ph 43 知られざる黒瀧教授
phase 43 知られざる黒瀧教授
1
ジークは囚われ、逃げることが出来ない。
一方、ゾンビは牢から自由になった。
ゾンビは大きく伸びをし、軽くストレッチをした。
ジークは生まれて初めて、ゾンビのストレッチを眺めた。
ゾンビはアキレス腱を伸ばし、プチプチと腱が切れる音を立てた。
ゾンビは片足を引き摺りながら、ジークに近寄ってきた。
「最高の目覚めだよ。おはよう、人間」
ゾンビがニッと嗤った。
歯が数本、抜けている。
「おはよう、ゾンビ野郎。俺がハムエッグを焼いてきてやるよ」
ジークが唾を吐いた。
「おまえが俺のブレックファーストだよ。腸を引き抜いて、生で丸齧りしてやるー」
ゾンビがジークの側に立った。
長身のジークより、横幅と高さがあった。
生前は体重100キロ超か。
「腸なんて、排泄物いっぱい入ってんだぞ。美味いわけねーだろ? 考えろよ。それより、俺がもっと新鮮で美味いもん食わしてやる。…肉が食いたいなら、肉屋に行こうぜ」
ジークは必死に考えをめぐらせていた。
黒瀧教授が来るまで、まだ何時間かある。
「俺にとっては、おまえが最高の食材だよ。100グラム一万円の牛肉より、俺は人間が食いたいんだよー。調理方法もな、生でそのままがいいんだ。スパイスもいらねぇー。血が最高のソースだ」
ゾンビがジークの腕に手をかけ、捩じろうとした。
人食い鬼はジークの味を想像し、口の両端から涎を垂れ流した。
ジークは痛みに顔を歪めた。
「ま、待てよ。俺なんかより、女の方が絶対美味い。肉も柔らかいし、脂が多いからさ。俺は痩せてるし、筋が硬くて美味しくない。おまえ、女は食ってみたことあるのかよ?」
「あるよ。…それほど美味くなかったな。美味いのは、エネルギーに満ち溢れた肉なんだ。柔らかさなんてどうだっていい」
ゾンビがジークの指先を舐め回した。
トゲが刺さった時の傷跡をしゃぶり、赤ん坊が乳を吸うように吸った。
「おまえの魂はどんな味なのかなぁー」
ゾンビが呟き、牙を剥いた。
ジークは気を失いそうだった。
彼は本気で、大祐を恨めしく思った。
「わかった。俺をおまえにくれてやる。俺をおまえの、新しい血や肉にするんだな。おまえはかなり腐ってて、気の毒だから。…でも、一つ頼みがある。痛いのだけは嫌なんだ。一思いに、バッサリ殺してくれねーか!? 最初に首から血を吸ってくれ。…出来るだけ、そっとだ。失血死したら、その後は好きなように全部食ってくれていい」
ジークが頼んだら、ゾンビはその気になった。
「構わねーよ。その方がいいかもな。おまえの体が空っぽのシワシワになるまで、一気に飲んでやらぁー」
ゾンビがそっと、ゆっくりと、牙をジークの首筋に近付けていく。
次の瞬間だ。
ゾンビの頭が近付くのを待っていたジークは、懐中電灯でゾンビの頭を叩き落とした。
ゾンビの頭はかなり腐っていて、懐中電灯が真ん中まで、めり込んだ。
更にジークは、ゾンビの腕に手錠の鎖を引っかけた。
「何しやがる!!」
頭蓋骨を割られたぐらいでは、ゾンビは死なない。
ゾンビが腕を振って、頭に刺さった懐中電灯を引き抜いた。
その時、同時に、手錠の鎖が切れた。
ジークが自由になった。
ゾンビがジークに躍りかかった。
ジークはさっと後方に引き、ゾンビを避けた。
ゾンビはコンクリートの壁に頭をぶつけ、自分で自分の頭を割った。
脳が飛び散った。
懐中電灯のスイッチがオフになったのか、壊れたのか、辺りは暗闇に帰した。
ジークは手探りで椅子に辿り着き、椅子を武器のように構える。
前にもゾンビと戦ったが、彼等は暗闇でも目が見えるようだ。
今夜も、ゾンビは真っ直ぐにジークに突っ込んできた。
ゾンビは片手で椅子を払い飛ばし、もう片手の爪をジークの肩に食い込ませた。
ジークは前に体当たりし、拳でゾンビの腐った腹を突き破った。
黄色い汁を飛ばし、腹が破れた。
「うおぉぉおぉお…!!」
ゾンビが唸り声を上げ、片膝を床に着いた。
ジークは脇に退く。
これでもまだ、野獣の蠢く気配は衰えない。
「なんで不死身なんだよ?」
ジークはパソコンのコードを抜き、ゾンビの背後から首に掛けた。
ゾンビは苦しみ、デスクにあった文房具を床に払い落とした。
ジークがゾンビの首を強く締め上げ、ゾンビは抵抗してコードを引きちぎった。
引きちぎる時に、長い爪が自分の首に食い込み、肉ごとコードをちぎった。
黒い血が、首から噴き出た。
すると、目に見えて、ゾンビの動きが弱まった。
ゾンビは血を失い過ぎると、動きが悪くなるのだ。
「…この地下しふに、武器なんかなひと思っ…たのに…」
ゾンビが口惜しそうに呟いた。
人食い鬼は、ばったりと前に倒れた。
死んだのではない、動けなくなっただけ。
ジークは額から流れる汗を拭った。
「うう、うう……」
別の房から、野獣の目覚める呻き声が聞こえてきた…。
「おい、嘘だろ…!?」
ジークは蒼褪め、力が抜けてしまいそうだった。
2
大祐が黒瀧の別荘の、正面玄関から出て来た。
彼は口笛を吹きながら、上機嫌で石段を降りた。
ちょうど、車寄せに黒瀧教授の車が入ってきた。
黒瀧教授が執事に車のキーを渡し、玄関へ向かう。
大祐と黒瀧が擦れ違った。
「お疲れ様、今日は早いんだね」
黒瀧が微笑んで、大祐に声を掛けた。
大祐も微笑みを返し、
「ルビーの部屋で、彼女の手料理をご馳走になるんです」
と、答えた。
「それはいいね。彼女はとても家庭的で、料理も上手いらしいね」
黒瀧が手を振り、大祐は丁寧に一礼した。
大祐は黒瀧を石段の下から見上げ、
「あっ、忘れてましたが、教授。私から教授にプレゼントがあります」
と、言った。
「私に? 何だろう?」
大祐はそこで口を斜めに歪め、
「今夜、おわかりになりますよ。それまで秘密ですが」
と、薄笑いした。
「あ、そう。プレゼント、ありがとう」
黒瀧は興味なさそうに、素気なく答えた。
「お気に召すと嬉しいです」
大祐はまた頭を下げ、その場から帰った。
3
黒瀧教授は柱時計が十回鳴るのを聞いた。
「有可里、もう寝る時間だよ」
黒瀧は孫を連れ、居間を出た。
孫がベッドに入るのを見届けてから、黒瀧は一階に降りた。
彼は厨房の脇の、地下に続く扉を開け、
「ん? 人間の匂いがするぞ。一つはさっき擦れ違った、大祐の匂いだな。もう一つは…。これが大祐のプレゼントか?」
と、せせら笑った。
黒瀧は地下室に入り、まず、換気扇のスイッチを押した。
腐った玉子を、壁に塗りたくったような匂いがした。
「さてと」
黒瀧は二つの地下室の仕切りを端に寄せ、裸電球の灯りで隣りの部屋を照らした。
ぼんやりした薄明り。
倒れたゾンビが二体と、壁に凭れて座り込んでいるジークの姿が浮かび上がった。
黒瀧は溜息をついた。
「これが大祐のプレゼントか。がっかりだな。もっと大物を提供してもらいたいものだ」
ジークは大祐に、ゾンビの餌として売られたことを知った。
「黒瀧教授…。秘密を全部見せてもらいましたよ…。やっぱり、あんたが主犯じゃねーか」
ジークは壁に凭れた姿勢から、黒瀧を見上げた。
黒瀧はゾンビの男を見回しから、鼻で笑った。
「臨床実験中に起きた死亡事故は、私の意図したものではない。むしろ、私の望まぬ結果だ。治療が失敗したんだ。成功率は、未だ低い」
黒瀧はジークに視線を戻し、
「…ジークくん。君はルビーの手料理を食べに帰らないのかい? 大祐は君の留守中に、君のフィアンセの夕食を食べに行ったよ」
疲れきっていたジークの中で、怒りが激しく燃え上がった。
「あいつが?」
大祐はジークの一番の親友のはずだった。
それが、二人ともが一人の女性を愛した為に、悲劇が訪れた。
黒瀧はジークの側に寄って、中腰になった。
「ジークくん。今すぐ帰りたければ、帰るといい。臨床研究に必要な人材の君を失いたくない。私は実験体の餌には困っていないのだ。ただし、今帰ると、君は最悪の結果を見ることになる。……それでもいいかな?」
「それはどういう…意味ですか…?」
ジークは怒りで顔を赤くした。
「今日は泊めてあげてもいい。今、話をしてもいいし、明日、話してもいいんだけれど」
黒瀧が同情的に言った。
ジークは黒瀧に聞きたいことがいっぱいあったのに、取り乱した。
「帰ります」
ジークは急いで、出口に向かった。
「わかった。送っていくよ」
黒瀧が追いかけた。
助手席のジークに向け、黒瀧の独白が続いた。
「これから話すことは、そうそう信じてもらえそうにない。私は特異な血を持って生まれた。私の血を漬けるだけで、死にかけの小鳥が元気になったりしたもんだ。私は幼い頃から、人と自分が違うことを認識してきた。それは君が思うよりも、宿命的で辛いことだった…」
黒瀧がハンドルを握り、夜道を走り続けた。
「私の細胞、器官は年を経ても、余り老化しなかった。その代り、普通の人の何倍ものエネルギーを必要とした。私は二十歳を過ぎると、輸血に頼らなくてはならなくなった…」
黒瀧は輸血という言葉を使ったが、ジークは異なる意味があることに薄々気付いていた。
「私の親戚の何人かは、このような遺伝性の奇病に侵されている。私達は生存の為に、輸血を必要とするが、私達の血を与えられた者は、病気から回復することが出来る。だから、私達はこの遺伝的特質を医学的療法に役立てることを考えた。ただ、私達は異端視されたくなかった…」
黒瀧の端正な横顔を、ジークは凝視していた。
それは吸血鬼、ということなのか?
ジークの心の中に、疑問が生まれた。
黒瀧は心を読むように、
「そう、血が全ての始まりだ。私達は何故、この血によって様々な制約を受け、運命に翻弄され、闇に呪縛されているのか。私達は謎の解明を試みた。私達の血に潜むルーツとは、何なのか。何の遺伝的要因で、私達のカラダはこのような、奇跡の回復力、再生力を持つのか。言うなれば、最新医療の言う万能細胞と同じだ。私達の血だけが、何故に万能なのか? そして、その代償に……。君も見ただろう? 時として、何故あんな変貌をもたらすのか!?」
と聞いてきた。
「ジークくん、奇怪でグロテスクな変貌を、君も目撃したんだろう? 患者達が骨や関節を軋ませながら、怪獣のごとく変貌していくのを…。あれは痛々しい副作用なんだ」
ジークは重い口を開いた。
「ケイシーは……成功だったんですか?」
しばらく、空気が滞った。
黒瀧は無表情に答えた。
「いや、失敗だ。ある意味では。始め、彼の変化が好調だった。私達は喜び、謎の解明に期待を深めた。そして、結果を急ぐ余り、輸血の濃度を上げ過ぎたんだ。私達は、とんでもない化け物を作ってしまった……」
ジークは黒瀧の様子から、後悔を感じ取った。
「…制御不能ですか?」
「そうだよ、完全に私達の手元を離れてしまった。居場所は大体わかってるが……、彼を捕獲するのに、犠牲が出るかも知れない。私達は、それでためらっている」
「ケイシーは人間を襲って、血を吸ってるに決まってる!! 今に、この国でパニックが起きるぞ!!」
ジークが言葉を荒げた。
黒瀧は冷ややかにジークを見た。
「ケイシーの知能とグレードであれば、そういう心配はない…。彼は人知れず、狩りを愉しみ、うまく社会に溶け込んで暮らしていくだろう。…一匹狼ということさ」
ジークは腑に落ちなかった。
「ケイシーを…化け物にしておいて、放置するんですか!?」
「仕方ないんだ。迂闊に手出し出来るレベルじゃないからね。君も、ケイシーをどこかで見掛けても、刺激しないように。人間の適う相手じゃないから」
「最終的なゴールを、どこに設定してるんですか?」
ジークの言葉に、黒瀧は朗らかに笑った。
「はっはっは。何だろうね。私達は自らのルーツを知り、絶望するかも知れないね。何故、私達だけがこんなに異なる体質で、人間は程よく軟弱なのかとね」
黒瀧は真面目に表情を引き締めた。
「ジークくん。ケイシーを放置しているんじゃない。研究は続行している。ケイシーは私達の行く末を暗示する存在となる。彼の進化の先を見なくてはならない」
「くだらねーと思います」
ジークは拳で膝を叩いた。
「君にはわからないよ。私達と立場が違う」
「全ては、あなた方の為なんですか?」
ジークと黒瀧の目が合った。
「君のこれから苦悩することになる問題の方が、私にはくだらなく思える。…君は全てを失うが、最初から大事にする値打ちのない程度のものなんだ。君はそんなもの無くても生きていけるはずなのに、つまらない人生の喪失感の為に、本気で死を願ったりするだろうよ」
黒瀧はハスキーな声で話し、予言めいたことを告げた。
実際、その言葉は、ジークの現実となる。
ジークは何も答えず、黒瀧の車を降りた。
宿泊先のホテルの前に着いていた。
4
ジークは胸が張り裂けそうな思いで、苛々しながらエレベーターの表示を見た。
「早く、早く…!!」
祈るような思い。
大祐がジークの婚約者を、ジークのいない間に独占している。
黒瀧教授が仄めかしたような、大祐の誘惑がありませんように。
ジークの心に、予想外の嫉妬と苛立ちがあった。
「違う、俺はルビーを信じてる」
ジークは自分に言い聞かせた。
でも、エレベーターの扉が開いたら、廊下を走っていた。
ジークが鍵を開け、部屋に飛び込んだ。
彼の眸は、大祐の姿を探した。
「あ、ジーク。お帰りなさい。遅かったね。晩ご飯、温めようか」
ルビーがいつもと変わりない笑顔で、彼を出迎えた。
「大祐は!?」
「もう帰ったけど? ジークが遅くなるから、夕食代わりに食べます、だって。面白いね、大祐くん。…何かあった?」
ルビーが不安そうに、ジークの眸を覗き込む。
ジークは全身の力が抜け、座り込んだ。
「イヤだー、ジーク。これ、何の匂いー? ゴミ箱に転げ落ちた感じ? 先にシャワー浴びてくれない? その間に、おかず温め直すから」
ルビーがキッチンに向かう。
ジークは、彼女が婚約指輪をしてないことに気付いた。
「指輪、どうしたの?」
ルビーは慌てて、床を探した。
「ジークはもう戻って来ない、って、大祐くんがふざけて指輪を抜いて、床に投げちゃったの。今、ずっと探してたとこよ」
ジークはふらっと寝室に入った。
ベッドの下に、指輪が転がっていた。
「何してくれてんだよ」
ジークが凄みのある声で、ルビーに呟いた。




