ph 77 最果ての城
phase 77 最果ての城
1
忍人の城は、この世の最果てにあると言う。
ジークは漠然と考えていた。
地球がもし球体でなく、平べったい地盤だとしたら、その端っこなんだろう。
でも、地球は丸いんだし、端っこなんかない。
飛行機でどこへでも行けて、果てなんて存在しない。
いや、あるんだよ、と。
荒野と灼熱の砂漠の果てに、天を突くような山があって。
普通には、誰も辿り着けない場所で。
その山は、天と地を繋いでいる。
あの世とこの世の境にある。
途中の道程は、連なる峰と谷を越え、更につづら折りの、落ちたら真っ逆さまの崖っぷちの道が続く。
流れる水は雪解け水。
風は皮膚を切り裂くように冷たい。
厳しい自然が行く手に立ち塞がるだろう。
刻々と変わりゆく空模様、純白の冠を頂いた山々。
朝方、視界は一面の雲海。
山々が島のように浮かぶ。
雲海を割いて日が昇り、山の端に落ちるように日が沈み込む。
仙人が住んでいそうな、切り立った山々だ。
独特の民族衣装と習慣の民が住む、自給自足の村。
霊峰の中腹に、古代遺跡がある。
集落より山手に寺院があって、自然の神々を無数の祠に祀っている。
ある祠の像は、蛇の下半身を持つ神だ。
男女一対の彫刻の蛇身に、黒い鱗がある。
半人半蛇の神を祀る祠は、ナーガ堂と呼ばれている。
黒い石壁の寺院の、開口部の木枠は朱塗りだ。
色の対比で、その朱が一層鮮やかに見える。
原色の装飾が部分部分に入り、辺鄙な土地にありながら、小宮殿のような華麗さがある。
その地へ飛ぶ飛行機はなく、鉄道もない。
道なき陸路を、延々何日も車で走り続けるしかない。
命を落としかねない、険しい山には、車も入れない。
ナーガ堂の近くに、塔がある。
その四方の柱には、黒い蛇が巻き付くような彫刻が付いている。
最上階の回廊から、寺院の全域が見渡せる。
塔の姿は西洋より東洋、言い方を変えれば、どことなく日本を感じさせる。
忍人は塔に、たった一人で暮らしているという。
2
エレベーターが病院の五階に到着した。
ジークは緊張して硬くなっていた。
ドアが開き、彼は砂利道に降りた。
風の匂いが、日本と違った。
「え……!?」
ジークは呆然として、見回した。
彼は見たこともない景色に、一瞬で嵌まり込んでいた。
目の前に、雪解け水が流れる河があった。
その向こうに深い緑の丘陵。
背景として遥か先に、世界の屋根とも思えるような、天高くそびえる岩山があった。
中腹より上は雪と雲に閉ざされ、麓からは下半分しか見えないのだ。
雄大な自然から風が吹き渡る。
「これは…」
ジークの声が掠れた。
ジークが夢現で、景色に見入った。
急な坂を登って行くヤギ飼いがいた。
麓の集落の、僅かばかりの目抜き通り、船着き場に一艘の屋形船が見える。
黒い船体に朱色の縁取り、舳先が黒蛇のデザインになっている。
「初めまして、ジーク。ようこそ、我が城へ」
忍人が両腕を広げ、言った。
一陣の風がジークに吹き付けた。
ジークは急に肌寒く感じた。
細かな白い花が樹木から散り、地面に積もっていた。
風が吹く度、白い花の芳香が強く匂った。
忍人は髪を風に吹くままに任せている。
その場に馴染む、オーガニックな素材の質素な服を着ている。
身長は中ぐらい、痩せ形で、女みたいな優しい顔立ちをしている。
彼の後ろに、十人ぐらいのナーガ族が付き従っていた。
いかつい戦士達。
濃淡バラバラの、黒と赤の民族衣装を着て、ずらり並ぶ。
黒い幟が風に翻り、鮮烈な印象をもたらす。
「あんたが…忍人か…」
ジークと忍人の間を、再び風が吹き抜けた。
白い花が舞い散った。
「城と言っても、召使も奴隷もいないけどね。そんな話は嘘だから。さぁ、船に乗って」
忍人が誘う。
ジークはふと気付き、びっくりした。
「玖磨?」
いつの間にか、彼をここまで案内した、玖磨の姿が消えていた。
「ジーク。君のフィアンセには、申し訳ないことをした。許してくれというのも無理だろうけど…、私が後悔してることを知ってほしい。君に謝罪したかった。私は彼女を死なせるべきじゃなかった」
忍人が謝った。
ジークは冷静に、自分を抑えようと思った。
「…俺はずっと、ルビーを殺した相手に会いたかった。その為だけに、俺はこの世に蘇ってきた…。あんたがルビーを殺した理由を知りたかった。なんでルビーが殺されなくちゃならなかったのか? 俺達は幸せだったのに。…あんたはただ単に、腹が減って適当に襲っただけなのか? あんたの名前を聞いて、疑問が湧いた。なぁ、…黒瀧のジイサンへの報復だったのか?」
あれほど復讐したかった相手が、遂に今、目の前にいる。
ジークは興奮していたが、自分を必死に落ち着かせようとしていた。
彼は長く求めていた答えを聞きたかった。
忍人は遠い山を振り返った。
ナーガ堂のある霊峰。
「何から話そうか…」
彼は悩みながら、話し始めた。
同時に、ジークの中でも、忍佐加の記憶がざわつき始めた。
3
忍人は言う。
「私は黒滝を恨んでいた。それは…母親のことだ」
鵜野の娘が黒瀧に嫁ぎ、忍人を長子として、四百年で十人出産した。
と言っても、夫婦仲は悪く、離縁しないのは鵜野の顔を立てる為だけだった。
監禁状態の母親は、まさに牢屋のような部屋にいた。
「私は母を救い出そうと、何度も試みた。だけど、黒瀧には力及ばなかった」
忍人は十代後半で時間を停め、早くに覚醒した。
父親に対抗する為だった。
「私は弟達、特に忍佐加を可愛がった。でも、逆に、人質を黒瀧に取られたようなものだった。黒瀧は忍佐加を手なづけ、私が黒瀧を裏切ることのないように、いつも自分の側に彼を置いた」
忍人は淡々としたペースで話した。
「私は反乱を企てたけれど、母を救うどころか、弟、妹という人質が増えていって、為すすべなく時が過ぎた」
ジークは忍人の眸を睨み、視線を外さなかった。
「四百年前、私は渡欧を決意した。新天地への憧れもあったけど、本当は、現状から逃げたかった。ヨーロッパは当時、ルネッサンスの真っ只中。私は母を連れて、イタリアに行くつもりだったんだ。でも、母は拒否した。母は黒瀧を恨んでいても、幼い子供達と離れて暮らすことは望まなかった。私は結局、一人で密航したよ…。そして、船が難破…」
そこで、忍人は自嘲した。
忍人は天竺に流れ着いた。
彼は束の間、自由を手に入れた。
けれど、忍佐加の反乱に巻き込まれていくことになる。
「忍佐加は一族の後継者候補として、ぎりぎりの状態にあったらしい。忍佐加の妻は、黒瀧の子を孕んだ。それでも、彼は一族の為に耐えたんだ。なのに、妻は再び乱暴され、黒瀧の第二子を産んだ…」
忍人が語る、忍佐加の身に起きた出来事は、ジークも記憶の断片として見た。
ジークはその後、夢にうなされたぐらいだ。
忍人は話し続けた。
「弟は、黒瀧の内面の狂気に気付き始めた…。優しい父親の一面と、残酷極まりない殺戮者の一面…。強さと裏腹の、理性なき覚醒…。尊敬していた父親が、実は…」
忍佐加は黒瀧の秘密を知ってしまう。
深淵の答えを見抜いてしまう。
ジークの脳裏に、忍佐加の記憶が鮮明な映像として浮かんだ。
忍人が感じた恐怖を、ジークが感じ、ガタガタ震えがきた。
「黒瀧は…実は…」
忍人の声が小さくなって、ジークの耳によく聞こえなかった。
「忍佐加は反乱を起こした。反乱は失敗し、仲間が磔にされ、朝日に容赦なく焼き尽くされた…。忍佐加自身も、無惨な最後を迎えた」
忍人は眸を潤ませ、ジークに背を向けた。
心臓を焼かれる苦痛の記憶に、ジークは思わず目を閉じた。
黒瀧が彼に言ったことは、忍佐加の記憶と正反対だった。
「ジーク、私は命懸けで、弟を救おうとしたんだ。黒瀧は私が山の奥深くに隠れていることを知った。黒瀧は刺客を世界の果てまでも送り続け、私の行動を阻んだ。…私は……弟の報復を誓った」
忍人が微かに怒りを露わし、歯を噛み締めた。
「見たよ…。あんたは…後一歩間に合わなくて、忍佐加が処刑されてしまったんだ」
ジークが相槌を打った。
「忍佐加が妻を奪われたから、黒瀧の愛人を殺してやろうと思った…。…君にはすまないことをした。君のフィアンセだとは知らなかった。てっきり、黒瀧の愛人かと…」
忍人がルビーを殺した動機を語り終えた。
ジークは無表情に立ち尽くした。
「そんな泣き言や、謝罪が聞きてーんじゃねーよ」
ジークが掠れる声で呟いた。
彼は殺意と衝動を必死に堪えた。
ルビーを思い、泣きたくなったが、最早、涙は枯れていた。
「ルビーは俺にとって、何より大事な人だった。…あんたが家族を思うのと等しく…」
彼は精一杯の気持ちを吐露した。
ジークはふらふらと、船を降りた。
膝がガクガクして、歩き方がぎこちなくなった。
彼は葛藤し、道端の白い花の樹を見詰めていた。
彼は急に、地面に積もっていた花を蹴った。
彼の全てを察したように、忍人が背後に近付いてきた。
「ジーク…」
ジークは振り返らない。
「ジーク、私と一緒に来てほしい。…黒瀧を倒すのを手伝ってほしい」
忍人が頼んだ。
「君が弟の苦しみを知ってくれて嬉しい。忍佐加が、私と君を引き合わせた。ジーク、私と弟の魂を助けてほしい」
忍人がジークの顔を覗き込み、正面で向き合った。
「バカも休み休み言えよ。俺はあんたを殺したい。俺を利用しようとしてんのか? どうやって、あんたを信じろと言うんだよ!?」
ジークが拳を握り締め、その手をゆっくり、黒飛龍剣のケースに降ろしていった。
震える指がファスナーにかかる。
「ジーク、そうだよ、君の言う通りだ。本音を話す。君は私を利用し、私は君を利用する。私には君が必要なんだ…」
忍人がジークの右手に手を掛け、ファスナーを開けさせなかった。
ジークは黙り込んだ。
忍人は誠意を見せようとした。
「私を許せないのは当然だ。私が母や弟や妹を思うように…、ルビーは君の最愛の人だった。それを私が奪ってしまったんだから。黒瀧を始末したら、君は私を殺してくれていい。私は黒瀧を殺す為に、この何百年かを過ごしてきた。このチャンスを待ち続けた。黒瀧が何故、君を一族に加えたか、私なりに考えてみた。闇に堕ちない君を…」
ジークの背中に冷や汗が流れている。
忍人は重ねた手の下の、黒飛龍剣に視線を落とした。
「黒瀧が何故、自分の愛刀を君に預けたままにしているのか…、考えてきた」
忍人の顔が、すぐ側にあった。
「ジーク…。手伝ってくれ。私達が組むべきだ。他に黒瀧を殺そうとする者がいるかい? みんな恐れている。跡継ぎになるはずだった弥一郎だって、結局、黒瀧には手が出せなかった。ケイシーというカードを持ってしても…」
ジークは答えなかった。
忍人は首を傾げ、
「この命、闇に誓って、君に引き渡そう。それでも、ダメか?」
と、尋ねた。
「考えさせてくれ」
ジークが精気なく、魂の抜け殻みたいにとぼとぼ歩き出した。
「ああ、また度会おう…。待ってるよ、ジーク」
忍人が結界を解き、霊峰が消えた。
辺りは通常のオフィスに戻った。
ジークは階段を飛ぶように降り、突っ走った。
4
ヨッシーは集中治療室ではなく、大部屋にいた。
彼は窓際のベッドで上体を起こし、座っていた。
彼の周りに他の入院患者が集まって、雑談していた。
二十歳ぐらいの、美しい女が病室に入ってきた。
女はためらいなく、まっすぐにヨッシーのベッドに近付いてきた。
ヨッシーは見たこともない女に、一瞬ポカンとして、患者達との話をやめた。
女はベッドのネームプレートを見て、
「ヨッシーさん?」
と、声を掛けた。
「はぁ、そうですけど」
「達紙ジークの妻の、玖磨と言います」
玖磨が丁寧にお辞儀した。
玖磨から不吉な影が差した。
窓際の明るかった場所が、曇るように薄暗くなって感じられた。
ベッドのサイドテーブルに置かれていた見舞いの花が、急に萎れた。
気温が数度下がるように、辺りがひんやりとした。
「ええっ!! ジークの奥さん!?」
ヨッシーが叫んだ。
患者達が遠慮して、その場から離れて行った。
玖磨は遠慮なく、枕元の椅子に腰掛けた。
玖磨を見て、ヨッシーは何故か、ゾッとした。
何となく、嫌な感じがした。
「ジーク、いつ結婚したんすか? 知らなかったなー」
ヨッシーの目はまともに玖磨を見れなかった。
鵜野数馬に匹敵する妖気が流れていて、ヨッシーは敏感に感じ取っている。
「つい最近、結婚しました。ヨッシーさんのお話は伺ってます。お店のお料理が美味しいって。…お体の調子は、いかがですか?」
玖磨はワンピースの腿の上に手を置き、ヨッシーを直視している。
「ありがとうございます。お蔭さまで、かなりよくなりましたよ。ほら」
ヨッシーは包帯とギプスの腕を動かそうとして、
「イテッ!!」
と、背を丸めた。
「ご無理なさらないで下さい。あ、包帯が解けそう…」
玖磨がしなを作り、ヨッシーの肩に手を伸ばした。
ヨッシーは玖磨から、百合の花の匂いを嗅いだ。
ヨッシーは固まり、何故だか、一瞬動けなくなった。
玖磨の天使のような可憐な唇が、ヨッシーの首筋に近付いてきた。
唇がヨッシーの首に触れようとする瞬間、玖磨の口元に牙が見えた。
「ウァッ!!」
ヨッシーは叫ぼうと思ったけれど、悲鳴も上げられず、金縛り状態だ。
その時、ジークが病室に駆け込んできた。
荒い息だった。
「よぉ、ヨッシー!! 元気かー!?」
ジークが玖磨を押し退け、椅子に座った。
ヨッシーの金縛りが解けた。
「来てくれたんすね。心配してたんすよ」
ヨッシーはホッとした。
ヨッシーの笑顔に、ジークも癒やされる気がした。
「俺は不死身だもん」
「そうっすね。でも、テレビのニュース見てたら、心配した。世界がどんどん壊れてくって言うか…。もう無茶苦茶だ。ルールが何もなくなった」
ヨッシーはジークが吸血鬼だと知ってる。
「テレビの見過ぎじゃねーの? ここは安全?」
ジークがヨッシーを案じた。
「大丈夫。吸血鬼は入れないんだ。塀の上に高圧電流が流れてるの」
「そんなん、無意味だよ。入る時は、こうやって堂々入って来るからなー」
「そっかー」
二人が笑い合う。
午後の明るい陽射しが、窓辺に戻ってきた。
「玖磨。さっき、どこに隠れてたんだよ?」
ジークが玖磨を小突いた。
玖磨は平然として、
「ここにいたの。先に、あなたのご友人のお見舞いに…。忍人との話、どうだった?」
と、聞いた。
親しそうな二人を見て、ヨッシーはとても驚いた。
「…ジーク、いつ結婚したの!?」
「ま、事情があって…」
ジークは曖昧に口籠った。
「ねぇ、愛理ちゃんとはどうなったの? 本当の兄妹じゃないんでしょ?」
「愛理のことは、わかんねーよ。あの子のジイサンが連れて帰った」
「え? どうして? 喧嘩でもした? 愛理ちゃん、ジークと深由ちゃんが仲良く喋ってる時、いつも不機嫌な顔してたんすよ。だから、俺は…きっと、ジークのことが好きなんだなーと思ってて…」
「んなわけねーだろ!! 残念ながら、俺はそんなモテねーんだよ!!」
ジークは玖磨を気にして、冷や冷やした。
「ヨッシー。また来るわ。じゃ、な。行くぞ、玖磨」
ジークは玖磨を引っ張り、その場から引き離した。
「ジーク、…気を付けて」
ヨッシーがいろんな意味を込め、手を振った。
「おお。おまえも食われんなよー」
ジークも手を振った。
ヨッシーはベッドからずり落ちそうになって、何とか出口を行く二人を見送ろった。
「ジーク…。その人は嫌だよ。ジークが危ない気がするよ…」
ひどく胸騒ぎがした。
ジークは病室を出ると、玖磨に言った。
「俺、忍人と組むことにするよ。その方がいいって思うんだ」
玖磨は満足そうに頷いた。
「そうするべきね。で、後悔しない? ルビーの復讐を果たすチャンスを逃し、朔夜と戦うことになるわ」
「仕方ねーだろ?」
ジークは早足で歩き、タクシー乗り場に向かった。




