ph 69 ゾンビ領にて
phase 69 ゾンビ領にて
1
羽田空港の国際線のゲート、燃え盛るボーイング777。
ヘルは炎の中に、文字が浮かび上がるのを見た。
「黒瀧!?」
ヘルが揺らめくメッセージを読んだ。
君を、我々の城に招待する。
「…頭がおかしくなったのか、あの男!? そんなに、俺を舐めてんのか?」
ヘルが窓辺に近寄ろうとした時、脚元に何かが音を立てて落ちた。
金属で出来た封筒だった。
「何だ、これ…。招待状?」
ヘルは封筒の折り目を開いた。
内側はくすんだような、暗い鏡になっていた。
ぼんやり、ヘルの顔が映り込む。
文章は何もない。
ヘルは歯軋りし、招待状を懐に入れた。
2
ガラスが全面割れたコンビニ。
二人組が店内を荒らし回っている。
食料を鞄に詰め、レジに残っていた現金を奪う。
店員らしき人はいない。
「早くしろ!! 奴等が来るぞ!!」
「わかってる。待ってくれよ!!」
二人組は慌てている。
一人の手にはサバイバルナイフ、もう一人は包丁を持つ。
防犯カメラは停止しているので、二人組は若い素顔を晒している。
食料品の棚はガラガラだ。
生ものは腐っていた。
倒れている棚もある。
照明は点かず、冷蔵庫も電気が止まっている。
アイスクリームは全て溶け出し、変な匂いを放っている。
バイクが止まる音がして、ガチャガチャと、奇妙な足音が近付いてきた。
「来た!!」
包丁を手にした男が、相棒を呼んだ。
二人は出入り口を見て、凍りついた。
二十歳ぐらいの半裸の男が、店内に入ってきた。
どうも、怪しい気配が半端ない。
そいつは白眼を剥いて、二人に嗤いかけた。
髪はモジャモジャのツイストで、太い腕や脚を飾るようにチェーンを巻いている。
体のあちこちにタトゥーを彫り、針や釘をピアスしている。
バナナや蜜柑が腐ったような、甘酸っぱい腐臭が漂う。
「…最近、狩りが簡単になったんだよなぁー。こうして食料品のある店を回るだけで、人間が自分から来てくれちゃう…」
そいつが両手を二人の前に突き出した。
「なな、な、何するんだよ…?」
サバイバルナイフの男がどもり、カップ麺だらけの鞄を落とした。
「代金を置いてってもらおーか。…おまえらの血だよ…」
そいつの両腕に歯が生えて、オオカミみたいな長い牙が何本も伸びた。
幾つもの口が開く。
「わわ、何をする気だよ…。現金だったら、譲ってやるよ…。二十万ぐらいある…」
サバイバルナイフの男が言った。
彼の震える手から、一万円札がばらけて落ちた。
「ああ? 現金なんか、何に使うって? 俺にオシャレなブランドの服でも買ってこいって? 今じゃ、何でも無料だからな。現金なんていらねーよ」
ゾンビが両手の牙で、二人組を同時に捕まえた。
「助けてくれ!! 何でもする…」
包丁の男が泣き出した。
「じゃ、ジャンケンしろよ。俺は負けた方だけ、血を全部飲み干す。一人食えば満腹になるから、ジャンケンに勝った方は助けてやる」
ゾンビは意地悪なことを言った。
親友同士の二人組は、お互いを見詰め合った。
こんな時、どうする?
「早くジャンケンしろよ。後出しはナシだぜー」
ゾンビがゲラゲラ笑った。
二人の手首に牙が食い込み、徐々に血が吸われていく。
「そんなの、嫌だ…。片方なんて…」
包丁の男が頭を振った。
「仕方ない…。じゃ、ジャンケン…」
サバイバルナイフの男は自由になる方の手を、チョキの形で出した。
包丁の男は、握り拳を動かさなかった。
サバイバルナイフの男はそれを見て、慌ててパーに変えた。
「お、お、俺の勝ち…!!」
「後出しはダメっつっただろー!? やっぱ、おまえら二人とも血を吸い尽くして、食い溜めしとくわ!!」
ゾンビが手に力を込めた。
鈍い打撃音がした。
頭から血を噴き、ゾンビが前に倒れた。
二人組はぽかんとして、ゾンビの背後に現れた人物を見た。
長い剣に布を巻いた男が、ゾンビに一撃を与えたのだ。
「よお。おまえら、缶詰とカップ麺は俺に寄越せ」
ジークが言った。
二人組はジークのカフェオレ色の眸を見た。
「うう、うるさいっ!! これは俺のだ。早い者勝ちだ!!」
ふらつきながら、男がサバイバルナイフで突進した。
ジークは指先でナイフの刃を捻じ曲げた。
掌から舌を出して、男の手首の血を舐める。
「男の血って、マズいんだよな。カップ麺で許してやるからさ」
「うわぁ!! こいつもかよ!!」
男達がコンビニから走り出た。
ジークは落ちていた鞄を拾い、
「何だよ。人をお化けみたいに。せっかく助けてやったのに」
と、言った。
その時、頭を割られたゾンビが、顔面血だらけで起き上がった。
「痛ぇー! チクショー、邪魔しやがったな…」
ジークは顔にピアスだらけの相手を見て、
「ギャッ!! こいつ、顔怖ぇぇぇ!!」
と、叫んで逃げた。
ジークは地下鉄の線路を走った。
「びっくりしたぁー。あいつ、ピアスだらけでキモかった…」
ジークはとりあえず寝るつもりで、鉄扉の一つを開けた。
扉の内側では、機械の制御盤を剥がし取り、先客が眠っていた。
その腐りかけの寝顔を見て、ジークは、
「出たぁー!! またゾンビじゃねーか!!」
と、飛び上がって驚いた。
東京は廃墟に巣食うゾンビの街になってしまった。
夜毎、ゾンビが徘徊し、息を殺して隠れている人間を見つけ出して食う。
東京は丸ごと封鎖され、首相が非常事態宣言を出した。
東京はミサイル攻撃を受けたことになっている。
東京には食糧が入って来なくなり、生存者が自衛隊に救出された以外は、誰も外に出られなくなった。
東京には、吸血鬼やゾンビに感染するウィルスが蔓延していると囁かれた。
しかし、吸血鬼をめぐるトラブルは世界各地で頻発し始めた。
3
東京の地下鉄の路線は、ゾンビのねぐらに最適だった。
ジークと朔夜達も、朝日の眩しい時間は地下に潜んだ。
ジークは毎日、昼過ぎに起きた。
テレビはない。
キー局が全部潰れた。
新聞は来ない。
東京に新聞社がなくなった。
通勤ラッシュもなくなった。
摩天楼は壊滅、公共交通機関が復旧する目途も立たない。
ガスも電気も水道も止まった。
携帯やスマホの電波は入らなくなった。
愛理とはまだ、連絡がつかない。
ジークはカセットコンロで湯を沸かし、盗んできたカップ麺に注いだ。
「なんだよ、臭いなぁー。ニンニク入ってんの!?」
ナオが横から文句を言った。
「よく平気で食べますね。そんな臭いもの」
香が鼻を摘む。
「腹が減るんだよ。おまえらこそ、血なんかで腹が脹れるなんて不思議だね!」
ジークは五分が待ち切れず、苛々する。
後一分を待たずに蓋を捲り、がつがつ食った。
「おまえは吸血鬼らしくないなー。血を飲む量が足りてないんじゃないの?」
朔夜は昼の光が射し込む一角で、野良猫を撫でていた。
「朔夜こそ、血ばっかり飲んでるから、すぐに喉が渇いて頭が痛くなったりするんじゃねーか? 血に頼り過ぎると、どんどん闇そのものに近くなるしな。それはそれで、カタチが保てなくなるんだろ?」
ジークはラーメンの汁まで飲み干し、満足そうに言った。
「おまえは食費が安くていいな。アメリカの軍事衛星に、宇宙から顔を特定されるんじゃないぞ。もっと中へ入れよ」
ナオがジークを、穴の奥に引っ張った。
「そうだよ。今度はホンモノのミサイルが来るよ、ジーク」
圭太が冷やかした。
「圭太ぁー、黒瀧忍人って、どんなヤツ?」
ジークがニンニク臭い息を圭太に吐きかけた。
圭太は顔をしかめた。
「俺とは気が合ったよ。歳が近いし、趣味が合うんだ。あいつ、面白いよー」
「そうか。じゃ、ろくなヤツじゃないんだな」
「どういう意味だよー?」
圭太がジークに聞き返した。
「俺はそいつを殺して、ルビーの仇を討つ」
ジークが断言した。
「あ、そ。ま、簡単じゃないだろうけど。頑張れば?」
圭太はせせら笑った。
「世界の最果てって、どこ? 異界じゃなくて、この世にある?」
ジークは朔夜に聞いた。
朔夜は野良猫を抱き、喉を撫でてやっている。
三毛猫が気持ちよさそうに、ゴロゴロ言っている。
「果ての一番果てにある。どこだと思う? ジーク」
「幕末生まれのおまえに言わせりゃ、当時の世界の果てって、日本なんだろ?」
「東の最果てだったね。でも、今じゃ、世界じゅうが繋がってる。理屈で果てなんてありゃしない。感覚で考えて」
「それは世界の中心がどこかっつー定義から始めねーと、ダメじゃねーか?」
ジークはふざけて言った。
「世界の中心はアフリカにある。最初に人類の生まれたところ、そこが世界の中心だ」
朔夜が真面目に答えを返した。
「エチオピアか? じゃ、アフリカから見た世界の果てなら、北極か南極ってことなのかな?」
ジークは想像をめぐらせた。
「ハズレー」
朔夜が否定し、猫を膝から降ろした。
「まさか、亀を助けて行く場所じゃねーよな? 海底の竜宮城とか」
「ウミガメに乗りたいの?」
圭太がジークを小馬鹿にして笑いこけた。
「ドバイのタワーのてっぺんとか、そんなのかよ?」
「もう思いつかないの? あの野良猫に聞いてみなよ」
圭太が欠伸しながら言った。
「猫ちゃん、猫ちゃん…。おい、いい加減にしろよ…。猫が知ってるわけねーだろ?」
ジークは焦らされて、苛々してきた。
「ジーク。世界の中心も、世界の果ても、みんなこの胸の中にある。決まってるだろ」
「圭太…。何を…言ってんだよ?」
圭太は立体的に、三角錐と球と立方体を指で描き、
「球が物質界。三角錐が高い異界。立方体が低い異界をイメージする。どれも重なってる。中心点はアフリカ。一番高いところは北極のオーロラの中。一番低いところは、地獄」
と、異界縮図の模型について語った。
「はぁー!?」
「地獄は心に存在する。わかる? 世界の果ては自分自身の内側にある。究極の答えだろ?」
圭太に言われ、ジークは困りきった。
「ダメだ。わかんねー。そんな認識上の話をされても」
「あっ、わかってんじゃん。それでいいんだよー」
圭太がオッケーサインを出した。
「どうやって行くんだよー、朔夜?」
ジークが朔夜に助けを求めた。
「どうやって? 俺が知りたい。教えてくれよ、ジーク。自分から忍人に会いに行って、会えたヤツはいないんだ」
朔夜が線路を枕にして、寝転がった。
「じゃ、ジークさん。もう羽田は燃えちゃったし、成田まで道路もグチャグチャだし、もし海外だとしたら、どうやって行きますか!? 自衛隊と米軍の包囲網を潜るだけでも、大変そうなんですけど」
香が現実的に話した。
「ジークが何とかしろよ。ジークの仇討ちなんだし」
圭太が紙コップに日本酒を注ぎ、みんなに配った。
ジークはタバコを吸い、煙をスパスパ吐いた。
「うーん。忍人をここに、おびき出せねーかな?」
「果たし状でも出すんですか? まずは郵便番号を調べないと」
「君、綺麗な顔して嫌味だね…」
ジークが香にタバコを差し出した。
「…どうも」
香が一本抜き、ライターを借りた。
「私が思うに…、ナーガ忍人をおびき出すのは難しくないですよ。ヤツの配下のナーガ一族や、眷属を殺しまくって、炙り出せば出てきますよ」
香が提案した。
「君、綺麗な顔して結構怖いね…」
ジークが香に呆れた。
4
「ナーガ一族はインドです。ナーガって、インドの言葉で蛇という意味ですから」
香が言った。
「サリムー。あいつに会いたいな。どこに行ったかな、あの男前のインド人」
ジークはK医大病院でサリムやベロニカと別れたことを、思い出した。
「他の地区はどうなってるんだ?」
ジーク達がホームセンターに侵入した。
食糧調達ついでに、色々必要な物を盗む。
「サバイバルだよ。日本中、世界中、都市も田舎も関係ない。吸血鬼と人間で、殺し合っている」
朔夜は工具や猫の餌を、鞄に詰め込んでいる。
盗むことはよくないけれど、そんなことも言ってられない状況だった。
「今も、成田からインド行く便出てる?」
「俺達はパスポートを持って来てない。それに、ジーク。おまえは国際指名手配されてるよ。空から降りた恐怖の大王は、おまえの顔をしてたんだから」
朔夜が指摘する。
すると、
「俺じゃねーって。俺が東京を破壊して、何万人も殺すわけねーだろ? ケイシーを止められなかった責任は感じてるけど、俺じゃない」
と、ジークが落ち込んだ。
ジークがアウトドア売り場の前を通る。
圭太がテントで遊んでいる。
「な、ジーク。これ、使えそうじゃない? 寝袋もバーベキューセットもいいなー。それと、この小型トランポリンも持ってかないー?」
「ガキか?」
ジークが鼻を鳴らし、通り過ぎた。
「ああ、待って…」
圭太がトランポリンを引き摺って、出口の前を通った。
万引き防止のアラームが鳴った。
「ジークー。このゴムボートも使えると思わないー?」
「何に使うんだよ? 圭太も缶詰とか、重いの運ぶの手伝ってくれよ」
ジークが圭太を振り返り、腰に手を当てた。
圭太は子供みたいにはしゃいで、救命胴衣を付け、
「洪水起きても大丈夫だしさー。次はたぶん、洪水来るよ。火の次は水だよー」
と、無邪気に言った。
「大海原を漂流してくれ。そのまま、ペルーかアルゼンチンまで行ってくれ」
ジークがさっさと歩いていく。
「ゴムボートは使えるって。あ、待ってよ。思い出した。忍人が昔、溺れたんだ…」
圭太が急に、思い出し笑いをした。
「忍人が…黒瀧に追放された時…、あれは秀吉が禁教令を出した頃さ。あいつは南蛮船に乗っていった…。泣きながら…。あいつは泣き虫だった…。前日、俺と忍人は最後の別れに、一緒にお茶を飲んだ。あいつは俺に毒を…、俺もあいつに毒を…。親友との別れなのに、お互いに毒を盛り合った…」
「趣味が合うって、そういう部分なの?」
ジークがツッコミを入れた。
「あいつは南蛮船で西洋に渡る途中、海に落ちた…。そして流れ着いた土地が、天竺だった。あいつは海でふやけて、半分腐ってた。コブラに噛まれて、もっと腐った…」
圭太は楽しそうに親友の顛末を話した。
「あいつは夜叉族を殺しまくって、インドで追われる身になった…。夜叉達は黒瀧の一族を恨んで、ずっと俺達を狙うようになったけど、元は全部、忍人のせい。あいつはナーガ一族という武術集団を作って、中央アジアの裏歴史で暗躍し続けた。…何度も海を渡ろうとして、その度に台風に阻まれて、遂に日本には帰れなかった…。…って、台風、スゴイなー。あんな疫病神が帰ってきたら、大変だったよー」
圭太は台風に感謝し、親友を疫病神と罵った。
「おまえの友達だから、きっと裏切り好きなんだろうな」
ジークも感心した。
「裏切りは、あいつの癖みたいなもんだよ」
圭太も認めた。
「鵜野にそっくりじゃねーか。忍人はお祖父さんに似たんだな」
ジークはゴムボートを蹴り出し、圭太の襟を掴んで引っ張った。
「父親にも似てるよ。黒瀧も………。いや、何でもないけど」
圭太は途中で言葉を飲み込んだ。
深夜の駐車場で、ジークと朔夜が、拾ったワゴン車に盗品を積み込んだ。
ナオと香が、都内の警察署や自衛隊・米軍基地から武器を集めてきた。
圭太がアウトドア用品を、残った隙間に詰めた。
「圭太、運転して」
朔夜は後部シートに座る。
ジークは助手席。
「またぁー!? 圭太は無免許じゃねーか」
「ごめん。俺と香も無免許なんだ」
ナオが詫びた。
「朔夜さんが免許持ってます」
香が言うと、朔夜が横柄に、
「俺は寝る」
と、言った。
「はーい。じゃ、検問突っ込みまーす。突撃しまーす」
圭太が楽しそうに宣言した。
「え? 米軍が封鎖してんだろ?」
ジークは少し不安になった。
車が瓦礫だらけの道路を走り始めた。
魔法のように、瓦礫が弾かれていく。
この車のタイヤはパンクしないらしい。
道路は一台の車も走っていない。
対向車もない。
街灯も消えていて、道は真っ暗だ。
やがて、米軍の検問が見えてきた。
光の点滅やバリケード、赤いコーンが見える。
ジークは緊張してきた。
ナオが彼に、耳栓とゴーグルを渡す。
何人かの兵士が無線で叫び、何事か確認しながら、道に跳び出してきた。
迷彩服の若い兵士達が、威嚇するようにライフルを構える。
「STOPー!!」
そう聞こえた瞬間、
「退けよ!! おらおら、邪魔なんだよー!!」
圭太が眉を寄せ、荒っぽく言った。
圭太はコーンやバーを跳ね飛ばして走った。
「ナオ、香、ジーク、撃ちまくれ」
朔夜が毛布の中から命じた。
「わかってるって」
ナオがウィンドーを下げ、身を乗り出した。
「向こうの弾丸は当たらないことになってます。ジークさんも、撃ちまくって下さい」
香が反対側から乗り出し、ジークに言った。
「へ…マジで…」
ジークはM16Aライフルを手渡され、戸惑った。
彼は人間を殺したくないので、適当な方向に撃った。
衝撃と爆音が、感覚を麻痺させた。
後方が炎に包まれ、遠ざかっていく。
「あいつら、大丈夫なのか?」
ジークは撃ちながら心配した。
「ジーク、上を撃て!!」
突然、朔夜が叫んだ。
何かが真上からフロントガラスに落ちて来て、前方の視野を塞いだ。
蝙蝠のような羽根を広げた、吸血鬼だった。




