ph 83 また来世に…
phase 83 また来世に…
1
朔夜は理性が半分飛んでしまっていて、繰り返し火を吐いた。
その度に朔夜が少し縮んで、ヘルの姿が濃くなった。
彼が二人に向かって吐いた火は、この世界のエネルギーとして吸収されてしまう。
ジークとヘルは怪我しなかった。
ジークは朔夜に呼びかけた。
「朔夜、おまえを裏切るつもりなんか、全然無かった。俺はおまえらを巻き込みたくなくて、自分だけで黒瀧のジイサンを何とかしようとしてたんだ…。だから、本心はおまえと戦いたくないんだ」
そんな言葉は、彼に届きそうにない。
朔夜は猛り狂い、空に稲妻を閃かせた。
魂の世界での視覚が、朔夜の龍としての姿を実体に見せた。
人間が古来からイメージしてきた超自然の、破壊的なエネルギーとしての龍だった。
龍の切れ長の眸だけが、朔夜そのままだった。
暗い目つきはどこか失望があり、孤独の影があった。
ジークはヘルの襟を掴んだ。
「俺が黒瀧のジイサンを殺してくる。だから、朔夜を解放しろよ!」
ヘルは片側の眉を上げた。
「はぁ? ジーク、おまえ一人でそんなこと出来るんなら、ぜひお願いしたいよな。やってみせてくれよ?」
ヘルがジークを振り払った。
朔夜は苛立ち、殺意と暴力的な欲望を膨らませて啼いた。
彼はヘルを直接噛み裂こうと、空を一息に駆け降ってきた。
その大口が開き、下顎が下がって、1メートルはあるだろう長い牙と、二股の舌が見えた。
「グァアアアーッ!!」
獅子のような、耳の鼓膜を破りそうなほどの啼き声が響いた。
ヘルが地獄の門を開く。
吸引されるように、龍が門の方へ尻尾から引き寄せられる。
「朔夜ー!!」
ジークが喚いた。
朔夜は鷲のような爪で、地面をバリバリ掻いた。
しかし、門の内側へ引き込まれる。
朔夜の半身が門の中に入る時、何か黒い獣が見えた。
地獄の悪霊達が一つの束になり、熊の手みたいに朔夜の背中を押さえ込んだ。
爪が朔夜の背中に食い込み、ぐっと門の内側へ引っ張った。
朔夜は抵抗し、この世界が揺れるほど大暴れした。
悪霊達の邪悪な思念が朔夜を怒らせ、最後の理性を奪う。
「ギャオオッ!!」
朔夜の龍としての姿が、自我の崩壊とともにカタチを失い始めた。
黒いダイヤみたいだった鱗が、艶のない炭の黒のかけらに変わっていく。
彼の魂が、脆く崩れ始める。
ジークは、顔一つと黒い霧になった患者ベックを思い出した。
「いけねー、朔夜!! 闇と同化する!!」
ジークが門の前に飛び出した。
瑠璃色の扉が閉ざされていく。
巨大な鉄扉に見えるが、これも物理的なものではなく、観念的なものだ。
それを、ジークがガシッと受け止めた。
ジークが片側の扉を受け止めたので、ヘルが仰天した。
「何やってんだ、ジーク!! おまえにそんなこと、出来るわけないのに!! 嘘だろ!?」
ジークは魂のありったけで、扉を押し留めた。
開くことは出来ないが、閉められる扉と扉の間に僅かな隙間を作った。
ジークが龍だったはずの黒い固まりに駆け寄り、手を掛けた。
「朔夜、来いよ!! おまえは黒滝朔夜だ!! おまえの自我を取り戻せ!!」
ジークが綱を引くように、朔夜の崩壊した残骸を引っ張って、体を反らせた。
「ヤメロ!! コレハ、オレタチノ獲物ダ!!」
悪霊が言う。
束になった悪霊は、一匹の巨大な悪魔に見える。
自我の崩れかかった悪霊達は輪郭が不鮮明な、毛むくじゃらの獣だ。
「誰が渡すかぁー」
ジークは必死で朔夜を引っ張った。
一度は停止した片側の門扉が、またじわじわと閉まっていく。
ジークが引っ張る朔夜の残骸は、既に龍でも人でもない。
彼に名を呼ばれても、反応がない。
ジークも一度、ケイシーに飲み込まれた時、完全に溶かされた。
彼の自我を呼び戻したのは、愛理だった。
「朔夜、思い出してくれ…。おまえは誇り高い男だった。仲間思いで、卑怯なことはしない男だった。思い出してくれよ…」
ジークはずるずる伸びていく朔夜の残骸の一部を、肩に担いだ。
「ジーク。早くしないと、地獄の門が閉まる。悪霊の餌食だぞ」
ヘルが崖の上から嗤いかける。
「るせぇー。そこで待ってろ。ヘル、まだ閉めんなよ」
ジークは汗を垂らし、足を踏ん張った。
彼の後方では、悪霊達が朔夜の残骸を囲み、バリボリ食い始めた。
「朔夜、もう少しだ。もう少し…」
ジークが残骸を担いだまま、扉まで戻った。
そして、扉が閉まった。
ジークと朔夜は悪霊側に残された。
「しょうがねーな…。おまえと朔夜が食い尽くされた頃、俺は一人で深淵へ行かせてもらうよ…」
ヘルが時計を見た。
2
ジークは扉を目前で閉じられ、歯噛みした。
いや、仕方ない。
元々、ヘルは仲間じゃないんだから。
ヘルも悲壮なほどの覚悟を決めている。
ジークは肩に担いでいた固まりを降ろし、背後を振り向いた。
悪霊達は朔夜の全身を粗方食い尽くした。
ジークが担いでいた一塊を狙い、食指を伸ばしてきた。
残り少ないと見ると、悪霊達は仲違いを起こした。
「アレハ、オレノダ!!」
「バカ言ウナヨ。オマエハ最弱ナンダ。黙ッテロヨ!!」
悪霊達がばらけた。
悪霊達は人間ぐらいの大きさになった。
が、まるで毛むくじゃらの猿のようだった。
黒いマント風のシルエットから、猿の長い尻尾が垂れていた。
「ヤルノカ? アブナイゾ。サガッテロヨ!!」
「オマエコソ、最弱ダロ? 朔夜ノ心臓ハ、オレガ食ウ。オレガチカラニ取リ込ムンダ」
「何言ッテンダ。殺スゾ!!」
ジークは数匹の悪霊達のやりとりを聞いた。
彼の足元で、醜い残骸の中で、朔夜の心臓がまだドクン、ドクンと鼓動しているのが感じ取れた。
「誰にもやらねーっつーの」
ジークが呟いた。
ジークが悪霊達を睨みながら、自分の胸に手を突っ込んだ。
胸元に異次元ポケットがあるみたいに、ジークは体内から黒飛龍剣を引き出した。
長いポケットから引き出すように、彼は鞘無しの剣を引き抜いていった。
右手が伸びきるところで腰を切り、切っ先を完全に抜いた。
「アッ!!」
悪霊達が一斉に声を漏らした。
「食われるのは、おまえらの方なんだよ。こいつでおまえらを吸い取って、闇の深淵に一足先に堕としてやらぁー!!」
ジークが声を張り上げた。
「オ…、王ノ剣…。ナンデ、オマエガ…!?」
悪霊の一人が、剣を指差した。
そいつは自我を僅かに取戻し、顔がぼんやりと影法師の中に浮かんだ。
「オレタチノ…王ガ、オレタチヲ指揮スル時二持ッテイタ剣ダ…」
悪霊は涙を浮かべ、一粒ぽろっと零した。
一粒の涙が落ちて、悪霊は更に生前の姿に近くなった。
「王ヲ継イダ者ヨ。オレタチノ王ノ仇ヲ討ッテクレ。オレタチノ街ヲ破壊シ、家族ヲ殺シタヤツラヲ殺シテクレ…」
他の悪霊達は深く思い出せないようだったが、仲間の話を静かに聞いている。
ジークは顔をしかめ、
「俺は王じゃねー。前にも聞いた話だな。俺は自分を殺したヤツも知らねー。自分の仇討ちでいっぱいいっぱいなんだ」
と、言った。
泣いた悪霊の後ろにいた一匹は、裂けた口からヨダレを垂らした。
「食イタイ。食イタイ。モウ、ドウダッテイイジャナイカ。オレタチハ滅ビタ。朔夜ノ心臓ト、コイツモ食ワセロ!!」
別の一匹、それからもう一匹が重なり、悪霊は三倍の大きさに膨らんだ。
「ソウダ。食イタイ。昔ヲ懐カシンダッテ、何モ戻ラナイ…」
「さっさと深淵に堕ちろ!!」
ジークが合体した悪霊を、黒飛龍剣で一閃した。
この世界で、この剣だけが有効な攻撃力を発揮した。
空間ごと切り裂かれ、悪霊達は黒い霧となり、剣先に吸い込まれた。
ジークはどっしりと、剣が重くなるのを感じた。
「ア…」
見ていた悪霊達は、また束になろうとした。
しかし、ジークの方が速かった。
悪霊達はたやすくジークに切られ、消滅した。
ジークは朔夜の残骸を見下ろした。
火で炙った肉のような、3メートルぐらいの長さの固まり。
「朔夜…!! 聞こえねーのか、朔夜!!」
ジークは肉を手に取り、黒飛龍剣で空間を切り裂いた。
彼は精神の世界から、肉体の世界へ戻った。
肉体の眸を開けると、ボロボロになった自分のカラダには片腕が無かった。
朔夜のカラダにも、両脚が無かった。
ヘルはとうに居なかった。
「朔夜!!」
ジークは片手で、朔夜の頬を叩いた。
彼は朔夜の意識を覗いた。
真っ暗な宇宙が見えた。
遥か先に、眩い銀河の渦が見えた。
銀河はゆっくり回転していた。
宝石をちりばめたような美しい光の粒達、そして薔薇色や瑠璃色のガス雲。
「朔夜、そっちに行くな!! そっちは…闇の深淵へ続く…」
ジークは意識の深層の朔夜に向かって、手を伸ばした。
朔夜の意識は自我を失い、自分が誰かわかないまま、宇宙を流れていた。
ジークは何故だか、泣けてきた。
寂しくて、遠ざかる友の気配が悲しくて、どうしようもないことが辛かった。
「ジーク」
誰かの声がした。
ジークが朔夜から意識を抜き、振り返った。
「ジーク。死体は置いて行け。これから黒瀧の結界に入る。その鍵が必要だ」
忍人がさっぱり、サバサバした話し方で言った。
ジークが気付いた時には、忍人の手当てによって、彼の腕が再生されていた。
チカラも回復していた。
「私の血を与えた。君に死なれては困るから、ジーク。さあ、いよいよダークランドだ。どこも大方の戦いが決したようだよ」
忍人がその卓抜した能力で、クレイの結界を見渡した。
「まだ死んでねーよ。心臓が動いてる」
ジークは朔夜のカラダを離そうとしなかった。
「ジーク。彼はその深手じゃ、溶け始めてる。自我もないようだ。生きてるとは言えない」
忍人が指を指した。
朔夜のカラダが溶けていく。
ゆっくり、静かに。
「朔夜…!!」
ジークは自分の手首を掻きむしり、血を絞った。
「何してるんだ? ジーク?」
忍人は嫌悪感を込め、尋ねた。
「こいつは敵じゃねーんだよ」
ジークが泣きながら血を絞って注いだけれども、朔夜は溶けていった。
ジークは朔夜が最後に言った、戦いの最中の、
「ジーク…、おまえは馬鹿だけど、面白いヤツだった。また来世に、どこかで会おう」
という言葉を思い出した。
「また来世に……」
ジークは噛みしめて、涙を流した。
3
「さぁ、ジーク。…いや、忍佐加。ここから先は自我を交替してくれ」
忍人がにんまり笑った。
それが合言葉のように、ジークの中で異変が起きた。
ジークは自分の中に溶け込んだ、忍佐加の記憶が強く蘇るのを感じた。
何よりも恐ろしい記憶が甦ってくる。
忍佐加が実父・黒瀧の正体を知ってしまった時の戦慄だ。
ジークは悪夢の中で、忍佐加の自我と交替する。
ちょうど、記憶では忍佐加が黒瀧の結界へ侵入するところだ。
そこは大事なキーワードが隠されている場面だ。
黒瀧の結界の入口は、彼の寝室の大きな鏡にある。
ドアのように異界とこの世を繋ぎ、迷路のような闇の深淵へと続く。
鍵を必要とするが、空間的に結ぶものであれば、例えば黒飛龍剣でもいいし、異界縮図でもよかった。
忍佐加は黒瀧の後継者として授けられた、翡翠の古い首飾りを持っていた。
彼は鏡を通過し、実体を伴ったまま、異界の闇の深淵へ降っていった。
暗い道だった。
黄泉と呼ぶに相応しい、穢れた道だった。
ぞわぞわと薄汚い蟲達の蠢く気配があり、憎しみと恨み、僻み妬みなどの醜い感情が空間にひしめいていた。
忍佐加は心をピュアに保ち、悪心を寄せ付けないようにした。
用心深く降りて行き、黒いタールの海に出くわした。
深淵の邪悪な意志が彼を食おうとして、様々な恐ろしい幻覚を見せた。
「こんな醜いものが…、父上の心から生まれた闇なのか…?」
忍佐加は衝撃を受けた。
彼はもっと深層へ潜っていった。
最下層では、多くの吸血鬼の魂が、復活を待っていた。
彼等は血の契約書に同意したことにより、繋がれていた。
深淵のエネルギーが邪悪な意志となって、黒瀧秀郷を支え続ける。
そして、いつしか、黒瀧は少しずつ闇に浸食されていく。
長い年月をかけ、徐々に取って代わられていることに、自覚はない。
黒瀧は闇に浸食されながら、朔夜のように崩壊せず、表面は一定のカタチを保ち続けた。
彼ほど長く生きた吸血鬼はいない。
黒瀧の子孫に鵜野数馬が生まれたが、鵜野自身はそのことを知らなかった。
鵜野は黒瀧を娘婿に迎え、一族の長の地位を譲った。
やがて、黒瀧は朽ちてきた。
深淵は新たな憑代を求めている。
憑代の条件は、闇に対する耐性の強さにある。
黒瀧は忍人を廃嫡した。
忍人は自惚れが強く、憎しみや妬みを抱きやすい。
負の感情は吸血鬼の強いチカラを開放した。
一方で、負の感情は寿命を短くした。
黒瀧は次男の忍佐加を、自分の後継者に決めた。
何より、心の純粋さと優しさが闇を遠ざける。
闇のエネルギーが体内に入っても、自我が失われることはない。
それでいて、覚醒する時には破格のチカラを発揮した。
黒瀧はどんどん不安になった。
いつか息子に殺されるのではないかという、疑心暗鬼が始まったのだ。
黒瀧は忍佐加を殺すことに決めた。
忍佐加の妻を犯し、孕ませて、彼の憎しみを故意に募らせた。
黒瀧は忍佐加が、結界の中に侵入してくる日を待った。
忍佐加は深淵の最も深き場所で、父と対峙した。
足は竦み、ぶるぶる震えた。
偉大な父は、闇を衣服のようにまとわりつかせ、魂の抜け殻のような空虚な眸で息子を見た。
「忍佐加よ…。おまえは遂に来てしまったか。ここはこの世の終わりなんだ…」
忍佐加は鎖の付いた斧を握り締めた。
「父上…、何をおっしゃっているのか、理解できませぬ…」
父親の眸に、光が欠けている。
深淵そのものの眼差しが、忍佐加に恐怖を与えた。
忍佐加の手に握られた斧が、少しずつ持ち上がっていく。
黒瀧は嗤う。
「やってみるがいい。私を殺せ、忍佐加。私は滅びぬ。おまえは不滅の意味を知るだろう」
忍佐加は汗をだらだら掻いた。
「私は父上の真実が知りたいのです。この闇の深淵と一体である父上は…、一体、何者でいらっしゃるのですか…!?」
斧が黒瀧の額中央に振り下ろされた。
黒瀧の頭部は真っ二つに裂け、斧は肋骨で止まった。
しかし、黒瀧は何事もなく両手を広げ、高く掲げた。
その吸血鬼は左右に分かれた口から、
「我は深淵なり。我こそは、闇の最も忠実なる下僕である」
と、低音の声を響かせた。




