ph 45 カレーの材料に
phase 45 カレーの材料に
1
ジークと愛理が三浦邸に帰ってきた。
「ただいまー」
ジークが自宅に入るみたいに、普通に家に入る。
和室では、深由が布団で眠っていた。
「深由ちゃん、よく寝てるね。私、シャワー借りちゃうよ」
愛理は三浦邸の浴室に向かった。
「ああ、いいんじゃねーか?」
ジークは三浦がいつも眺めていた中庭を眺め、タバコを取り出した。
いろんなことが頭の中をめぐる。
落ち着く為にタバコを吸おうとしたら、空だった。
彼はタバコの空き箱を丸め、部屋の隅に投げた。
2
しばらくの間、ジークと愛理は三浦邸を借りることにした。
三浦医師が入院中なので、結構気を遣うことなく暮らせる。
ジークは時間をかけて、ゆっくり体を休ませた。
数日後、深由がご馳走してくれると言うので、三人で食材の買い出しに出た。
ジークは黒飛龍剣を、ギターケースに入れて持ち歩く。
黒服のバンドマンみたいだ。
スーパーのカートにカゴを載せ、押しているジークと、食材を選んでカゴに入れていく深由。
傍目には、お似合いのカップルに見える。
愛理はポテトチップスの大袋を両手に抱え、菓子コーナーの列から出て来た。
ジークと深由が仲良く牛肉を選んでいるのを見て、愛理が急に立ち止まった。
なんだか、その場に入りにくい雰囲気だった。
「あれー、深由じゃなーい?。何してんのぉー?」
専門学校で同じ学科の、深由の友達が来た。
「優梨…」
「あー、彼氏と夕飯作るんだぁー?」
優梨が大きな声で冷やかしてきた。
優梨は、深由の側に立つ長身のジークを見上げ、じろじろ観察した。
「え、彼氏じゃないよ」
深由は小さな声で言い返した。
彼女は学校では、内気でおとなしい。何故か、緊張してしまう。
ジークはぼっと突っ立って、カレーの肉をどれにするか、迷っていた。
「深由ちゃん、俺はどっちでもいいんだけどさ。そんな本格的にしなくてもいいんだけどさ」
「え、ジークさん、キーマカレー派って言ったじゃない。てことは、チキンだよね」
深由が鶏のミンチを、手に取った。
優梨が大声で笑い、
「キャー。何よー。見せつけてくれてんのぉー? 深由のくせにー」
と肘で深由を小突いた。
「愛理さんは激辛のカレーが好きなんだよね。どうしよう?」
深由は友達の反応に困り、話をジークに戻した。
「愛理の好みなんて、どうでもいいよ。深由ちゃん、激辛は無理なんだろ。中辛でいいって」
ジークが普通のカレー用の牛肉を、カゴに入れた。
愛理は少し離れ、全部聞いていた。
「きゃははー。動画撮っちゃおー。あのおとなしい深由に、彼氏出来ちゃった記念だよぉー。これ、みんなに送信しとくからー、深由ー」
優梨が二人にスマホを向け、動画を撮った。
「やめてよ、優梨」
深由が嫌がった。
深由が、愛理の視線に気付いた。
友達が去ってから、愛理が早足で寄ってきて、カゴにポテトチップスの大袋を三つ積んだ。
「これ、三人分ね」
「ほえー。深由ちゃんにこのサイズはデカくねー?」
ジークが言うと、愛理は睨み返し、
「残したら、私が責任持って食べるから!!」
と言って、一人で先を歩いていった。
「変なヤツぅー」
ジークが愛理の後ろ姿を見送った。
「愛理さんとジークさんて、もしかして…」
深由が何か言いかけ、ジークをちらっと見た。
ジークは、通りすがりのスーパーの女性客の、胸の空いた服に視線を泳がせていた。
くっきりと陰影のついた谷間に妄想し、ジークはいやらしい薄笑いを浮かべている。
「そんなわけないか…」
深由は鶏肉のパックを、元の場所に戻した。
愛理は何だか、ご機嫌斜めで、先に帰宅してしまった。
ジークと深由はスーパーの袋を両手に下げ、歩道を歩いている。
「深由ちゃん、最近、ベイカフェ行ってる?」
ジークが尋ねた。
「たまに、バイトの帰りに。ヨッシーさん、元気だよ。ジークさん、ヨッシーさんと何かあったの?」
深由は不思議そうに、理由を聞いた。
「ん…。ちよっとな」
ジークは曖昧に返事した。
「そうなの? この前、私がジークさんの話を出したら、ヨッシーさんが変な顔したよ。ベロニカさんも…。なんか、気まずい空気になっちゃった。…そう言えば、ジークさん、ベロニカさんの新しい彼氏知ってる? インド人なの。カレー専門店の店長でね、いつもカレーをベイカフェに持ち込みしちゃうの…」
深由がくすくす笑った。
「え!? たぶん、知ってるよ!! あいつがベロニカの新しい彼氏なの?」
ジークはショックを受けた。
「くそー。あいつ、積極的に口説いてたからなー。ベロニカも、最初のうちは困った顔してたのに。なんだ、そうなのかよー」
悔しそうに言う。
「アハハ、やられたね。ベロニカさん、すごく楽しそうだったよ。残念だね、ジークさん」
「別に残念じゃねーよ。ベロニカは友達だ」
言ってから、ジークは恐怖に引き攣ったベロニカの顔を思い出した。
敬虔なクリスチャンのベロニカは、吸血鬼騒ぎで神経を擦り減らしていた。
彼女は本気で、噂の吸血鬼を恐れていた。
「いい…友人…だった。あの子は、いい子だよ」
ジークは少し寂しそうに言った。
察したのか、深由は話題を変えた。
「ベイカフェのバイトの向日葵ちゃん、わかる? あの子は最近、来なくなっちゃった。黒い翅の吸血鬼に襲われたんだって。黒い翅の吸血鬼…、前に私が見たやつかな?」
「黒蝶…」
ジークが息を飲んだ。
「向日葵ちゃんは吸血鬼を怖がって、夜は出歩きたくないって。…向日葵ちゃんも、ジークさんが相手なら怖くなかったのにね」
深由の無邪気な発言。
「んなわけねーよー。俺がそんな不気味なもんだとわかったら、誰も寄りつかねーって。吸血鬼志願の深由ちゃんぐらいだよ、俺から逃げようとしねーのは。ベロニカも、ヨッシーも無理さ。向日葵だって……!」
と、ジークは投げやりに言った。
「俺、全然モテなくなっちゃったなー。これで、人間の女の子には相手にされねー。俺、終わったなー」
「そんなことないよ、たぶん」
深由が声に力を込めた。
「何言ってんの。深由ちゃん。俺は世間的には孤立しちゃってさ、まともに働けねーし、金もねーし。車もなくなったし、マンションにも帰れなくなった。もう、ダメでしょ。オシャレな服着て、髪を整えるとか、そんなカッコつけてる場合じゃねー。血を吸うことと、グロい覚醒して戦うこと、その繰り返しだけなんだから」
ジークはオレンジを袋から一つ取り出し、ボールみたいに空中に投げ、片手で受けた。
「そんな人でもいいって言う女の子も、中にはいるかも…」
深由が頬をほんのり染め、力説した。
その時だ。
歩道が突然、薄暗くなった。
3
ジークは深由の気持ちに気付いたし、そっちに少し、気を取られた。
その間に、迂闊に、結界に取り込まれた。
オレンジが歩道に転がり落ち、見えない結界の壁に当たって、撥ね返った。
「深由ちゃん!!」
ジークが手を伸ばした。
スーパーのビニル袋が一つ落ちて、牛肉のパックとタマネギの袋が出た。
「ジークさ…!!」
深由は黒ずくめの何者かに、後ろから口を塞がれ、羽交い絞めにされた。
ジークの目の前で、彼女は黒いワゴンの後部座席に吸い込まれた。
「おまえも乗るんだ」
どこかで聞いた声がした。
ジークは声の主を思い出し、髑髏の柄の覆面キャップを振り返った。
「…生きてたのかよ、ヘル?」
「おまえこそ。山火事で死んだはずじゃなかったのか…?」
ヘルは淡々と答えた。
「教えてくれ、ヘル。おまえら、黒蝶に襲撃されたんだろ? ラボを完全に破壊されてたな。…で、ど゛うなんだ? ディーヴァちゃん、無事か?」
「おまえに娘の心配をされたくない」
ヘルは顔をしかめた。
「いや、お父さん。あんたのお嬢さん、すげー可愛いよ。あんたにちっとも似てなくて」
ジークが周囲を見回した。
ヘルともう一人、運転手がいるだけ。
他に兵隊も見つからないし、ディーヴァもいない。
「…いいから、乗れ。おまえの最終列車だよ。そのギターケース、中身はスカルを殺した幻覚の剣か?」
ヘルが銃口で、ジークを促した。
ジークは深由に視線を走らせ、黙って車に乗り込んだ。
ヘルが後部のドアを外から閉め、自分も助手席に乗る。
「逃げるなよ、ジーク。俺達も切羽詰まってきた。こっちも、狩られる立場に変わったからな。この娘の顔が潰れるところを見たくないなら、おとなしくしてもらうぞ」
ヘルが低い声で脅した。
「…その件なんだけどさ。ディーヴァちゃんから、聞いてない? 俺、あんた達と組んで黒蝶をやっつけたいんだよ」
ジークが助手席の背凭れにしがみついた。
車はスピードを上げ、激しく遠心力をかけながら交差点を曲がっていく。
「おまえみたいに適当な、行き当たりばったりの男、誰が信じるか!! 俺の娘の名前を、二度とその軽ーい口に出すなー!!」
ヘルが憤慨した。
「うわ。そりゃないでしょ、お父さん!! 俺達、もしかしたら交際しちゃうかもよ」
「それは有り得ない」
運転席から、若い男が答えた。
黒い覆面の下は、顔立ちが整っていそうだった。
「どこ行くんだ、ヘル?」
ジークは窓の外を眺めた。
車は高速道路に入ろうとしている。
「ラボから盗まれた黒蝶の卵が孵化し、成虫が繁殖に成功してしまった。奴等の数が、盗まれた卵の数を超えて増えている。…非常事態なんだ。あいつらはとんでもない勢いで、血を吸いまくる」
ヘルは言葉に、憎しみを滲ませた。
何人かの仲間が、黒蝶の為に命を落としたらしい。
「おい、ヘル。そんな危険な実験動物、作るからだろ。黒蝶が反撃に出て、親の巣であるラボを破壊したわけだ」
「そう。今や、親を全部殺そうとしている。ラボの投資家が欲しかったのは、自分一人の永遠の命。そんな我儘な願いの為に、ラボ職員の命が失われていく…」
ヘルが歯噛みした。
「へっ……。あんたら、ラボの職員だったの? 兵隊じゃなくて?」
ジークは唖然とした。
「ああ、そうさ。俺達は実験動物じゃない。元々が、研究者だったのさ」
ヘルがうるさいジークを睨んだ。
「俺達は不老不死の薬を開発してた。その原材料が、おまえ達、吸血鬼だ。だけど、実験中に、俺達は何らかの闇の遺伝子に侵されてしまった…」
「自業自得だな。吸血鬼を切り刻んでサンプルにして、その血を飲んでみたんだろ?」
ジークが嘲笑う。
深由は静かに聞いていた。
時々、ぴくっと身を震わせた。
余り知りたくもないような、おぞましい話だった。
「ヘル。教えてやろーか? ある吸血鬼いわく、闇は血に宿るものではない…。血に託された契約。我々はこの血を未来へ繋いでいく。人間を全て、吸血鬼にする為に…。その為に、吸血鬼が誕生する確率を引き上げねばならない。人間は餌ではない。人間は我々吸血鬼の……子孫……なのだよ。人間が全て吸血鬼になっても、吸血鬼は滅びない」
ジークは黒瀧博士が語った言葉を思い返した。
深淵に飲み込まれる直前に聞いた話。
よく聞き取れなかった部分に、ジーク自身の言葉で、子孫と入れてみた。
彼は自分で、その内容にゾッとした。
「ヘル。たぶん、人類は元々、全て吸血鬼だったんだよ。みんな、互いに血を吸い合ってたんだ。でも、何かが起きて、吸血鬼は誕生しづらくなった。数が減ってレベルが下がり、そのうち大半がゾンビとして生まれるぐらいに、種として劣化してしまったんだよ!!」
ジークが苦々しく言った。
ヘルは頭を左右に振り、
「何を言ってる? そんな馬鹿な。俺達の研究してきた内容とは違う。吸血鬼は上等と下等の種に分かれ、上等種は環境の変化に適応出来るが、下等種は知能の低いゾンビでしかない」
と、固い頭で逆らった。
「ジーク。我々は呪われた卵を作り出してしまったんだ。その卵とは、真性の吸血鬼だけが生まれるように、ヒトの遺伝子を書き換えるんだ。確実に五個の卵から五匹の黒蝶が生まれて、それらを掛け合わせれば、高い確率で獲得形質を遺伝させる」
ヘルが恐ろしいことを語った。
「マジかよ。その卵の存在を知ったら、黒瀧教授が泣いて喜ぶな…」
ジークは舌打ちした。
「ヘル。そいつは全部、黒蝶になるのか? 龍になるヤツはいねーのか?」
「龍? なんだ、それは? 我々が入手した素材は、黒蝶に変貌するタイプと、蛾に変貌するタイプだけだ。卵はそのクローンだ。蛾に変貌するタイプは安定性があるが、黒蝶型は食欲を抑制出来ない。興奮しやすく暴力的だ」
「なるほどね」
ヘルの説明に、ジークは納得した。
「まず、仮設のラボで、おまえの細胞と血液をもらう。その後も、おまえは解放されることなく、細かく刻まれて培養される。おまえがおとなしくしてれば、この娘は家に返す」
ヘルが銃口を深由に向けた。
「おっと、その剣はこちらがもらう」
ヘルがギターケースのベルトを引き、ジークから黒飛龍剣をもぎ取った。
ギターケースは剣一本とは思えないほどに、ずっしりと重たかった。
長い時間、全員が黙っていた。
深夜、車が高速道路を降り、どこかの街に入った。
「着いたぞ。俺達の新しいラボだ。車を降りろ」
ヘルが命じた。
ジークと深由は乱暴に引き下ろされ、ビルの裏口から階段を降りた。
ジークは、
「俺はもう逃げねーから、深由ちゃんを解放してやってくれ」
と、ヘルに頼んだ。
「ふふん…」
ヘルがゆっくり覆面を脱いだ。
蛾のような複眼ではなかったけれど、口が幅広く裂け、唇が裏返っていた。
髪は毛皮のように茶色く頭部を覆い、眉毛というか、触角みたいな毛が、長く上向きに生えていた。
昆虫っぽい印象は拭えない。
「おまえを切り刻むまで、この娘は返さないよ。ジーク」
ヘルが昆虫顔で、にやにやした。
「もうすぐ、黒瀧愛理も連れられてくる」
若い運転手のポイズンも覆面を取り、ジークに言った。
ポイズンの顔は昆虫じみたところがなく、短い髪だけが染めたように茶色かった。
「ディーヴァは生きてるよ。おまえの顔は、もう見たくないってさ。おまえを刻んで、スカルの墓に供えるって言ってたよ」
ポイズンが階段の上で、出入り口のシャッターを閉め、厳重に鍵を掛けた。
階段を靴音鳴らして降りながら、ポイズンは小型の薄いケースから、細身の刃物を取り出した。
手術用のメスだった。
「達紙ジーク。俺もおまえと同じ、医者なんだ。俺の時間が止まってるから若く見えるかも知れないけど、実は、おまえと同じ年なんだよー」
彼はメスで空気を斬り裂き、ジークを八つ裂きにする真似をした。
「ジークさん…」
深由は足手まといだ。
自分でわかっているから、泣き出しそうになっている。
二人は地下室に通された。
白塗りのクリーンルームには、十人ぐらいの白衣の男達が、白いマスクで顔を覆い、手に手にメスを持って立っていた。
ポイズンが深由を見返り、
「よっく見ててよ。今から、君の好きな男を細切れ肉にしてやるから。少し分けてあげるから、それでカレーにする?」
と、言った。
「黙ってろ、蛾モドキ野郎!!」
ジークが野良犬みたいに、吠えた。




