ph 89 悪魔の食事
phase 89 悪魔の食事
1
泣き出したヨッシーに、
「うるせぇ、おまえが悪いんじゃねぇ!!」
と、ジークが言った。
「飲み屋通り自警団のメンバーを、人質に取られて…」
ヨッシーはパジャマの袖で涙を拭き、窓の鍵に手を伸ばした。
「…みんなを助けなきゃあ…、何とかここを出なくちゃ…」
けれど、鍵は開いたのに、窓が開かない。
「な…、なんで…!?」
ヨッシーが目を瞬いた。
「ヨッシー、諦めろよ。たぶん、これは憂の結界じゃねー。愛理、なんで黒飛龍剣が使えねーんだ!?」
ジークの手の中で、黒飛龍剣のチカラが漏れ出し、失われていく。
「別の吸血鬼の結界だよ。かなり強いヤツ。そいつがこの結界の、闇のチカラを遮断してる」
嗅覚の鋭い愛理が、クンクン匂いを嗅いだ。
「よう、憂ちゃん、フリスク食べる? ちょっとだけ、ここ開けてくれねぇ!?」
ジークがドアを蹴って言った。
「待ちなよ。感慨に耽ってただけさ。これまでの長い時間を思うと…泣けてきちゃうよ」
憂は泣くのとは反対の、薄笑いを浮かべて答えた。
憂の脳裏に、様々なシーンが浮かんで消えていった。
白い服に飛び散った姉の血、腹を裂かれた無惨な死体。
頭を抱えて泣き叫ぶ憂。
結婚式の予定から一転して、姉の葬儀。
教会の鐘が鳴る。
そして、湖に沈んでゆくボートを眺めながら、笑いが止まらない憂が岸辺にいる。
後に、彼はジークとレンタルDVD店で再会する。
ジークはゾンビとなって、彼の前に蘇ってきた。
「オレはジークを倒す為に…、黒蝶になったんだよ…」
憂が口から、長い舌管を吐き出した。
言葉はモゴモゴと籠って聞こえ、思念としてメッセージが伝わった。
「オレは最後に残してた、悪魔の真珠を解凍した…。オレはずっと吸血鬼になりたかった。不死身のカラダが欲しかった…。俺は黒蝶のチカラを手に入れた」
憂は自分の舌を満足そうに眺めた。
「オレはもう不死身だ、ジーク…。この舌で、弱っちぃ人間どもの血をたくさん啜ってみたよ…。ジークも同じことをしたんだよね? その牙で、たくさんの人間の首筋に噛みついたんだ?」
憂が問い掛ける。
ジークは残念そうに答えた。
「憂…。この前、おまえを見た時、青虫みたいに薄いグリーンになっちゃってて、もしかしてと思ってたんだ。最後の卵、使ってしまったのか…」
憂は愉しくて堪らなくなった。
「そうだよ。思い出しなよ、ジーク。小学生の翔相手に苦戦したよね。バラバラに切り刻まれて、血が足りなくなって、腐ってたよね。オレは翔より強い。オレの手でおまえの首を一捻りしてやってもいいんだけど…」
憂は頭を振った。
「いやいや、そんな楽な死に方をさせるもんか。ふふふ、見ただろう? 哲さんの焼け死んだ後を。磔に使った鎖しか残らなかった。ジークも朝日に焼かれるんだ。嬉しいか? 早く哲さんの後を追わせてやりたいよ」
憂は舌管を振り、しならせた。
舌管は彼の可愛らしい顔の中に滑り込んで、元に戻った。
ジークは哲の名が出ると、胸に苦味が込み上げるように思った。
あの時、永遠の命を呪った哲の言葉の数々が、今ではよく理解出来る。
「なぁ、憂。どういう経緯で悪魔の真珠を手に入れた?」
ジークは三浦医師との最後の約束を思い出した。
必ず黒蝶を滅ぼすと誓ったのは、あの恩師に頼まれたからでもあった。
哲、三浦医師、深由、何人もの顔が思い浮かんだ。
「俺は絶対、やらなくちゃならねぇ…」
ジークが呟いた。
「知りたいかな? ほんの偶然だったんだよ…」
憂が過去を振り返り、話し始めた。
2
「A中学の同じクラスの田中くんがさ、突然不登校になった。女の担任の先生がね、オレに聞くんだ。田中くん、どうしたの? って。田中くんが喋ってた相手って、クラスでオレぐらいだったから。でも、田中くんが学校に来なくなった理由は、オレも知らなかった」
憂は腕を組み、廊下の壁に凭れて喋った。
「…先生は何度も家に行ってみたけど、何回ピンポーン鳴らしても、家族も出て来ないって。それ、変でしょ?」
憂が話す横で、ディーヴァも興味津々で聞いている。
彼女も所属していたラボから、盗み出された卵の話だ。
「オレは先生に頼まれて、放課後、一緒に田中くんの家へ行った。門から覗くとね、ベランダに洗濯物が干してあるのが見える。誰か居る気配はしてるんだけど、いくら呼んでも出て来ないの。先生がさ、玄関ドアを引っ張ってみたんだよ。ドアは開かなかった。でも、近くの窓が少しだけ開いてて…」
憂は鮮明に思い出した。
生ゴミが腐ったような匂いがしていた。
カサカサ、何か変な音が聞こえた。
憂と、悠花先生が窓から覗き込んだ。
なんだ、キッチンに田中くんがいるじゃないか。
まな板の上、包丁で何か切っている。
何を…人間の足だ。
足の指を切断している!
ゴキンと鈍い音がした!
憂は唾を飲んだ。
田中くんがこっちを振り向いた。
憂はわざとらしい挨拶をした。
「よ、よぉ。…田中っち、学校来ないの?」
「…うん。忙しいんだ。餌を作ってあげなきゃいけないから」
田中くんは全然寝ていないような、黒ずんだ下瞼をしている。
彼は人間の足を切り刻んだものを、皿に盛った。
「え…餌…って、何の!?」
憂と悠花先生が同時に聞いた。
「父さんが研究所から持って帰ってきた、大事な虫だよ」
田中くんは餌を持ったまま、窓辺に来た。
憂は切り刻まれた足を間近に見て、絶句した。
「入る?」
田中くんが聞いた。
憂は忘れられない。
田中くんの謎めいた微笑み。唇が斜めに傾いていた。
学校での彼とは、別人みたいな表情だった。
「う、うん…。おうちの人は?」
「奥に居るよ」
田中くんは無愛想に答えた。
「その足は…誰の…?」
憂の視線は釘付けになっている。
「餌だよ。足じゃないよ。どうかしたの? 如月くん、顔色悪いよ?」
田中くんは事もなげに言った。
悠花先生は引きつった笑いを漏らした。
「田中くんてば、面白いねぇー。この餌、よく出来てるー。ホームセンターで買ったの? 材料は小麦粉?」
憂は足の生々しい切断面を見続けた。
悠花先生はショックで一時的に感覚が麻痺したように、はしゃぎ続ける。
「どんな虫ー? 先生も見たいー」
「いいよ。ついてきて」
田中くんは二人を招き入れ、奥のリビングに連れていった。
「悪臭は…その部屋で強烈に…ひどくなった…」
憂は記憶の中のあの匂いに、吐き気が込み上がった。
3
室内は薄汚れ、床に埃が積もっていた。
何日も掃除されていない。
皺くちゃの新聞紙が広げられた一画がある。
新聞紙の上から、カサカサ音が聞こえる。
ソファーに腐乱死体。
ソファーの向うに腐乱死体。
一家惨殺事件の現場か?
違う。
小学生の弟も、ちょうど餌やりを手伝っていた。
「田中くん、お母さんはどこ?」
悠花先生が尋ねると、
「その辺だよ」
と、田中はいくつかある死体の一部を指差した。
憂は膝を着き、一気に吐いた。
悪臭に胸がムカムカした。
彼はやっと、最悪の状況を理解した。
一家は崩壊し、虫に支配された兄弟が餌をやり続けている。
悠花先生は興奮した様子で、新聞紙の上を覗き込んだ。
「うわー、でかい!!」
先生の上ずった声が、吐き続ける憂にも聞こえた。
「何の幼虫なの?」
「蝶。研究所では単に、黒蝶と呼ばれてた。こいつらはガーディアン。悪魔の真珠を守る親衛隊…」
田中が父親から聞いた話をした。
田中の父親はラボで働いていた。
と言っても、下っ端の研究員で、金に換える為に卵を盗んだ。
その男は不注意にも、自宅で卵を孵化させてしまい、最初に食われてしまったのである。
憂の話を聞いていたヨッシーは、気分が悪くなった。
ディーヴァは舌打ちし、愛理は耳を塞ぎたくなった。
ジークは無言で聞いている。
憂は長い話を、リアルな台詞を混ぜて、詳細に語った。
田中の説明に、悠花先生は固まっていった。
「何の話だか、よくわからないよ。田中くん」
「悪魔の真珠という、オレンジ色のでかい卵が五つあるんだ。遺伝子操作された蝶。それが高く売れるんだって。父さんはこっちのガーディアンを先に成虫にして、サンプルとして客に見せようとしてたんだ。買いたいと言ってる人がいるって…。でも、父さんは最初に食われちゃった。…なんかさ、この虫で不老不死の薬を作れるらしいよ」
「不老不死の薬?」
憂が興味を引かれ、振り返った。
「父さんが死んじゃって、客と連絡がつかなくなった。俺はこれをどうしたらいいか、わかんないよ…」
田中は皿から餌を摘み上げ、幼虫の前に落とした。
黄緑色の幼虫は喜び、前進して生肉に食らいついた。
「オレ達で飼おうよ」
憂は無意識に言っていた。
田中は憂の意外な反応に、かなり驚いた。
「ええっ、如月くん、怖くないの!? 人間を食う虫なんだよ!?」
「怖いよ。もちろん」
憂の膝がガクガク震えていた。
田中は虫の意見を代弁するように、こう言った。
「こいつら、食欲が凄いんだ。父さんと母さんだけじゃ、足りなかった。だから、近所の人も食っちゃった。次は……誰にしようか?」
田中が憂に答えを求め、光のない眸で訴えてきた。
憂は深く頷いた。
「わかってる。明日、クラスから何人か連れて来るよ。…みんなで交替で餌やりしよう」
悠花先生はまだ固まっていて、憂の恐ろしい提案にも何も言わない。
田中はとても喜んだ。
「ありがとう、如月くん。さすがだな。君が転校してきた時から、何か違うって思ってた」
憂は心の中で呟いた。
「オレは人を殺した。ジークを…。今更、二人殺すのも三人殺すのも同じだ。…それよりも、この虫、欲しい……。不老不死になれる虫…」
憂は次第に落ち着きを取り戻し、
「クラスの中で、口の軽いヤツや、すぐに告げ口しそうなヤツから…、餌にしてしまえばいい」
と、田中に提案した。
彼等の中で、恐ろしい考えが具体的に膨らんだ。
憂の独白を聞いていたジークは、
「どんだけグロい話だよ。警察に行こうとは思わなかったの?」
と、聞いた。
憂は壁をドンと叩いた。
「はは、冗談じゃない。こんな面白い話ってある!? オレの前に、不死の夢が落ちて来たんだ」
憂は悪びれずに、
「わかるわけない。健康な奴等に。小さい時から死が常につきまとって離れない、ずっと恐怖の中で生きてきたオレの気持ちが」
と、叫んだ。
憂は結界の内のジークを睨み付けた。
「田中くんの飼ってた幼虫は、蛹になったけど、羽化せずに死んでいった。何かが足りなかったんだ。オレ達は実験を繰り返した」
憂が結界に手を伸ばした。
憂はドアを突き抜けるように、結界に入ってきた。
「オレ達は考えた。不死になるには、どうすればいいか」
「憂…」
憂とジークが久し振りに見る、互いの顔を見詰め合った。
憂はまた、回想を続けた。
放課後、A中学の三年九組は、交替で田中の家に通った。
幼虫を育てる途中で、田中も幼虫に襲われ、自ら餌になっていった…。
彼等は何人も犠牲者を出した。
「不死になるには、どうすればいいと思う?」
憂と悠花先生と、クラスの仲間達は真剣に話し合った。
ある意味、彼等もその時、虫の意識に支配されていた。
幼虫を家族のように愛しく思い、可愛がった。
幼虫はキゥキゥ鳴き、何か話すみたいだった。
「最初に黒蝶になったのは、悠花先生だ」
憂はジークに囁いた。
彼等は田中家の腐乱死体を始末し、部屋を清潔にして匂いを消した。
幼虫はガラスケースに入れられ、敷いた新聞紙は毎日交換された。
餌は、クラスの仲間全員で解体した。
孵化七匹目の幼虫は、名前も付けられていた。
幼虫はリンダと呼ばれていた。
リンダは悠花先生に一番懐いていた。
悠花先生が飼育室に来たら、いつも喜んで這ってきた。
悠花先生は、リンダが雌だと感じた。
リンダが自分を選び、一心同体になりたがっていると感じた。
「如月くん、リンダは明日、蛹になろうと考えてるみたい」
「先生、そんなことわかるの?」
憂は不思議だった。
「リンダは急いでる。私達が一つになるタイミングは、今夜しかないんだって」
悠花先生は熱心に憂に説明した。英語の授業中と同じように。
「オレ達は何人も女の人を拉致し、バラした。その頃、優しかった悠花先生は別人みたいになってた。悠花先生は殺戮を楽しんでた…。先生が楽しそうに、女の人を包丁で刺すのを見た。バラして、血を絞って、幼虫に与えてた。そして、リンダが先生を選んだ。…一つになろうと、言ってきたんだ…」
憂の話はどんどんおぞましくなっていった。
ヨッシーは部屋の隅に逃げ、話を拒もうとした。
「ジーク…。幼虫とヒトが一つになって、蛹になるんだ。そしたら、羽化する時、二つの自我を持って生まれ変わる。…新しい命、それが黒蝶になる…」
憂が秘密を明かした。
ジークは嫌悪感を露わにした。
「大体想像していた通りかな。闇の血を与えなくちゃ、吸血鬼は生まれねぇ。黒蝶は吸血鬼の遺伝子を組み込んで作られた生命だ。おまえらは幼虫の血を…、つまり体液を…飲んだのか?」
ジークはおぞましくて、言葉にするのを一瞬ためらった。
「やめろよ!! もう、やめろってば!! 聞きたくない!!」
ヨッシーが怒鳴った。
憂はヨッシーの様子を見て、ニヤニヤした。
「食うんだよ、幼虫を。科学者を仲間に持たないオレ達が黒蝶になるには、それしか方法がなかった」
憂が正解を告げた。
ジークは唾を吐いた。
「キモ過ぎるんだよ、おまえら」
「何も違わない。黒瀧の血を飲んだジークと。黒瀧の血がジークの体内に入り、二つの自我が溶け合った。死体という状態で腐りながら混じり合い、生まれ変わった。混ざり合った自我がカラダを支配し、混ざり合った欲望が暴力的な素養となる。つまりはジークであり、黒瀧でもある。だから、一度死んで蘇った時、ジークは吸血鬼になったんだ」
憂が言い張った。
「一緒にすんな。俺はジイサンに強要されたんだ。おまえと違って、俺は望んで吸血鬼になったわけじゃねー」
ジークが否定し、愛理が腰に手を当てて割り込んだ。
「憂くん。あんたはなんて勝手な子供なんだろう。あんたはどうして、一番最初に黒蝶にならなかったの? 危険なことを担任の先生にやらせて、それが実験だったわけ!?」
「その通りだ…。オレの手元には、まだ悪魔の真珠が五個あったし…、オレも黒瀧の血を手に入れる夢を捨て切れてなかった。まずは悠花先生で試してみたんだよね…」
憂が白状し、口を歪めて語った。
「先生は大きな蛹になった。その後、先生が羽化に成功して黒蝶になった。神々しいほどに美しかった…。先生の裸の背中に生えた四枚の、絹のような翅が…」
憂はイメージと共に伝えてきた。
悠花先生は黒蝶になった。
朝、複眼の大きな黒眸に長い巻き舌管、触角のある先生が、六本ある手足で窓辺に登っていた。
「如月くん…。あなたも早く、黒蝶におなりなさい。素晴らしい…。生まれ変わるということは、これほどまでに…チカラが漲っていく…」
悠花先生はシューシューと、息が漏れる声で話した。
先生の足元には、バラバラになった生徒達の死骸があった。
頭や腹を食われ、血を吸い尽くされた子供達。
成虫になった先生の、最初の犠牲者だ。
「ひゃあ…」
自分も食われると思った。
憂は頭を庇い、その場に蹲った。
悠花先生は前脚の一本で、憂の頭を撫でた。
「…私にはわかる。君がとてつもなく強い黒蝶になる資質を持っていることが。君の心に秘められた冷酷さ、執念深さ、邪まな部分が、闇と引き合うでしょう…。私は君を殺さないで出て行く。君が悪魔の真珠と融合して羽化する時は、私が駆け付けてあげる。この血に命じられた役割、守護蝶として…」
悠花先生が鱗粉を飛ばし、窓から夜空に飛び立っていった。
憂は怖さの余り、泣いていた。
大粒の涙を流し、もう少しで失禁しそうなほどだった。
悠花先生はそれきり、帰らなかった。
どこかで野垂れ死んでしまった。
憂は話を次に進めた。
「黒蝶になる方法がわかったところで、オレは悪魔の真珠を孵化させることにした。オレが実験に選んだのが、哲さんだ。全身をガンに蝕まれ、脳腫瘍の痛みから逃れる為なら、藁にもすがる思いで挑戦すると、彼は言った。オレは救いを約束した」
憂はへらへら笑った。
「酷過ぎる」
ジークは拳を握り締めた。
「憂。おまえ、哲さんや翔と、家族を作ろうとしたんだろ? そういう話じゃなかったか? 哲さんが仲間にならねーから、処刑したと言ったよな?」
憂は聞いていなかった。
「オレは時間をかけて実験した。ああ、ジーク。その成果だ。オレを見て。…美しいこの翅を」
彼が翅をぴんと張った。
ベルベットのような光沢。
刃物でも銃弾でも破れない翅。
「ジーク。おまえは誘惑に勝てるのか? 死にそうな時、天からの助けで希望が目の前に落ちて来たんだ。例え、それが他人の命で繋ぎ合わせたものだとしても、自分一人が助かる為…ふぐっ!!」
話の途中で、ジークの拳が憂の頬をぶっ飛ばした。




