ph 76 切ない別れ、悪夢の再会
phase 76 切ない別れ、悪夢の再会
1
翔は咄嗟に不利と判断した。
彼は猛スピードで、校舎の中をジグザグに飛び抜けた。
ジークの血が点々と落ちていたのが気になったが、今はそれどころじゃなかった。
朔夜は圭太に言った。
「あいつを殺して、ジークを連れ戻してくれ。必ず…」
「んああ…」
圭太は気の抜けた返事をした。
ナオやクレイ達も集まってきた。
「さっき、戦ってた波、ジークですよね? ちょっと異質になってたけど、覚醒してた」
「あの覚醒、忍佐加が絡んでるんですか?」
クレイが深刻な表情をした。
「みたいだね」
朔夜は溜息をつき、その場で圭太の帰りを待った。
翔は相棒の小暮を失い、多数の仲間を殺されたことを怒っていた。
いつの間にか、黒蝶はガーデンで翔だけ、残り一匹になっている。
卵と蛹を始末され、ジークを殺す計画も失敗した。
「憂ちゃん、ごめん…。俺の手に負えないや。もう帰るよ」
翔は子供らしく、シンプルに頭を切り替えた。
「そうは行かないんだけど。面倒臭いな」
圭太が追いつき、背後から翅を切りつけた。
ガラスを掻くような音がした。
翔の翅は桁違いに硬質で、圭太でも切れなかった。
「ゲームは終わったんだ。続きはまた今度」
翔が振り向きざま、毒ガスを吹き付けた。
圭太は急ブレーキをかけて止まった。
「チワワ苛めてんじゃねぇー!」
ジークの声がした。
「チワワ!?」
翔が聞き返した。
「そこのちっこい狗のことだよ!!」
ジークの声が再び響いた時、圭太が、
「チワワとか言うな!! それに、今は黒瀧の一族なんだから、昔のことは関係ない!!」
と、牙を剥いて怒鳴った。
「ジーク…。てか、忍佐加だよな…。俺のこと、思い出してくれたんだ!?」
圭太の眸が、じわっと潤んだ。
ジークがその場の天井に、逆さまにぶら下がっていた。
翔は驚いて、ジークを見詰めた。
破れてボロボロのシャツから覗く、タトゥー模様。
ジークは覚醒した姿のまま、蝙蝠のように天井に留まっている。
縛った鎖から逃れる為に、一度、四肢と首を自ら切り離したらしい。
そして、切った部分を接合したので、体に輪状の傷跡が残った。
「忍佐加はもういねーよ…。俺はあいつの記憶の断片を持ってるだけ。ジークだよ」
ジークが隈取りの顔で呟いた。
「翔。俺は君を殺したくねーんだけど…」
「やめてくれる? 俺は同情してもらおうとか思ってないよ。へぇ、首を切り離したんだ? 随分、体力を消耗したんだろ?」
翔が言い返した。
ジークが天井に、逆さに立ち上がった。
長身のジークの顔が、ちょうど翔の向かい側に来た。
「翔、出来るだけ痛い思いをさせねーって、約束する…」
ジークが黒飛龍剣の切っ先を上げていく。
「ふざけんな! 黒瀧で一番弱いくせに…!」
翔が鎖を体内から引き出し、四本の手に構えた。
空中を自在に舞う鎖が、黒飛龍剣に絡み付いた。
黒飛龍剣は邪悪な振動で、鎖を反発した。
切っ先が、翔の眉間に食い込んだ。
刃が前頭葉を斬り込み、脳幹に達する。
「ほら。ここが一番痛くねーだろ? 脳は痛覚ねーからな」
ジークが優しく囁いた。
翔は目を見開いたままだ。
ジークの左手が瞬間に、翔の心臓を抉り出した。
そこから糸引く、一本のライン。
ジークが剣で、翔のラインを切断した。
翔は血の契約によって、闇に帰す。
黒い霧となって、黒飛龍剣に吸い込まれていった。
ジークは床に降り立ち、深い溜息を吐いた。
「終わったな…。戻ろう、ジーク。朔夜が待ってる」
圭太がジークの腕を引っ張った。
「嫌だ!!」
ジークが圭太の手を払い除け、断った。
2
圭太は蒼くなった。
「ジーク…? 必ず連れ戻れって、厳命されてんだよ」
「帰らねぇー!!」
ジークは圭太に逆らった。
彼は血走った眸で、圭太を睨んだ。
「圭太。なんで忍佐加を処刑した黒瀧に、今も仕えてるんだ!? あいつがどんなヤツか、よく知ってるはずだぞ!!」
彼は忍佐加の記憶に、自分のことみたいに感情移入していた。
「んー、俺はどっちかって言うと、清廉潔白な人より、悪党の方が好き。俺、善人は信用しないんだ…」
圭太はへらっと笑った。
「ジーク、忍人を殺しに行くんだろ!? 恋人の仇を取りに?」
「いや…。なんで? 兄上を殺すつもりはねぇ」
ジークが真顔で答えた。
圭太は仰天した。
「はぁっ!? 恋人の仇を討つために、ここまで頑張って来たんだろ!? ジーク、忍人に復讐するって燃えてたじゃないか。兄上…って、忍人は忍佐加の兄貴で、ジークの兄貴じゃないぞ!?」
ジークは当然のことを答えるように、
「そうだけど、忍佐加は俺の祖父の祖父の祖父…の家系らしいから…、ま、兄貴みたいなもんじゃん」
と、言った。
圭太は目を白黒させ、それから大笑いした。
「ヤバい。恐れてたことが本当になっちゃったよー。聞こえてる? 朔夜ー」
圭太は危機を感じれば感じるほど、げらげら笑ってしまう。
「じゃ、ジーク。これから、どうするの? 黒瀧の一族を抜けるの? せっかく仲良くなった朔夜やナオと、おまえはここで別れるのか?」
「そうなるだろうな。黒瀧の奴等とは組めねぇ」
ジークはきっぱりと言い切った。
「そうかよ…。残念だね。ジーク。また、どこかで会おう。インドのナーガ族のアジトでもいい。俺とおまえと忍人で、お茶をしよう」
「いいよ。待ってる」
ジークと圭太がハグを交わした。
そこに、ナオがやって来た。
「圭太! この薄情者!!」
ナオは圭太を罵ってから、
「ジーク。話は聞いた。ちょっと待ってくれよ。俺達のこの数ヶ月、何だったんだ!?」
と、感情を高ぶらせた。
ジークは頭を垂れた。
「ナオ、すげーお世話になった。マジで。…でも、黒瀧の一族とはいられねー。何があったか、全部知ってしまったから…」
ナオはひどく慌てた。
「ここでサヨナラってか!? 嘘だろ? 何があったか、そんなの知らねーよ。俺や朔夜さんが生まれる前の諍いだろ。ほぼ関係ないじゃないか!!」
ジークはナオに何度も助けられたことを思い出し、辛くなった。
「今も、ナオや朔夜を大好きだよ。だけど、ダメなんだよ。…ここで行かせてくれ、頼む」
「冗談だろ、なぁ!? ジーク、俺達、仲間だろ!? 一緒に飲んだり、戦ったりしてきただろ!?」
ナオが涙声になった。
ジークはそういう、単純なナオが大好きだ。
義理堅くて、とてもいい奴だった。
「ナオ、ごめん…。ルビーの仇なんて、もうどうでもいい…。俺は兄上と一緒に、黒瀧のジイサンを倒す…」
「何言ってんだよ。忍佐加に乗っ取られたのか!?」
ナオは納得出来ず、ジークの両腕を掴んだ。
「なぁ、ジーク!! 一緒に黒蝶を滅ぼすんだろ!? 彼女の仇を討てよ!!」
ジークは首を振った。
「もう空しくて…。兄上を殺したって、ルビーは生き返らねー……」
「ジーク…。おまえはルビーを、この世の誰より愛してたんじゃなかったのか…!?」
ナオが問う。
ジークは空を見上げた。
星が煌めいていた。
少しの間、沈黙が流れた。
ジークはぼうっと、口を開けた。
「愛してたよ…。夢中だった…。でも、そんなにいい女だったかな…。ちょっと美人で巨乳だったけど…、大祐と浮気するような女だったしな…」
「ジーク…!」
ジークが校舎の奥へ、一人で歩き出した。
ナオが呼んでも、彼は振り返らない。
校舎の外、朔夜は拳で膝を叩いた。
「ジーク…、行くな…!!」
微かな呟きを漏らした。
香達も遠くから、静かな眼差しで成り行きを視ていた。
クレイが一瞬、ニヤッと笑ったが、みんな見過ごした。
3
ジークには別れが、胸が張り裂けそうなほど切なかった。
ジークは寂れたキャンプ場で、使えそうなコテージの鍵を壊して、中に入った。
朝日を避ける寝床が、確保出来た。
彼はそこで、何日か過ごした。
覚醒が解けて、ジークの全身のタトゥー柄が消えた。
毎晩、眠ると忍佐加の記憶が甦って、うなされた。
忍佐加がジークに残した記憶。
黒瀧と忍佐加の確執。
「父上、いけません!! そっちは…うわぁぁ…!!」
ジークが寝言を言った。
息を乱して、汗いっぱいで目が覚めた。
「黒瀧のジイサン…、あんたがそんなヤツだったなんて…。あんたは鵜野みたいな悪党を許さねー人なんじゃなかったのか? ルビーを殺された俺に…、こんな酷いことをした相手に復讐しろと…、自分の血を分けたあんたは…、少しはまともな神経を持った吸血鬼だったんじゃねぇのか!?」
ジークが恐怖を感じ、震えた。
心細い夜が続く。
「俺は騙されてた…。俺の敵は、本当は……」
彼は毛布の下で、何度も寝返りを打った。
その夜は雨がしとしと降っていた。
雨樋から滴る雨が見えるけれど、雨自体は霧雨で、遠くの景色が霞んだ。
壁の羽目板から湿気が臭う。
室内は電球が切れ、暗い。
ジークは明りを必要としないが、陰気さと肌寒さに気が滅入っている。
コテージの入口の鍵穴が、鍵もなしに回転した。
ノブが回り、誰かが入ってくる。
吹き込む雨の飛沫。
床が軋み、女の靴音がした。
ジークが物音と、百合のような甘い香りで目覚めた。
彼の枕元に、女が座っていた。
微笑む女は、清楚なワンピースに、シンプルなロングヘア。
「ジーク。約束通り、あなたと出会いに来たわ」
玖磨がジークに抱きついた。
彼は無抵抗で、鬼女のキスを受けた。
「ジーク、嬉しい。私はこれで、あなたの妻になれる」
玖磨がはしゃいだ。
「いいよ。妻にしてやらぁ。で、早く忍人に会わせろよ」
ジークが言った。
「忍佐加と融合出来た?」
玖磨が確認した。
「忍佐加は俺の中で溶けた。でも、記憶の大半は見た。…俺は黒瀧の一族を抜けた。…さあ、忍人…兄上に、会わせてくれよ。玖磨」
ジークが玖磨の黒髪を撫でた。
髪はさらさらの絹糸のように、玖磨の肩から背中へ流れ、艶々光っていた。
「勿論、会わせてあげる。…ジーク、私がどこの女の血を吸ってきたか、聞かないの? あなたの奥さんになるはずだった女よ」
「興味ねぇ。朔夜の元カノだろ? 会わせてもらうはずだったけど、結局会わなかった。…おまえが殺したんだろ?」
ジークはベッドに寝転び、欠伸をした。
「そう思ってればいいわ。じゃ、明日、忍人のところに行きましょう。彼はインドにはいない。今、日本に来てるのよ…」
玖磨が告げた。
ジークは背中を向けて寝転んでいたが、眸が光った。
「会いたい、兄上に…。俺の中の忍佐加が、そう思ってるよ…」
「ジーク…。その気持ちに偽りはない? もし、私を騙したら、あなたを呪い殺す…」
玖磨の口が裂け、牙が覗いた。
玖磨の牙が、ジークの首筋に食い込んだ。
彼女が音を立て、血を啜った。
ジークは堪えた。
4
憂は超高層のバルコニーから、 夜景を眺めていた。
翔も小暮も、帰って来なかった。
憂は開かれたドアを振り返り、部屋の中に言った。
「なぁ、そろそろ、あんたの血をオレに分けてくれよ…」
白いシャツの前をはだけ、くしゃくしゃの髪をした誰かが出て来た。
十八歳ぐらいの見た目だが、落ち着きぶりは老人を超えていそう。
「…憂。同じことを何回も言わせないでくれ。十八歳になったら、分けてあげるよ」
憂は不満そうに、
「ジークがもうすぐ来るんだよ…。心臓を移植しても、オレはまだ生身の人間なんだ。これじゃ、戦えないでしょ!?」
と、相手に突っかかった。
「憂。人間はもう、大半食われた。もうすぐ、みんな吸血鬼になる。全世界的に…。そして、全滅するまで殺し合う。憂は最後まで、何もしないで見てればいい…」
相手はガラス扉に凭れ、片手に持っていた赤ワインを傾け、グラスに注いだ。
「忍人…」
憂が苛々して、相手の名を呼んだ。
「見て…。綺麗な色だね…。人間の血みたいな色…」
忍人が夜景の明かりにワインを透かし、色合いを楽しんだ。
5
翌日の夕方、ジークと玖磨は駅からタクシーに乗り込んだ。
シャッターが全部閉ざされたショッピングモール、火事で真っ黒になった高層ビル。
大破した車が、交差点の脇に放置されている。
タクシーの窓から見る景色は、以前と全然違う。
ジークは嫌な予感がした。
玖磨はヨッシーが入院している総合病院で、タクシーを降りた。
ジークはまさかと思って、
「ここなの? 友達が入院してるんだけど」
と、玖磨に尋ねた。
「そう。忍人がこの近くのホテルに滞在してて、今日はこの病院に来てる。ここで待ち合わせたの。文句ある?」
玖磨がジークを、美しい眸で睨んだ。
人間に実体化しても、妖気は増すばかりだ。
「別に、文句とか。後で、友達のとこに寄ってもいい?」
「いいんじゃない?」
玖磨はさっさと正面玄関を入り、中央ロビーのエスカレーターを上がっていく。
ジークの鼓動が速くなった。
ルビーを殺したのは、忍人。そこは間違いない。
「忍人は、弟の忍佐加が会いに来ると思ってる? 恋人を殺された男が復讐に来ると思ってるの?」
「そんなこと、忍人は興味ないの。私がアポイントを取ったのよ。信用してよ」
玖磨がジークと腕を組み、スタッフ専用と書かれたドアを開けた。
窓のない白い壁、白い天井、灰色の床の長い廊下が伸びていた。
「え…、マジで…。なんて挨拶すりゃいいの? てめーに殺された女の婚約者です、って?」
「本当に何も考えてなかったのね。会わせろ、会わせろってうるさかったのに」
玖磨が呆れた。
オフィスで、秘書の女性が現れ、
「達紙様でいらっしゃいますね?」
と、確認した。
「ええ、そうです」
玖磨が妻になりきって返事した。
「このエレベーターを上がって、五階正面の部屋で、ナーガ忍人様がお待ちです」
秘書嬢が案内し、エレベーターのドアを開けるボタンを押した。
ジークは緊張し、深呼吸した。
「降りたらすぐ、真正面に忍人が立ってる」
玖磨がジークの耳元に囁いた。




