ph 52 サバト(魔宴)
phase 52 サバト(魔宴)
1
突然、ヘルの姿が黒い平面になり、ぎゅっと捻じれた。
あっと思った時には、ヘルの姿が消滅していた。
「ええっ!? どーゆー消え方だよ!? ヘルー?」
ジークがヘルの消えた床を撫でた。
熱も欠片も残さずに、ヘルは別の次元へ移動してしまった。
ジークは加藤を探した。
加藤の歌は聞こえている。
けれど、マイクを持つ彼の姿は、踊り狂う客に紛れている。
「どこを見てるんだー? そんなとこに俺はいないー。俺は人の先を行く…」
加藤の怒鳴るような歌声が、ジークへの返事にも取れる。
「食らえ、食らえ。隣りのヤツをー。首を食い破り、血を啜れー。誰彼構わず。今宵集結したヤツ全てが、ヴァンパイヤとなれ…!!」
加藤が叫び、エコーで響く。
「最後まで生き残った者は、塔のてっぺんまで来いよ。俺が相手してやるからな…」
加藤が絶叫し、ギターが最高潮に唸り出す。
ジークは階段から、ホールへ飛び込んだ。
音楽と客が一体になって、うねっている。
密集する人の波を泳ぎ、通勤ラッシュ酔いの気分になる。
「お兄さんも踊ろうよー。何やってんのー」
知らない一般人の手が絡んでくる。
「悪いー。今、取り込んでるんだー」
ジークは音楽に負けないように叫び返す。
「そうだ、先に蛹を…」
ジークは目を走らせ、蛹を探した。
金属のチューブと中世の城が入り混じり、途方もなく広かった。
ホールの出口を開けたら、果てしなく続く異世界があった。
歯車がぐるぐる回り、蒸気を吐き出す。
世界は白く霧がかかり、捻じれ、重力が混乱している。
建物の石壁が、鰐の背のようにボコボコしている。
そこから、灰色の金属チューブが蛇のように生え、世界を浸食していく。
「朔夜は…愛理は…みんな、どこに行ったんだ? 愛理、俺の声が聞こえねーのかよ?」
ジークは立ち尽くした。
2
いつの間にか、ステージには別のアーティストが登場している。
人間と言うより、妖怪と呼んだ方が相応しい生物が、楽器を持ってステージを歩き回っている。
踊っている方も、どんどん奇怪な姿へ変化していく。
いくつもの獣が混じり合った頭部がある。
二つの顔を、顔の左右に生やした男がいる。
ヤギの角を生やした男が、獣の声で啼く。
遂に、ヴァンパイヤの宴が始まった。
客の中に紛れていた吸血鬼が、本性を曝け出した。
「血だ!! 今夜は自由に自分を解き放て!! 吸血鬼の為の夜だ!!」
捕食者達が、踊っている一般客に襲いかかった。
客は陶酔し過ぎて、自分が食われていることに気付かない。
「大変だ…。思ってたより、数が多過ぎる。どうやって止めたらいい!?」
ジークが慌てて、止めに入ろうとした。
揉み合う人混みの中で、血祭りにされる人間のカラダが見える。
断末魔の絶叫の代わりに音楽が激しくなり、バラバラになった手足が、ぶちまけられた腸が、辺りに飛ぶ。
血飛沫が飛び散る中、やっと正気に返った何十人かが、逃げ場を求めて出口に殺到した。
ジークは殺戮の現場に近付けず、人の波に押し出されていく。
「加藤、塔のてっぺんだって? 悪党らしいとこで待ってるじゃねーか」
彼はホールの出口を走り出た。
外の景色が、先刻と違っている。
城の階段がどこにあるか、わからない。
ジークは中庭に面した回廊に飛び出した。
夜の中庭では、風に梢が揺れ、葉が散っていた。
臨海都市の夜景はなかった。
城塞に囲まれ、中庭の両側に悪魔の彫像があった。
ジークは回廊の柱の影に、女の子の脚を見た。
蝙蝠の羽根をもぎ取られ、女の子は半裸の死体と変わり果てていた。
血を失い、唇が紫色になっている。
女の子の側には、夜行性の眸を光らせる、一匹の吸血鬼。
黒いタキシードに身を包む。
そいつはうまそうに、口の周りに付いた血を、長い舌で舐め回している。
吸血鬼は目が合うと、
「君もそろそろ、狩りをしたら? お互い様だよね。今夜は好きなだけ暴れても、全部黒蝶のせいになる。あいつらが責任取ってくれるから、僕らも友好的に行こうよ」
と、勝手な提案を持ちかけてきた。
ジークは体力を温存したかった。
だから、無用な戦いは避けようと決めた。
「そうだな。お互い、楽しもう。けど、次会った時は、話は別だ」
彼はその場を通り過ぎた。
次の瞬間、その吸血鬼がジークの背中に飛び付いて来た。
ジークは食いつかれる寸前に、そいつを後方へ蹴り飛ばした。
「何するんだよ!?」
そいつは平然と身を起こし、
「なんてね。冗談だよ。君、腐ってきてんじゃん。弱ってるヤツがいたら、今のうちにぶち倒しておきたいもんでしょー?」
と笑いながら、腰を落とし、姿勢を低く構えた。
異種が牙を剥いた。
獰猛な虎のような牙を。
「夜中の三時まで、こんな感じで乱闘か? 朔夜?」
ジークは心の内で、朔夜に呼びかけた。
相手は覚醒し、骨をミシミシ鳴らして体格を変えた。
しなやかな筋肉で細く引き締まり、額から二本の角を生やす。
眸が金色の、般若の能面みたいな顔になる。
ジークは覚醒する力も残り少なく、ヒト形のままだ。
彼は説得を試みた。
「もうすぐ、三匹の黒蝶が生まれるんだぞ。世間をお騒がせの黒蝶だよ。一緒に黒蝶を殺らねーか? 黒蝶の数が増え過ぎたら、あいつらに王国築かれるぞ」
「卵で増えるようなヤツは、吸血鬼とは言えないでしょ。吸血鬼とは、闇の血の契約書に書かれた通りに、血を繋いで増えるものだ。卵で増えるヤツは一過性の存在だね。百年もすれば、勝手に滅びるんじゃないの?」
相手がくぐもった声で応え、覚醒してないジークの倍の速度で襲いかかってきた。
その拳をぎりぎりで躱しながら、
「そんなに簡単に滅びてくれるかな。…てか、…黒蝶にのさばられて、おまえらは平気か?」
と、ジークが聞いた。
「どうだっていい。それより、君はどこの一族なの?」
相手はジークの拳を軽く受け止め、捕まえた。
ジークはきょろきょろ、周囲を見回した。
「黒瀧の一族って、知ってるか?」
「ああ、龍神族の?」
男が即答した。
「へぇー!? 黒瀧かー。同族以外は皆殺しにする、あの黒瀧ね?」
男の顔色が変わった。
「また新種を絶滅させに、黒瀧の兵隊が来たわけだ…。僕も黒瀧の長には、深い怨みがあるんだけど…」
「くそー。黒瀧のジイサン、すげー評判悪いじゃねーか…」
ジークは愚痴を垂れた。
「ね。黒瀧って、寿命の長いヤツは千年生きるんでしょー?」
鬼がジークに寄ってきた。
「は? 聞いたことねーよ」
ジークは一歩下がった。
「今、黒瀧って言ったのか?」
回廊の向こうから、新たな吸血鬼が湧いた。
首から肩にかけ、筋肉が岩のように盛り上がり、上腕ときたら、ウエストほども太さがある。
そして、指をポキポキ鳴らしながら歩いて来る。
「夜叉族のレイさん。俺の両親は、黒瀧の一族に殺されたんだ。ちょっと、相手変わってくれよ」
筋肉岩男が黒タキシードの鬼に頼んだ。
「バカ言わないでくれ。僕が見つけた、僕の獲物だよ」
黒タキシードが即座に断った。
「いいじゃないか。早いもの勝ちだろ? 俺達の掟だ」
また別の吸血鬼が、ヴォールト天井から逆さに落ちてきた。
小柄な男で、敏捷に回廊をバク転で跳ねる。
「おい、相手が違うんじゃねーか? おまえら、このイベントに何しに集まったんだよ?」
ジークは気圧され、数歩下がった。
「血を求めて来たんだよ。おまえを儀式の生贄にしてやるよ…」
三つの影がジークに迫った。
「シャーッ…!!」
一斉に、吸血鬼の群れがジークに飛びかかった。
3
ジークが天井に跳んだ。
数匹の吸血鬼が、天井目がけて襲いかかった。
「ひゃー」
三方向から攻撃が来る。
ジークが悲鳴を上げ、壁をジグザグに走った。
三つの影のうち、一つの影がやたら細長く伸びた。
平面的な影が変形し、ゴムが伸びるように数メートルも伸びた。
正体不明の攻撃に、壁の一部が破裂する。
弾けた壁から、金属製のチューブが生き物のように数本生えて揺らめき、ジークの脚に絡み付いた。
ジークは海藻に足を取られたダイバーのように、宙でもがいた。
衝撃が壁に打ち込まれ、金属チューブが切断される。
その衝撃は、ジークの脚を切断せずに、わざと、絡まった金属チューブだけを切断した。
ジークは冷や汗をかいて、逃げた。
彼の身にも、衝撃が走る。
目に見えない猛烈な速度で攻撃が続き、ジークの足元が狙われ、大きな力が壁で炸裂する。
壁は穴だらけになった。
ジークは慌てて、アトリウムの吹き抜けを跳び上がる。
ジークの瞬発力を凌ぎ、矢のように翔け、影が一つ、執拗に追ってくる。
ジークに最初に追いついたのは、黒タキシードの鬼だった。
鬼のカタチは自由自在に変形し、伸縮した。
高速で、ジークと鬼がぶつかった。
ジークが失速し、墜落する。
彼は、自分のカラダの上に飛び降りてきた鬼を見た。
ヒョウのように柔らかい動きで力強く、強靭なバネがあり、その拳には圧倒的な破壊力がある。
素手で金属を微塵に砕き、鉄を引き裂く。
額の角は、そいつの本性の悪魔性を示す変貌だ。
「怨み、ここで晴らす…」
レイの靴底が、ジークの顔面を踏んだ。
ジークは起き上がれなかった。
「何だ、こいつ…」
金縛りに遭ったみたいに、体が痺れている。
ジークの身に異変が生じ、硬直して動かない。
「レイさん。みんなの獲物だぜ。独り占めしないでくれよー」
筋肉岩男がレイに文句を言いたてた。
「下がってろよ。君の相手は、後でしてあげる…」
「親の仇なんだよ、レイさん。譲ってくれよ…」
岩男がレイに掴みかかった。
瞬殺。
レイが岩男を薄切りロースにした。
レイが手を触れた様子もなかったが、岩男は薄くバラバラに刻まれた。
ジークはレイの注意が他に向いてる間に、金縛りを解いた。
彼は這って、回廊の角を曲がった。
「待て!!」
レイがいつの間にか、先回りし、ジークの目前に立っていた。
どういう瞬間移動なのか。有り得ない。
「逃がさない。僕は君らの為に、友人を失った。大事な友人だった。とても尊敬してた。僕はいつか、彼の仇を取りたいと思ってた…」
「ジイサンに対する怨みなら、ジイサンに言ってくれ。俺は関係ねー。クソ般若、毎回、てめーの技がキマると思うなよ!!」
ジークが負け惜しみを言った。
「君はかなり衰弱してる、黒瀧」
レイが真面目に受け答えした。
タキシードの裾を整え、凛として立つ。
「黒瀧の長は、僕の友人を嬲り殺した…。ひどく残酷な殺し方だった。斧で頭を細かく割られ、生き血を搾り取られた…。僕は幼くて何も出来なかったが…、一族の怨みを骨に刻んで、永遠に忘れはしない…」
レイの中で闇が湧き上がった。
彼の波が一気に高まった。
次の瞬間、ジークの視界が上下反転し、彼は頭から床に叩き付けられていた。
首の骨がゴキッと鳴った。
「痛てて。…今、何が起きた…?」
ジークが状況を理解する前に、次の攻撃が来た。
彼はスーパーマンの空飛ぶ姿勢で、金属の壁に激突し、壁にめり込んだ。
崩れた壁に倒れ込んだまま、ジークは必死で考えた。
「一瞬の時間を奪われてる。俺の時間を盗まれてる!?」
考える時間は与えられず、攻撃が続いた。
ジークも薄切りロースにされそうになった。
ジークは自分の真上にぶら下がる、百本の蛮刀を見た。
反りが強い、異国の刀。
ジークは咄嗟に避けた。
「どうやって避けた?」
レイの方が驚いた。
ジークはにやりと笑った。
「おまえの時間を盗んでやった」
「何!?」
レイが片方の眉を吊り上げた。
「おまえは相手の時間を盗み、攻撃を仕掛ける。相手は攻撃を受けてから、時間を取り戻す。俺はおまえが盗もうとしている俺の時間について、おまえの頭の中を覗いた。おまえは俺の上に百本の刀を吊るして、落とそうとしてた。俺はおまえのやることを先に見たから、攻撃を受ける前に、自分でカラダをバラした」
ジークが自分の技を解説した。
「こうだ」
ジークがネクタイを緩め、ズタズタに破れた黒いシャツの前をはだけた。
彼のカラダの中心部分は、細かなミスト状に分解していた。
「そして、おまえが消す刀の行方を追った。おまえは体の中に、刀を戻した。…俺は、そいつを阻止し、体の中に入る前に虚に変わろうとする刀を、実体化した…」
ジークが指差した。
指差されたレイの体には、百本の刀が突き刺さっていた。
「…なるほど…」
レイの体から百本の刀が抜け落ちた。
時間を盗む男、レイは返された攻撃を無効にした。
「レイ。今度、詳しい話をジイサンに聞いとくよ」
ジークがカラダを再構築した。
大量のエネルギーを消耗し、眩暈がした。
ジークは床に片膝を着き、そのまま前のめりに崩れた。
ジークが敗北した。
彼は完全に力を使い切った。
虫の息となり、死が迫った。
「時間を盗めるのは、一回が限度か? 黒瀧…」
レイが囁いた。
「お…俺は…、達紙ジーク……」
ジークは眸を閉じた。
とどめの攻撃が下されるのを、覚悟する。
「達紙…? 何故、黒瀧を名乗らない?」
レイは不思議そうに言う。
「殺らないなら、俺がもらうぜ!! レイ!!」
横槍が入った。
三番目の影、小柄な吸血鬼が波を一点に集中し、ジークの心臓を狙い、打ち込もうとした。
鋭く刃がヒュンと、旋回する音がした。
異種の吸血鬼を、誰かが日本刀で真っ二つに切断した。
神業だ。
そんなに深く斬り込んだようには見えなかったのに、相手の心臓の高さでスパッと切り離した。
鋼のように硬い男の上半身が、宙を高く飛んで落ちた。
遺体は茶色く泡立ち、ブクブク溶けながら沈み込んでいった。
「誰だ?」
レイが日本刀の男を見た。
ジークも、虚ろな眸をそっちに向けた。
整った顔立ちの男が、血振りして納刀し、片膝を着いていた。
「ジークさん。先をお急ぎ下さい。このフロアの上へ、上へと…」
「あんた、朔夜の地区の人か?」
ジークはほっとした。
「この夜叉の相手は私が。…夜叉さん、黒瀧が相手なら、文句はないわけですね?」
日本刀の男が、レイの前に割り込んだ。
「いいでしょ。黒瀧なら誰でも同じ…」
レイの波が燃え上がった。
「フロアの上へ…上へ…? 加藤のとこまで…?」
ジークは震えながら這い、その場を朔夜の部下に任せた。
と言っても、瀕死の状態だった。
腹が完全に腐って溶け、またも切れそうになっている。
「ハァハァ…。どっかにメシは落ちてねーか?」
ジークは落ちていた人間の脚を食った。
少し腹が満たされた。
ジークは人間の女を襲い、少しだけ献血を強要した。
僅かばかり、腹の傷が癒えた。
「これがヴァンパイヤ祭かよ、加藤…」
ジークは歯痒く思いながら、上のフロアへ続く階段を探した。
地下に降りる階段はあるが、昇る階段が見つからない。
「待てよ。…ここは結界の中だ。結界の中で、上という概念が表すものは、階段を使った空間的な上下じゃない…」
彼はやっと気付き、立ち止まった。
その場にしゃがみ、空気の気配を読む。
「ああ、この上とは、乃ち…」
ジークは目を閉じ、結界をジャンプした。
4
ジークは結界を一つ飛び越えた。
彼は先刻とは違うホールに移動していた。
時間が経過し、吸血鬼による狩りがピークに達していた。
ホールには血飛沫が飛び交った。
悲鳴が音楽の一部になった。
食われる者、犯される者、八つ裂きにされて嬲られる者。
客は逃げ惑うが、ホールは閉ざされた結界だ。
客は全て生贄。
魔女達の魔宴の生贄のように、今宵の悪魔に捧げられる。
ジークがずかずかと、殺戮の場の中央に入って行った。
「こんなこと、終わりにしよーぜ。結末を考えてみろよ。明日には警察が動くんだ。吸血鬼の存在が表沙汰になって、今度は俺達が人間に狩られる…!!」
エネルギーが満ち足りた吸血鬼達は、周囲を圧迫するするほどの気を放っている。
「お笑いだ。こいつ、吸血鬼のくせに人間の味方だぞ!! 人間に何が出来ると思ってる!?」
周囲の吸血鬼が爆笑し、ジークを取り囲んだ。
「見ろよ。共食いが始まったぞ!!」
誰かが叫んだ。
周囲で、吸血鬼同士が互いに食い合っていた。
「チッ、下等ゾンビどもめ!!」
覚醒した吸血鬼は顔をしかめた。
ジークは眸を閉じ、片膝を床に着いて、再び神経を集中した。
彼は空間の歪みを知覚した。
その歪みに向かって、ジャンプする。
次の世界は暗黒だ。
音楽も途絶えた。
中央に淡い光があるが、周辺は完全なる闇に帰す。
ところどころ、上方に目の形のモニターが浮かんでいた。
そのモニターには、各結界の様子が映し出されていた。
中央の淡い光の中で、人影が揺らいだ。
「…もう来たんだ。…ジーク。早かったね…」
見た目十七歳、声は老婆。
封印のフローラが言った。
「てめーに会いたくて、会いたくて、とうとうここまで来たんだよ…。若作りババァ…」
ジークが言葉に力を込め、陰湿な呪いの魔女に囁いた。




