ph 73 祟り嫁
phase 73 祟り嫁
1
夕焼けに染められた空が、少しずつ夜に沈んでいく。
獣達の時間が近付いてくる。
ナオは車を降りてから、早歩きで朔夜の側に寄って行った。
「なんでジークの仇討ちを手伝ってやらないんです? 別に時間はあるんでしょ?」
不思議そうに尋ねるナオに、朔夜は小さな吐息を聞かせた。
「朔夜さんには何か見えてるんですか? 忍人が相手だと、なんかマズイんですか?」
ナオが声を潜めた。
その時、前に停車していたクレイの車から、人が降りてきた。
「…ジークが忍人と会ったら……俺とジークは…敵になるかも知れないな…」
朔夜は残念そうに言った。
「え? なんでですか?」
ナオがぎょっとした。
「朔夜さん。今度のアジトは一階が料理屋で、奥が旅館で。僕達の部屋は二階になります」
クレイが話しかけてきた。
「ああ、そういうの、好きだよ」
朔夜がクレイの方へ行き、ナオが残された。
街灯の灯りがいつの間にか点いて、薄暗くなった道の先を照らしていた。
影が動き出し、通りから人の気配が消えた。
狩りが始まろうとしている。
屋根の上で、鳥より大きいものが翼をバサバサ羽ばたかせた。
天井裏をずるずると、異常に長い生き物が這い回る音がした。
すぐ近くの空き地から、得体の知れない獣の遠吠えが聞こえた。
複数の獣が目を覚まし、生き血で牙を研ぐ為に巣から出た。
人間は戸締りをして家に引き籠り、謎のウィルスや正体不明の殺人鬼に怯えている。
戸は勝手に開くだろう。
人間は全く抵抗出来ない。
夢を見ている間に、血を失っていく。
首筋には穴が残され、時によっては腹が裂かれ、腸が食われるだろう。
吸血鬼はそうそう伝染しない。
巷に増えていくのは、ゾンビが多い。
彼等は苦痛から逃れる為に、血を求めて彷徨う。
今日もガーデンで、人知れず、黒蝶が蛹から羽化する。
ある時は建設途中で工事がストップした現場で、いくつもの蛹の抜け殻が見つかる。
人間は恐怖に戦くが、その数倍の数が毎日どこかで羽化している。
羽化した黒蝶達は繁殖し、卵をガーデンに産み付け、せっせと幼虫に餌の人間を運ぶ。
人間は肉食の虫に食われ、魂も闇の血の一部になっていく。
人間は吸血鬼狩りを始めたが、多くは誤って、人間を殺した。
罪もない人間が疑われ、火炙りになった。
殺された人間の遺伝子が吸血鬼だったかどうか、検証は殆ど有効でなかった。
弱い立場の人間が順に焼かれていった。
世界中で人間同士が監視し合い、嘘の告発をやり合った。
ネットでは、吸血鬼志願者が溢れた。
どうすれば吸血鬼になれるのか、一般の人間にはわからなかった。
2
ジーク達は度々、黒蝶と遭遇した。
戦いは日常の一部だった。
ある時は異種の吸血鬼と戦い、負傷もした。
ある時は人間のハンターが攻めて来て、幻覚を見せて、やり過ごしたりした。
新しいアジトに移ってから数日間、ジークはまた悪夢にうなされた。
ジークが眠ると、枕元で地獄の道が開く。
赤銅色の光る道を覗くと、長いトンネルの先に濃い闇が待っている。
そこから毎夜、鬼女が通う。
ジークの肉体は眠っているが、魂は目覚めていて、鬼女を迎える。
鬼女は長い髪に蔓を絡ませ、黴の生えた古代の着物を着ている。
頬には肉がなく、骨と歯茎と歯が見える。
片目は失われ、闇が巣食っている。
髪で顔半分隠しているが、地獄からの風が時々、髪を揺らす。
白骨の指がジークの肩に触れ、
「あなたの血を吸ってみたけど、復活出来ないわ。嘘を付いたの?」
と、毒づいてくる。
「時間が経ち過ぎてんじゃねーかなぁー? 二千年は長過ぎだろ? もう俺の嫁になるのは無理だね」
ジークが逃げ腰になる。
鬼女は腕を絡めてきた。
「私は諦めない。あなたをずっと待ってたんだから。あなたは二千年前と、少しも変わらないのね。気が利かないところも…」
ジークは自分の匂いでない腐敗臭を感じた。
「二千年前ね。それ、俺の前世かな? それとも、遠い祖先の話か。とにかく、今の俺とは無関係だから、諦めてくれねーかな? 玖磨」
ジークが夢の中で逃げる。
鬼女はどこまでも追いかけてくる。
「私が復活したら、あなたは嫌と言わないはずよ。今の私が醜いから…。私が復活したら、あなただって…」
「いやー、そういう問題では…」
ジークが鬼女を引き剥がそうとするのに、彼女は首筋に噛みついてきた。
「痛ぇっ!!」
ジークは必死で鬼女を離そうと、ガンガン蹴った。
鬼女は着物に体が入ってないみたいにスカスカして、手応えがない。
「玖磨、自分だけ復活してどうすんだよー!? 吸血鬼全体を古代の姿に戻したいんだろ? だったら、そういう話は黒瀧のジイサンに持ってけよ。何とかしてくれる」
ジークが鬼女の髪を掴み、引っ張った。
髪が抜けたと思ったら、枯れた蔓草だった。
呪いはジークに降りかかってきた。
鬼女の姿は一瞬で消え失せ、どっと体力・気力の消耗を感じた。
「黒瀧のジイサンに会わなきゃ。…俺はあの人に、一から順に話を聞かねーと…」
ジークは荒い息で目覚めた。
金縛りから解けて、汗びっしょりで布団に寝ている。
別の日には、戦いの真っ最中に白昼夢に堕ちた。
「ジーク!? 何を突っ立ってんだ!?」
ナオの声が聞こえているが、ジークの視界の半分が、深淵と化す。
景色は戦いの場とダブり、見分けがつかなくなる。
「玖磨ー、今、邪魔すんなよー!! 取り込んでるんだ!!」
ジークがおろおろする。
鬼女は地獄の底から響くような声で嗤う。
「ジーク…、遊びに来たの。愛しいあなたの顔が見たくなって。あなたの側は…血の匂いに満ちてるのね。素敵だわ…」
ダブる景色の中で、圭太だけが鬼女と視線を交える。
「あの子…、不満そうね…。私とジークが愛し合うことに、不満を持っている」
玖磨は憎々しげに圭太を見やる。
「いや、俺も愛し合う気ねーから。今は忙しいんだって。退けよ。敵の攻撃が見えねーだろ!?」
ジークが黒飛龍剣から雷撃をお見舞いしようとして、そのまま反射される。
玖磨の方が、ジークより強い。
「それは何のつもり? 私には蚊に刺されるほどでもないわ。あなたは心配しなくていいの。私の数珠が、あなたを護ってるんだから」
鬼女が瑠璃色の数珠を指差した。
ジークは、
「こんなモノ!!」
と、数珠を引きむしった。
数珠は一瞬、床にばら撒かれた。
でも、次の瞬間にはまた連なり、ジークの左腕にあった。
「忍人に会ってきたのよ、ジーク」
玖磨は勝手に喋りつづけた。
「ジーク。忍人はあなたを嫌ってた。あなたは宿命の敵ですって。あなたを殺し、黒瀧の一族を皆殺しにすることが、弟・忍佐加への供養だと言ってたわ」
「そうかよ。俺は絶対、忍人を殺すよ。それが俺の正義」
ジークは黒飛龍剣を振り回し、異空間を斬る。
「忍人に伝えておくわ。短絡おバカさん」
鬼女が嗤い、消え失せる。
消えた後方に敵がいて、鬼女が消えた刹那に敵の攻撃がジークの身を貫く。
ジークは敵の攻撃をもろに食らった。
「嘘だろ…!? どっちが現実で、どっちが夢なのか…、判断つかねー」
ジークが血を吐いて倒れた。
「ジーク!!」
朔夜やナオや圭太が、ジークを囲む。
「だから言ったんだ。そいつ、祟り神だって。おまえの願いを叶えてやるとか言いながら、実際には、この世を呪って殺戮を愉しむだけなんだ」
圭太が怒って言う。
仲間が敵を倒してくれたが、ジークは仮死状態になる。
一時期、朔夜がそうして眠りについていたように。
ジークは何日も昏睡した。
昏睡の夢の中で、玖磨が最後に血を吸いに来た。
「当分、お別れよ。ジーク。あなたの血をもらったお蔭で、確かに復活してきたわ。そして、復活する方法も見つけた…。今度は実体化して、会いに来ます」
玖磨は不気味な予告をした。
「ほら、見て。肌が綺麗になってきたでしょ?」
玖磨が髪を持ち上げ、失われていたはずの顔半分を見せた。
頬にうっすら肉が付き、皮膚が張り始めていた。
まだ醜くはあったけれど、白骨死体ではなくなってきた。
指にも肉が付き、青白い爪が生えている。
「どこに行くんだ? もう深淵で休んでくれる気になった?」
「まさか。私、あなたの妻になる女を見つけたの。その女の血を飲むことで、私は遂に実体化する…」
玖磨が言う。
「ええっ!?」
ジークが夢の中で、布団から跳び起きた。
「誰のこと言ってんの!?」
ジークは焦りまくった。
いろんな女性の顔が頭に浮かんだ。
「あら、心配なの? 大丈夫。実体化した暁には、その女を一番先に殺して、あなたに会いに戻るから。それから二人で世界中の人間を刈り取って、血を飲み干しましょう」
玖磨は静かに微笑み、姿が薄くなって消えた…。
ジークが現実に跳び起きた。
「うはぁっ!!」
彼は滝のように流れる汗を拭った。
布団から飛び出して、廊下に走り出た。
長い廊下の左側は、襖が続く。
右側は窓で、下町の夜景が見える。
階段の一つ手前の襖がぱっと開き、朔夜とナオ達の顔が覗いた。
「ジーク!! 寝ぼけてどこへ行くんだよ!!」
「朔夜!!」
ジークが急ブレーキで、階段の手前に立ち止まった。
「今すぐ、女を紹介して欲しいんだ。今すぐだ。今すぐ結婚したい。出来るだけ、どうでもいい女を紹介してくれ!!」
興奮したジークが、意味不明のことを口走った。
一同、一斉に笑った。
「祟り神の嫁が来るんだろ。諦めろよ」
「男が人身御供かよ。珍しー」
みんなでゲラゲラ笑う。
「嫌な夢を見たんだ。あれがただの脅しなら、別にいいんだけど…」
ジークは廊下にへたり込み、汗で体が冷えて、大きなくしゃみをした。
「ぶぇっし!!」
悪寒がして、鳥肌が立った。
「明日、元カノを紹介してやるよ。おまえの最愛の恋人に負けないぐらいの超美人だから、すぐメロメロになるさ」
朔夜がジークの手を掴み、座敷に引き込んだ。
「飲もう。嫌な夢は忘れろよ。おまえの未来の奥さんが祟り神に殺されたって、別に気にするなよ。女なんて、いくらでもいる。一人の女にそんなに執着すんなって」
「朔夜と俺は違うんだよ…」
ジークは畳の上を、尻を擦って引き擦られた。
座敷に、空いた酒瓶が転がっている。
「くそー。何も考えてねーのか。酒好きの蟒蛇ども…」
ジークが朔夜達を罵った。
3
酒宴が盛り上がり、いつの間にか、クレイと鷹詩と鳴海も加わっていた。
途中、上機嫌の朔夜がタブレット端末に地図を表示した。
「蝶マークが、ガーデンの位置だよ。青いゾーンは、攻撃済のガーデン。赤い部分は、異種のアジト!」
「ガーデン、まだ無数にあるじゃん…。どんどん繁殖中ー。うざい奴等だなー」
圭太が呟く。
「増えてますけど。同時に劣化も激しいんですよね。世代が下るにつれ、黒蝶はどうしようもないレベルになってくる。繁殖力もピークを過ぎた。てことは、奴等の繁栄は長くないかも…」
香が言うと、
「わかんないですよ。突然変異も有り得ますからねー」
クレイが用心深く言い、自分の顎を手で撫でた。
彼等は黒蝶について、話し合った。
「黒蝶の幼虫は、誰かが餌を運んでくれないと生きられない。無防備な卵と蛹は、守護蝶と呼ばれる黒蝶に守られてる…」
「数が増え過ぎて統制出来なくなったグループは、ガーディアン無しで、個別で羽化してる。それで、人間に狩られたりしてる。ガーディアンが付いてるガーデンが、本家筋と言えますね」
「本家は個別で羽化する黒蝶より、やっぱり強い」
「本家を辿って大元を絶つ。女王蜂を探すみたいな感じか。本家はやっぱり、ラボと、卵を盗んだ如月憂の創り出した家系だろ」
朔夜が地図を睨む。
「そーいや、憂ちゃんは東京に引っ越したって聞いた。あのケイシーの攻撃で、無事だったのかな?」
ジークが憂の名前に反応した。
「おまえは敵を心配すんなよ。もっと飲めよ!」
朔夜が酒瓶をジークに差し出した。
まだ半分以上残っている。
「マジで? 無茶だな。俺はそんなに酒強くねー…」
怪我が癒えたばかりのジークが、空きっ腹で無理やり飲まされる。
彼はダラダラ零しながら、一気飲みした。
「ぷはー!! 目が回る…」
ジークが後ろ向きに引っくり返った。
「バカは放っとこう。さて、どう攻めるかだよ。如月憂の潜伏先、わかったか?」
朔夜が香に確認した。
「見当は付いてます。転校先の中学や親戚を調べ、そこから東京近郊の避難先を調べました。着実に、核心に近付いてると思います」
香がニヤリと笑った。
「…あのバカに話したか? 憂の居場所…」
朔夜が親指でジークを指した。
ジークは引っくり返ったままだ。
「いえ…。言わない方がいいんじゃないですか? だって…」
「いいさ。まあ、そのうちわかるだろ…」
朔夜は地図に視線を戻した。
「忍佐加はどうなりましたか?」
急に、クレイが聞いた。
「忍佐加? あいつは俺に道を塞がれたんで、深淵でジークを待ってるよ。それプラス、深淵から女の怨霊が出て来て、ジークに憑りついた。ジークは女に甘いから、そこを付け込まれて…、ぷっ」
圭太が最後に吹き出した。
クレイは微妙な表情を浮かべた。
「へーぇ、そうなんですか…。忍佐加はもう出て来ないんですか?」
「来るだろ。圭太の隙を見て、また化けて出る。圭太、ジークと忍佐加を絶対に会わせるなよ!」
朔夜が圭太に念を押した。
「えー、俺も忍佐加に会いたいんだけどなー。結構、あっち側も好きなんだよね。忍人と仲良かったし」
「圭太。おまえとジークは、こっち側だ。いいな?」
朔夜が圭太の襟を掴んだ。
圭太はとても嬉しそうな顔をした。
「うん、俺は今、朔夜の身内だからね!」
クレイは注意深く、朔夜と圭太のやり取りを観察していた。
彼は心の中で、小さく舌打ちした。
4
東京の近県のB市。
憂は親戚と暮らしている。
マンションの近くの公園が、憂のお気に入りの待ち合わせ場所になっている。
公園のベンチに憂と、小学六年生で時間を停めてしまった黒蝶の翔がいる。
翔は子供らしく、ゲームに夢中。
ブレザーとネクタイの制服姿の憂は、背凭れに片手を掛け、脚を組んでいる。
花壇と噴水を挟んで、離れた街灯の下に一人、黒蝶がいる。
彼は一般市民のように翅を隠し、憂とスマホで喋っている。
「で、そいつらの中にジークはいるの? 黒瀧朔夜と一緒のはずなんだ」
「たぶん、俺達のガーデンを二度潰してくれたのが、朔夜のグループだと思いますよ。結界張って隠れてますけど、戦闘時に漏れる波の強さが半端ないですから」
黒蝶の男が敬語で報告する。
「生き残った守護蝶、いないの? おまえら、頼りない…」
憂が詰った。
「皆殺しですよ。黒瀧の一族ですもん。それがあいつらの伝統なんでしょう?」
黒蝶の男が言い訳した。
「次はどこに来るか、わかる?」
「多めに守護蝶を配置してます。どれかに食いついてくると思います…」
横から、
「ねぇ、憂ちゃん。黒瀧朔夜が引っ掛かるかなー? てか、強そうだから、俺も行った方がいいかな?」
ゲームの手を止め、翔が聞いた。
「そうだね。最初の卵から生まれた最強メンバーに、応援に行ってもらおうか。…って言っても、哲さんと美咲さんが死んだから、残ってるのは翔と小暮くんだけ。小・中コンビだね」
憂が頷いた。
憂は翔のあどけない顔を覗き込んだ。
「翔。ジークは絶対に殺してくれよ。最優先だよ。あいつ、そろそろ気付くだろうから…。ジークを殺した真犯人が…オレだって…」
憂が翔に頼んだ時、後ろからディーヴァが現れた。
「それ、本当なの!? 如月くんがジークを殺したって…どういうこと!?」
彼女が憂に詰め寄った。
憂は仕方なく、打ち明けた。
「聞いてた? 事実だよ。ジークの借りた釣りボートに細工してね、そこに吸血鬼を呼んで、ジークを襲わせた。ジークは腹を食われて、湖に沈んだ…。オレは双眼鏡で見てたんだよ…」
「ひどい…」
ディーヴァが呟いた。
「普通でしょ。人間、誰でも邪魔者を排除してくのさ。オレにはジークが邪魔だった。オレの大事な姉貴に手を出した」
憂はスマホの通話を切り、立ち上がった。
「でも、オレ、失敗しちゃった。ジークは地獄から蘇って、復讐を始めた…。オレはジークを完全に排除したつもりだったのに。何故か、黒瀧博士が邪魔してたんだ…。あのジジィ…!! 許さない…!!」
振り返った憂が鬼のような形相で、ディーヴァを驚かせた。
翔が、
「じゃ、小暮くんと行ってくる。憂ちゃん、またね」
と、空へ向かって走り出した。
翔が黒蝶の翅を広げ、飛んだ。




