ph 78 鍵はそこにある
phase 78 鍵はそこにある
1
ジークの側で、救急車からストレッチャーが降りてきた。
運び出される急患の胴体が、突然ちぎれそうに長く伸びた。
腐って膿が垂れ、緑色の糸を引いている。
「うわぁぁぁ…!!」
喚く本人以上に大声で、急患の付き添いが、
「助けてぇー!! 誰か、この人を助けてぇー!!」
と、叫んでいる。
「ゾンビじゃねーか…」
ジークは反対側に唾を吐いた。
通路にいた人達が大騒ぎして飛び退き、救命士もストレッチャーから逃げた。
「ハンターが彼を殺そうとしたの!! 彼はおとなしくて、何も悪いことしないのにー!!」
付き添いの女が髪を振り乱し、叫んだ。
「退いて!!」
ジェットバーナーを持ったハンターが登場し、ストレッチャーごと、火だるまにした。
「ウォ…オオ…!!」
炎の中で、ゾンビが叫んでいる。
ゾンビが立ち上がり、黒焦げになってストレッチャーから落ちた。
首が折れ、黒煙をブスブス噴いて、悪臭を放った。
「チェッ、見てられねーな」
ジークは慌てて背を向けた。
タクシーに乗り込み、玖磨を隣りに座らせる。
「またゾンビですか。よく運ばれて来るんですよ。ここは生きた人間の病院なのに。火葬場に行け、っつーの」
タクシーの運転手が呟いた。
「本当だ。 一度死んでしまった患者に、医者は何の役にも立てねーし」
ジークが答えた。
タクシーが発進しようとした時、誰かがウィンドーに寄ってきた。
「達紙先生!? 達紙先生ですよね!?」
ジークがウィンドーから相手を眺めた。
滅多に見掛けないほど可愛い女子高生だ。
「達紙先生、以前、父がお世話になりました…」
「人違いだと思いますよ」
ジークは目を背けた。
「そんな…。達紙先生でしょ? 少し感じが変わったけど」
美少女の前で、ジークは冷たくウィンドーを閉めた。
「待って。とってもお世話になったんです。私は絶対忘れません。達紙先生のお蔭で、父は元気になりました。あの時は本当にありがとうございます…」
「駅までお願いします。急いで下さい」
ジークがタクシーの運転手に告げた。
「達紙先生、待って下さい…」
呼びかける声を無視し、ジークはその場から去った。
医師だった頃の彼は、生き生きと仕事していた。
その頃のことを思い出すのが、苦痛だった。
2
ヨッシーは病室で、ネットのニュースを見ていた。
「ご覧下さい。これがUMEの正体。昔は吸血鬼として知られてきました。今や、伝説は現実となり、このような危険で邪悪な生物が、夜の闇に跋扈することとなったのです。…人間は勇敢に戦っています。この戦いに勝たねばなりません…」
キャスターが力説している。
画面に次々映し出される、醜いゾンビ達。
腕が腐ってちぎれ、顔が腐乱していく恐ろしい状態。
怪奇映画の特殊メイクみたいなゾンビが牙を剥く。
焼かれた死体、泡を噴いて溶ける死体、バラバラになってもピクピク動いている死体なども、何度も繰り返し放送される。
その中の一人に、ヨッシーの知り合いがいた。
「ジュン!!」
ヨッシーの店のアルバイト、ジュンだった。
警察に手錠を掛けて縛られ、胸に刃物が突き立って、ドロドロに溶けていく。
「こんな身近な人間が、ゾンビになってたなんて…。あいつ、吸血鬼狩りの日、先に帰ったのに…」
ヨッシーは呆然とした。
ヨッシーは吐き気を堪え、動画に見入っている。
ヴァンパイア・ナイトのライブ映像を思い出すが、あんな過激な戦闘シーンはない。
むしろ、ヴァンパイア・ナイトの時よりずっと下等なゾンビだけ。
本当に強い吸血鬼は、ハンターに狩られたりしない。
吸血鬼は好き放題に暴れ回り、今日も人間を漁っている。
「ジーク…。俺達はどんな結末を迎えるんだろう? 人間は吸血鬼と共存出来ないだろう。俺達は…どちらかが全滅するまで殺し合うのかな?」
ヨッシーは心の中で呟いた。
「人間を殺す大型肉食獣を、俺達は絶滅の危機に追い込んできた。人間よりも強い生物は限られてた。人間は自然の脅威に晒されながら、営みを続けてきた。…でも、これほど強い捕食者と出会ったのは、初めてって感じ…」
ヨッシーは鵜野事件の後、ジークを恐れ、憎んだ。
だけど、自分を殺そうとしたのがジークの本意じゃないと、信じたかった。
「我々は必ずや勝利します。卑怯で残虐な吸血鬼を、これ以上、地球上にのさばらせることはありません。全て駆除するのです」
キャスターが言う。
ヨッシーは思う。
この人は知らないんだろうな、その吸血鬼も笑ったり、泣いたり、結構激しく凹んだりするんだ。
彼女に死なれて泣いたり、人の血を吸うことに苦悩したり。
人間を大切に、愛しく思ったりすることもあるんだ。
吸血鬼も怪我をすると痛いし、腹が減ると苦しい。
人間と変わらぬ痛覚を持っているんだ。
同じような弱さを持ってるんだ。
「吸血鬼にも優しい心を持ってるヤツがいるって、たぶん、俺しか知らない…」
ヨッシーはまだ重傷で、動けない。
「ジーク…。頑張ってくれ…。あんたが頑張らないと…この戦いは終わらないよ…」
ヨッシーは窓越しの空を見た。
早く、元通りの世界になってほしい。
3
玖磨は夜になると、異界へ出掛けていった。
たらふく人間を食って、夜明け前に戻ってくる。
ジークは夕方から徘徊し、夜中には部屋に戻る。
ジークと玖磨は、病院の近くに空き家を見つけた。
三階まである一戸建てだったが、二階より上は玖磨が占拠した。
ジークは一階の奥の部屋を閉め切り、寝室にした。
ジークと黒瀧の決戦の日が近付いている。
何も準備が出来ていない。
黒瀧は闇だ。
その眸の奥に、深淵を宿す。
ジークはかつて、その眸の深淵に引き込まれそうになり、恐怖した。
あの闇は底なしに深い。
ジークは忍人の晩餐に招待された。
「玖磨は来ねーの? こういうのってさ、夫人同伴じゃねぇ?」
「忍人が独身だから、私は遠慮するわ。私、こう見えても忙しいの」
玖磨は二階に引き籠ろうとしていた。
「人類を祟り殺すのに忙しいの? ま、好きにしろよ」
ジークは玖磨を残し、階段を降りていく。
「玖磨、黒瀧のジイサンの弱点って、知らね?」
「私に聞くの?」
玖磨が吹き抜けの手摺に肘を付き、彼を見下ろした。
「ジークは弱点だらけなのにね。情に弱いし、女々しいし、短気だし、隙だらけね」
「俺の弱点じゃなくて、黒瀧のジイサンの話だよ」
「ないんじゃない、弱点なんて」
玖磨は彼の質問に素気なかった。
「忍人の弱点は、弟…でしょ」
玖磨が小さく嗤った。
「…忍佐加か」
ジークも納得した。
「行ってくらぁー」
ジークが玄関ドアを開け、夜空に飛び立った。
4
朔夜とナオ達は、アジトに引き上げていた。
黒蝶の主要なガーデンは破壊し、卵を始末した。
雑魚は眼中にない。
「残るガーデンは、如月憂の直轄ガーデン…。あいつが最近、頻繁に出入りしてる病院の、改修中の病棟だと思われる」
朔夜がアジトの一階の料理屋で、一番奥のボックス席に座っている。
和風のカウンターの中から乗り出し、肘を付いているクレイ。
「東館でしたっけ。失敗したら、思いきり朝日を浴びちゃいそうな場所ですねぇー」
「失敗しなきゃいいんですから、クレイさん」
カウンター席に鷹詩と鳴海。
「いいんじゃないの? ジークがいない間に、如月憂を殺っちまおうよ」
朔夜の隣りの席に、ナオ。
その隣に、圭太と香。
「ジークはもう戦力外だからねー」
と、圭太が言う。
「結構広いんですよね。また結界張られてたりしたら、結構面倒…」
香が旧校舎のガーデンを思い出した。
「香。ある意味、今回は卵や蛹以上に、憂を殺すことが重要だと思う。あいつが黒蝶のトップにいるわけだから…。頼んだよ」
朔夜は香に、憂の暗殺を指示した。
香はいつも、そういう役回りだ。
「本当に中学三年の子供が、自分は吸血鬼でもないのに、黒蝶を仕切ってたりするんですかねぇー。憂の後ろに、誰か別の存在があるんじゃないのかなぁー!?」
クレイが朔夜に言い、暖簾を潜って、表に出て来た。
「有り得なくもないね」
朔夜はあっさり、クレイの発言を肯定する。
「で、ジークさんは本当にもう、帰って来ないんですか!? 朔夜さんは黒瀧さんから、ジークさんの保護を任されてたわけでしょ?」
クレイが心配そうに、朔夜に聞いた。
「もう面倒だったし、どうでもいい。黒瀧さんも何も言わないだろうし」
「ジークさん、今頃、忍人のところにいるんですかねー?」
クレイが悲しそうに言った。
その時、ナオが、
「しつこいんだよ、クレイさん。その話はもうやめてくれよ!」
と、顔をしかめて言った。
「へへ、すみません」
クレイは舌を出した。
ナオは朔夜に問い掛けた。
「どうするんですか、朔夜さん。もしジークが俺達に突っかかって来たら!?」
「倒せ。他にないだろ? ナオ、おまえが殺れ」
と、朔夜が命じた。
ナオは絶句した。
ナオの苦しみを感じ取り、クレイは楽しくて堪らなくなった。
それを香が不快に思って、
「何がおかしいんですか? クレイさん」
と、突っ込んだ。
「別に…。ジークさんが裏切ったからって、そんな辛そうな顔はないでしょ。俺達は裏切って、騙して、殺し合う、吸血鬼って生物なんですからね…」
クレイが答えたら、短気なナオの顔色が変わった。
「クレイ、うちの子はみんな純真だから、からかわないでやってくれ。敵は潰す。それが俺の方針だ。ジークが相手でも、何も変わらない」
朔夜が席から立った。
クレイが出て行く朔夜を見送った。
「で、何時にします?」
戸を閉める寸前、朔夜はクレイを振り返り、
「今夜、零時だ」
と、囁いた。
朔夜が出て行き、クレイ達が意味不明の爆笑をした。
ナオと香は不愉快だった。
ナオが朔夜を追いかけ、金魚のフンみたいに圭太が続いた。
香も出ようとしたら、クレイが、
「香くん。朔夜さん、バカだよねー」
と、言った。
「何がです?」
香が凛とした視線を向けた。
「だってさ、あんな強がったって、朔夜さんはジークさんを殺せないよね。すごく心配してるのがわかるよ。ナオさんだって、意地張ることないんだ。仲間? 笑っちゃうよ。そんな甘いこと言ってるなんて」
クレイがきついことを言った。
「ね、香くん。俺達はもっと冷徹でなきゃ。暗殺とか、汚れ仕事やらされてきた香くんなら、出来るんでしょ? 必要とあれば、同じ一族の人間を手に掛けるぐらい、平気なんだよね?」
クレイの顔をまじまじと見詰め、香は軽蔑の表情を浮かべた。
「必要とあらば、何でもしますけどね。私は道理の通らない指示は受けませんが」
香が踵を返した。
「失礼」
クレイ達がどっと笑った。
香が出ていった戸口を見詰め、
「侍だねぇ、あいつは」
と、クレイが口笛を吹いた。
「さぁ、憂を殺しに行くか」
クレイが悪魔じみた表情に変わった。
5
ジークがエレベーターを降りると、その先には、雪の降り積もる山が見えた。
夜、寺院の入口で、並べられたランタンの火が揺れている。
ジークはナーガ族の若い女に、ナーガ堂へ案内される。
彼は半人半蛇の神像を見た。
ナーガ堂のすぐ脇の石段を昇り、塔へ向かう。
「ここは結界の中なのか? 俺は本当にワープしてんのか?」
ジークは冷えた手に息を吹きかけ、判断に迷う。
塔の一階には、地域伝統の精緻な織物が敷かれ、奥に祭壇がしつらえられている。
スパイスの効いた料理の匂いが、ジークの食欲をくすぐる。
案内した女が退室し、部屋にジークだけが残される。
中庭から風が吹き込み、白い小さな花が舞い散る。
螺旋階段から、忍人が降りてきた。
「お待たせ。ジーク、よく来てくれました」
忍人がナーガ族の民族衣装で現れた。
「ご招待ありがとう、てかね。チキンとカレーがあれば、俺は満足なんだけど」
ジークは早速、料理に手を伸ばした。
「そう? お望みなら、新鮮な腸や、人間の刺身をご馳走するけど」
忍人がジークの向かいに座った。
「人間の刺身はいらねーな。だって、ここの病院の患者の肉ってことだろ?」
ジークはチキンを美味そうに食べた。
「ここの病院の患者は、黒蝶の幼虫の餌なんだよ。私には関係ないけど」
忍人は食欲旺盛なジークを眺めた。
「誘拐は目立つから、病院で幼虫を飼育してるのか。忍人は黒蝶と、何か繋がりがあるの?」
忍人はジークの質問に、首を振った。
「いや。私は直接関係ない。まぁ、黒蝶が黒瀧の一族や他の吸血鬼と対立してくれれば、漁夫の利になるかもな」
ジークは嫌悪感を示した。
「ふーん。腹黒いっちゃ、腹黒いんだよな…。あんたは今も、黒瀧のジイサンに嫌がらせを?」
「報復と言ってくれよ、ジーク」
忍人はソファーに凭れた。
「ジーク。黒瀧は生身の吸血鬼じゃない。黒瀧のカラダは…、闇の霧で造ったダミーだ。彼は別の次元から、自分の分身を操っている。本当の彼は、ダークランド城という異界に住んでいる。その入口は、君が黒瀧と出会った海外の街の、別荘の内部に存在する…」
忍人が説明を始めた。
「ああ。それで、あんたはルビーを殺した時、あの別荘に居たの?」
「…そうだ。黒瀧の部屋に入口がある」
忍人はタバコを吸い始めた。
大麻だと思う。
「私はあそこの結界に入れなかった。あの結界は特別で、どうしても鍵が開けられなかった」
忍人はじっと、ジークの黒飛龍剣を見た。
「鍵はそこにある」
ジークはびっくりして、黒飛龍剣を手に取った。
「これが鍵なのか? 確かに、異空間へ切り開くことや、深淵に落っこちることがあるぜ。なかなか思うとこには行けねーけどな」
「深淵とその剣は、直接結ばれているからね」
忍人は何でも知っている。
「ジーク、その剣を使って、ダークランド城へ行こう。私達は黒瀧の本体を斬るんだよ」
忍人が言い、
「マジで!?」
ジークはゴクッと唾を飲んだ。
「おいおい。忍人、黒瀧のジイサンは眠りの森のお姫様かよ。異界のお城に辿り着いたって、そんなに易々と斬らせてくれねーって」
「わかってる。でも、行ってみなければ。詳細は忍佐加が知ってる。あいつは黒瀧の正体に気付いた為に、葬られたんだよ。君の頭に、全ての必要な情報が入ってる。思い出してくれ」
忍人がジークの頭を指差した。
「忍佐加の記憶…?」
ジークは戸惑った。
彼の脳裏にいろんな情報が、フラッシュのように浮かんだ。
不気味に囁く黒瀧の顔が見えて来て、ジークは恐ろしさに、その情報が蘇るのを遮断した。
「思い出して。ジーク、黒瀧の正体を。あいつは龍神族の長でありながら、龍ですらない。…見えるか?」
忍人が前のめりに、ジークに詰め寄った。
ジークはガタガタ震えた。
「やめてくれよ…。なんか、総毛立つ。思い出すべきじゃない…。俺は思い出したくねー」
ジークは食べるのをやめ、頭を両手で庇った。
その彼の手を取り、忍人が耳元で囁いた。
「大丈夫。私がついてるから。黒瀧は君が今見た通り…、もう吸血鬼ですらないんだよ…」
ジークは真っ青になった。
忍人が片手を黒飛龍剣に掛けた。
「この剣は代々、一族の長に伝わって来た。黒瀧の前は、鵜野が持っていた。鵜野の前は…」
ふいに、忍人がぴたっと話すのをやめた。
ジークは頭を抱え、耳を塞いでいる。
黒瀧の正体なんて、知りたくない。
「ちょっと待って。…誰かが病院に侵入した。工事中の東館のようだ」
忍人が塔の入口を振り返った。




