ph 70 吸血鬼アプリ
phase 70 吸血鬼アプリ
1
ドンと、振動が来た。
空から降ってきた吸血鬼がフロントグラスを砕き、車の屋根を爪で切り裂いた。
屋根がめくれ上がり、ガラスが飛び散る。
ガラスの破片が、ジークと圭太の顔を切った。
圭太はブレーキを踏み込もうとしない。
ジークはライフルを投げ出し、瞬間的に、黒飛龍剣を引き抜いていた。
黒飛龍剣が襲撃者の心臓に突き刺さった。
車に吹き込む風が、黒飛龍剣に引き寄せられる。
骸骨みたいな姿の吸血鬼だった。
死ぬ間際、ジークと目を合わせ、奥歯をカタカタ鳴らした。
「おまえか。東京をあんな風にしたヤツは…」
「俺じゃねぇ!!」
ジークは全力で否定した。
「よくも…、あんな…ひどいことをしてくれた…。俺の仲間が半分…死んでしまった。おまえは今後、ずっと命を狙われるだろうな…」
吸血鬼が息絶えた。
ジークは青白い顔で、溶けていく吸血鬼を見下ろした。
「さぁ、急いで東京を離れるんだ。この街にいたら、米軍に始末されるのを待つだけだ」
朔夜が急かした。
「ぶっ飛ばすよ、俺はー」
圭太がアクセルを強く踏み込んだ。
「ジーク…」
ナオがジークの肩を叩いた。
「俺がケイシーと融合してる間に、大勢の人が死んだ…。やっぱ、俺の責任だよな」
ジークは逃れられない事実と向き合い、息が苦しくてたまらなくなった。
「あれはケイシーのチカラだ。おまえに東京を潰すほどのチカラはない」
ナオが言うと、香がナオのシャツを引っ張った。
香は何か言いたそうに、首を左右に振った。
ナオも溜息をついた。
すると、朔夜が、
「人間を殺すことに罪悪感なんか、必要ないだろ? 人間なんて、ただの餌だ。前にも言った。子供を産ませるか、血を抜くか」
と、ジークに聞こえるように言った。
「うるせー。俺は……、誰も助けられなかった。ルビーも、深由ちゃんも、ケイシーも…」
ジークが耳を塞いだ。
「そりゃ、強くなるしかないね」
朔夜が呆れ、毛布を深く被り直した。
「強く…」
ジークが言葉を繰り返した。
「強く…なりてぇー…」
ナオが助手席の後ろから、ジークのシートを乱暴に蹴った。
「何言ってんだよ。おまえはまだ、新入りなんだよ。そんな簡単に、一人前になられてたまるかよ」
ナオがライターの火を差し出し、ジークは震える手でタバコに火を点けた。
2
トンネルの中で、朔夜が待ち合わせていた仲間と合流した。
ジークは、朔夜と似た雰囲気の暗い眼差しの男達を見て、ほっとする。
「東京の外はどんな感じ?」
ジークが男の一人に尋ねた。
「あー。あの日の前と後じゃ、全然変わっちゃいましたよ」
男の言い方は少し軽かった。
彼等は壊れた車から次の車に荷物を積み換え、車二台で別の街へ向かった。
ジークはどっと疲れを感じた。
久し振りに、清潔で柔らかなベッドで眠りたいと思った。
彼はいつの間にか、助手席で眠り込んだ。
真夜中、車がアジトに到着した。
マンションの駐車場に入ったところで、朔夜が呼び起こした。
「起きろ。ジーク」
ジークはシートで、更に丸くなった。
「最近、体がだるくて…。何か、すっきりしねー」
圭太が運転席から、
「それって、もしかして、ナオと朔夜と愛理ちゃんの血が入ったからじゃない? 濃いよー、闇の血は。人間の血とは全然違うもんねー」
と、羨ましそうに言う。
彼は以前から、愛理の血を欲しがっていた。
賃貸だが、いかにも家賃の高そうな、高級感漂うマンションのエントランスに入る。
エレベーターのボタンを押したのは、このマンションに住む、地区代表クレイ。
ヴァンパイヤ・ナイトの一件で、ジークとも顔見知り。
一緒に来た二人の男は、鳴海と鷹詩。
壁に凭れて、ジークは欠伸を繰り返す。
気さくな鷹詩とナオ、香が話し込む。
朔夜とクレイが少ない言葉を交わし、圭太と鳴海が互いに反対を向くように立っている。
降りてきたエレベーターが一階に着き、ドアが開いた。
突然、パジャマ姿の男が躍り出た。
「うわーっ!! びっくりしたァーッ!! なんだ、人間かぁー!!」
キャラクターの着ぐるみパジャマを着た四十ぐらいの男で、無精髭だらけの顔の黒縁眼鏡がずり落ちた。
「こっちがびっくりするよ。キモいんだよ、その年でそのパジャマ!!」
圭太が怒鳴った。
パジャマ男は気にせず、
「君達も早く逃げたまえー!! ここのマンション、今、吸血鬼来てるんだ!!」
と、ご親切に教えてくれた。
「は? 吸血鬼?」
ナオが片方の眉を下げ、顔をしかめた。
「ほ、本当だよぉー!! だって、ほら!!」
パジャマ男が、スマホをナオにかざして見せつけた。
ジークの眠気が吹き飛んだ。
パジャマ男のスマホが、耳障りなアラームを鳴らしていた。
「ビーッ、ビーッ、ビビーッ!!」
画面には、緊急メッセージが表示されていた。
「緊急UME警報です!! 現在、あなたの周辺に、正体不詳の生物がいます。その生物は人間を襲って、食べたり、血を吸ったりする危険があります。ただちに避難して下さい。相手を刺激せずに、身を守る行動を取って下さい…」
「何なの、それ!?」
ジークはナオの横から覗き込み、自分の声が上ずるのを感じた。
「何って、政府の機関が出してるヴァンパイヤ警報だよー。先月のヴァンパイヤ事件の後、緊急対策室が作られて…。おっと、こんな話をしてる暇はないぞー」
パジャマ男が雄叫びを上げた。
パジャマ男が走り出ていき、続いて、階段室から降りてきた別の男が、
「何やってんだー。早く逃げろー。ハンターが来る。建物ごと、ジェットバーナーで焼かれるぞ!!」
と、慌てふためいて逃げて行った。
ジークは口を開けて、呆気に取られていた。
「ハンターが来るのか?」
朔夜がクレイに確認した。
「素人の吸血鬼探偵団だったり、プロの雇われハンターだったり、警官や消防士…。その時に寄りますね。運が悪けりゃ、銃撃戦ですよ」
クレイがゆったりとした動きで、エレベーターに乗り込む。
「マジで? なんで、その警報は俺達の正確な位置情報を知ってるの?」
圭太が不思議そうに聞いた。
「…いや、だからね。最初から早く、全員の波を消してもらえませんかー?」
クレイが朔夜に頼む。
「俺は消してる。香も、ナオも、圭太も。…ジーク…、おまえはなんで、いつまで経っても気配を消すのが下手なんだ?」
朔夜が苦りきった。
「俺ー?」
ジークは意外そうに言う。
エレベーターが五階に着き、全員そこで降りた。
入れ違いに、二人の男女がエレベーターに乗った。
男女は大荷物を持っていた。
「こんばんは。酒井さん。こんな夜中に、どこに行くんですか?」
クレイがお隣さんに挨拶した。
「吸血鬼だよ。避難所に行かないと。九霊さんも急いでー。警備会社に通報したから、民間のハンターが来るよ!!」
酒井さんが答えた。
「ハンターっすか。面倒臭ぇー」
クレイはのんびり答えた。
「どうなってんだ? 蛾人のラボは壊滅したのに、まだハンターがいるのかよ?」
ジークはうんざりする。
リビングに入っても、寛ぐ気分になれない。
誰も、ソファーに座ろうとしない。
「急にハンターって職業が出来て…。警察、消防、自衛隊は、首都圏の災害救助に手を取られて、活発に動き始めた吸血鬼に対して、大した対策出来なかったんですよ。彼等はネットや警備会社を通して仕事を請け負って、吸血鬼を狩り始めた。例えば、昼間から雨戸を閉めて、カーテンを閉め切ってるような家に押し入ったりして、吸血鬼を探すんです」
クレイが朔夜に説明していた。
話の途中で、ドアホンが鳴った。
「来たな?」
ナオが呟いた。
「え? あの気配は…。あいつらがハンターなのか?」
ジークが面食らった。
3
ジークは、一階エントランスに入ってきた、数人のブーツの足を視た。
ちらちらと、そいつらのイメージが頭に浮かんだ。
揃えの制服ではなく、思い思いの自由な私服。
そして、完全武装している。
彼の脳は、波から受ける気配を視覚化した。
「吸血鬼を狩る専門家って、やっぱり、あいつらか…」
彼は胃がムカムカするのを感じた。
五階のこの部屋のドアホンを鳴らしたのは、クレイの隣りの美人女子大生ニイナだった。
「クレイちゃん。吸血鬼来たみたいだよ!! どこに避難したらいいの? 一緒に逃げてくれない?」
ニイナがドアホンに向け、興奮して喋った。
「彼氏の家まで送ったげるよ。でもさ、その前に吸血鬼狩りをやるらしいから、ちょっと見てかない?」
クレイが人間の女を部屋に誘った。
「えー、やだよー。怖いもん。逃げないと殺られるよー」
ニイナが唇を尖らせ、不満を言った。
「怖くないよ、あんな奴等。昨日、吸血鬼退治の為に、消防署でジェットバーナー借りて来たんだ」
クレイがドアを開け、自慢した。
「ええー、どーして消防署でジェットバーナー、貸し出してんのー?」
「吸血鬼から身を守る為だよ。昨日から一般人にも貸し出してくれることになってさー、早速借りて来たよー。これ、いっぺん使ってみたかったんだよー」
クレイが玄関脇に置いてあったバーナーのノズルを向けると、ニイナは顔を背けた。
「やめてよー。吸血鬼が黒焦げになるとこなんて、別に見たくないー」
「溶けるらしいよ。YouTubeで動画出てるよー。誰かが吸血鬼狩りに成功したんだってー。案外簡単らしいよ」
クレイが淡々と話す。
ニイナも、彼が人間と信じて疑わない。
「本当ー? 溶けるのは見てみたいー。それ、ナメクジに塩かけたりするのと一緒だねー」
ニイナが乗り気になり、リビングに入ってきた。
「あら、クレイちゃん。この人達は?」
ニイナがジークや朔夜ら、目つきの悪い男達に気付く。
「ふふ、ニイナちゃん。目を閉じてて。…朔夜さんから、どうぞ。僕の部屋にウェルカムってことでー」
クレイがニイナを後ろから抱き締め、押さえ付けた。
「え? 何の話?」
鈍いニイナはわからない。
「んじゃ、ご馳走になるかな…」
朔夜が唇を舐めた。
ジークはリビングから飛び出した。
「やべーよ。やばくね? ハンターが来る。…もう夜明けまで三十分しかねぇー」
彼を香が呼び止めた。
「ジークさんの波、今はクレイさんの結界の中だから大丈夫ですよ。先に腹ごしらえしましょうよ」
「香は見た目と違って、すげードライだね。完璧に何でも割り切ってるだろ? 年いくつだよ?」
ジークは苛々して、神経が張り詰めてくる。
「私ですか? ちょうど九十歳ですけど。ジークさん、ハンターなんて、五分あったら切り刻めますよ。私達が殺られると思います?」
香が笑みを浮かべる。
「くそー。これから毎日、毎日、追われて殺して、殺伐として何も感じなくなって…、身も心も鬼に変わり果ててくのかな? 香みたいに…」
ジークは何となく恐ろしかった。
「割り切れますよ。ジークさんも、そのうちに…」
「だってさ、どうしても人間を殺さなきゃいけねーのか? そうしなきゃ、生き残れねーのか? そこまでして、俺に生きる必要がある? 俺は復讐しか、やることがない野良犬なんだ…」
ジークは悩み、玄関にしゃがみ込んでいた。
甘っちょろい彼の言葉に吹き出し、香はリビングに戻った。
朔夜が女を寝室に連れ込み、好きなように抱いて、血を貪っている気配があった。
「朔夜。あいつはいいヤツだ。根っからの吸血鬼だけど」
ジークは俯いた。
「ナオや朔夜は命の恩人だ。恩人は殺せねー。俺はこれから、どうする気なんだ? 黒蝶を滅ぼす、三浦先生との約束は…?」
ジークは吐き気を感じた。
体の中で、濃い闇の血が幾種類も混じり合い、消化不良を起こしている。
未だ、ジークになってくれない。
「オェ…、気分悪…。吐く…」
ジークがフローリングの床に、胃袋の中身を吐いた。
4
ハンターが迫る。
彼等のブーツのソールが、大理石模様の塩ビタイルで、キュッ、キュッと音を立てた。
彼等は真っ直ぐに、五階のクレイのアジトへ向かう。
クレイの寝室では、ニイナが変わり果てた姿になっていた。
全身の血を抜かれ、ベッドにうつ伏せに寝ている。
血の染みは僅かにシーツに見られる程度だが、彼女は二度と起き上がらないだろう。
満足そうなナオと香が、口に付いた血をタオルで拭った。
「ご馳走さま、クレイさん」
枕元では、圭太が女の生首を膝に載せ、脳味噌をスプーンですくっていた。
「冷やした方が美味いんだけどな。これ、ユッケみたい」
美味そうに食らう。
ジークは廊下で吐いている。
体中の骨が、ミシミシ軋むのを感じている。
ハンター達が五階でエレベーターを降りた。
クレイが朔夜に話しかけている。
「ご存知ですか? ヴァンパイヤ・ウォッチャーっていうサイト。吸血鬼探知アプリをダウンロードして、波を探知すれば、人間でも吸血鬼を見つけられるようになってます」
「吸血鬼探知アプリ…」
朔夜が笑い出した。
クレイも微笑み返し、
「僕達もかなり、追い詰められてますよね。蛾人のラボが創り出した波探知装置を、あいつらのボスの加藤がアプリにしたようですね。それをネットで売るなんて、死ぬ前にホント余計なことをやってくれましたよー」
と、他人事みたいに呑気に話した。
「俺達はともかく、ジーク連れてると、あいつ、気配がダダ漏れじゃん」
ナオが苦笑した。
すると、圭太がスプーンを置き、
「ジーク、そろそろ用済みだよね?」
と、ワクワクしながら言った。
「圭太の狙いは黒飛龍剣だろ? 裏切るなよ」
「別にー。新入りをからかうのに、飽きたんだよー」
「おまえなぁー」
圭太とナオが言い争いになった。
ドアホンが鳴った。
すぐに、ジークが玄関ドアの鍵を開けた。
「あのぉー、警備会社の者なんですけど、朝早くにすみませんー。UME警報が出てたと思うんですけど、避難してもらえませんかー」
落ち着いた声で、最初のハンターが玄関に一歩踏み込んだ。
一人目のハンターの背後に、完全武装のハンターが控えている。
「あ、ダメ。もう、限界…。ウゲェー…」
ジークが込み上がってきたものを、ハンターの胸元に勢いよく吐き出した。




