ph 80 龍の目玉の指輪
phase 80 龍の目玉の指輪
1
ジークの予想を超え、ナオが本気で来た。
ナオの刃の動きは見えず、ヒュンヒュン風が唸るばかりだ。
ジークは思いきり跳んで、後退し続けた。
突き出される切先を鼻先に見ながら、彼は壁際に追い込まれていった。
斬り込まれそうになって、ジークは肩で壁を砕いて外に飛び出した。
マンションの五階の外側で、空中で宙返りして、切先を擦れ擦れで躱した。
切先を避けても、鋭い風に皮膚が裂けるほどだった。
「本気出せよ、ジーク! 細かく切り刻むぞ!」
ナオが予告しながら、蹴りを入れてきた。
ジークは蹴りを受けて体勢を崩し、周辺の民家の屋根に落ちた。
彼は瓦を割って、軒から転げ落ちた。
地面に落ちる前に、ナオがジークを蹴り上げ、ボールを飛ばすように飛ばした。
ジークは軽く吹っ飛び、公園の植込みに突っ込んだ。
彼は葉っぱだらけになって、起き上がった。
彼はどうしても、積極的になれなかった。
ナオは一発で仕留めようとせず、弱気なジークをボコボコにした。
ジークは殴られ、蹴られ、猫に遊ばれるネズミみたいに切り刻まれた。
ジークはやっと、鞘で攻撃を受けようとした。
ナオが格闘戦の間合いまで詰め、一瞬、土埃が舞った。
ジークの鞘が粉々に砕かれ、周囲に散った。
彼の腹に鬼美津が突き刺さっていた。
「ジーク! 何やってんだよ!! 俺を舐めてんのか?」
ナオがジークの腹を抉り、刀を捩じって抜いた。
血が迸った。
ジークは腹を押さえ込みながら、痛みに顔をしかめた。
「ナオ…」
ぬるい血が指の間から滴った。
傷を塞ごうとするチカラが、黒い煙を噴き出した。
ナオは頭を振った。
「いや、聞きたかないね。泣き言だろ? 早く、その黒飛龍剣を使えよ。鵜野にやったみたいに、俺に雷を落としてみせろよ」
ナオが指差した。
ジークはよろけながら、翼を生やし、空へ飛ぼうとした。
「逃がすか」
ナオが跳び、噴水の水盤の上に片足を着いた。
その瞬間、噴水の水が全部、彼の波の圧力で高く噴き上がった。
風が放射状に吹き、公園の木が外向きに揺れた。
ナオの鬼美津がジークの真上を掠め、電柱を真っ二つに斬った。
電柱の上半分が公園に向けて倒れ、緑色のネットにもたれかかった。
「ナオ、もうやめよう。もういいじゃねーか…」
ジークが電線の上を走った。
ナオが電線を、剣の風圧で切った。
緑色のネットに、青白い雷光が閃いた。
ネットが燃え上がった。
ジークは感電し、屋根に倒れた。
「ナオ…、考えてくれ…。あんな風になってしまった黒瀧のジイサンと…、しばらく距離を置いてほしいんだ。頼むよ!」
「あんな風って、何だよ? 意味がわかんないな!」
ナオが屋根の上を走り、刀を振り被った。
ジークはナオを仰ぎ見た。
サメのような三白眼になっている、ナオ。
はっきりとした殺意がある。
ちょうど、病院の方からクレイ達が、ジークとナオの戦闘の気配を感じて到着した。
「ナオさん!! …あれ、もしかして、…ジークさん!?」
クレイが割り込もうとするのを、香が制した。
「待って下さい。今はナオさんに任せて…」
クレイ達は面白そうに、見物することにした。
ジークは息も苦しそうに、
「…黒瀧のジイサンは…、深淵をコントロール出来てねーだろ? あの人の眸は、深淵そのもの…。人形みたいになっちゃってるだろーが!」
と、言った。
「闇の深淵に、意志なんかない。深淵が俺達をコントロールすることは出来ない」
ナオが言い張った。
「この世界が、これだけ悪意に満ちてても…そう思うの?」
ジークは刀が振り下ろされるのを待った。
「黒瀧さんが、この世の悪意を支えてるわけじゃない」
ナオはジークの首筋に、狙いを決めた。
「なぁ、ナオ。おまえも朔夜も、百五十年も前のことを引きずり過ぎなんだよ…。幕末、その時に、おまら二人がいくら黒瀧のジイサンに世話になったからって…、今も義理立てる必要はねーんじゃねーの? ジイサンはもう、死んだも同じだぜ…」
ジークは心臓がバクバク言ってるのを感じた。
「ジーク。俺と朔夜さんは、何も、維新をやり直そうとしてるわけじゃないんだ」
ナオが三白眼で、ジークを見下ろした。
「ジーク。幕末の日本を襲った、西欧列強の脅威。今の俺達に降りかかっている、異種吸血鬼の脅威も…、確かに同じ、アイデンティティーと尊厳を守る為の戦いなんだよ。だが…、おまえが人間の立場から見たら、俺達が楽しそうに殺し合ってるように見えるのかもな?」
ナオが瓦屋根に唾を吐いた。
「黒瀧さんの為に戦ってんじゃない。俺達が生き残る為だ。…俺達は黒滝さんについていく。それが最強の戦術だ」
「生き残るって…何の為に!? 家族もない、恋人もない。何の為に、永久に生きる?」
ジークが呟いた。
「…家族だと思ってた。ジーク、おまえのことも」
ナオの三白眼が潤んで、光った。
彼の刀がヒュッと回転し、ジークの首を狙った。
ジークは死を覚悟した。
友人を殺して生き延びるなんて、そんなことは、この男には無理だ。
2
ナオの刃は、ジークの首を刈れなかった。
空を切った。
「…!?」
ナオが空を眺めた。
空に亀裂が開き、異空間が覗いていた。
そこに巨大な目玉があり、こちらの空間を覗いている。
「忍人か!?」
ナオは相手の正体を知った。
ジークは忽然と消え失せ、異空間に回収されてしまった。
ナオは怒り狂った。
「どうやってジークをたぶらかした? 嘘八百並べて、口先で丸め込んだのか? どうせ、黒瀧さんを今すぐ始末しないとマズイとか言ったんだろ?」
異空間の窓から、返事は聞こえない。
クレイがナオの前に出た。
「まぁまぁ、今夜はこれでいいじゃないですか。ナオさん、お疲れ様です。香さんが如月憂を殺したって言うし、私達は憂の最後のガーデンを破壊したし。ジークさんのことは、おいおい片付けましょうよー」
「クソッ」
ナオはとても悔しがった。
3
ジークが気付いたら、彼は元のナーガ堂の塔にいた。
民族衣装を着た忍人が、舌舐めずりしながら異界を覗いていた。
「ジーク。あの鬼達を殺せば良かったのに。後々、面倒臭いことになるんだから」
「はん? 黒瀧の一族だぞ? 憎いのは黒滝のジイサン一人なんだろ?」
ジークは絨毯の上に起きた。
「朔夜は黒瀧の血を受けた息子だからね。憎くもある。君もそうだけど、ジーク」
忍人がジークを立たせ、窓辺に誘った。
寺院のランタンの明かりが見えた。
「近々、黒瀧のダークランド城に行こう。その時は…今日のような情は禁物だ。黒瀧はきっと、君のそういう弱点を突いて来るだろうからね」
忍人は蝋燭の揺れる炎を、楽しそうに見詰めていた。
彼の薬指に嵌められた指輪の、青い宝玉に光が照り、きらきら輝いた。
「俺、最近、既婚者になったんだけど。嫁も連れて行っていいの?」
ジークが玖磨のことを言った。
忍人は大笑いした。
「あの祟り神のこと? 嫁、ねぇ…。ご招待するつもりはないけど、あの怨霊は君に憑りついてるわけだから、勝手に来るでしょ。迷惑だけどね」
「知り合いだろ?」
ジークはぽかんと口を開いた。
「まさか。面識はないよ。あちらさんが何か勝手に言ってるとしても、私は会ったことはないよ」
忍人は笑いを堪え、自分の口を手で押えた。
「え? マジ? 俺達の祖先とか言ってたぞー」
「知るわけないよ。さすがに二千年も前の祖先なんてさ…」
忍人は吹き出した。
「くそー、騙された!!」
ジークが憤慨した。
ジークの傷が回復してきた。
この塔の内部は、不思議なエネルギーに満ちている。
この霊峰のエネルギーなんだろうか。
「案外、嘘ではないかも知れないけど…。ま、気を付けて。あの怨霊の望みは…、自分を殺した相手の末代までの復讐なんだから…」
忍人が窓を閉じた。
忍人は盃を取り出し、酒をなみなみと注いだ。
「ジーク、呑むかい? 大事な戦いの前に、ゲンを担ぐつもりだ」
ジークは首を振った。
「いや、おまえとは呑まない。殺されたルビーに悪いからな」
忍人は溜息をついた。
ジークは頭を掻きながら、戸口に向かった。
「帰りたい。忍人、結界を開けてくれ」
「いいよ。来る時に案内した娘に、結界の出口まで送ってもらってくれる?」
忍人が戸口まで見送った。
4
朔夜はナオと香から、報告を受けた。
「全部、車の中で見てたよ」
朔夜は後部席で、毛布を胸までかけていた。
彼は顔色も悪く、軽く咳込んだ。
「最悪です。俺にはジークが何を考えてるか、わからない。急に恋人の復讐を投げ出して、俺達と敵対した。何故なのか?」
ナオは朔夜の隣りに座り、苛々して言った。
「そうか? 俺にはわかってる」
朔夜は短く答えた。
車の中には、先に圭太が運転席へ戻っていた。
圭太はハンドルを叩いて、貧乏ゆすりしていた。
「なっちゃったことを嘆いても、しょうがないよ。ナオ。ジークのことはもう忘れなよー。放置したって、あの女の怨霊に憑り殺されるから。見てなって。あはは…」
と、笑い出す。
「チッ、圭太は人の気も知らないで。…で、今後の予定は? 朔夜さん」
ナオが朔夜を振り返った。
朔夜は遠くを見る目線になった。
「黒瀧さんから連絡が来た…。クレイ達も一緒に、ダークランド城の警備に来いと。蛾人のヘルがまだ生きてて、ダークランドに来るらしい。それを始末しろと言われた…。愛理もあそこの別荘にいるらしい」
「人使い荒いよねー、黒瀧サンってば」
圭太がワゴンを走らせた。
「愛理ちゃんか。回復してきてるのかな…。それで、俺達は飛行機乗れるんですか? 空港の警備が厳しくなって、税関で十字架触らせられるって聞いたけど」
「ああ。異界縮図で、直接来いってさ。…ジークも来るだろうな。神出鬼没の忍人と一緒に…。時空を越える指輪があるとか、どうとかって…。龍の目玉を嵌めた指輪だとか言う…」
「え、何それ? 呪術具?」
圭太が前方不注意の状態で、話に食いついて来た。
「気持ち悪い代物らしいぞ。圭太、欲しいか?」
朔夜が尋ねた。
圭太は運転席で跳ねて、はしゃいだ。
「欲しい、欲しい!! 俺のコレクションに加えたい。昔の皇帝の目玉を嵌めた指輪なら、持ってる。干からびてるけど」
「なら、忍人を殺して、術具を奪え。それがこの世の正当なルールだ」
朔夜が言い、
「忍人は友人だ。…でも、だからって、殺す理由がないわけじゃない。お互いに毒を盛り合った仲だもん」
と、圭太はハンドルに向き直った。
「ダークランド城へ…。黒瀧の別荘へ。…参りますか」
香が刀を鞘から抜き、手入れを始めた。
5
ジークは仮の自宅へ戻った。
自宅の中は、出て行く前とまた変化していた。
玄関を開けたら、もう異界の中に入り込んでいた。
長い階段が目の前から始まり、天空の高さまで続いていた。
「何だよ!? こりゃ、古代の大社造りかよ?」
ジークは木製の階段、スロープと、何本も組み合わされた大木の大柱を見上げた。
鳥居があり、注連縄があった。
「玖磨ー!!」
ジークがスロープを昇りながら、玖磨を呼んだ。
霧が晴れてゆき、天空にある内宮のような建物が見えた。
「あら、ジーク。お帰りなさい」
観音開きの戸を開き、玖磨が出てきた。
白い装束に首飾りを何重にも飾り付け、髪飾りを付け、すっかり古代人の姿に戻っていた。
髪は結い上げ、ビーズのような飾り玉で飾っている。
「お帰りじゃねーよ。今、二十一世紀って知ってるか?」
ジークは途中で、階段を昇るのが嫌になった。
「ここは聖域の中なのよ。私を祭神として祀る神社の拝殿から奥側が、ここの結界なの」
玖磨は謎めいた返答をした。
「誰が、祟り神のおまえを祀るんだよ?」
「私を殺したヤツの子孫。私の祟りを恐れて、祀ることで封印しようとしている」
玖磨は高笑いした。
「絶対に封印されてやらないけど!」
「おっかねー」
ジークは両手を上げ、階段の途中で座り込んだ。
「もうここで寝るよ。じゃ、お休み」
「待って。忍人、何て言ってた?」
玖磨がふわりと浮かんで、天女みたいに舞い、ジークの側に降りてきた。
「おまえとは面識がないって言ってたよ。おまえと忍人と、どっちが嘘つき?」
ジークは眠そうに、横になった。
玖磨は愛しそうにジークを抱き、膝枕に彼を乗せた。
「面識はないけど、互いに知らぬ関係でもないわ。ただの蛇神のくせに、ナーガ忍人、生意気ね。私が誰だか、知ってるはずよ。私がこの国に来た、最初の龍神族の母よ」
玖磨が優しく、ジークの髪を撫でた。
「ジーク、血がこびり付いてるわ。戦った、そして負けたのね。あらあら、わざと負けたのね…」
彼女はジークの過去を視た。
「静かに眠らせてくれよ。かなり、体力を消耗した。次の戦いに備えなくちゃならない。いよいよ、黒瀧のジイサンだからな…」
ジークは玖磨の膝の上で、眠りにつこうとしていた。
「お眠りなさい。ジーク、次は頑張ってね。…黒瀧、その男こそが…、私を殺めた元夫…。二千年前の…」
玖磨が小声で呟いた。
ジークは眠ってしまい、聞き洩らした。
「黒瀧…、元夫とその後妻の間に生まれた子孫を…、末代まで…祟り殺す…。この世の人、鬼全てを祟り殺す…」
玖磨はうっとりと囁いた。
6
ジークは息を飲んだ。
遂に、待ちに待った時が来た。
忍人は頷き、左手の薬指に嵌めた指輪を、ジークに見せた。
「ジーク、見て。これはドラゴン・アイという宝玉で、この霊峰に棲んでいた、古いナーガの目玉が石になったという伝承を持つ。こいつは時空を転移するチカラがある…」
ジークが指輪に嵌められた、丸い石を覗き込んだ。
明るい瑠璃色の、オパールみたいな光を発する石だ。
色は斑点になっている。
「この指輪をナーガ堂の祭壇で発見してから、私は神出鬼没に空間を越えられるようになった。これで忍佐加の処刑に間に合えばよかったんだが…、発見したのは、処刑よりずっと後の時代だ」
忍人はそっと左手を撫でた。
「あんたの血の契約書には、何て書いてある?」
ジークが質問した。
「たぶん、君と同じことが…。自分を生み出した相手を殺したら、自分も滅びて闇の地で、永遠に苦しみ続ける岩になるのだとか…書いてあるよ」
忍人が答えた。
「私は、それでもいいんだ」
忍人は指輪に口づけた。
「さあ…、黒瀧の牙城に行こうじゃないか。結界を開ける鍵は用意したね?」
彼が黒飛龍剣を見た。
ジークは胸騒ぎを覚えた。
「何だろう、この感じは…。ヨッシーに、早く退院しろって言っとけばよかったな。玖磨は遅れて来るって言ってたけど…、あいつは古代日本の祟り神なのに、外国まで来るのかな? 冷蔵庫に入ってるヨーグルト、賞味期限が明日までだった。食べてくればよかったな。…いや、気にしてるのは、そんなことじゃねーんだけど」
ジークは何とか、不安の原因を思い出そうとした。
「何か、忘れてる。家を出る時、玄関の鍵はちゃんと閉めた。でも、まだ大事なことを忘れてる。憂ちゃんの死は確認した。頭を打たれて死んでた、確実に。ナオとは喧嘩別れした。でも、いつかは…わかってくれるだろう。…他に…何かあったっけ…?」
ジークは思い出せなかった。
「黒瀧の別荘へ…」
忍人が呟いた。
指輪から青いビームが放たれた。
光が前方の空間を裂いた。
異空間が覗いた。
「ジーク、手を繋ぐよ。あの光の向こうが、黒瀧の一族が大勢出入りする、秀郷の別荘だ…」
忍人がジークの手を引いた。
ジークは余りの眩しさに、目を背けた。
光が拡大していく。
異空間が迫り、飲み込まれていく。
視界が夜のように暗くなった。
光が後方へ遠ざかり、静かな夜の気配が訪れた。
その場の空間で、古い置時計の針がカチコチ、時を刻む音が聞こえた。
新しい空間で、ジークと忍人がヒトのカタチを取り、実体化していく。
ジークは黒いシャツに黒いパンツとブーツ、黒い帽子の、いつもの格好。
ステンドグラスの嵌まった窓がある。
グランドピアノがある。
床はイタリア産の大理石。
純白の壁は装飾の縁が付き、シャンデリアの明かりに照らされている。
壁に並ぶ、油彩の大きな肖像画。
一枚の絵の前に、ジークは立ち尽くす。
その肖像画は中でも一番大きく、額の縦横の幅が彼の身長ぐらいあった。
清楚で美しい女性の肖像画で、真珠のネックレスを付け、黒いイブニングドレスを着ていた。
「なんで、ルビーの絵が…こんなところに…」
ジークが言葉を失う。
絵の女性は、ルビーそのものだった。
「それは、私の母親だよ。どこかに閉じ込められている。ジーク」
忍人がジークの隣りに立ち、絵を見上げた。
「有り得ねー。なんでルビーに生き写しなんだ!? どういうことだ…?」
ジークの声は掠れ、震えた。
その瞬間、ドアが軋み…、ホールに誰かが入ってきた。




