからない。

 ジークは頭を擦りながら、起き上がった。


 虫に食われたと思ったのに、彼にはまだカラダがあった。

 傷だらけのカラダを動かし、彼は周辺を窺う。



 大地に、樹の根が蛇のように這う。

 見たことも無い、奇妙な赤い葉の植物が蔓を伸ばしている。

 枝先には、実が熟れ過ぎて汁を垂れている。

 その実とは、…腐った屍体だ…。


 屍体の果樹園が、丘に広がっていた。

 地面にも木々にも、桃やスイカのように人間の頭が実り、白目を剥いて舌を長く吐き出している。

 その実はやはり、熟れ過ぎて腐り、悪臭を放つ。


 樹には指にしか見えない花が咲き、ハエや蛾がたかっている。

 果実は全て裸の屍。

 男もあれば女もあり、子供もある。

 皮膚は紫色に変色し、目玉がとろっと落ちる。


「気持ち悪ぃ…」

 ジークは悪臭に吐き気を催した。



 醜い虫達が這い回り、蠢いていた。

 屋外なのか、未だオーシャンズ・タワーの内部なのか、奇抜過ぎる柱やオブジェ、切り抜いたように建物の一画がある。

 天井や屋根はなく、魔界のような気味悪い装飾的な造形が果てまで続く。


 ジークは赤い道を見つけた。

 屍を引き摺って出来たような、血塗られた道だ。

 道の先に、憂の気配があった。



 ジークは貧血で、眩暈がしていた。

「どこだよ…? 俺は変なとこに迷い込んでしまったよ…」


 チカラが抜けた彼の手元で、黒飛龍剣だけが敏感に、闇に反応していた。

 刃が震え、キーンと耳鳴りのような音を立てた。

「何か居る……」

 ジークは闇を、黒飛龍剣の切っ先から啜った。



 それはなかなか、おぞましい景色だった。

 景色は赤黒く、影と混じり合っていた。

 屍の果樹園は果てしなく続き、あちこちの枝先や巻き付いた蔓に、人間の頭がぶら下がって死の形相を浮かべていた。


 屍の果実は時折、呻き声を上げた。

「死にたくない、死にたくない…」

 或いは、

「痛い、痛い…。死にそうだ…。死んでしまうー」

 と、呟いた。


「おまえら、死んでるって」

 ジークは残酷な事実を告げた。



 途中、瓦礫で出来た墓石のようなものがあった。

 その石が盛り上がって崩れ、下から手が這い出た。

 手は必死で土を掻き、泥塗れの男が出て来た。


 男は必死に地面を掻いて、這って進んだ。

 すると、腐った腹が糸を引いて伸びて、まっぷたつにちぎれた。

 男の下半身は勝手に立ち上がり、男を残して歩き去った。


「待てよー。俺を置いてくなよー」

 男が情けない顔で泣いた。

 泣き顔から歯が抜け落ち、目玉が落ち、手から爪が剥がれた。


「俺の足が、俺を置いてったんだー」

 男がジークに訴えた。

「おまえは死んで、腐ってるからな」

 ジークが側にあったシャベルを拾い上げ、男に土を被せた。


「やめてくれ!! 俺はまだ、死んでないよ!!」

 男が叫ぶが、ジークは無情に土をかけ続けた。

「死んだ人間は、土に還るべきなんだ。蘇るんじゃなかった…」

 ジークはシャベルを投げ捨て、道に戻った。


 果樹園の丘の上を、小さな黒蝶がひらひら飛んでいた。

 夕闇色の赤黒い空を、蝶の群れがゆく。

 一匹なら美しい蝶も、この数では不気味に思われる。

「気味悪ぃ…」

 ジークはゾッとした。

 彼はルビーの蘭の温室を思い出した。

「ルビーもあんな蝶を飼ってたな…」



 屍体が合唱するように唸っている。

 墓石が次々倒れ、屍鬼が地面から這い出す。

 黒蝶が舞う。


 屍の実が腐り、樹から落ちてゆく。

 ぼわっと弾けてドロドロになって、悪臭が漂う。

 スイカのような人間の頭があちこちで揺れ、恨みつらみの唄を唄う。



 ジークは耳を塞いだ。

 狂った心、ネガティブな心。

 そこに惹かれて集う、虫けら達。


 腐った屍が磨滅するまで、変わり果てても前に進み、憂の気配に引き寄せられていく。


「おおぅ、恐怖は血で洗え。一人殺した時は、心が乱れる。二人殺せば、心が落ち着く。三人殺せば、心が軽くなり弾み出す…。十人殺せば、もう何も怖くない…。おおぅ、人間を食って、この痛みと孤独を和らげろ。死ぬことは、新たな世の始まり。永遠の夜の始まりだ…」

 ゾンビ達が唄う。

 ゾンビは肉塊になり、潰れていく。


「おおぅ、気が遠くなるほどの長い年月をかけ…、気が狂うような痛みの中で…、自我を擦り減らしながら、やがて目に見えないほどの粒になり…、最後は黒い霧になる…」

 肉片の唄が、心に滲み込んでゆく。



 思わず、ジークは、

「黙れ!! そんな唄を唄うんじゃねぇー!! そんなまでして存在し続けることに、何の意味がある!? 惨めだ!! 早くくたばった方がマシだ!!」

 と喚いた。

 自分自身を重ね合せ、彼は強い嫌悪感を抱いた。



「おおぅ、我等は砂粒になるまで…永遠を生きる。おおぅ、自我の果てるまで…、自我が果てても尚…、風に飛ばされて…流されていく…」

 先刻の足に逃げられた男が、上半身だけで地面を這い、ジークを追い越していった。

 腹から内臓が零れ、胴体がどんどん短くなっていく。

 指が落ち、手首から先が溶け、白骨が露わになる。

 男は骸骨と化していく。



 ジークは呆然とした。

「この異界は誰の心だ? 俺の心か? この男は、俺の未来の姿なのか!?」

 彼は虚無の世界で途方に暮れ、涙を零した。

「こんなものを見せるんじゃねぇ!!」

 彼が大声で叫んだ。



 天使のように雲に乗り、ふわりと空から何かが舞い降りた。

 美しく(よこし)まな笑みを浮かべ、彼は翅を広げて、手を差し伸べてきた。

「おまえの魂を闇に救済する…。沈黙の彼方へ…」


 短刀のように尖った指先がジークの胸を抉り、心臓を貫く。

 ジークは絶句し、憂を仰ぎ見た。



 憂が微笑んでいる。


 憂は虫の顔で、ジークの血を口の端から垂らしながら、

「心は肉体より脆いものだよね、ジーク…」

 と、甘い声で囁いた。



 ジークは果樹園の夢から覚めた。


 ジークは未だ、壁に突き刺した黒飛龍剣に掴まっていた。

 オーシャンズ・タワーの外側だ。


 彼は胸まで闇にどっぷり捕われ、心臓に憂の牙がかかっていた。

 憂はアリ地獄の虫のように、闇の渦の中心で、ジークを噛み裂いているところだった。


 ジークは現実の世界で正気に戻って、憂をもう一度仰ぎ見た。

 彼のカラダはバリバリと音を立てて、憂の口の中に食われていくのだった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ