ph 59 異界の扉
phase 59 異界の扉
1
夕方、ジークが鼻歌を歌いながら、三浦邸に帰ってきた。
「俺、深由ちゃんとつきあっちゃおっかなぁー。なんか、ムラムラしてきたんだよなぁー」
玄関の戸に手を触れる直前、彼は気付いた。
「…血の匂いがする…!?」
玄関の上がり口に、汚れた靴跡が無数にあった。
複数の若い男の匂いがした。
「あっ…、深由ちゃんが…」
ジークは頭の中が真っ白になった。
咄嗟に駆け出したが、何も思い浮かばなかった。
家の中はあちこち、荒らされている。
空き巣が入ったみたいに押入が開き、襖が倒れている。
灰皿が引っくり返り、布団が滅茶苦茶になっている。
中庭に面した戸のガラスが割れている。
空き巣より、もっと暴力的な奴等が来襲して、去った。
ジークは息を飲んだ。
和室で、ヨッシーの姿を発見した。
「ヨッシー、どうしてここに…?」
ヨッシーが深由の祖父の家を、知ってるはずがない。
ヨッシーがジークを振り返った。
「ジ…、ジークさん…」
ヨッシーは彼を見て動揺したが、その前から激しく震え、蒼白だった。
「ジークさん…、ユウキが…やっちまったって…、……電話…してきて…」
ヨッシーは呂律が回らず、何を言ってるか不明。
涙が溢れそうになっている。
「あ? 誰が、何をやっちまったって!?」
ジークは苛々した。
しかし、次の瞬間、深由の姿に気付き、ジークの感情が爆発した。
「深由ちゃん!!」
ジークが叫び、和室に飛び込んだ。
「退けよ!!」
彼はヨッシーを払い飛ばし、倒れている深由を抱き起した。
血塗れの深由は、血塗れのルビーの遺体を強く連想させた。
「深由ちゃん!! 深由ちゃん!!」
ジークが何度も繰り返し呼んだ。
深由は返事しない。
彼女の瞼は閉じられている。
「嘘だろ…!? なんで深由ちゃんを…。ヨッシー…、そうか、自警団とか言ってたな…」
ジークはやっと、事情を把握した。
「ヨッシー。深由ちゃんは何も悪くないだろ!? 俺に恨みがあるなら、俺を殺せばいいじゃねーか!!」
彼は思わず、ヨッシーに怒鳴った。
「ちっ…違う…」
ヨッシーは慌てて、頭を左右に激しく振った。
「ジークさん、俺が深由ちゃんを殺すわけないじゃないすか!! あんまりだ。俺はマジで、深由ちゃんのこと、…可愛いなーって…思ってた…!!」
ヨッシーが叫び返した。
「深由ちゃん、頼む!! 目を覚ましてくれ!!」
ジークが何度呼びかけても、最早、深由の魂は戻って来ない。
彼女は冷たくなってしまった。
ジークの涙が、彼女の頬に落ちて流れた。
「深由ちゃん…、ゴメンな…。俺のせいなんだ…」
ジークの胸に後悔が込み上げた。
ヨッシーはジークの涙を見た。
ヨッシーは脱力したまま、ふらっと廊下に出た。
やがて全力で走って、三浦邸を出た。
彼は近くに停めていた、中型バイクに跨った。
「違うのに…。俺が殺したんじゃないのに…」
ヨッシーも泣いていた。
「俺は深由ちゃんを好きだったんだ…」
気の弱いヨッシーは、その場から逃げ出した。
ジークはそっと、深由の頬に自分の頬を付けた。
度々触れた、彼女の優しさを思い出した。
「俺は三浦先生に、黒蝶を滅ぼすって約束した…。でも、深由ちゃんを守れなかった…。俺は三浦先生に何て謝ったらいい!?」
ジークの腕の中で、深由の眸を閉じた顔と、ルビーの顔が重なっていく。
それが涙で霞んでいく。
2
愛理が黒瀧とディズニーランドに一泊で出掛け、翌日の午後七時頃、都内に戻った。
愛理と黒瀧の前後を、私服のSPが三人、歩いている。
夕食を済ませ、ホテルに戻る途中、愛理は駅前に溢れ返る人を見た。
「あれ、何ー?」
「午後八時で公共交通機関がストップらしいです。さっき、非常事態宣言が出たんです。みんな、急いで帰宅するとこでしょう」
SPが落ち着いて答えた。
愛理は目を丸くした。
「日本でそんなんあるの!? 八時ストップってことは、事実上、夜間外出禁止令じゃないー?」
「タクシーは拾えそうかな?」
黒瀧が心配した。
「ご心配なく。もう迎えが来ますから」
SPが腕時計を見た。
「ヴァンパイヤ・ナイト以来、街中、警官だらけになったよね…」
愛理が自分の肩を抱き、街を見回す。
自分達の生活圏が狭められ、追い詰められていく気がする。
「吸血鬼騒ぎに便乗した殺人事件も多発してるらしいですよ。…ほら、今度は自衛隊の出動です」
陸上自衛隊の車両が街をゆく。
すぐ近くでパトカーのサイレンが鳴り、通り過ぎる。
街全体が普段と違う空気に包まれている。
駅前から、怒号が聞こえる。
なかなか駅に入れない、行列の後方の人が騒ぎ始めた。
「早く前に進めよー。八時になったら、電車が止まっちまうじゃないかー!」
普通のサラリーマン風の中年男性が、喚き立てている。
ナオと圭太の二人が、ワゴン車で黒瀧達を迎えに来た。
「黒瀧さん。ヨーロッパ・アメリカで、日本人に対する入国禁止措置が始まりました!」
後部のドアを開け、ナオが言った。
黒瀧は笑って、杖をついて車に乗り込んだ。
「構わんよ。しかし、税関は我々のことを雑菌扱いだな」
「えっ、おじいちゃん、それじゃー当分日本にいるのー!? わーい!!」
愛理が喜んで、黒瀧を追った。
「私は船で旅を続けるさ。愛理も来るかい? 日本はしばらく、物騒なことになる。おまえの役目は済んだ。ジークは朔夜に監視させよう」
「えー、今更、みんなと別れるのはイヤだよ!! 自分だけ、逃げられないよ!!」
愛理が後部席に、黒瀧と並んで座った。
「愛理、おまえもそろそろ、大人にならなくちゃな…」
黒瀧が呟いた。
愛理に血を吸って覚醒することを勧めている。
最近、彼女の代謝が大きくなり、普通の食事ではエネルギーが足りてないから。
「まだ早いんじゃないかな。一度血を吸ったら、もう身長伸びなくなるしー」
愛理は毎回、チビを言い訳に使う。
「もう伸びないだろう。二十歳になったんだ。考えておきなさい。覚悟を決めないと、寿命を縮めることになる」
「そうだけど…」
愛理は口籠った。
「私がジークを監視しなくちゃー。朔夜だと、すぐに怒って、ジークを見殺しにしそうだもん」
「あいつはまだ、自殺しそうか?」
黒瀧が溜息を付いた。
「ジークはいつでも、死にたがってる気がするよー。全然、死ぬのを怖がってないもんね」
「そうか…」
二人が話し込んでいる間に、信号が変わり、車が発進した。
駅前では、行列の最後尾に近い人の一部が、暴れ始めた。
「こんなぎゅうぎゅう詰めで電車に乗ったら、吸血鬼の思うツボじゃないかー。血を吸われるだろー?」
「もう少しで電車に乗れますから」
警官が宥めようとしたら、
「政府は何をやってるんだ? 原因は大体わかってるんだよっ。北朝鮮とか中国とかの陰謀なんじゃないのー? ねぇー。吸血鬼なんて、結局、俺達を騙す為の嘘なんだよなー!?」
中年男が警官に掴みかかった。
愛理と黒瀧の乗った黒いワゴンも、興奮した集団に囲まれ、ウインドーを叩かれた。
「おい、車に入れてくれよ!! 俺達の中に吸血鬼が混ざってるんだ。こうしてる俺達の中の何割かが、確実に吸血鬼なんだよ。助けてくれ!!」
人々はパニックを起こしつつあった。
圭太は平然と運転した。
「黒瀧さん、行きますよー」
海が割れるように人だかりが割れ、車が走り出した。
「この車に入りたいって? 入れてやったらどうなんだ? 確かにここに、その吸血鬼ってのが乗ってるんだけど」
ナオが言い、SPが笑った。
「私達、正体がバレたらどうなるの?」
愛理は不安に思った。
「ニンニクを投げ付けられて、銀の十字架を突き付けられて、終いには心臓に杭を打たれるんですよー。家を焼き討ちされたりね…」
年長のSPが言った。
「ひどいわ」
愛理は腹を立てた。
「そうだ。血を吸う以外は、何もしてないのにな」
黒瀧が愛理に付け足した。
「人間て、一番怖い。あの集団ヒステリーみたいなの、怖かった」
愛理はゾッとした。
「ジーク、大丈夫かな。一人でA市に棲むなんて…。あそこは黒蝶事件の発端の街なのに」
「そっとしといてやれば?」
圭太が派手にマニュアル車のハンドルを回しながら、意味ありげなことを言った。
3
ジークは数日間、黒瀧らと音信不通になった。
彼は愛理からの電話にも、応答しなかった。
落ち込むだけ落ち込んで、しばらくA市のカプセルホテルに泊まっていた。
カプセルホテルはいい。
棺桶の中に入ったみたいで、安心感がある。
数日後、落ち着いてから街に出てみたら、何かが大きく変わっていた。
夜は人通りが全くない。
ジークはわかってないが、市民は外出禁止令と同じ状態になっていた。
路地はライトで明るく照らされ、逆にくっきりと濃い影が反対側に浮かび上がる。
繁華街は寂れてしまった。
深夜まで営業していた店も、二十四時間営業のコンビニも、夜間はシャッターを下ろした。
居酒屋もスーパーも八時閉店、いかがわしい風俗店も八時閉店。
あちらもこちらも、パトカーと警察のバイクが走る。
「うわー、何だよ!? これ!? よい子の国か?」
ジークはびっくりして、静かなダウンタウンを眺めた。
翌日、ジークは憂のアパートに行く途中で、アパートの方向から歩いて来たディーヴァと会った。
「ジーク? 何やってんの?」
中学の制服のディーヴァが、きょとんとした顔で尋ねた。
「ディーヴァちゃん、元気? 俺、生きてたんだよ。ディーヴァちゃんがくれた血液パックのお蔭でさ…」
言いかけたジークに、
「そんなの、どうでもいいんだけど。ジーク、如月くんがどこに引っ越したか、知らない? 急に転校しちゃったんだよね」
とても愛想のないディーヴァの言葉。
「え、憂ちゃんが?」
ジークの表情が固まる。
「ジーク、如月くんの知り合いなんでしょ!?」
「相変わらず、冷たいなー。その言い方はねーだろー? 俺はあいつと、黒蝶のガーデン以来、会ってねーよ…」
ジークは何か、考え込んだ。
「如月くん、親戚と暮らすことになったらしくて、実家追い出されてたわ。お父さんの再婚した相手と、うまくいってなかったみたいよね。ジーク、彼の親戚知らない?」
ディーヴァはやけに熱心だった。
「知るわけねーし。知ってたら、今頃そっちに行ってたよ。ディーヴァちゃん、なんで急に、憂を追いかけ回してんの? やめときなよ、性格がマジで悪くて年上好きなんだから…。…それより、ディーヴァちゃんのお父さん、元気?」
ジークが話を変えた。
ディーヴァは不機嫌になり、嫌味を返した。
「わかってるくせに。ラボのメンバーが黒瀧の一族のせいで、壊滅状態になったこと。出資者の加藤が事故死したこと。…ヘルなら、手紙一枚置いて、一人娘を残して出て行ったよ」
「何て書いてあったの?」
「おまえは自由に生きろ。血液パックの心配はするな。…そんな内容」
ディーヴァは悔しそうに吐き捨てた。
「あっ! 自由になれたんじゃん!!」
ジークが喜んだが、ディーヴァは素直に喜ばなかった。
「ずっと家族みたいに一緒にいた人達が、あんたの連れに殺されたんだよ。さっさと、どっかに行ってくれない? 協力するなんて、あんた、嘘つきだよね。ジーク。私はこれで、独りぼっちよ!!」
「じゃ、俺と暮らそうぜ」
ジークが誘ったが、ディーヴァはぶんぶん首を振った。
「このエロ親父が。何歳違うと思ってんのー? 気軽に口説かないでくれる?」
「俺の子供産みたいみたいなこと、昔言わなかった?」
「スカルよりはマシー。その時はそう思っただけ。スカルも性格は優しかったし。考えてみれば、選択肢が少なかっただけ。自由になったら、もっと素敵な恋がしたくなったのー!」
ディーヴァがあかんべーした。
「ヴァンパイヤ・ナイト、加藤がゴチャゴチャ言ってきたけど、如月くんに止められてたから、私は行かなかったんだ…。お蔭で、私だけ助かったの」
「ある意味、憂が黒蝶を連れて参戦しなかったのは利口だよ。で、憂は…、心臓の病気のこと、何か言ってなかった?」
ジークはディーヴァを諦め、歩き去る彼女の背中に問い掛けた。
「外国で心臓移植の手術したって聞いてるよ。如月くんは修学旅行の途中で、体調崩して帰ったよ」
ディーヴァは振り向かずに答え、駅に向かって歩いていった。
「外国で心臓移植……したわけだ……」
ジークが口の中で、ぼそぼそと呟いた。
4
乱暴なノックだった。
愛理がドアを開けると、ジークが飛びこんできた。
「ちょっと!! ジーク、何日も電話に出ないで、どこ行ってたの!?」
愛理が言うのを無視して、ジークが黒瀧の前に立った。
黒瀧はソファーに座っていた。
「ジイサン、ケイシーはどこに居るんだ?」
ジークの眸が吊り上り、白光りしていた。
「どうした? ジーク」
「敵が欲しいんだ。今すぐ、誰かを倒したい」
ジークが狼の唸るような低音で喋った。
「だから、どうした? ジーク」
黒瀧が質問を繰り返した。
「俺は今、どこにもやり場のねー怒りで満タンなんだよ」
ジークが唸り、長い牙を出した。
「自分を殺したいか。…哀れな」
黒瀧は指輪を二つ嵌めた手を組み合わせ、正面からジークを見た。
「ジーク、私はケイシーを倒せとは言ってない。君はまだ、力量不足だからね。私は君の力を、ほんの少し借りたいだけだ。君に死んでほしいとは、夢にも思ってないんだよ。やれやれ」
ジークは殆ど聞いてなかった。
「思い出すよ、ジイサン。あの街で…、ルビーを失った直後に再会したケイシーのことを…」
彼はぶるぶる震えた。
ジークの脳裏に、覚醒したケイシーの幻が蘇る。
あの日の恐怖と絶望。
彼の喉がカラカラになる。
「ジイサン。あいつは…狂ってる…。あんたら親子が、あんな化け物を作った…」
ジークが黒瀧を睨む。
「そう。そして、失敗だった」
黒瀧は残念そうに溜息をついた。
「ジーク。ケイシーは異界にいる。異界の入口は、紙袋に入れて、圭太に渡した」
黒瀧が話した途端、ジークは、
「圭太が入口のファスナーを開くんだな?」
と、ホテルの部屋を飛び出した。
「ジーク!! 警察が街にいっぱいいるから!! 夜間出歩いたら、職務質問されるよ!!」
愛理が廊下まで追いかけ、大声で叫んだ。
「職務質問で死なねーだろ。警官なんか、怖くねーだろ!」
ジークはヤケクソで怒鳴り返した。
ジークはホテルを出て、都内のアジトへ。
朔夜の部屋で、圭太が待っていた。
夜景の見える部屋の窓を背に、彼はデスクに座っていた。
「圭太。どこでもドアを持ってるんだって!?」
ジークが尋ねた。
圭太はデスクの上の紙袋を開き、二枚一組の円盤を取り出した。
「ジーク。俺の新しい呪術の祭器、試してみる!? お初だよ」
圭太が緑青色に錆びた銅の円盤を、両手に一枚ずつ掲げた。
「おまえの才能を信じてるよ。圭太、ケイシーのところに連れてってくれ…」
ジークはギターケースから黒飛龍剣を取り出し、準備を整えた。
朔夜とナオが顔を見合わせた。
彼等は引き止めようとはしない。
「ジーク、行くのか? おまえ、ケイシーを覚醒させるなよ…。確実に勝ち目ないんだからな」
と、朔夜がジークに警告した。
「俺も面倒臭くなったら、途中で帰るかも知れないよ?」
裏切りの圭太が、穏やかでない予告をした。
ジークは唾を飲み、覚悟を決めた。




