ph 50 男の墓標
phase 50 男の墓標
1
ジークは網の中から、大祐を見上げた。
大祐は青白い顔をして、幽霊のようにジークを見詰めている。
その口元に、微かに笑いが浮かんでいる。
「なんで、お前がここに…!?」
ジークには衝撃が大き過ぎた。
言葉が詰まってしまった。
「…久し振りだな、ジーク。相変わらず、アホ面してるんだな」
大祐はジークを見下ろし、片手をポケットに入れたまま、唾を吐いた。
ジークは呆然として、何も言い返せなかった。
大祐が察して、ジークの聞きたいことを話した。
「ジーク。俺はすぐ近くに居たんだよ。まさか、思いもしなかったろ? たぶん、あのまま、外国で死んでしまったと思ってたんじゃないか?」
大祐は乾いた笑い声を立て、芝居がかった態度を取った。
「残念ながらね。俺は生きてた。俺の憎しみだらけの醜い心は、すぐに闇と同化した。俺は早くに覚醒し、完全な吸血鬼になった。おまえみたいに良心に縛られて、長々とゾンビやってたりしないんだよ。俺は黒瀧教授の血のお蔭で不死身になった…」
ジークは段々悔しくなり、唇を噛んだ。
大祐は益々調子に乗った。
「おまえが黒瀧博士に救われるなんて。有り得ないよ。黒瀧博士は滅多に血を分けないそうだ。何の気紛れなんだか。俺には大迷惑だ!」
「…仇を討てと言われたんだよ。黒瀧のジイサンに…」
やっと、ジークが言い返した。
「自分を殺した相手に? それとも、ルビーの仇か?」
大祐がからかう。
「やっぱり!! おまえ、目撃してんだな!! ルビーを殺した犯人は、大祐なのか!?」
ジークは網の中を這って進もうとした。
蜘蛛の巣に囚われた蝶のように、彼は動けない。
「あの日の現場に居たよ。だけど、ルビーを殺したのは俺じゃない…。俺が彼女を殺すと思うか?」
「わかるもんか。大祐、かなり見境なくなってたじゃねーか!?」
ジークが突っかかった。
大祐はかつての親友を、憐れみの眸で見た。
「俺は彼女を愛してた。彼女がおまえとの結婚を選んだことに、絶望してた…。でも、俺にルビーを殺すことは不可能だ。愛してたんだから」
「愛してた!? やめろ!! 俺のフィアンセだ!!」
ジークは網の中から叫んだ。
「愛してたんだ…」
大祐は悲しそうに繰り返した。
「ジーク…。おまえが憎くて堪らない。おまえも、俺が憎いだろう? おまえと再会を果たす夢が叶った。俺は望み通り、おまえを最も残酷な方法で殺す。太陽による火炙りの刑だ…」
大祐が宣言した。
「バカ言え…。俺だって、おまえを探してた。復讐する為だ。その場に居たんなら、共犯じゃねーか。ルビーを殺したのが、黒瀧教授ってことでピンポーン!」
「あはは。そりゃ、可能性はあるね。黒瀧の別荘だったしね。…でも、俺が駆け付けた時には、もうルビーは大量に血を流して、死んでたんだ。犯人は半分だけ血を飲んで、死体を放置したらしい。俺は彼女の死体を見て、気が狂った。最後の理性が消し飛んだ…。精神が真っ黒に染まった……」
大祐は追憶に耽って、自分を抱き締めた。
「俺は…悲しみの余り…、彼女の腸にむしゃぶりついた…。彼女の血は甘かった…。彼女の血を啜り、顔じゅう血だらけになって、腹に顔を埋めて腸を食い…、…胎児を食った…!!」
「は…あ…!?」
ジークは一瞬、意味が理解出来なかった。
「おまえの子供だと思うと…、どうしても許せなかった…!! 胎児を引き擦り出して、頭の骨からバリバリと…食っちまったんだよ…!!」
大祐が狂人の眼差しで、ジークを見て高笑いした。
「狂っとる…」
蝶人の哲が、顔を背けた。
聞くに堪えない話だった。
「後は、おまえがそこに現れたんで、おまえの記憶を消して逃げた。それだけ」
大祐は悪魔のように語り終えた。
「さ、俺は用意した地下壕に籠る。ジークは朝日に焼かれて死ね。そっちのジジィについては、ルビーの弟が黒蝶達に杭を打ち込ませたんだ。俺に関係ない」
大祐が梯子を降りていく。
「待ちやがれー!! 大祐ぇー!!」
ジークが大声で叫んだ。
我が子を…食われた。
ジークは網を引きちぎろうとした。
吸血鬼の力を持ってしても、網は切れなかった。
黒飛龍剣を、圭太のところに置いてきてしまった。
今のジークの体力では、闇を含んだ黒飛龍剣を扱いきれないが。
空が白んでゆく。
冷たい空気が緩んでいく。
2
全身を地面に杭打ちされた哲が、ジークに同情した。
「野良犬…。おまえは儂と同じぐらい、不器用なヤツだなぁー」
ジークは諦めず、まだ網と格闘している。
「哲さん、勘違いするなよ。俺はあんたを助けに来たんじゃねー。あんたは死にたがってた。俺にいつか殺してくれと、頼んだよな。だから、殺しに来てやったんだー」
哲は嬉しそうに答えた。
「…待ってたとも。一日千秋の思いで…、おまえを待ってた…。けど、見ろ。儂はもう…、こんなに干からびてきた…。おまえが儂に…手を下すより先に、干からびて死にそうだ…」
哲は水分を失って、ミイラのようになっている。
息も苦しそうな哲。
あの美しかったビロードの翅がボロボロに破れ、鱗粉が剥げて色褪せていた。
哲は鉄杭を打ち込まれたところから出血し、既に瀕死の状態だった。
「野良犬…。儂の寿命は…尽きたかも知れん。頭がガンガン痛む…。儂はいつまで、この頭痛…に苦しめられねばならんのか。あと少しの辛抱か…。朝日に焼かれる痛みは、この頭痛を紛らわしてくれるか…」
哲は皮肉を込めて自嘲した。
「哲さん、俺があんたの心臓のラインを切断する。あと少しで、あんたの体から心臓を抜き出せる…」
ジークが出来るだけ近寄ろうともがく。
「もうやめとけ…って。野良犬。じきに夜が明ける。最後に…おまえの顔を見れて良かった。…独りで生き、独りで死ぬ…と思ってた。おまえが来てくれて、少しだけ孤独を感じずに済んだ…。礼を言う。おまえは…逃げろ。儂はもう、逃げるだけの体力もない……」
哲が涙を一滴流した。
彼の最後の水分だった。
「はぁ、何言ってんの!? 俺がとどめを刺すっつってるだろーが!! 五秒で足りるんだよ。ちょっと待ってろよ。…あれ、絡まった」
ジークはバランスを崩し、ひっくり返った。
「儂は…夜明けまで持たん。心配するな…。燃えるのは死体のみ。おまえは…網ごと、地中に潜れ…。出来るだろ? もう…日の出まで、五分とないぞ…」
哲が死を覚悟した、穏やかな声で言った。
恐ろしい最後が待ち受けているのに、まるで悟りを開いたかのように、静かに受け止めている。
ジークが心配しないように気遣う。
「野良犬…、最後に言っておく…。年寄りの戯言だ。聞き流して…くれていい。復讐など忘れろ…。幸せはそんなところにはない。おまえを想ってくれる、優しい女と共に生きろ…。あんな男の…デタラメな話なんか、信じるな…!」
哲は喘ぎ、眸を閉じた。
彼の死期が迫っている。
「ご忠告、ありがとう。ジジィ、あんたのことを忘れねーよ。一人でも忘れない人間がいりゃ、あんたは孤独じゃなかったってことだ。そうだろ?」
ジークは手のギリギリ届かない老人に手を伸ばし、鼻水を啜った。
「頭が痛む。…休ませてくれ…」
呟いた哲。
それきり、哲は静かになった。
朝日が昇る。
真っ赤っ赤に燃えながら。
3
夕刻、愛理が圭太の車で、景色のいい峠道を走り、登山口に車を駐車した。
愛理は山小屋跡の近くで、焼けた鉄杭と鎖を見た。
地面には何かを燃やした跡があったけれど、燃えた何かは失われていた。
「ジーク? どこー!?」
泣きそうに叫ぶ愛理。
気の強そうな彼女が完全に参った顔をして、地面にしゃがみ込んだ。
「ジーク…」
ボコン!!
モグラが地中を通ったみたいに、地面が帯状に盛り上がった。
地面がボコボコ盛り上がり、爆ぜた。
地下で空気が破裂するみいに、地上の土を飛ばした。
開いた穴から、土塗れのジークの頭が飛び出した。
「ジーク!!」
愛理が走って飛びつき、ジークの首にすがりついた。
「俺はワンコじゃねぇー!! 探してたワンコ見つけた飼い主みたいなこと、すんじゃねー!!」
ジークが愛理を押し退ける。
ジークは疲れ切って、地面に伸びた。
大の字になって寝転んだまま、しばらく動かない。
愛理はジークが、考え事に耽るのを見た。
彼女は側に座り、ジークの気が済むまで待った。
「よし、山を降りよう」
ジークが立ち上がり、埃を払った。
払いきれないぐらい、汚れている。
ジークは後ろを振り返らず、山道を降り始めた。
「…黒蝶さん、間に合わなかった?」
愛理が聞いた。
「簡単に言うと、一人の男が死んでいった。そーゆーことだ」
彼が歩を速めた。
愛理は小さく頷いた。
4
数日後。
ジークは久し振りに朔夜と会った。
「よぉ」
ジークが片手を上げ、
「あぁ」
レンタルしたワゴン車の後部席で、朔夜が腕組みして答えた。
「あれー、それだけー?」
男同士の照れがわからない愛理は、つまらなく思う。
運転は圭太。
助手席にナオ。
他にも車三台ほど、別々に東京へ向かう。
「やだぁー。検問に引っ掛かったらどうするのー? 圭太さん、無免許だよねー」
愛理が不満を漏らす。
「しょうがないじゃん。永遠に十七歳なんだもん。俺、童顔だし。免許取れないんだ」
「圭太さんて本当は…、うちのおじいちゃんと一緒ぐらいの年なんだよねーっ!」
「それを言わないでー」
圭太と愛理が笑いながら雑談を交わす。
一方、朔夜とジークは隣りに座りながら、会話が弾まない。
「ナオさん。鬼美津治ったの? 俺が折った日本刀…」
ジークは助手席のナオに話しかけた。
「無理に決まってるでしょ。別の鬼美津を持ってきた」
ナオが布袋に入れた刀を、左手で持ち上げて見せた。
「ね、ね、ヴァンパイヤ・ナイトって、吸血鬼コスプレでライブ会場入るんだよね! どんな衣装着るの?」
愛理が張り切っている。
「俺達吸血鬼のカッコは、人間と一緒なんですけどぉー!」
圭太はカジュアルな普段着だ。
「黒マントに黒いハットで黒いステッキ? 冗談じゃないよ」
と、ナオが言った。
「一応、衣装は用意してある。ジークと愛理の分も」
朔夜が澄まして言った。
「コスプレかよー。俺は今一番タブーの、黒い蝶の翅でも付けるかな」
「ジーク、やめてくれ。今夜は俺達を炙り出すイベントだ。わざわざ誘いに乗って、敵陣に乗り込む。敵の懐から斬りつけてやろうと言うんだ。相手との読み勝負だ」
朔夜が止めた。
「そろそろ、今夜のイベントについて情報くれねーかなー、朔夜ちゃーん」
ジークが隣りを横目で睨んだ。
朔夜は渋い表情で、
「別に招待状が来たわけじゃない。テレビや雑誌やネットで、しつこくコマーシャルしてる。主催者の関係者が、加藤トモオという男。蛾人のラボのスポンサーだと聞いて、行くことにした」
と、ライブのフライヤーをジークに手渡した。
ハガキ大のフライヤーに、ゲストの写真とイベントの宣伝が書かれていた。
「MCは黒アゲハの、れおな!? 誰、それ!?」
ジークは聞きなれない名前に、目を白黒させた。
「最近売れてるアイドルだよ。五人グループで、れおなは黒猫の耳が付いた人気キャラだ」
ナオが詳しく説明した。
「アゲハなのに猫耳かよ!? てか、加藤トモオ!? 塾の先生が、何やってんの!?」
ジークはびっくりしてしまう。
「いろんな副業で相当儲けてるらしい。その他に、IT起業家としても最近知られてる。ネット社会の若者の教祖を目指してるみたいだな」
朔夜が侮蔑を込めて言う。
「炙り出しかー。敵さん、殺る気満々だな。加藤トモオ、ね。俺もそろそろ、そいつの顔を拝みたいと思ってたとこなんだ」
ジークが指をポキポキ鳴らし、気合を入れた。
「体調はどうだ、ジーク?」
「あんまり良くねーな。ずっと、夢見が悪くてね」
ジークが応えた。
朔夜はバカにするように笑った。
「生霊なんかに憑りつかれやがって。圭太にお祓いしてもらえ。悪い因縁を持ち込まれたら、面倒臭い」
圭太が交差点で振り向き、
「ジーク。まだ封印屋をやっつけてないの? 愛理ちゃんとデートさせてくれたら、お祓いしてあげるよ」
と言った。
「勝手にデートしてくれ。で、お祓い頼む」
ジークが合掌。
不浄なるもの。
朔夜は顔をしかめた。
「あのねぇ、デートするかどうかは私が返事するから」
愛理が口を挟み、
「ジーク、臭いんだけど。あんた、また腐ってない? 戦う体力あるの?」
と厳しく尋問した。
「あんまり、ねぇ」
ジークは締まりのない笑みを見せた。
やがて、イベント会場が見えてきた。
臨海地域の夜景を見晴らす大型ホールで、悪魔の宴が幕を開ける…。




