ph 58 一族の後継者
phase 58 一族の後継者
1
深由はサリムの車を降り、手を振った。
「お休みなさいー」
「お休み、深由ちゃん」
ベロニカとハグしている間に、深由のスマホが着信を知らせた。
「あっ、ママだ。ママ、どうしたのー?」
深由が電話に慌てながら、ベロニカ達と別れ、アパートの玄関に入って行く。
サリムの車が発進し、ヘッドライトが遠ざかる。
玄関ドアを閉め、内側に深由がへたり込んだ。
「ジークさん…」
電話から、本当はジークの声がしていた。
「深由ちゃん。今、病院に来てるんだけど。もう面会時間を過ぎてるけど、こそっと三浦先生の顔を見てこうと思ったんだ。…病室、変わった?」
深由は深呼吸した。
「…うん。おじいちゃんは今、二階の集中治療室にいるの。…意識がなくなって……」
「そうなの? わかった。二階だね?」
ジークが電話を切ろうとする。
「あ、待って下さい。ナースステーションの隣りの部屋で、壁にガラス窓があるの。ジークさん、看護師さんに見つかっちゃうよ」
「あ、そんなの大丈夫。俺、吸血鬼だから。どうにでもなる」
ジークが余裕で言う。
「それがヤバいんですー」
深由は泣きそうになった。
「ジークさん、少し待ってて。すぐ行くから」
彼女は急いで、アパートから出た。
その深由の後ろ姿を追い、一台のワゴン車がゆっくり走り出した。
七人ぐらい、若い男達が乗っていた。
2
深由が集中治療室に着いた時、ジークは堂々、三浦の枕元に立っていた。
深由が息を切らしながら、横に並んだ。
「ジークさん…」
看護師はジークに気付かないように、忙しそうに動き回っている。
午後八時過ぎ。
窓の外は暗く、カーテンが半分閉まっている。
ジークは無言で、三浦を見詰めていた。
三浦は何日も意識がない。
点滴だけでは体内の水分が足りず、瞼を閉じることが出来なくなった。
開きっ放しの眸の上に、湿った小さなガーゼが載せられていて、痛々しかった。
口には管が射し込まれ、そこから肺に無理やり酸素が送り込まれている。
管はテープで固定され、ヨダレが口の端から垂れ続けていた。
肺も心臓も強制的に動かしている。
自力で動いてはいなかった。
死ぬのを待つだけの、回復の見込みのない状態が続く。
「延命治療はやめてほしいと、本人の希望を伝えたんです」
深由は涙ぐみ、祖父のヨダレをタオルで拭いてやった。
「でもね、病院としては、やらざるを得ないって。心臓が弱ってきたら点滴を増やし、熱が出たら点滴を増やし、呼吸が弱ってきたら酸素量を増やし、無理やりずっと生かし続けてる。血圧が低下したら、足の下に大きな枕を入れて。もう永久に、何も食べられないのに。自分で水も飲めないのに。これから、心臓が止まるまで、何ヶ月でもこんな状態で生き続けることを、本人は望んじゃいないのに…」
深由はぽろぽろ涙を落とした。
彼女は、三浦の痩せ細って骨と皮になった手を握り締めた。
「おじいちゃんに死んでほしくないから、ジークさんに、おじいちゃんに吸血鬼の血を分けてあげてほしいと何度も思った。でも、おじいちゃんの意識がなくなる前、苦しんでるとこを見て…。こんなに苦しいなら、早く死なせてあげたいと思った……」
「深由ちゃん…」
ジークはうまく励ませず、三浦の土色の顔を見た。
点滴の種類、血圧と心拍数の表示されたモニターを見て、元内科医のジークには全部わかった。
三浦の布団の腰より下には、湯たんぽが入っている。
脚が冷えだしたら、もう持たない。
深由は声を押し殺し、我慢した。
でも、涙は溢れてきた。
「神様。おじいちゃんが早く楽になりますように。私の大好きな、尊敬するおじいちゃんが、早く苦しみのない世界に逝きますように…」
ジークは三浦に、心の中で別れを告げた。
二人が病室を出た。
深由は涙を拭い、
「ジークさん、私、もう吸血鬼になりたいとか、バカなこと言うのやめた。私は弱いけど、目の前の現実と向かい合ってく。学校でのことも、友達のことも、自分の力で頑張ってみる。おじいちゃんを好きだから、おじいちゃんをがっかりさせないように…」
と、精一杯の気持ちを伝えた。
「ん、そうだな…。深由ちゃんがちゃんと幸せ見つけたら、三浦先生も喜ぶよ」
ジークは深由の華奢な肩を抱き、支えるように歩いた。
二人はそのまま、歩いて三浦の家へ行った。
「ジークさん、お腹空いてない? 血は要る?」
「深由ちゃん、自分から言わなくていいよ。献血ばっかりしなくていいんだよ。ちゃんと食事してきたから」
ジークは薄暗い和室に、自分の寝る為の布団を敷いた。
「愛理さんは?」
「あいつは朔夜の看護だって。今夜は帰って来ないよ」
口に出してから、ジークは何となく失敗したと思った。
深由はアパートに戻る気を失くしたようだった。
「ジークさん、ヨッシーさんを殺そうとした? ヨッシーさん、怒ってたよ。飲み屋通りで、ベロニカさんや怖い人達や、地元のやんちゃ仲間と自警団作ってたよ」
深由が敷布団の端に座り、膝を抱え込んだ。
「俺じゃねーんだよな。たぶん、同じ顔してた鵜野影馬っつー悪霊なんだ」
ジークは手持無沙汰で、タバコと灰皿を取った。
「ジークさん。ネットに吸血鬼の時の映像出たらしいよ。気を付けて。ジークさんの怖い顔、インパクトあるから」
「怖い顔とか言うなよー」
「あはは…」
やっと深由に笑顔が戻り、ジークはホッとした。
深夜、深由が話し疲れて、ジークの肩に凭れてきた。
彼女が崩れて来て、ジークが胸で受け止める体勢になった。
彼女はすやすやと眠っている。
「朔夜だったら、こういう時、食っちゃうんだろうな…。てか、普通、そうかもな。相手の気持ち、知ってるんだもん……」
ジークが呟いた。
彼は姿勢を変えず、深由を抱き留めている。
「俺、何やってんだ…? バカじゃねぇ?」
深由のシャンプーの香りがした。
さらさらの長い黒髪が、ジークの指先に触れている。
路肩に停車して、エンジンがかかったままのワゴン車。
ウインドーから男達が、三浦邸の門を眺めている。
「ユウキ、行くか?」
運転席の男が、助手席の男に聞いた。
助手席の男が、先刻、深由とベイカフェで喋った男。
ヨッシーの友達だ。
「んああ。もうビンゴー。俺達、ヤバくね?」
ユウキが親指を立てた。
「吸血鬼退治は昼間やろう。十時頃、集合でオッケ?」
「武器持ってきて、人数も連れて来る? 警察には連絡しないよな?」
仲間がはしゃいだ。
「んああ。俺達だけでやろう。ナイフでも、鉄パイプでも、好きなだけ持ってこいよ」
「動画撮ろう、投稿する用のー」
話が盛り上がってきた。
3
翌朝、深由が目を覚ましたら、ジークは和室にいなかった。
深由は一人で布団で寝ていた。
彼女は障子を開け、広縁に出て、雨戸を開けた。
眩しい朝日が射し込んできた。
「朝日を浴びちゃいけないはずなのに、どこに行ったんだろ? ジークさん…」
深由が欠伸をした。
玄関の戸が、乱暴に開く音が聞こえた。
「用心悪いねぇー。玄関の鍵、開けたままじゃん。さぁー、みんなの自警団が見回りに来ましたよー」
ドカドカと土足で、男達が上がり込んできた。
「だ、誰!?」
深由がびっくりして、問い質す。
ぱっと襖が両側に開き、昨日の男達が深由の前に並ぶ。
「今頃、お目覚め? 吸血鬼と愛し合ってた? それとも、おまえも吸血鬼か!!」
ユウキが鉄パイプで、布団の膨らみを思いきり叩いた。
深由が寝ていた時の布団の膨らみが、叩き潰された。
「おい、吸血鬼はどこ行ったんだよっ!?」
「あ…」
深由は怯えて、口も聞けない。
男達はジークを探し、広い邸宅の中を走り回る。
深由はその隙に逃げようとした。
ユウキが気付き、深由の長い髪を掴んだ。
「吸血鬼がどこ行ったか、教えろよ!! ああ!? 電話しろよ、このクソ女ー!!」
深由が悲鳴を上げた。
前から、サバイバルナイフを手にした男が来た。
「おまえも吸血鬼なんだろ!? 俺達の話を聞きに来たスパイ!? 変な力を見せてみろよ。これで、化けの皮を剥いでやるか…」
ナイフが、深由の顔に迫る。
ユウキの仲間が、動画を撮る為にスマホを掲げた。
4
黒瀧秀郷博士が日本に帰ってきた。
黒瀧の一族の長。
海外の病院で、息子の黒瀧教授と、吸血鬼の遺伝子の研究をしている。
A市のアジトは殆ど失われたので、朔夜は別の場所で黒瀧を迎えた。
黒瀧は立派な顎髭を生やし、気障なぐらいスタイルの決まったスーツ姿で、都内のホテルのロビーに入ってきた。
SPみたいな黒服の男達を八人も連れていて、とても目立った。
まだ深由が自警団に襲われる半日前。
黒瀧は午後十時にチェックインして、最上階のスィートルームに上がった。
大理石の床に、豪華でどっしりとした欧州製インテリアの、広々とした空間。
「黒瀧さん…」
夜景を見渡す大きな窓のガラスに、朔夜が映って、黒瀧が振り返った。
朔夜がナオと圭太、愛理を連れ、入ってくる。
「ああ、新月、直実、徳阿弥。みんな、ご苦労だった。…愛理」
黒瀧は朔夜達を古い名で呼んだ後、すぐ孫と向かい合う。
「おじいちゃんー!!」
愛理が黒瀧に飛びつき、黒瀧も杖をソファの背にもたせ掛けて、孫を抱き締めた。
「愛理ー、元気だったかい? 誰にも意地悪されてないだろうね? ちゃんとご飯は食べてるね?」
黒瀧は、この最年少の孫にはメロメロだ。
渋かった表情が突然、普通のおじいちゃんの顔になる。
「うん、いっぱい食べてる。心配しないでー」
「この間、酷い目に遭ったんだって? クレーンから海に落とされたっていうのは、本当か?」
「大丈夫。遅かったけど、ジークが助けに来たから」
愛理が黒瀧と腕を組み、ソファーに座った。
「そうか。で、ジークは?」
黒瀧が、突っ立ったままの朔夜に聞いた。
「さっき電話したんで、間もなく来ると思います。あいつだけ、A市に帰ってたんですが」
朔夜は落ち着いて答えた。
「突然でしたね。いらっしゃるとは聞いてましたけど」
圭太が腰に手を当て、偉そうに言った。
「大型客船で世界を回って来たからね。お土産があるよ、徳阿弥」
黒瀧がスーツケースを、愛理に開けさせた。
彼は紙袋を一つ取り出し、圭太に与えた。
「黒飛龍剣はジークに持たしておきなさい。徳阿弥には、これをやろう」
圭太はにやにや笑い、
「黒瀧さんには見えてたんですね。俺が黒飛龍剣で封じられてた力を解放したこと」
と、言った。
「そうだよ。徳阿弥、おまえは今後、それを使え」
「ありがとうございます。いただきます」
圭太は恭しく、紙袋を受け取った。
朔夜は不満を口にした。
「俺達、黒飛龍剣を黒瀧さんにお返ししようと思ってたんです。ジークみたいなのに持たせて、どうなさるおつもりですか?」
黒瀧は含み笑いして、朔夜に答えた。
「新月…。修業が足りないぞ。私はおまえに一族を継がせようと思ってるのに、なんてザマだ? ジークなんて若いのは気にするな。嫉妬でもないだろう?」
朔夜は一瞬、顔を赤くした。
「嫉妬なんて。なんであんな半端なヤツに。…確かに、修行が足りないようで、お恥ずかしいです。でも、後継者には無敵の弥一郎さんがいらっしゃいますからね」
朔夜は黒滝教授の名を挙げた。
「弥一郎には継がせない。おまえに長を譲って、私はそろそろ引退したい。新月はもっとしっかり、自我を維持してもらえないかな…」
黒瀧が意外なことを言った。
「はっ? なんで俺ですか!? 弥一郎さんと何かあったんですか!?」
朔夜と黒瀧が目を合わせた。
愛理も不思議そうに、祖父を見た。
「…ケイシーだ。前に話しただろう。弥一郎は実験で、特Aランクの吸血鬼を作り出すのに成功した。だが、そいつはコントロール不能で、病院と街を破壊し、暴走して逃げた。ジークもよく知る相手だ…。今、弥一郎が私に秘密で、そいつを管理している……」
黒瀧の表情が険しくなった。
「…てことは…、裏切り?」
裏切り好きな圭太が、禁忌を口にした。
「新月。…ジークが揃ってから、詳しく話す」
黒瀧は話をストップした。
「ケイシーの話を、ジークの前でするのは避けた方がいいんじゃ…?」
朔夜が気遣った。
「ケイシーとジークって、何があったんですか?」
ナオが小声で朔夜に聞いた。
朔夜は黙っていた。
「…新月。自我の維持が苦しいなら、支えくれる相手をいい加減、見つけたらどうなんだ? いい嫁を世話してやるぞ。な、愛理?」
黒瀧が朔夜と愛理を冷やかした。
「お、おじいちゃん!! 何を言ってるんだよ? 私はちゃんと、運命の人を自分で探すからね!!」
愛理が真っ赤になって、祖父に詰め寄った。
黒瀧は大笑いした。
「黒瀧サンも、先代の娘を妻にした。…後継者の話、マジかな?」
ナオが朔夜に囁いた。
「俺は…長に相応しくない」
朔夜は頑固に言い張った。
5
深夜二時。
「おっとぉー、失礼しまーす!」
ノックもなしに、ジークが勢いよく入ってきた。
「…ジーク。久し振りだね」
黒瀧が両手を広げ、ソファーから立ち上がった。
「クソジジィー!! こいつを返すぞ。受け取れぇー!!」
ジークが投げ槍のように、黒飛龍剣を投げた。
黒飛龍剣が黒瀧の肩を掠め、壁に突き立つ。
「ジーク!! 何をやってるんだ!?」
朔夜が叫び、同時にナオがジークを取り押さえた。
ジークはナオの古武術に勝てず、右手を背中に回された。
「ジーク。あんたって、史上最大のバカ…」
愛理が眉をしかめ、圭太は面白がって笑う。
黒瀧も笑い出した。
「ジーク。君は元気そうだな。君は闇に染まらない。精神力が強いからな。その分、吸血鬼としては弱いけれど…」
ジークは押さえられ、背後からナオに口を塞がれ、抵抗した。
「ぐはっ…、ジイサン…、俺は…あんたの思い通りにはならねぇ!!」
彼は暴れて叫んだ。
「ジーク…。まだまだ私の手の内だと知るがいい。君は黒飛龍剣を使い、覚醒して、もっと経験を積みなさい。その程度で、大祐に勝てるわけないんだからね」
黒瀧が大祐の名を出し、ジークの神経を逆撫でした。
「ぐうっ!!」
ジークが暴れ出すのを、ナオが強く締め上げる。
「ジイサン。黒蝶が世間をお騒がせして、慌てて帰って来たんだろ? 一応、不老不死研究のラボは壊滅状態になったけどな。如月ルビーの弟の憂が、まだ黒蝶をたっぷり飼ってんのさ!」
ジークがナオの手を抜け、黒瀧の前に走り出た。
「私は新月のパフォーマンスに満足している。そんな心配はしてないよ」
黒瀧は葉巻を取り出し、煙をくゆらせた。
「へ…? じゃ、何しに帰って来たんだ? 単に孫に会いたかっただけとか、言うなよ」
「それは大いにある。…それと、もう一つ」
黒瀧がジークの顔に、煙を吹きつけた。
「ジーク。もう一度、ケイシーと会ってくれ。あいつと会話が出来るのは、君ぐらいなんだ」
黒瀧が言った瞬間、ジークの心臓が、高圧の電気に感電したみたいにドンと痛みを感じた。
「ケ…ケイシー…だって!?」
ジークの全身の毛穴から、汗が吹き出した。
「嫌かね?」
黒瀧が言う。
「あ…あいつ、どこにいるんだよ? もう日本に来てるのか?」
ジークは混乱し、焦りまくった。
黒瀧は異次元を見るように、視線を宙にやった。
「彼は…異界で眠っている。海外だとは思わないでくれ。異界からなら、どこへでも繋がる。彼は物質世界の法則を超えて来るだろう」
ジークは唇を噛み、じっと黒瀧を睨む。
「…俺を利用出来るなんて思うなよ…」
ジークが出口へ歩いていく。
黒瀧は朗らかに笑い、
「利用だって? 君は誰の世話になってるんだ? そろそろ、家賃分の働きをしたらどうかね?」
と、葉巻でジークを指した。
6
午前十時過ぎ。
三浦邸の八畳の和室。
深由は頭を庇った腕に強い痛みを感じ、床に蹲った。
ユウキの鉄パイプが彼女を襲った。
「私は吸血鬼じゃない!! 私は人間です!!」
深由が大声で叫んだ。
「殺されそうになったら、正体現わすんだろー。早く変身しろよー。俺、変身するとこ見てぇー」
ユウキが残忍な笑みで、鉄パイプを振り上げる。
「私は…人間です…!!」
深由は恐怖で泣きながら、絶叫した。




