ph 57 悪魔の子
phase 57 悪魔の子
1
愛理はドアにびったり張り付き、息を殺した。
悪霊がにじり寄って来る。
「こっちに来るなー。あっち行けー」
心の中で願う。
悪霊は眼がよく見えないみたいに、愛理を探し回った。
長く孤独だったが、愛理の気配を嗅ぎつけて興奮している。
カタチを失い、悪霊がズルズルとナメクジのように這う。
「助けて。誰か…、おじいちゃん、…朔夜、…ジーク…」
愛理は心の中で、呪文みたいに繰り返す。
彼女はドアの鍵を壊そうとした。
この寺院全体が結界のように、愛理は力を発揮出来なかった。
「フヒハハハ…」
悪霊が嘲り笑った。
愛理がドアに体当たりした。
悪霊が愛理に覆い被さり、ドロドロと内側へ流れ込んできた。
液体のように、悪霊が愛理と混ざり合った。
2
愛理は古代都市にいた。
シルクロードのような景色だけれど、現代じゃない。
過去の時代のどこかの地域、愛理は誰かの記憶に迷い込んでいる。
古代文字が刻まれた神殿。
バベルの塔のように高い。
泉から、清らかな水がこんこんと湧き出す。
その水が細い水路を流れ、街の中央で十字に交差する。
石造りの美しい街、旗が掲げられ、馬に乗った旅人が行き交う。
愛理はいつの間にか、その時代の人物になっている。
黒い巻き髪が腰より下まで垂れ、異国の服を着ている。
背中には、黒い翼。
大きな翼に風切り羽が指のように開き、閉じているとマントのようでもある。
愛理は手に弓と矢を持ち、古代都市を囲む城壁に立つ。
自分は戦士だ、愛理はそういう自覚で矢をつがえ、地平線を眺めている。
愛理は胸が切なくなる。
この街はやがて、焼かれて滅びる。
大事な故郷が破壊され、家族を失うことを予感している。
愛理は破壊された街を、家族を探して駆け回る。
涙が溢れて、止まらなくなる。
瓦礫の下敷きになり、多くの人が死んでいる。
殺された無残な死体もある。
方々で火の手が上がっている。
愛理は憎しみで、気が狂いそうになる。
彼女はふらふらと焼け野原を出て行く。
「例え、鬼と呼ばれようと…。この怨みを晴らすまで、肉体が土に還っても、魂はこの世に留まるだろう。あいつらの子々孫々、果てなく祟り続けてやる……」
愛理は自我を乗っ取られ、悪霊と同化してしまった。
てっぺんを欠き、傾いた塔から煙が昇っていく。
その近くで、愛理が塔を見上げている。
巨大な黒い獣が、塔の屋根に片手を掛けて立っている。
獣は塔と、背の高さが同じぐらい。
長い尻尾が地面に届く。
獣の周囲には、多くの聴衆がいた。
みんな、我を忘れ、拳を突き上げている。
獣の王が、大地を震わすような低い声で言う。
「…我々は遥かな古より、この地を支配してきた…。我々は始め、美しい姿で生まれ、この世を遍く照らす黎明の光を見て起き、静けさと叡智を与える星々の光を見て寝た…」
「そうだ。かつて、我々は…この世界の真の支配者だった……」
3
ジークは黒飛龍剣に語りかけた。
「お願いだ。愛理がいる世界へ、俺を連れてってくれ!」
裂かれた世界の向こうから、光が漏れてきた。
彼は海底の渦巻く潮に飲み込まれ、異界へ流れ着いた。
ジークの体が半透明になり、ぼんやりと発光している。
「ここは…どこだよ!?」
彼は目が点になった。
全く見たことのない地域だ。
「過去の…幻影…か」
ジークは砂漠の中に、古い遺跡を発見した。
風化した古代文字の線刻、半壊した石柱が傾いている。
「ヒュー。象形文字ってやつ? 後で調べてみるか」
石柱の向こうに、黒い石造りの寺院がある。
「愛理ー!!」
彼の声が、轟轟と唸る突風に掻き消された。
砂が飛び、口の中がジャリジャリ言った。
「クソ、複数の邪悪な存在があそこに棲んでる。間違っても入りたくねー、リアル化け物屋敷だよ」
けれど、そこから愛理の気配も伝わって来た。
「仕方ねー。行くか…」
彼は腕をぶんぶん回し、薄気味悪い寺院へ、早足で歩いていった。
4
いつの間にか、愛理は追想から戻り、元の部屋にいた。
彼女は悪霊の涙を流し、復讐の思いに燃えていた。
「ウガァー!!」
彼女はドアに体当たりし、我を失った行動を繰り返した。
心が憎しみで壊れていく。
今は、ここから出て誰かを祟り殺すことしか、思いつかないのだ。
「グルルル…」
愛理は眼を吊り上げ、牙を剥いて、威嚇するヤマネコのように鳴いた。
魂が擦り減るほど、ドアに体当たりした。
ドアの鍵をガチャガチャ鳴らし、無理やり引きちぎろうとした。
すると、突如、ドアが火を噴いた。
愛理が後ろに吹き飛ばされた。
封印を黒飛龍剣でぶち壊し、ジークが入ってきた。
「愛理!! やっと見つけた!!」
ジークがほっとして、駆け寄った。
愛理はヤマネコのように、シャーッと啼いた。
ジークは愛理から零れ出す、黒い影を見た。
「愛理!? おまえ、誰に支配されてんだよ!?」
かなり昔の悪霊が、愛理の内側に入り込んでいる。
「おまえは誰だ!? 私を閉じ込めた祈祷師か!?」
悪霊が愛理の口を借り、しわがれた声で喋った。
「退けよ、悪霊!! 愛理を返せ!!」
ジークが黒飛龍剣の切っ先を、悪霊に向けた。
「あっ!!」
悪霊が驚きの声を上げた。
「それは…王の剣……。何故、おまえが所持しているんだ…!?」
悪霊が遠い記憶を一つ取り戻し、苦しそうに呻いた。
「王? 何を寝惚けてんだよ? これはなー、黒瀧の一族って奴等に伝わる、代々の長の剣だよ」
ジークは悪霊が黙り込んだところで、
「おまえを解放してやる。早く深淵にでも溶け込んで、新しく生まれ変わるんだな。怨みだけは、ここに置いて行けよ」
と、黒飛龍剣に悪霊を吸い込んだ。
「愛理、帰るぞー。よく頑張ったなー」
ジークは放心状態の愛理に近寄り、頭をポンポン叩いた。
「あ、そうそう。愛理、ゴメン。ここで悪いお知らせがあるんだよ。おまえの肉体は現在、海の中だ。俺達は溺れてる真っ最中。おまえ、パニクらねーで泳げるか!?」
愛理がぱっと顔を上げた。
「えっ、やだ。嘘でしょ? 何言ってんの? 私は泳げないって言ったでしょ!? 死んじゃうじゃない!! ジークのバカ!!」
「おまえなー。ここまで、どんだけ大変だったと思ってんだよ。一晩中、ぐっすり寝込みやがって。こんなとこでサボってんじゃねーよ。海の上は朝焼けだよ。拝みたいか?」
ジークがブチ切れた。
「マジで!? 私達、燃えちゃうじゃない。てか、溺れて死んじゃうじゃない。何やってんのー? 本当に頼りないんだから!! 朔夜はどこ? 彼は無事なんでしょーねー!?」
愛理はジークの活躍を知らない。
だから、迎えに来てくれた彼に、随分ひどい言い方をした。
「チッ、可愛くねーな! 俺より朔夜の心配かよ。俺も割と重傷なんだけどな!」
「助けに来るのが遅いって言ってるのー。私がここで長時間、どんなに恐ろしくて、悲しい思いをしたか。あんたにはわかんないよー」
愛理はわっと泣き出し、ジークをポカポカ殴った。
「俺だって、大変だったんだよ。必死のバトルの連続で…」
ジークはもごもごと言い訳した。
「あんたのスマホのゲームアプリの話なんか、聞きたくないー。あんたが腐乱して重傷になったって、ちょっと食事したら治るんだからー。朔夜はかなり危険な状態が続いてるから、覚醒させるわけに行かないし。私も頑張ってたんだからー。ヘルと二人っきりになったんだよ!!」
愛理は泣きじゃくって、鼻水を啜った。
「俺もマジで、ヘルと戦ってたし。朔夜は覚醒したし。おまえはずっと寝てたじゃん!! クレーンで吊られて…」
「私なんか、自力じゃ千年経っても出れないとこに監禁されてー。あんたが戦ってたとか言うのは、イベント会場で警備しながらでしょー? クレーンって、どこのUFOキャッチャーの話?」
愛理は吊られた記憶がない。
ジークはぷっと吹き出した。
「行くぞ。何を言っても、いったん海を通るからな…。覚悟しろよ」
ジークが愛理を引っ張った。
「ちょっと、待ってよ。私は朔夜が来るまで待ってる。あんたには、可愛い深由ちゃんがいるでしょー。可愛すぎて、勿体ないけど。私は後から戻るから、放っといてよー」
彼女は海を怖がって、身を硬くしている。
「そんなに海が怖ぇーのかよ? サメに噛まれでもしたか? 抱っこしてやるから、心配すんなよ」
「抱っこ! 何、ちょっと泳げるからってさー。その優越感に浸った態度。バカにすんなーってのー!」
愛理はジタバタして、逃げようとした。
「死なせねーから、信用しろよ。朔夜がお出迎えじゃなくて、悪かったな」
ジークは無理やり、愛理を抱きかかえた。
「ジーク!! 待って!! 海はイヤだー!!」
と、暴れる彼女を押さえつけ、異界から去った。
5
深由が不二富町の飲み屋通りを訪れた。
ベイカフェの入口から、数人のガラの悪い男達が出て来た。
深由は入れ違いに、店に入った。
「いらっしゃいま…、おう、深由ちゃん!!」
店長のヨッシーが、カウンターから笑顔を見せた。
カウンターの席には、ベロニカと彼氏のサリム、ベロニカの勤める通販会社の女社長ジャッキーが並んでいた。
奥のテーブル席に、ヨッシーの地元の仲間達が座っている。
「今の人達は…?」
愛理はベロニカの隣りに座った。
「あはは。ガラ悪くてビックリしたでしょ? 俺達ね、飲み屋通り自警団を結成したんすよ。やっちゃるぜー。久し振り、腕が鳴るぜー。客商売だし、やんちゃなことは卒業と思ってたけど、こうなりゃ、話は別でしょー」
ヨッシーが細い力こぶを見せた。
「商店街の自警団ですよ。どうぞ」
新しいバイトの大学生が、おしぼりと水とメニューを出した。
深由は適当に注文し、隣りのベロニカに、
「ベロニカさんも自警団に?」
と、聞いた。
「怖いしー、国に帰りたいー。でも、私もダーリンも仕事があるから、まだ日本にいます」
ベロニカが彼氏に甘えた。
ヨッシーは咳払いをして、真剣な表情になった。
「深由ちゃん…。ジークさんのことなんすけど…。あれからずっと、ジークさんは隣りのマンションに帰ってないらしくて…。たぶん、あの、例の……」
ヨッシーが唾を飲み込み、喉がゴクッと鳴った。
「ジークさんは……たぶん……ヴァンパイヤ……なんですよ……」
「そうなんですか?」
深由はあっさり受け止めた。
ジークが吸血鬼だと、誰にも話したことはない。
「ええーっ!! ここ、ビックリするとこでしょー!! 深由ちゃん、なんで驚かないんすかー!?」
ヨッシーがぶったまげた。
「そうですかね?」
「そうでしょー。普通、驚くでしょー!? 愛理ちゃんのことはわかんないけど、ジークさんはたぶん、ヴァンパイヤなんすよ。ヴァンパイヤ・ナイトの中継で、ジークさんが化け物みたいになって、殺し合いに混じってるとこが映ってたっすよ!」
ヨッシーが言う後ろで、クソ真面目なバイト・ジュンがボソッと、
「ま、あの映像はCGじゃないかって、ネットで揉めてますけどねぇー。主催者のIT企業の加藤って社長も、ヘリの事故で死んでるし。真相はわかりません」
と、呟いた。
「そんなことない。CGなら、ジークが映ってるわけないです。あの中継はホンモノです!!」
ベロニカの彼氏のサリムが言い、深由にカレーを勧めた。
「深由ちゃん、カレー食べる? 私の作ったカレー、美味しいですよ。辛くないですよ」
「また持ち込みですか。サリムさん。毎回ですね」
深由は微笑み、一口分カレーをもらい、ナンに付けた。
ヨッシーの同級生が、深由の隣りに来た。
「だからさー、吸血鬼、早く殺らなきゃ。あの吸血鬼全部殺らないと、俺達が殺られるんじゃね? 吸血鬼殺すのって、蚊を殺すのと一緒じゃん。殺し放題。人間じゃねーから、いくら殺したって法に触れねーし」
「そうだ、そうだぁー」
奥から、彼の仲間が賑やかに騒ぎ、相槌を打った。
「殺すって、ジークさんを殺すんですか?」
深由が慌てた。
聞かれたベロニカは、残念そうにカウンターに突っ伏した。
「ジークがヴァンパイヤなんて、がっかりだわー。私、彼のこと、大好きだったー。いい人だと思ってたわー」
それで、ヨッシーが目に涙を溜め、
「ベロニカさん、俺の方がよっぽどショックだったっすよ!! 俺は半年ちょっとの短い間でしたけど、ジークさんと本当に心の通う…、お客としてじゃなくて、友達と思って…つきあってましたから…」
と、言葉に詰まり、拳を握り締めた。
「俺は…ジークさんを丸ごと信じてたんです。なのに、まさか、あんな…。深由ちゃんは信じないかも知れないけど、…俺はジークさんに…殺されかけたんすよ…!」
ヨッシーはカウンターの内側に崩れ、深由から見えなくなった。
ヨッシーはしゃがみ、背を丸めていた。
斜めに被ったキャップがずれ、死角になって、彼の顔は誰からも見えない。
「ヨッシー。おまえの仇は取ってやるよー。そのジークってヤツを殺して、皮剥いて、バラバラにしてやるよー。すげー面白そう。あいつら、昼間は寝てるんだろ? 見つけてボコボコにしてやろーぜ」
ヨッシーの友達がカウンターを覗き込む。
「私は殺すとか、殺されるとか、そんな話は苦手なんですけど…」
深由は困惑した。
大変なことになってきた。
「深由ちゃんはジークさんに惚れてるからなー。あーあ…」
ヨッシーは蹲ったまま、舌打ちした。
「深由さん、そいつの連絡先とか、知ってます? 居そうな場所とかー。ちょっと、呼び出してくんねーかなぁー」
ヨッシーの友達が、深由の顔に顔を寄せ、眸を覗き込んできた。
「え…。私、最近、ジークさんと会ってないんで…」
深由が変に狼狽え、ヨッシーの友達には怪しく思えた。
「そう? じゃ、ジークの電話番号だけでも教えて下さいよー」
「そんな…。別にジークさんとつきあってたわけじゃないし…、何も知らないんだけど…」
深由はアイスティーを飲み終え、財布を取り出した。
彼女の手が、微かに震えている。
ヨッシーの友達は深由が会計を払い終えるまで、目を離さなかった。
「送りますよ、深由ちゃん」
サリムとベロニカが席を立った。
「ありがと。じゃ、ヨッシーさん、また来ます…。もしジークさんに会ったら、ヨッシーさんに連絡するように言いますね。会えるかどうか、わかんないけど」
深由は急いで鞄を持ち、カウンターの中に言った。
ヨッシーはしゃがんだまま、手だけ持ち上げてバイバイした。
「一度、話し合ってみて下さい。きっと、何か誤解だと思う。ジークさんがヨッシーさんを、殺そうとするわけがないもん。私も、ジークさんは本当にいい人だと思ってます。ちょっと、バカがつくぐらいのお人好しって言うか…」
深由が言うと、ベロニカも辛そうに目を伏せた。
「深由ちゃんは…映像見てないから、そんなこと言うの」
ベロニカがヨッシーを庇う。
「深由ちゃん、ジークと会っちゃ、ダメ。血を吸われるから。彼はもう、悪魔の子です。絶対に喋っちゃダメね。わかる? あなたの為よー」
ベロニカはそっと、そして力強く、深由を抱き締めた。
「ベロニカさん…」
「みんな、悲しいの。みんな、本当にジークの友達だった。裏切られた気持ち。騙された。えー、嘘、ひどいー、そういう気持ちよ。彼を捕まえるとか、殺すとか、そんなことしたくないよ。でも、事実は事実。彼は悪魔の子ね。神様が作った生き物じゃないのね」
ベロニカは魔除けに、十字を切った。
「…わかった」
深由も涙を浮かべ、ベロニカの言葉に頷いた。
深由とベロニカ達が店を出たら、ヨッシーの友達がカウンターを振り返った。
「なぁ、ヨッシー。あの子、尾行てもいい?」
ヨッシーは立ち上がらずに、返事を寄越した。
「好きにしろよ…」
「お会計します?」
バイトのジュンがヨッシーの友達に尋ねた。
「ヨッシー、ツケといて。後で払う。今すぐ、行くわ!」
彼は上着を取り、火のついたタバコを灰皿に置いて、仲間と走って店を出た。
彼の仲間は、野球部でもないのにバットのケースを持っている。
「いいんですかー、店長!? マジで殺気立ってましたけど」
ジュンがヨッシーに言う。
「もう知らねぇ…。ジークさんなんて、もう…」
ヨッシーはパーカーのフードをキャップの上に被り、自分の世界に引き籠るように、目と耳を塞いだ。




