ph 72 復讐の相手
phase 72 復讐の相手
1
ナオが腰に手を当て、ジークに答えた。
「俺達にアスピリンとか、効くわけないだろ。頭が痛かったら、外に出て血を吸って来いよ。ジーク」
ジークはラグで、横向きに寝転がった。
「目眩がして、起きてらんねぇ。目の前を別の景色がダブってて、何が何だかよくわかんねー。誰か、俺の中に入ってる…」
朔夜が頷いた。
「また亡霊に憑りつかれたか。外に出るなら、波のチャンネルは切り替えろよ。前に教えたよな? 加藤が提供した吸血鬼探知アプリってのがあって。ダウンロードしたクソガキが、表に溢れてるらしい」
朔夜はアプリについて、忌々しそうに言った。
ジークは小刻みに震え、狩りに出る様子はなかった。
「誰かが俺の体を奪おうとしてる。こいつは危ねーよ。復讐の鬼みたいなヤツなんだ」
クレイは面白そうに話を聞いていた。
「忍佐加って、誰なんですか?」
余り聞かない名前だった。
圭太がクレイに答えた。
「四百年ちょっと前だね。長の次男だよ。長男が忍人で、追放された。次男が忍佐加で、反乱を起こして処刑された。母親は先代の長・鵜野数馬の娘ね」
「あいつか。話には聞いたことがある。…最悪だ。よりによって、なんでそんなヤツが出て来る?」
朔夜が頭を抱えた。
朔夜は何か、深く考え込んだ。
クレイは目を見開き、
「そりゃ、面白そうな幻覚が見れそうですね。ジークさん?」
と、ジークに向き直った。
しかし、ジークは汗をかき、目を閉じて動かなかった。
「おまえだって、復讐の鬼なんだろーが? ジーク、忍佐加に共感するなよ? 体を乗っ取られるぞ」
ナオが彼の容態を見ようと、側に寄った。
ジークが眸を開き、
「来ないでくれ。こいつは誰でもいいから、殺したがってる…」
と、ナオを視線で追い払った。
「おいおい、ジーク……」
ナオは心配して、その場に止まった。
「ナオ、もういいじゃないか。ジークも自分で何とか出来るよ。それより、このアジトが人間に知られたんだ。囲まれる前に、次に移動しようよ」
圭太がナオの怒りを誘った。
「いい加減にしろよ。圭太は冷た過ぎるだろ…」
「まぁ、よせよ。二人とも。なぁ…」
朔夜がナオと圭太の間に入った。
後味の悪い空気が残った。
「ここを引き払うのは、僕も賛成ですよ。次のアジトに行きましょう」
クレイが鳴海と鷹詩に目配せした。
「しばらくは点々とすることになるかな。よろしく頼むよ」
朔夜がクレイの手を握った。
クレイは忍佐加の話に興味を引かれた。
「…朔夜さん、忍佐加の処刑って?」
「俺の生まれる前の時代だね。確か、心臓を火で焼かれたとか…。生きたまま心臓をくり抜かれたとか聞いた…。ま、どうでもいい話だね。黒瀧さんに反乱なんかするからさ」
「へぇ…。ジークさん、どんな夢を見てるんですかねぇ…」
クレイは作ったような愛想笑いで、ジークが鷹詩に担がれるのを見た。
ジークは汗を垂らし、夢にうなされている。
「兄上…」
ジークの口から言葉が漏れた。
圭太が手を叩いて笑った。
「ハハッ、ジーク。夢に忍人が出て来たらしいやー。ジークの最愛の恋人を殺した相手だよー」
ナオが睨んだけれど、圭太は笑いを堪えようとして、また噴き出してしまった。
「ごめん、ナオ。わかってるって。お祓いしてやればいいんだろ? 簡単だよ」
圭太は黒飛龍剣を、ジークの手から取り上げた。
黒飛龍剣は、深淵そのものを引き摺っているような状態だった。
「あちゃー。何人の亡霊を引き連れてんだよ。ジークって、憑りつかれやすい霊媒タイプかな?」
圭太は黒飛龍剣から噴き出す妖気を封じ込め、右手の人差し指で、柄に六芒星を描いた。
「ほら、もう大丈夫。すぐ、忍佐加もあの世に戻る」
「これ、使って下さいよ」
鳴海が刀剣ケースを持ってきた。
黒の合皮の、一般的な居合ケースだ。
「お、よかったなー。ジーク、これ、持ち運びしやすいじゃん。これにも、俺の紋章を付けといてやるよー」
圭太がケースに六芒星を描いた。
「それ、何の魔剣ですか?」
鳴海が圭太の側にしゃがんだ。
「ああ、黒瀧さんの黒飛龍剣だよー。闇の深淵を封印してたのに、このバカが持ち出してさぁ、封印されてた鵜野を復活させたりとか、色々大変だったんだよー」
「ある意味、すごいっすね……。ジークさん」
鳴海が感心した。
「うん。意外にこいつ、呪術師向きなわけ。ジーク、剣術はドヘタだもん。黒飛龍剣でなきゃ、今まで生き残ってないよ。でも、本当は…、この黒飛龍剣を曲がりなりにもジークが扱えてる…ってことが、一番すごいのかも……」
圭太は本気で、そう思う。
「ジーク、いい夢見ろよー。忍佐加に色々教えてもらいなよー」
圭太がジークの寝顔に囁いた。
2
ジークの意識は、血に潜む記憶に引き寄せられて、過去に飛んでいく。
過去の景色が、鮮やかに蘇る。
平野部を見下ろす、標高のそれほど高くない山に、石垣と城がある。
天守閣はない。
もう少し古い時代の建築だ。
ジークは生前の鵜野や、若き日の黒瀧秀郷と向き合っていた。
そこには黒瀧の息子の、忍人もいた。
ジーク自身は、別の人間の体に入っている。
それが忍佐加という男だ。
先刻から何回も、彼は忍佐加と呼ばれている。
四人は囲炉裏を囲み、板間で胡坐をかいている。
鵜野がどこかの武将の名を出し、戦の話をしている。
鵜野は大量虐殺になるような戦を好み、黒瀧は権謀術数を好む。
黒瀧は強い後ろ盾を得て、地道に一族の勢力を拡大しようとしている。
意外にまともな意見を述べているのが、忍人だ。
残忍な男だと聞かされていたのに、忍人は戦を避ける提案をしていた。
ジークは初めて、忍人の顔を見た。
十八歳で、時間を止めてしまった吸血鬼。
イメージしていたのと違い、忍人はひょろっと痩せて青白い少年だった。
横顔も女みたいに優しげで、黒瀧に比べて全く迫力なかった。
次の場面では、忍佐加と忍人が櫓に登り、自分達の領地を見下ろしていた。
一面濃い緑の中、沢があり、寺社があり、麓に集落が見えた。
「忍佐加。儂はもう疲れた…」
忍人が言った。
「儂は…父上に嫌われておる。忍佐加、おぬしが跡を継ぐがよいと思う」
「嫌われてるとか、そんなの関係ねーし。要は、一族をまとめる力なんだろ?」
ジークは苛立つが、ここは過去の記憶である。
殺されたルビーのことを思うと殺意が燃え上がるが、忍人を殺すことも出来ない。
彼は忍佐加の身に起きたことを、夢で体験しているだけだ。
「その通りじゃ。儂に一族を統べる力はない。そんな人望もな…」
忍人は淋しそうに笑い、
「後はおぬしに任せる。儂は出て行く。おぬしが父上を支えてくれ」
と、櫓の梯子を降り始めた。
「待てよ。なんでだよ? 理由を言えよ…」
ジークが忍人を追った。
「儂はここにいると、父上を恨まずにはおれぬ。父上をいつか、殺してしまう。なぁ、忍佐加…。おぬしには、わかるよな!?」
忍人の涙が頬を伝った。
圭太が忍人を泣き虫だと言ったが、本当にそうだ。
「何があった?」
ジークの言葉は、声にならなかった。
たぶん、忍佐加は違う言葉を吐いたのだろう。
忍人に共感を示したのだろう。
場面が暗転し、別の景色に変わった。
夜、中庭に松明が置かれていた。
忍佐加は鉄の鎖で何重にも縛られ、土の上に転がされていた。
忍佐加は明かりで父・黒瀧の顔を探した。
彼を取り囲む大勢の兵士の最後尾に、黒瀧の顔があった。
忍佐加は数本の槍で貫かれ、既に血塗れだった。
縛られた彼に兵士が馬乗りになり、短剣を胸に突き立てた。
別の兵士が、忍佐加の喉に斧を振り下ろした。
首は簡単には落ちないが、忍佐加が暴れなくなった。
噴き出す血の勢いで、斧がぴくぴく動いた。
そのうちに胸が切り開かれ、誰かが手を挿し入れて心臓を抉り出した。
ジークは過去の映像の中で、忍佐加の心臓が自分の胸から出されるのを見た。
心臓は十文字の槍で刺され、松明にくべられた。
忍佐加は喉が裂けていたから、断末魔の絶叫もない。
強烈な憎悪が、ジークに直に伝わった。
忍佐加は怨霊のように、憎しみに駆り立てられて空へ昇る。
雲を集め、雷を鳴らし、やがて城に大雨を降らせる。
闇そのものまで黒く染まった忍佐加の魂が、異界の深淵へ吸い込まれていく。
「忍佐加は俺に、何を見せようとしてるんだ?」
ジークの意識は、ふわふわと深淵の上を漂った。
3
ジークは黒いタールの川にそって、歩いていた。
忍佐加は、深淵の最も深き底へ堕ちた。
「忍佐加ー」
ジークが呼んだ。
忍佐加は自我を失い、深淵と混ざり合った。
ジークの中には、忍佐加の殺意だけが残った。
彼の胸の片隅で、忍佐加の断片が、
「殺したい。殺したい。…全ての人間を…、全ての吸血鬼を…。吸血鬼の過去と未来、黒瀧も龍神族も全部、全部、…俺は呪っている…」
と、呟き続けていた。
ジークの目の前に、落差20メートルほどの滝があった。
ネガポジが逆転した世界。
黒い水飛沫が舞う中に、あの鬼女が涼しげに立っている。
鬼女は宙に浮かび、風に激しく髪を乱していた。
「また、おまえか…」
ジークが溜息をついた。
鬼女が嗤い、骨が見える顔半分を、長い髪で隠した。
「おまえ、名前は?」
ジークが河原から話しかけた。
鬼女は古代の着物を水面に擦りながら、滑るように進んだ。
「…私は玖磨…」
「玖磨…」
ジークは懐かしい響きを感じた。
鬼女はジークの側まで来て、ピタッと止まった。
背がすらっと高く、線の細い女だ。
「玖磨、教えてくれ。忍佐加の反乱って、あいつは何をしたんだ? 黒瀧のジイサンに逆らっただけ?」
ジークには、忍佐加が気の毒に思えてならなかった。
あの死に方は、残酷過ぎる。
「全ては二千年前に始まった。それがあなたと私と忍佐加を繋いでる…。あなたは私が守ってあげる…」
鬼女が数珠の一連を外し、彼の腕に巻いた。
瑠璃色のガラス玉の色が、心に染みていく。
ジークは不思議な癒しと、パワーを感じた。
「…ねぇ、ジーク。難しいわ。誰が正義かなんて…。そんなことは見方によって変わるもの。あなたが恋人の復讐をすることも、他人から見れば同じ…。忍人にすれば…」
玖磨は曖昧に答えた。
「知ってんのか!? 忍人がルビーを殺したことを」
ジークは胸に痛みを感じた。
ここは深淵だ。
弱みを見せると、そこに闇が付けこむ。
闇の憎悪が大きな魚になって、目の前のタールを泳ぎ回った。
ジークが落ちるのを待っている。
「何の為に、忍人はルビーを殺したんだ?」
「ジーク…。忍人はあなたに嫉妬したんじゃない? 幸せな恋愛をしてる人を、不幸な人は無意識に嫉妬するものよ。別に悪意はなくてもね…。彼は黒瀧に復讐する機会を狙ってた。その方法は何でもよかった。黒瀧が気に入ってたあなたと彼女を、悪戯に殺しただけなのかも…」
鬼女は、人の心の醜さについて言っている。
ジークは衝撃を受けた。
「たったそれだけたの為に!? そんな理由で、ルビーが殺されてたまるかよ!!」
彼の心が大きなダメージを受けた。
闇の魚が水面から跳ね上がり、尖った歯並びを見せた。
魚はジーク擦れ擦れのところに落ち、勢いを増して泳ぎ回った。
「現在、忍人の憎しみは、あなたにも向けられている。黒瀧の血の息子である、あなたや朔夜に…。彼もまた、心に正義を燃やしている。彼からすれば、ジーク、あなたの方が悪しき存在…」
鬼女は静かに下がり、滝に向かって吸い込まれて行く。
「待ってくれ!!」
今度はジークが鬼女を追いかけた。
ジークが水の上を歩こうとすると、闇の魚が噛みついてきた。
「玖磨ー!! 忍人と会いたい!! 会わせてくれー!!」
ジークが魚と水中で戦いながら、鬼女に頼む。
彼は噛みつく魚を殴り、鰭を引きちぎった。
「忍人をここに連れて来てあげてもいいけど。私をこの世に復活させて、あなたの妻にしてくれるなら」
鬼女が条件を付けた。
「はぁー!? まだ言ってんの!? おまえ、俺が浮気したら、呪い殺しそうだよな!?」
奇妙な条件に、ジークは迷った。
鬼女が振り返り、
「あなたを好きなのよ。あなたを助けてあげたいだけ。とにかく、まず復活させてくれない?」
と、言った。
「死んだ相手を復活させる方法なんて、知らねーよ。あ、そっか。一回、鵜野が俺の血を吸って、実体化したよ。玖磨も真似してみれば?」
ジークは迂闊に答えてしまった。
「ふーん。そういう方法なんだ…。簡単ね…」
鬼女の黒髪が、風に逆巻いた。
「いいわ。ジーク、忍人を連れて来てあげる。また深淵に来て」
鬼女はジークに食いつく魚に、指を向けた。
指差しただけで闇の魚が破裂し、肉片が飛び散った。
鬼女が滝に入り、姿を隠した。
4
ジークの目が覚めた。
彼はワゴン車の後部シートで、横になって寝ていた。
一つ前のシートにナオと香、運転席に圭太、助手席に朔夜がいた。
ジークが起き上がった時、
「ジーク。変な約束したな?」
圭太が低い声で言い、ルームミラー越しに視線を合わせた。
「う…」
「おまえには見えてないだろうけど、鬼女が一人居るよ。おまえの枕元に座ってる」
圭太が脅かして、ジークは全身に鳥肌が立った。
「クレイさんの次のアジトに向かってる。今、この車は朔夜さんの結界の中。安心して寝てろ」
ナオがジークに、毛布をそっと掛け直した。
香は綺麗な顔を引き攣らせ、
「ジークさん、こっち来ないで下さい。…ちょっとその亡霊、忍佐加よりも質が悪いですよ」
と、見たままを言った。
ジークは頭痛がひどくなっているように感じた。
「頭痛ぇー…」
「そりゃそーでしょ。二千年前の亡霊って、普通、亡霊って言わないね。祟り神って言うからね。…そんなのに憑かれたら、鵜野に憑かれた時より重たいでしょ?」
珍しく、圭太が怒っていた。
「その祟り神は、俺にもお祓い出来ないからね。覚悟しなよ、ジーク」
「え、嘘…。お、俺さ、この鬼女と結婚する約束しちゃった…かも」
ジークが焦り、しどろもどろになった。
その時、急に朔夜が横から、
「ジーク。俺達は黒蝶のガーデンを始末することにした。今やれるだけやらないと、数が増えて面倒だから。俺はクレイと行くけど、おまえはどうする? 忍人に会いに、インドまで行くか?」
と、確認した。
ジークは慌てて返事した。
「別に、復讐の為だけに戦ってるんじゃねーし。俺も黒蝶は何とか滅ぼしたい…」
朔夜は前方を睨んだまま、
「そうだな。もう復讐はやめた方がいいと思うよ。相手が忍人って聞いて、イマイチ手伝う気が失せたよ。最近、俺はそれをいつ言おうかと思ってた…。ルビーを忘れられるような、いい女を紹介してやるよ」
と、ジークの予想外のことを言った。
「え!? 女を? 朔夜が俺に!?」
「復讐なんて、バカバカしいと言ってるの。顔が美しい女なんて、いくらでもいる。俺の元カノでよけりゃ、明日にだって紹介してやる」
朔夜が真面目に話す。
「忍人に会うなって言ってんのか?」
ジークは意味がわからなくて、面食らった。
「会えばいいさ。勝手にしろよ。でも、復讐なんかヤメテしまえよ」
朔夜がジークを振り返り、眸を見据えて言った。




