ph 61 深淵の王
phase 61 深淵の王
1
「いや、俺も行く。心配だし」
ナオがついて来た。
「ナオ、朔夜の警護は誰がすんのよ?」
「香がいるよ。あいつ、俺の一番弟子だから」
朔夜を残し、三人が圭太の部屋へ移動する。
圭太がジークに、
「俺、思うんだけど。黒瀧さんの帰国には、きっと何か裏があるんだよ。黒瀧さんは考えを読ませないから、四百年のつきあいの俺でもわかんないんだー」
と、囁いた。
「圭太がすぐ裏切るからだろ?」
ナオが突っ込みを入れる。
「黒瀧さんは心にシャッター降ろしてて、誰にも見せないんだー。俺にだけじゃない」
圭太は窓に厚い遮光カーテンを閉め、隙間をテープで閉じた。
それから、ベッドを壁に寄せて中央にスペースを作った。
スタンドとスポットライトの角度を調節し、二つの照明の光が部屋の中央で交差するようにした。
「何が始まるの?」
ジークはワクワクして、圭太のやることを眺めた。
圭太は枕とクッションを、スペースに置いた。
アルミ製の支柱を立て、二つの光を二つの円盤が受けるように設置する。
ジークとナオをスペースに招き入れ、圭太は波で魔法陣を生み出した。
「これは闇の契約書に記された、俺の紋章なんだ」
圭太は内陣に、正三角形を二つ重ねた六芒星を描いた。
二つの正三角形の頂点に、二つの円盤の位置があった。
「ライトは太陽代わり。太陽は俺達に取っては、命を削る危険なものだから、このライトを使うよ」
圭太が説明した。
ライトの光は円盤に遮られ、交差することが出来なくなった。
「異界縮図の錆びた表面のせい。本来は光が通過するはずなんだ。でも、表面が錆びてるせいで、光が届かない。ま、いいんだよ。呪術に影響ないからさ。光はパワーになって異界縮図を通り、俺の六芒星の中心点で交差してるの」
「合わせ鏡ってわけか?」
異界縮図の幾何学文様がぼうっと浮かび上がる。
複雑な図柄が切り離され、展開していく。
模様の一部がチカチカ光り、次には違う部分がチカチカ光った。
宇宙を読み解く暗号のように、円弧や四角や記号が次元の組み合わせを解いた。
「ジーク、ナオ、寝てくれる? 物質界じゃないとこへ行くよ。第四と呼ばれてる異界だよ」
「任せるよ」
ジークは六芒星の中で枕を拾い、横になった。
添い寝するみたいに、圭太がジークの側に寝転んだ。
ジークの幽体が起き上がり、肉体から抜け出た。
圭太の幽体がジークとナオの幽体の手を取り、パワーの交差する特異点へ導いた。
「じゃ、異界への鍵をダウンロードしまーす…」
圭太が呟き、特異点を潜った。
ジークは半透明になった自分の幽体が、眩い光に包まれるのを視た。
2
錆びた銅と鉛で出来た世界に、三人が入り込んでいた。
グゴゴゴゴ…。
金属の擦れる音がして、ルーレットが回転していく。
機械仕掛けの空間で、迷路の扉が自動で開き、背後の扉が閉まる。
壁が開いて階段が出現し、秘密の通路が新たに接続される。
ジークは進みながら、これは一人では帰れないと思った。
「なぁ、圭太。黒飛龍剣で異空間を繋げた方が早くね?」
「あれは結構、思う空間と繋がらないだろ?」
圭太が先頭に立ち、案内する。
圭太の魂は、黒いマントの下に着物を着て、明治風の格好をしている。
ナオの魂は、髪を一つに束ね、着物で刀と脇差を差している。
ジークの魂は、残念ながら現代の服装のままだ。
「今歩いてるとこが、異界縮図の中さ。ここにいる間は、本音を話していいんだよ。誰にも聞かれないから、言うけどさ…」
圭太が根っからの悪党らしい笑顔に還っていく。
「…ジーク、俺ね。そろそろ、朔夜が長になるべきだと思うんだよ。黒瀧なんて、もう年寄り過ぎるだろ?」
「あ? マジで?」
「おまえ、また裏切る気かよ? 圭太ぁ…」
ナオが横から言った。
「裏切る? とんでもない。もう俺は自由だもん。黒瀧に媚びへつらう理由がないよね。俺にかけられてた封印は解いた。俺は黒瀧なんか、どうだっていいや。朔夜についていく方が面白そうだろ?」
「おまえ、同じようなことを黒瀧のジイサンにも言ったんじゃね? 黒瀧に、鵜野みたいなジジィは要らねーって?」
ジークが当てた。
「どうだっけ? 覚えてないな」
圭太はしゃあしゃあと答え、黒瀧を裏切る算段を始めた。
「圭太。しばらく待ってれば、いずれ朔夜さんの時代だよ」
あっさりと、ナオが付け加えた。
「こんな大事な時に揉めたいのかねー? ケイシーは本当に古代の吸血鬼の末裔なのか?」
ジークは疑問に思った。
「そんなこと言い出したら、俺達全員、古代の吸血鬼の末裔だよ。間違いなく」
圭太が門に、銀色の鍵を挿し込んだ。
ダウンロードした鍵だ。
壮麗な装飾で飾られた、巨大な門。
その扉が、ゆっくりと音もなく開いていく。
三人は門の先へ踏み込んだ。
第四世界。
門の先に、灰色の石積みの塀と、同じ色の石畳があった。
空は果てしなく広く、暗い。
霧が景色を霞ませる。
錆びた扉が、左右の石塀に並ぶ。
美しい装飾の扉があるかと思えば、粗末な破れかけの扉もある。
塀の上で空気の流れが切り替わり、空間が扉ごとに遮断されていることがわかる。
一番ボロボロの扉を、圭太が開いた。
「わかってないよな。俺達は黒瀧の手の上で踊らされてるんだよ。ジーク。黒瀧は一般人がどんどん黒蝶になったり、大量虐殺されたりしても、別に気にしてないんだよ…」
扉の向こうには、道とは別の空間があった。
入った途端、石塀が中からは見えなくなる。
目の前にあるのは、老いた森だ。
一面、立ち枯れた木々が風に吹かれ、しなっている。
木の根が浮き上がり、裂けて倒れ、虫に食われてスカスカになっている。
草がぼうぼう生えて、森は荒れ放題になっていた。
正面に、森の中の一軒家があった。
誰も住めそうにない廃屋。
霧の中、墨で描いた絵のように白黒だった。
その家は屋根が落ちて歪み、入口の戸がひしゃげ、窓が壊れて中に窪む。
壊れた開口部の内側から、土が外に流れ出ている。
内側の空気を抜いたみたいに、何か不自然な崩れ方だ。
圭太はまだ喋りつづけていた。
「ジーク。ケイシーと黒瀧、どっちが強いと思う? 俺は波で測ってみた。今なら、まだ黒瀧が強いね。でも、ケイシーが成長を続けて、黒瀧が老い衰えていったら…、逆転するよね?」
圭太は荒ら家の前に立ち、ひしゃげた戸をノックをした。
「こんなとこに、誰か住んでるの?」
ジークは気持ち悪くて、早くその場から立ち去りたかった。
その家から、不気味な気配が溢れて来た。
ジークは胸騒ぎを感じた。
「ジーク。黒瀧に義理立てしなくていいよ。適当に逃げた方がいいー。さ、ノックしなよ。俺じゃ、ケイシーが反応しない」
圭太が戸の前を、ジークに譲った。
「ケイシー…がいるの!?」
ジークは思わず、声を潜めた。
「俺は第四の門で待ってる。ここから先は、ジークとナオでどうぞ」
「圭太…。おまえなー。いい加減にしろよ。勝手過ぎるだろ!?」
ナオが一発、圭太を引っ叩いた。
ジークは廃屋の全景を、改めて見回した。
「こんなとこにケイシーが……」
彼は寒気を感じた。
霧がどんどん深くなってゆく。
今度ははっきりと、ケイシーの気配が伝わってきた。
彼が心臓を刺した為に、深手を負って街から逃げたケイシー。
ジークは緊張し、家を見詰めて震えた。
「ジーク。世の中にはさ、知らない方がいい真実ってやつがあるんだよ。そこから先は、後悔することになると思うよ…」
圭太が忠告した。
「俺は異界の入口で待ってる。必ず三十分以内に戻って来て。門が閉まっちゃうよ」
圭太は一人で道を引き返した。
門の内側に、十二本の赤い蝋燭が並んでいる。
既に、一本目の蝋燭の炎が消えていた。
この炎は、時間の経過と共に消えていく。
全ての炎が消えた時、異界縮図の門が閉ざされる。
3
ジークはナオを振り返った。
「ナオ…。頼みがあるんだ…。俺がもしケイシーに引き摺られて、覚醒して暴走してしまったら…、その時は、俺を殺してほしい」
ナオが頷いた。
「わかった。殺してやる。心配するな」
ジークは安心し、荒ら家の戸をノックした。
「ケイシー、…俺だよ。達紙ジーク。君に会いに来たんだ…」
すると、ひしゃげた戸が少しだけ開いた。
暗がりの中に、青い眸が二つ光っている。
ジークが這うように入ると、戸が後ろで急に閉まった。
「あっ、ナオがまだ…」
ジークが後方を振り返った。
その瞬間、前方から強烈な気配が来た。
危険なほどの高さと圧を持った波が、ジークに向かって押し寄せた。
ジークは足に力を込め、踏ん張ったけれど、じりじり地面を滑った。
「ドクター…」
ケイシーが悪魔に憑りつかれたような、割れた音で唸った。
ジークは恐る恐る、ケイシーを見た。
「ケイシー?」
ねっとりと濃い暗黒の中、ケイシーが自分のオーラで浮かび上がった。
彼は病人みたいな青白さで、額に静脈が浮き立っている。
「ケイシー。俺は君の仲間になったよ…。俺も黒瀧の血を受けたんだ…」
ジークが汗ばみ、ケイシーに囁いた。
ケイシーは反応が鈍く、放心状態にも見えた。
「ケイシー。俺は君の言ってた空虚と孤独を、今ひしひし感じてるよ。君がずっと感じてたものを…」
ジークが呟き、圧を跳ね返して、前に一歩出た。
ケイシーが逆に一歩後退し、距離を保った。
「俺達、もう仲間だよな…?」
ジークが聞いた。
「ドクター。…あんたは…僕の心臓を刺した…」
ケイシーがジークを青い眸で睨み、野犬のように唸った。
ジークはケイシーを追いかけて、手探りで闇を進んだ。
居間らしき場所に、暖炉があった。
家の中は、外から思っていたほど潰れてなかった。
外と内で、空間が異なっている。
暖炉で小さな火が、ぱちぱちと火の粉を爆ぜていた。
屋根に開いた穴越しに、月が見えた。
ジークは暖炉の前の椅子に座った。
ケイシーが奥から現れ、火に照らし出された。
「ケイシー、話をしよう。君は話し相手が欲しいと言ってたよね。君の物語を聞かせてくれよ」
ジークが言った。
ケイシーは極端な警戒心に身を硬くしていた。
「ドクター、どうやってここを見つけたの? 僕は完璧に気配を消して、異次元に隠れてたはずなのに…」
ケイシーの眸が、ギラギラ光った。
「異次元でも、道はあるもんさ。ケイシー。君は今でも、黒瀧教授の支配の下にある?」
ジークが脚を組み、ケイシーを見た。
診察するような気分になった。
「それって、逃げ場はないってことなんだ? 黒瀧教授は今でも、僕にラブコールをくれるよ。僕を保護したいって言ってる…。隔離の間違いなんだけどな」
ケイシーはぶつぶつ言った。
「それについて、提案があるんだけど…」
ジークが身を乗り出した。
「ケイシー。黒瀧教授や黒瀧博士から、完全に自由になってみないか? 君は不安定だ。俺が面倒を見る…。俺と組んで、黒瀧を倒すってのはどうだ…!?」
ジークが本音を吐いた。
ケイシーがぶつぶつ言い返した。
「…なんで? 黒瀧教授と完全に手を切るのは、不安だ。残念だけど、あの人は社会的に強い。僕は社会的弱者だ。彼のフォローが必要な時もある…。僕は…黒瀧博士について行こうかと思う。古代の吸血鬼の血を引く者として、この世を光から闇に変えていく使命がある…」
「よせよ。ケイシー、黒瀧のジイサンに騙されてる」
ジークが言い切った。
その頃、ナオは森の中に取り残されていた。
ナオは廃屋に入れなかった。
ケイシーに閉め出されたらしい。
家の中では、ジークとケイシーが二人きりで対峙しているはずだ。
ナオは家の周囲をぐるぐる回った。
「クソッ、ケイシーの結界を俺が破れるわけないな。圭太なら、家の中にジャンプ出来そうなのに…」
ナオは軽薄な圭太が恨めしかった。
4
ケイシーはびくびくとして、情緒不安定だった。
「ドクター。あんたにはわからないよ。僕にとっては、黒瀧博士の言葉だけが支えだ。僕が選ばれた存在で、最も優秀な人類である古代吸血鬼の後継者じゃないなら、僕の存在する意味がわかんないよ…」
ジークは頭を振った。
「関係ねー。そんなんじゃなくても、君は君だよ。黒瀧のジイサンは、君を利用しようとしてるだけだ。君は精神的に鬱状態だった。せっかく入った名門大学で留年し、勉強についていけなくなって焦ってた。…君は原因不明のガンに全身を侵され、恋人にもフラれた。頼れる身寄りもなく、気分的にかなり滅入ってた…」
ジークは事件の後に調べたことを言った。
「君は余命宣告を受けて、藁にもすがる思いで治験に参加したんだね。黒瀧達は、老人の末期ガン患者ばかりではなくて、君みたいな若い被験者を待ってたんだ…。ケイシー」
ケイシーはジークの言葉を拒絶した。
「…うるさい。ドクターは何もわかっちゃいない。今の吸血鬼は古代の末裔じゃないんだ。僕だけが、復活させられた遺伝子…」
ジークはケイシーを哀れに思った。
「ケイシー。そういう話は聞いたことがある。でも古代の種族なんて、今更どうでもいいじゃねーか。何千年も前の話なんだろ?」
ケイシーは感情を高ぶらせて叫んだ。
「うるさい!! うるさいよ!! あんたに話しても、全くのムダだな。ドクター。せっかく吸血鬼の血を得たのに、あんたは魂が人間のままなんだな? 血を飲んだら、わかったはずだ。人間と僕達と、どっちが優秀な種なのかということを!」
「ケイシー、落ち着いてくれよ。俺は君が強いストレスの中にいたと言ってるんだ。それで、君は満足なのか? 自分が人間外の化け物になってしまって、永久に人間には戻れねーんだよ?」
ジークはケイシーの眸を見詰め、なんとか話を続けようとした。
ケイシーは眸に涙を溜めた。
「ドクター! あんたには僕の気持ちを、わかってほしかった。なんでわからないんだ? 人間は下等な猿なんだよ。ただの餌に過ぎない生き物に、同情なんかするなよ。僕とドクターは人間より尊い存在になったんだよ。弱肉強食の自然界で、僕達が絶対優位の存在なんだ!!」
ケイシーの額から、山羊の角が生え始めた。
彼は自分に陶酔しながら、ジークに語りかけた。
「黒瀧の支配の下に甘んじようとは思ってない。僕は深淵の王だから…。ドクター、自分の契約書を読んだか? それも嘘だと思うのか? 僕の契約書には書いてある。深淵の王として君臨すると、はっきり書かれてるんだ」
ジークは言葉に迷った。
何が事実で、何が嘘なのか、全てが曖昧だ。
ケイシーは覚醒していった。
額には山羊の角、背には蝙蝠の翼、尻から猿の尻尾が垂れた。
項に銀色のたてがみが生え、異形の姿へ変化していく。
「ダメだ、ケイシー。君は繊細だから、一回覚醒する毎に心が壊れてく…」
ジークが焦って、止めようとした。
ケイシーから強力な波が溢れ出し、ジークを圧迫した。
空間がケイシーのチカラで膨らみ、熱を発した。
「あちっ」
ジークは火傷しそうなほどの熱波を受けた。
ケイシーは巨大化していく。
「パァァァ…」
ケイシーが銀色の龍となって、嘶いた。
狭い空間が破裂し、ジークはケイシーの意識の中に取り込まれる。
ケイシーの意識は混乱し、理性が吹き飛んで、チカラと本能のみになった。
彼の視角は白黒のモザイクのように、整理できていない。
彼の視角から色彩が失われ、視覚情報が思考に結びつかない。
「ヤバ…。朔夜以上に精神の崩壊が進行してるじゃん」
会話が成り立たなくなった。
黒瀧教授がケイシーと会話出来なかったというのも、納得いく。
ジークはケイシーの意識から逃れようと、必死にもがいた。
捕らわれたジークは、ケイシーの更なる覚醒のエネルギーとして消費されそうになっている。
「ケイシー。俺の声を聞いてくれ。君の姿は君の心の歪み、不安が引き起こした変貌だ。君は本当は純粋で、感じやすい優しいヤツなんだよ」
ジークが抵抗した。
「ドクター。僕達は何の為に出会ったんだろう? 理解し合えると思ったのに。僕はあんたの為に、街を破壊した。あんたの望み通りに、みんな殺してやったのに、あんたは僕を愛してくれない。恐れの眸で、僕を責めるように見るだけだ…」
ケイシーの声は言葉にならず、思念に近いものになって、ジークに流れ込んだ。
ジークはケイシーの足りぬ言葉を補いながら、理解しようと努めた。
「友達になろう、ケイシー。君をきっと、その孤独から解放してあげる…」
「遅い…。ドクター。僕は深淵の王として、物質界を焼き尽くす…」
ケイシーは高温高熱の龍となり、燃え上がって飛翔した。
ケイシーが森の荒ら家を火焔で焼き、空に躍り出た。
ナオが炎に包まれた家屋と、飛翔する銀の龍を見た。
「ジーク!! ケイシーの中にいるのか!?」
ナオは手出し敵わず、絶望的に呟いた。




