ph 64 地獄あらわる
phase 64 地獄あらわる
1
圭太は異界縮図の光に入った。
幾何学文様に直に触れ、隠された暗号を読み解く。
「俺に何が出来ると思ってんだ? どんな不可能も可能に出来る? 異界縮図さえ、あればねぇ…?」
彼は口笛を吹き始めた。
一方、朔夜はケイシーの中のジークに呼びかけた。
ジークの肉体は腐乱して、殆ど溶けてしまったのに。
「ジーク、目を覚ませよ! おまえは闇の深淵にも溶けなかったじゃないか…!」
朔夜はケイシーが高温を発し、白々と燃える姿を見た。
銀の翼竜が啼く。
ケイシーの声が空気を振動させ、更に空間を破壊した。
異界の門番達は低く深いところに退却し、事態を偵察している。
ナオと香は大声で、ジークに呼びかけた。
「ジークー!! 聞こえるかー、ジークー!!」
「ジークさーん!!」
ジークの返事は、思念も含めて一切無かった。
ケイシーが不愉快そうに啼き、反転してきた。
彼は身をくねらせて空を泳ぎ、暗黒に浮かぶ朔夜の結界の周囲を回った。
「ケイシーは物質界へ行こうとしてる。彼は物質界への入口を求めてる…」
朔夜がケイシーの青い眸と、視線を絡ませた。
ケイシーの牙が襲いかかり、球状の結界を四本の牙でくわえた。
結界をくわえ、激しく振り回す銀の龍。
朔夜達は結界の中を転がった。
ガラスのように透明な結界に、無数のひびが入る。
「あー、集中してらんない…」
圭太が喚いた。
ケイシーは朔夜の波に引き寄せられるように、牙に力を込めて噛んだ。
朔夜が覚醒し、顔に蛇の鱗が浮かび上がった。
結界の強度を維持する為に、朔夜がチカラを放出していく。
びりびりと空気が震え、結界の中の圧が高まっていく。
「圭太!? まだか?」
朔夜が聞く。
圭太は幾何学模様の上を歩き回り、
「あともう少し。黒瀧さん呼んだ方が早いんじゃないー?」
と、答えた。
「うーん、つまり、九重の空は、九つの風船が密着してるような宇宙なんだ。この一つが空気漏れると、こっちが膨らんで張り出す。今、無理やり二つの異なる風船を繋いだから…。これは科学的な話じゃなくて、俺達の壮大な曼荼羅…」
圭太が細かな文様を指でなぞり、ぶつぶつ言った。
「悠長に瞑想してるな、圭太…」
朔夜が舌打ちした。
ケイシーの牙の尖った先端が、朔夜の結界に食い込もうとしている。
「あいつのチカラの源泉はどこにある? 無尽蔵かよ」
朔夜はケイシーの波を測り、自分の結界が長く持たないことを計算した。
「こんな相手と、まともに戦えはしない。封印するしかない。その為の異界縮図だ、圭太」
朔夜が圭太に向かって言う。
「朔夜さん。じゃ、ジークは…」
ナオは尋ねる時、涙声になった。
「ジークは欠片も残ってない。完全に、ケイシーに融合してしまったみたいだ…」
朔夜も、残念そうに肩を落とした。
「いい人でしたよね…。かなり甘っちょろい人でしたけど」
香が呟いた。
「そんな…。ジーク…。俺はあいつを一人で、ケイシーの意識の中へ行かせてしまったんだ…」
ナオは責任を感じ、拳で自分の膝を叩いた。
重い空気を払うように、圭太の軽い声がした。
「朔夜ー、何とか出来そうだよーん。空間を閉じれるー。同時にケイシーを封印するから、あいつを渦の中心に誘い込んでくれるー?」
圭太が異界縮図から顔を出した。
「ああ、いいさ。俺が囮になればいいんだな?」
朔夜がしゅうしゅう白い霧を出し始めた。
「朔夜さん、まさか、龍変化!? そこまでしなくても…」
ナオが焦る。
ケイシーは首をしならせ、くわえた結界をボールのように投げ飛ばした。
結界は回転しながら、割れた空間の端を飛んでいった。
2
ジークは完全にケイシーの一部となって、混ざり合った。
熱に溶かされ、思考が停止した。
ジークはケイシーとなって、全ての思考・記憶・細胞・器官を共有した。
それは一瞬で起きた。
ジークはケイシーの自我に支配され、自分をケイシーだと自覚した。
ジークはケイシーとして、神経から筋肉に伝達された。
ケイシーは違和感を感じた。
ケイシーはジークを飲み込み、その存在を全て忘れてしまったが、新しい記憶が胸の奥に残った。
悲しみと切なさが、元のケイシーより少し増えた。
「何だろう? この思いは…」
ケイシーは戸惑った。
「愛する人を失った絶望感…。僕は前から持っていた。でも、以前よりもっと鮮明に、痛みがジンジン胸に疼いて来る…」
ケイシーは龍となった自分の胸を、鰐のような前脚で撫でた。
「苦しい…。切な過ぎる…」
ケイシーは心の中で泣いた。
その叫びが口から洩れ、龍の啼き声になった。
元はジークだった意識が、ケイシーとなって、ケイシーの記憶に触れていた。
ケイシーの記憶には、あの場面があった。
ルビー殺害のシーンだ。
それが今、ケイシーを泣かせていた。
ケイシーは龍の眼から、涙をぽろぽろ流した。
ケイシーはあの美しい女性を、黒瀧教授から紹介されたことがあった。
あの女医は黒滝教授の信奉者で、黒瀧教授に自ら血を捧げていた。
それは深由がジークにしていた献血のような行為だった。
ルビーは黒滝教授を尊敬していたが、それ以上に、不老不死の秘密に対する野心があった。
彼女は闇の血がもたらすアンチエイジングの効果が、莫大な富に繋がることに気付いた。
彼女は血を商品化したいと、黒瀧教授に申し出た。
自らの血を定期的に提供する代わりに、黒瀧の血が欲しい、と。
ルビーは弟の為に動いていた。
でも、弟一人の為でもなかった。
自分も不老不死の存在になることを、心の底では望んでいた。
黒瀧教授はルビーの真意を見抜き、内心、彼女の浅はかさを笑った。
彼はルビーの血を愉しみ、彼女を仲間に加えようとはしなかった。
黒瀧教授にとって、ルビーは都合のいい餌で、広報にちょうどいいアシスタントでしかなかった。
ケイシーは四階の病室に隔離され、クスリ漬けの状態で縛られていた。
黒瀧教授は、意識が朦朧とするケイシーの前でこう話した。
「ルビーくん。彼は私の秘密兵器のケイシー。私が見つけた逸材だ。元から最高の血を持っていた…。そこに私の血を加えたのだ」
黒瀧教授は動けないケイシーの顎を指で持ち、彼の青い眸を覗き込んだ。
「ケイシーは私の祖父・黒瀧秀郷の血を継いでいる。ケイシーは、黒瀧秀郷とその後妻・鵜野影馬の娘の間に生まれた長男の、何代も後の子孫だった。何代も人間と交わって生まれた為に、彼の親は吸血鬼としてのチカラを失っていた。しかし、ケイシーだけが、隔世遺伝と言おうか、我々吸血鬼の正統派の血を眠らせて持っていたんだ」
黒瀧教授は満足そうに言った。
ルビーは適当に相槌を打った。
「祖父はケイシーが自分の直系子孫だとわかると、この実験の継続に反対した。だが、私は粘り強く実験を続けた。そして、ケイシーを作り出した。私の最高傑作。Sランクの吸血鬼誕生だ…」
黒瀧教授が誇らしそうに言った。
聞いていたケイシーも、とても誇らしく思った。
黒瀧教授はルビーに向かって微笑み、自分の唇に人差し指を当てた。
「これは内緒の話だ。いずれ、祖父は部下を使って、ケイシーを殺そうとするだろう。ケイシーは私の後継者。祖父の意のままにならぬ後継者さ。ケイシーを早めに完成させなくては、彼は暗殺されてしまう。残念ながら、唯一の弱点として、ケイシーの精神は脆い。強靭な精神が必要なんだが…」
黒瀧教授はケイシーの枕元に座り、
「ケイシー。君は古の吸血鬼の、最も正当な後継者なんだよ。それを心の拠り所としなさい。君は深淵の王となる。この世を光から救い、闇で覆う救世主なんだ」
と、囁いた。
ケイシーは涙を零し、黒瀧教授を見上げた。
ケイシーは病棟のゾンビが共食いした夜、病院の呪縛から逃げた。
けれど、一人で生きていくほど精神が強くなかったので、黒瀧教授から離れられずにいた。
ルビーが血を捧げ、黒滝教授の血を得られず、ふらついて出てきた。
ケイシーは館の物陰で、彼女の血の匂いを嗅いで興奮した。
彼はクスリが残っていて、幻覚と現実の境界がよくわからなかった。
自分の前を、一足先に躍り出た影。
それが自分の分身なのか、別人なのか、ケイシーは判断つかない。
影がルビーに後ろから襲いかかり、恋人が抱きしめるように彼女を抱いた。
その男は黒髪が長めで、黒い服の内側に白いシャツを着ている。
「やめて!! あなた、誰!? 誰よ!?」
ルビーが男の顔を見て、騒いだ。
男は細長い指で、彼女の口を塞いだ。
牙が彼女の首筋に食い込み、黒瀧が吸った跡に被さるように、激しく血を啜った。
ルビーは気持ちよさそうに眸を閉じ、手をだらりと下げた。
ケイシーは満足そうに笑う男の顔を、しっかりと見た。
全く知らない男だった。
倒れるルビー、男は建物の二階へ駆け上がっていく。
ケイシーは二階へ階段を昇った。
迷路のような、黒瀧の別荘。
ドアが両側に並び、廊下は折れ曲がりながら、ずっと奥まで続いていく。
どこかでドアの閉まる音がした。
廊下の途中に窓があり、朝日が射し込んでいた。
ケイシーは手前で我に返り、納戸に隠れた。
彼はルビーが死んだ気配を感じ取った。
ケイシーは獣のように唸った。
「あんな綺麗な人を死なせてしまうなんて…」
彼は納戸の壁に凭れ、眠りに落ちていった。
ケイシーは何となく、その場面を思い出した。
すると、思いもしなかった涙が、勝手に溢れてきた。
「ルビー。ルビー…。君は吸血鬼の気紛れで殺された…」
ケイシーは突然、彼女の名前を口にして、嗚咽し出した。
「あの男は、誰なんだろう?」
彼は答えが見つからず、苛々した。
空間の裂け目に結界の玉を見つけ、腹立ち紛れに噛んだ。
八つ当たりするみたいに、朔夜の結界を噛み砕こうとした。
3
長大な黒龍が大河のように、雲の上でうねっている。
ケイシーと朔夜が対峙した。
銀の龍は燃え上がり、星のように高温で輝く。
黒龍は禍々しい毒と闇を撒き散らした。
黒龍が危険な空間の裂け目に向かう。
朔夜は毒気を結界のように身にまとっている。
重なる次元の圧と風が、生身を裂こうとするが、朔夜は重力の向きさえ変える。
ケイシーは黒龍を追い、空間の裂け目に誘い込まれていった。
「行きますよん」
圭太が瞑想の世界で、銅のブロックを動かした。
裂けた空間と繋がれた空間が夫々、端を捻じ込まれるように編まれていく。
黒龍はぎりぎりで逃げた。
ケイシーは渦に引き寄せられ、捩じられていく空間に巻き込まれた。
「アアアアーーーオオッ!!」
ケイシーが身を裂かれ、啼き喚いた。
彼の破れた体から、白焔が噴き上がる。
彼が一際暴れた時、異界縮図の盤面で、無数のブロックが一気に跳ねた!
「ヤベッ!!」
圭太が叫んだ。
盤面からブロックが抜け落ちていく。
塞がりかけていた空間が、逆回転に捻じれた。
ケイシーが自由になり、暗黒の海に解き放たれる。
彼がかっと大口を開けて、圭太らのいる結界に再び牙を突き刺した。
ケイシーの牙は結界の芯を捉え、ぐりぐりと中を圧迫した。
朔夜が抜けた為に、結界は先刻より強度を欠いた。
結界に穴が開き、炎が飛び込んできた。
「ナオ!! 圭太…香…っ!!」
朔夜が見上げる先で、銀の翼竜が消えた。
ナオは衝撃の瞬間、目を閉じた。
割られた結界の中に、龍の鼻先が入って来るのが見えたからだ。
狭い結界は、龍の頭が貫通する大きさもない。
元々、圭太の寝室の中央部分だけが、魔法陣の中にあった。
ナオが目を開いてみた。
衝撃が消え、熱と強烈な波を感じた。
目の前に、覚醒を解いたヒト形のケイシーが立っていた。
髪が白く燃え、皮膚も服も全身が燃え上がっている。
「物質界へ…」
ケイシーはうわごとのように呟いた。
ケイシーは、開けた穴と反対方向へ進んだ。
圭太の前では、盤上のブロックが自動的に動き出し、全然違う形に組み直されていく。
「うわぁああ…。空間が収縮する…」
圭太が大慌てで止めようとしたが、ブロックが独りでに動く。
「ジーク!! いるんだろ、そいつの中に!? 返事しろよ、ジーク!!」
ナオが叫んで、ケイシーの肩を掴もうとした。
「危ない、ナオさん!!」
香が叫んで引っ張ったが、ナオは右手に大火傷を負った。
ケイシーはちらっとナオを振り向いた。
「…僕は…ケイシー…? ジーク? 誰なんだ…?」
彼はまた、うわごとのように言った。
燃え上がる白い膚の表面に、細かなひび割れが走った。
「ケ…イシー…?」
ナオは言葉を飲み込んだ。
ケイシーは結界の壁に五本の指を突き立て、火花を飛ばしながら、体当たりで結界を突き破ろうとした。
「僕は物質界へ…」
呟く彼の横顔が、石膏像のように割れていく。
ケイシーが開けた穴を朔夜が塞ぎ、覚醒を解いて舞い戻った。
「圭太!! ケイシーが出て行ったら、すぐに別の時空に繋げ!!」
朔夜が叫ぶと同時だった。
ケイシーが自分の身を相撃ちにするように、結界を砕いた。
朔夜が結界を再構築し、圭太が異界縮図を操作して、この次元から引き揚げた。
ケイシーは自分の体をバラバラに吹き飛ばして、物質界に躍り出た。
東京の超高層マンションの中ほどから、航空機テロのように爆発炎上し、火焔が噴き上がる。
この世に、生身の銀龍が戻った。
全身から血を噴き、エネルギーを使い果たすように燃え上がっていく。
真昼の太陽よりも眩しい輝きとなって、火の玉を四方八方へ飛ばしながら燃える。
「あれ、何ーー!?」
「えー、マジ火の鳥じゃねー!?」
通勤ラッシュの電車から人々がホームに降り、空を見上げた。
「やだー!! こっち来るー!!」
ビルの谷間を人々が走った。
「きゃあああ!!」
燃える看板や、ビルのガラスが降り注ぐ。
誰もが眸を灼かれ、顔を手で覆ってしゃがんだ。
並木道を炎が駆け抜け、車を一瞬で黒焦げにした。
信号機が熱で曲がって垂れ、火事が乾いた山を焼くように、繁華街を焼き広がっていった。
山手線は勿論、地上の多くの通勤通学の乗客を乗せた列車が、炎に包まれた。
保育園も小学校も燃え上がり、消防署も丸ごと焼けた。
高熱の弾丸が、兵器のように降った。
ケイシーは朝日をもろに浴び、それでも溶けることなく、内側から暗黒を吐き出し始めた。
彼のダメージを受けたカラダの裂け目から、闇が流れ出して空を覆っていく。
ケイシーの自我が崩壊していき、代わりにチカラが最大限を超えた。
彼が最初に飛び出した高層マンションが、熱で鉄骨が溶解し、倒壊していった。
都心に火焔地獄が出現した。




