ph 44 彼女を殺したのは
phase 44 彼女を殺したのは
1
ルビーはしれっとした顔で答えた。
「何もないわよ」
「じゃ、なんで寝室に指輪が落ちてるんだ? 疑われても仕方ねーだろ!?」
彼女は早足で、キッチンへ戻った。
「バカバカしい。そんなの、妄想じゃない」
「待てよ。本当に何もないのかよ!?」
「ない!!」
ルビーはジークの眸と真っ直ぐに向き合い、断言した。
翌朝、病院の通用口で、ジークと大祐が鉢合わせた。
大祐はジークを見るなり、顔色を変えた。
でも、一呼吸を置き、普通に通路に入ってきた。
ジークは目を合わせようとしない大祐に、
「おまえの気持ちはよくわかったよ。俺は残る。一人でこの街を去るのは、てめーだよ。大祐!!」
と、言った。
「ふふ…。まさか、生きてたなんて……」
大祐は俯いたまま、笑う。
「…フィアンセの過ちを許すってことか…。おまえも人が好いいな、ジーク…」
大祐が挑発的に言ってのけた。
二人の友情が砕け散った瞬間だった。
「おまえの言うことは、今後、一切、信じねぇー。俺に二度と話しかけるな」
ジークは震えるのを押し殺し、先に階段へ向かった。
それ以上、どんな話を聞くのも堪えられなかった。
2
ジークが過去を回想しながら、頭を抱え込んだ。
愛理は彼に寄り添い、彼の頭をそっと撫でた。
「ジーク、バカだねぇー。本当にバカで、真っ直ぐで正直だねぇー」
「うるせぇー」
ジークは愛理の手を退け、
「彼女のお腹に、赤ん坊がいたんだぞ? なぁ、父親はどっちだと思う?」
と聞く。
「ジークが父親だから、ジークと婚約したんでしょ?」
愛理は当然のように言った。
「パパッと言うよ。裏切られてたんだ。一度きりじゃなかったんだ。あいつらの関係はもっと早くから、ずっと続いてた」
ジークが落ち込んだ。
「ほんっとに、ジークのバカ!! そんな女を、今でも愛してるんだよね?」
愛理が呆れたように囁いた。
「…そうなんだ。今でも、彼女を忘れられない。こんなひどい事されたのにさ。笑っていいぞ、愛理」
ひゃははは、とジークが自嘲した。
彼は笑い過ぎて、後ろに反り返った状態で、ロビーの椅子から擦り落ちた。
「じゃ、婚約は解消しちゃったの?」
「逆さ。二人で結婚届にサインしたんだー。彼女の強い気持ちを信じて、俺はサインした。二人で日本に帰ることにしたんだよー」
ジークは床に座り込んだ。
「彼女が、二人の出逢ったこの街で、教会で結婚式を挙げたいと言い出した。俺は彼女の言う通りに、ダイヤの付いた結婚指輪を買って、大きな教会で式の予約をした。そしたら、式の一ヶ月前に……」
ジークの言葉が止まる。
愛理は彼の脳裏にこびりついて離れない、首と腹から血だらけの、ルビーの遺体の映像を視た。
「ねぇ、悪いんだけど、そこの記憶。前にも見せてもらってるんだけどさ。もう一回、出来るだけ細かく思い出してみて。思い出せる部分だけでも…」
愛理が無茶を言った。
「吸血鬼に記憶を消されてるから、思い出せねーって言っただろ? 憶えてるのは…」
ジークは霞のかかる記憶の中に、思いを引き込んでいった。
3
ジークとルビーの結婚式の日取りが決まった時、一番慌てたのは、彼女の弟の憂。
それから、大祐だった。
大祐は仲間達の列から飛び出し、走っていった。
その数日後、ジークは黒瀧教授の別荘に、ルビーを迎えに行った。
雷が激しく、雨がぽつぽつ降り始めた。
ジークは長椅子に凭れ、うとうとしかかっていた。
彼は大祐の声で、目を覚ました。
「ジーク!!」
何度目かの呼びかけで、ジークは跳び起きた。
長椅子の前に、彼を覗き込むように、大祐が屈んでいる。
ジークは大祐を無視して、部屋を出ようとした。
「待ってくれ、ジーク。聞いてくれ!!」
大祐は泣き声だった。
「ジーク、黒瀧教授達は吸血鬼だったんだ!! 教授達を始末しないと、この街の住人がみんな、殺されてしまう!!」
ジークは、やっぱりそうだったのか、と思った。
この間、黒瀧教授に車で送ってもらった時に、薄々気付いていた。
ジークの胸には、絶望が広がった。
「始末って…、そんなこと…、無理だ…!」
大祐は泣き腫らした眸で、ジークを見た。
「ジーク。…おまえは、俺を恨んでるよな? 殺したいほど、憎んでるんだろ?」
大祐が杭と木槌を取り出した。
「俺を殺してくれ。俺は黒瀧教授の血を飲まされた。吸血鬼にされてしまったんだ。俺はもう…、自分の欲望をコントロール出来ないんだ。心がどんどん闇に染まっていく…。俺を助けてくれ…!!」
大祐が涙ながらに訴え、杭と木槌を差し出す。
「俺に…おまえを殺せるわけねーだろ!?」
ジークは一歩下がった。
「俺はあんなに憧れてた永遠の命を手に入れた。でも、命以外の全てを失った。ジークを見てても、餌を見てる気分なんだよ…」
大祐が口の端から涎を垂らし、迫ってきた。
シャツを裂かれ、噛みつかれそうになったジークは、木槌で、大祐のこめかみを打ちつけた。
大祐は痛みに呻き、片手の握力で木槌を握り潰した。
ジークは暗い部屋を、四つん這いで逃げた。
背後でガラス窓の砕け散る音がして、大祐は五階から山羊のように駆け降った。
「大祐!! 大祐!!」
ジークが窓から叫んだが、その日以来、大祐は帰らなかった。
大祐が失踪してから、ジークはずっと考えた。
「大祐は、ベックさんや田村さんみたいになるんだろうか? 人間に食いかかったり、血を吸おうとして、気が狂いそうになるのか?」
黒瀧教授は吸血鬼だった。
実際に、はっきり事実を知らされると、随分と恐ろしさが増す。
「ルビー。黒瀧教授と黒瀧博士は…、本物の吸血鬼なんだ…」
ジークが苦々しく打ち明けると、ルビーは陽気に、
「やめてよー。あっ、でも、それなら、私も憂ちゃんと一緒に吸血鬼にしてもらおっかなぁー?」
と、笑って話を流した。
4
ジークが病院で仕事を片付けている時、憂が入ってきた。
「お、憂ちゃん。新しいルアーあるぞ」
ジークが愛想よく、釣り道具を引き出しから出した。
「あんた、そんなものを職場に持ち込んでるの?」
憂が冷たく、ルアーを突っ返した。
「そんなルアー一つで、オレを釣るつもり? オレは何をもらったって、ルビーの結婚には賛成しないからね!」
「君がいくら反対したって、俺達はもう、来月には結婚しちゃうのぉー!」
ジークはデレデレした。
「ふん」
憂はデスクの上に尻を下ろし、ジークのレポートを床に散らした。
「わわわ、やめてくれよ! 憂ちゃん!」
ジークは慌ててレポートを拾い集め、順に重ね直した。
憂はジークの慌てぶりを、面白そうに眺める。
「ジーク、新任の鈴木サンて女医さん、いいじゃないの? だって、胸でかくて、スイカみたいだし。あんたはもっと、自分と釣り合う相手を選ぶべきだよなー。ジークには、鈴木サンでも勿体ないけど」
「うるせークソガキ。まだ中二の君に、大人の恋愛がわかんのかよ。君はそろそろ、お姉さんから卒業しろー」
「オレはそこそこモテますけど? あんたと違って、元が綺麗な顔だから。でも、オレ、同級生の女の子とかに興味ないんだ。あんたの邪魔してる方が、ずっと楽しいよ。悪い?」
憂は舌を出し、ぷいっと出て行った。
入れ替わりに、黒滝教授が来た。
「あと一ヶ月で、日本に帰るんだね」
「そうですね。あっという間ですよね。お世話になりました」
違和感はあるが、ジークは何事もなかったかのように挨拶する。
「いやいや、こちらこそ。礼を言います。研究を手伝ってくれて、ありがとう。私も時々日本に戻るから、その時はルビー君も一緒に、三人で食事でもしましょう」
「え、はい…。あの…、大祐は来てますか? 最近見ないんですけど…」
「来てないね。何でだろうね? もう一週間もお休みだよ」
黒瀧教授がとぼけた。
「何かあったんじゃ…?」
「さあ。もし会ったら、伝えてくれないか。新しい論文を手伝ってほしいんだが…」
黒瀧は白々しく言う。
「君達の結婚式、楽しみにしてるよ」
黒瀧は外人のように、馴れたウィンクをした。
翌朝一番に、また憂が訪れた。
「ジーク。午後から、釣りに行こうよ。湖にボート出してー」
いつになく、はしゃぐ様子の憂。
「へ? いいけど? どういう風の吹き回しだぁ?」
「ジークの結婚、認めてやるよ」
憂が偉そうに言った。
「何を企んでるんだ?」
ジークは疑ってかかった。
「オレが? オレはいつだって、ルビーが幸せなら、それでいいんだ。ジークみたいな低レベルな男で残念だけど、まあ、目をつぶってやるよ」
憂が笑顔で喋った。
「じゃ、病院の外出許可取ってくる。後で迎えに来てね。ジーク」
手を振り、憂が出て行った。
ジークはボート小屋に電話を入れ、憂を迎えに行った。
憂は痩せた体に、アウトドアのブランドのダウンベストを着ていた。
「ああ、こいつと二人きりで釣りか…」
ジークは憂欝な気分だった。
だけど、それでも大好きな釣りのことで、盛り上がる気分も少しあった。
ジークは憂を乗せ、湖の中央までボートを進めた。
湖上は爽やかな風が吹き、小波が立っている。
今日は快晴。
「もっと、黒瀧教授の別荘に寄せてー」
憂が、ねだった。
「ねぇ、ジーク。黒瀧教授は吸血鬼なんだろ? みんなでさ、あの人の血を絞って、飲んでみない?」
憂が提案を持ちかけた。
「それ、代償がすげー高くつくとしたら、どうする? 例えばさ、ゾンビになって、生きながら腐るわけ」
「それでもいいよ。あと十年生きられるなら…」
憂がか細い声で呟いた。
「憂ちゃん。大体、どうやって搾り取るんだよ。黒瀧教授を輪切りにして、ジューサーに入れるのかー? レモン果汁垂らしてー?」
冗談で話してないところが、憂の怖いところだ。
「うん。ジューサー、いいね。そうやったら、何人分の薬が出来るんだろうね? オレ以外にも、沢山の人を助けてあげられる…」
「無理だろー。黒瀧教授に、どのぐらい仲間がいると思う? 俺達はゾンビの餌にされちゃうよ?」
ジークは憂の夢想に反対した。
憂は夢想を、現実にしたがっていた。
「オレに黒瀧教授の血をくれるなら…、ルビーとの結婚を認めてやるよ。ジーク、あいつを殺してきて。あんたが殺らなきゃ、たぶん、ルビーが単独でも殺ってしまう…」
憂が白亜の別荘を指差した。
「え…」
ジークは青くなった。
ルビーが単独で?
「ジーク、早く行けよ…」
憂がジークの脚を蹴った。
憂の視線の先には、黒瀧家専用の船着き場が見えた。
「ルビーが今朝、憂ちゃんが欲しいなら、黒瀧の血を取ってくる、って言ってたさ。もう、ルビーは出掛けてったよ。黒瀧教授のところへ…ね」
憂は城のような建物を眺めた。
「そんな…。それ、本当か?」
ジークは速度を上げ、ボートを走らせた。
5
その辺りから、ジークの記憶が曖昧に歪み始める。
記憶が、電波妨害を受けたテレビの受信映像みたいに乱れる。
オレンジや青のドットが点滅し、人物の顔に波が寄った。
憂の顔が途切れ途切れに黒い画面と切り替わり、次に違う人物の顔が目前に迫った。
一瞬の一コマの記憶は不鮮明で、誰だかわからない。
全身黒い服を着た、男の顔のようにも感じた。
次に目にしたのは、ルビーの眸を閉じた顔だ。
白い大理石のように滑らかな肌に、血が飛び散っていた。
腹は大きく抉られ、腸の食い残しがジークの膝に擦り落ちてきた。
抱きかかえる彼の腕の中、涙の滴が彼女の頬を伝って流れた。
誰かの悲鳴が聞こえる。
ジークの怒号で、ジークの悲鳴だ。
ルビーは完全に絶命しており、動かない。
「ああ、あんまりだ。神様、神様…」
ジークはわけのわからないことを呟き続けた。
彼女の手元に、一本の空の注射器が落ちていた。
弟の病的なワガママの為に、彼女は本当に、黒瀧教授から採血しようとしたんだろうか?
ジークは黒瀧を見るなり、野獣のように突進した。
ジークがホールに飾られていた西洋式甲冑から、細身の剣を引き抜き、黒瀧を斬りつけようとした。
ステンドグラスよりホールに射し込む、眩い光。
真昼の吸血鬼。
黒瀧はスバ抜けた動体視力と反射神経で、指で摘むようにブレードを受け止め、
「私じゃない。勘違いしないでくれ。私も今、困惑している」
と、囁いた。
ジークは剣を止められ、黒瀧を激しく罵った。
「じゃ、証拠を出せ!! あんたの他に、誰がルビーの血を吸った? あんたの可愛い患者の誰かか?」
黒瀧は落ち着いて、彼の手から剣を奪い、元の鞘にスマートに流し込んだ。
「…わからない。私は今さっき、血の匂いに気付いて目を覚ましたところだ。私なら、そんな無様に腹部を食い荒らしたりしない」
ジークは黒瀧の声を聞くうち、だんだん眠くなって、意識が遠のくのを感じた。
急に体が左右にゆれていき、その場に倒れ込んだ。
記憶の淵から現代に戻り、ジークは深呼吸をして、気持ちを切り替えた。
「…愛理。なんか見えたか?」
ジークが愛理を振り返った。
愛理の唇がカサカサに渇き、半分開いたままだ。
「愛理!?」
ジークが愛理を揺さぶった。
「ジ、…ジーク。…彼女が殺された場所に…大祐さんが、いたよ……」
愛理はガタガタ震えながら、途中で言葉を詰まらせた。




