ph 42 惨劇の別荘
phase 42 惨劇の別荘
1
埃っぽい空気が、二人を待っていた。
物置小屋は薄暗く、荷物が山積みされている。
二人は手探りで進んだ。
「ジーク。そっちに壁伝いに進むと、ドアがある…。外の閂は外してある…」
大祐がひそひそと囁く。
ジークは緊張し、指でドアを探した。
「ちっ」
ジークの指が、ささくれだった棚板に触れ、薄く皮膚を裂かれた。
「どうした? 大丈夫か?」
背後から大祐が覗き込む。
「ああ。トゲが刺さっただけ。もう抜けた」
「ドン臭いって、おまえはー」
大祐もかなり緊張していると見えて、焦っている。
ジークがドアをそっと開いた。
古いドアは予想外に、大きな軋み声を上げた。
二人は口から心臓を吐き出しそうになった。
廊下に人影はなかった。
寿命が切れかけた蛍光灯が、磨かれた床板をぼんやり照らしていた。
「右に曲がって、その先をしばらく真っ直ぐに進むんだ。左手に厨房がある。その向うだ。人が出て来たら、すぐに物陰に隠れろ」
大祐が言った。
「間取りがわかってんなら、おまえが先に歩けよ」
ジークが言うのに、大祐は首を振った。
「同じだ。俺は後ろを見張りながら歩く。俺達は四つの眼で、四方を見なきゃいけない」
ジークは渋々、廊下を進んだ。
厨房からは、夕食の用意をする物音や、使用人達の話し声、ぱたぱたと歩き回る靴音が聞こえる。
ジークと大祐は足音を忍ばせ、厨房の前を通過した。
二人は地下室の扉を見つけた。
扉を開けると、ひんやりとした風が地下から吹き上がった。
螺旋状の階段は石造りで、照明器具が一切なかった。
暗闇が二人を待っている。
大祐が用意していた懐中電灯を出す。
階段の終わりに、鉄の扉が二人を出迎えた。
「…おい、入るのか?」
ジークが大祐を振り返る。
「ここまでは来たことがある。あの扉には鍵がかかってない。…大丈夫だ。まだ教授の降りてくる時間じゃない」
ジークが不安を押し殺し、扉を開いた。
嫌な金属音が高く響いた。
ジークの心臓は激しく鐘を打ち鳴らしている。
扉の内部は、獣がいるみたいな匂いがする。
基礎工事の後、何も内装がない壁。
床もコンクリートのまま。
綿埃が落ちている。
「大祐ぇー、これ、何の匂い? おまえの香水か?」
「なわけないだろ。動物園みたいな匂いだな」
大祐が鼻を摘んだ。
二人の靴音の反響から、地下室の広さが何となくわかる。
左右の壁に大小幾つもの房があり、鉄格子が嵌まっていた。
鉄格子を見て、ジークが騒ぎ始めた。
「うわー、何だよー!? これって、昔の牢屋じゃねーの?」
地下室に人の気配がなかったから、彼はうっかり大声になった。
「まさに動物園だなー。何を飼育してたんだ?」
大祐は懐中電灯で房を一つずつ照らし、覗き込んだ。
「こんな地下で動物飼うわけねーだろー。不適合者を隔離してたんじゃねーのかぁー?」
ジークは後ずさり、壁に背をぶつけた。
その壁が、突然彼に凭れかかってきた。
「あわわわわわ、わっ!!」
ジークは伸し掛かってきた白骨を払い、二度三度、大袈裟にジャンプした。
「馬鹿だな。骨格標本だよ。精巧に出来てるやつだ」
大祐は笑って標本を抱き起し、壁際に立たせた。
「何、標本に親切にしてやってんだよ。驚いたじゃねーか…」
ジークは泣きそうになった。
「たぶん、ここで実験動物を飼ってたんだろう。…ちょっと大型の。やっぱり、俺が予想した通り。秘密の研究室だ」
大祐は嬉しそうに叫び、机のパソコンを起動させようとした。
残念だが、パスワードがわからなかった。
大祐が次々と棚を漁り、知りたい真実を探した。
ファイルを棚から抜き出し、懐中電灯で内容を確認して、乱暴に投げ捨てた。
「大祐、こっちは何だと思う? 今度こそ、棺桶が並んで…」
ジークは仕切られた地下室の奥へ入った。
壁の照明スイッチを押したら、天井から吊り下げられた裸電球が点き、仄かに明るさを持った。
電球の真下に、手術台があった。
ジークの視線は手術台に吸い寄せられた。
手術台には、渇いた血がこびりついていた。
つい最近、何かを解剖したみたいに、台の上は血だらけだった。
台はアルコールで拭かれず、血を舌で舐め回したみたいな跡が残っている。
「…イヤな光景を思い出した…」
以前、ジークは同僚の遺体を手術台で発見した。
遺体の腹が破れ、腸が床まで垂れているのを見た。
「それほど大きくないものを切り刻んだな…」
大祐は冷静に喋った。
「おい、それって子供か? 人間の子供か?」
「…そのぐらいだと言える。或いは、交通事故に遭った子鹿かも知れないけど」
大祐は血の跡を指でなぞった。
「うへぇー! あの教授、ろくでもねぇー」
ジークは吐きそうになった。
彼は駆け出し、シンクで唾を吐き、普段のオペのように手を洗って消毒した。
ジークが冷蔵庫を開けた。
ビニル袋に分けられた、肉の塊。
彼は何が入ってるのかと、袋を覗いた。
その時、彼は手に取ったものを見て悲鳴を上げた。
「ヒャー!!」
ジークは手掴みにした子供の頭部を、大祐にパスした。
「また標本か?」
大祐は感情も浮かべず、片手で受け止めた。
鋭い切断面に目を向ける。
と、長い睫で縁取られた少女の眼が、かっと開いた!
「そんな標本ねーし!」
ジークは後ろ向きに尻を擦って、冷蔵庫の前から退散した。
少女の死体、けれど、殺人事件じゃない。
その死体の各パーツは、ビニル袋の中で、かさかさ音を鳴らした。
冷えた指が動いていた。
袋が一つ、冷蔵庫の前に落ちた。
その袋の中に入っていたのは、少女の右手の、手首から先だけ。
手はピアノを弾くように動き、ひとりでに袋から出て来た。
少女の指が激しく床を叩き、ジークに近寄っていく。
「あはははは。遊ぼうよ…」
大祐が受け取った頭部が喋り、にこっと笑った。
「子供でも実験してたんだな、教授」
大祐は平然と言い、女の子の頭部の、バリバリに固まった髪を撫でた。
「ゾンビだぞ、噛まれるぞ!!」
ジークが女の子の手首を蹴飛ばした。
「ジーク、そんなひどいことするなよ。優しくてあげなきゃ…。この子、死んでるんだぞ」
「蘇ってるけどな!」
ジークは言い返し、急いで冷蔵庫を閉めた。
「あっ、私、腐っちゃう。冷蔵庫に戻らなくちゃ」
女の子が英語で言った。
「その男の血を飲めば、腐らないかも知れないぞ」
大祐が女の子の頭を、ボールみたいにジークに投げた。
「変なこと教えるなよ、てめーは!!」
ジークは頭を受け取り、袋を被せて、冷蔵庫に戻した。
「ジーク。俺達はもう、黒瀧教授の共犯なんだ。これから先、どうする?」
大祐が溜息混じりに言った。
「どうもしねーよ。ルビーがこんなインチキ治療に飽きたら、日本に戻る」
ジークは肩を竦めた。
「俺達は深く関わり過ぎた。教授が主犯なのも知ってる。でも、警察には届けてない」
「警察にあいつらの親戚がいるからな」
ジークは手術室の電気を消し、獣臭い部屋に戻った。
「なぁ、大祐。ここはゾンビの檻だ。あいつら、患者が退院したと見せかけて、実験してたんじゃねーかな? 行方不明になった人達は、実はみんな、ここで……」
ジークはうろうろと、暗がりを歩き回った。
「ジーク!!」
大祐がジークのシャツの胸ぐらを掴んだ。
「俺は決めたんだ。この研究を暴くか。それとも、この内容をコピーして、どこかのブラックマーケットで売るか。知らない顔で逃げ切るなんて、最早不可能なんだよ!」
大祐の眼が血走っている。
「え? 売る? 気でも狂ったんじゃねーか? どうした、大祐? おまえらしくもねーな。こんな人体実験見ても、おまえは何も感じなくなってんのか!?」
ジークは至近距離で、大祐と睨み合った。
「心の闇だ」
大祐が心情を吐露した。
「心の闇が、俺を蝕んでいく。何かドロドロしたものが、心の奥底から少しずつ膨らんできて、俺を芯から腐らせていく。俺は…どうかしてしまったんだ。狂いそうなんだ。…おまえを見てると」
「俺が…? なんで?」
ジークは全然、心当たりがない。
「ああ、おまえのせいだよ。ジーク。全部言わなきゃ、わからないのか? おまえが憎くて、殺したくて、仕方ないんだ。それで、俺の心が真っ黒に染まってくんだよ!!」
憎しみを曝け出す大祐に、ジークは戸惑う。
「大祐、…何を言って…?」
「おまえさえいなきゃ、…俺はずっと、そう思ってた! おまえの横で、長い間ずっと、俺は…おまえの幸せそうな顔を見て、……憎くて憎くて…!!」
大祐は本音を全て口に出し、自分が壊れていくのを感じた。
「ジーク。おまえさえいなきゃ…、俺は絶対、すげーハッピーになれたんだよ!!」
大祐がジークの腕を掴んだ。
「ジーク、これは逆恨みか? 俺だって、自分が間違ってることぐらいわかってる。俺達は親友だった。おまえの幸せを願うのが、親友として当たり前だと思ってた。でも、いくら自分を言い聞かせても、この気持ちはどうにも我慢出来ない。憎しみが俺の中で満タンになった!! だって、もう二回目なんだ。大学にいた時もそう…、…おまえは大して男前でもないくせに、成績だってぱっとしないくせに…、俺が本気で好きになる相手を…、先にモノにしてしまう……」
大祐が啜り泣き始めた。
「おまえ、もしかして…、まだルビーを…」
ジークは漸く、理解した。
「ジーク!! どうするか、選ぶんだ。一人でこの街を去るか、実験体になるかだ。時間をくれてやる。…毎晩十時に、黒瀧教授が地下室に来る」
不意打ちで、大祐が掴んでいたジークの手に、手錠をかけた。
手錠の片側は、近くの鉄格子に繋がれた。
ジークは腹を大祐に蹴り飛ばされ、床に倒れた。
余りのショックに、ジークの頭の中が真っ白になった。
「バイバイ、ジーク。ここはゾンビの巣窟だ。間もなく、日が沈む。あいつ等が目を覚ます。自分で何とかする方法を考えてくれ」
大祐が急に笑い出し、ジークの足元に懐中電灯を転がした。
「さっきの女の子と、遊んであげなよ。ジーク」
ほくそ笑む大祐の顔が、僅かな灯りで悪魔のように見える。
大祐は鉄扉を勢いよく閉めた。
「うう、う、うう…」
鉄格子の奥から、低い唸り声が聞こえた。
野獣の声だった。
2
「うう…」
野獣が呻いた。
「血の…匂いがする…。人間の匂い…。これは夢か…?」
野獣は鼻を鳴らし、匂いを嗅ぎまくった。
ジークはトゲで指を刺した時に、ほんの少し、血が出たことを思い出した。
獣の気配がずるずると、四つん這いで鉄格子に近付いてくる。
ジークは距離を取ろうとした。
手錠の鎖がぴんと伸びて、鉄格子から離れられない。
「血…。血だ…。…人間がいるっ!!」
しわがれた声で野獣が叫ぶ。
鋭い爪が鉄格子に触れ、地面から上がってきた。
ジークは懐中電灯を拾い、光を突き付けた。
「眩しい!!」
野獣が怯み、一歩、房の奥へ下がった。
「お、おまえ…。黒瀧教授の患者か!? た、助けに来てやったぞ」
ジークは出鱈目に言った。
「俺は志願者だ!!」
男のゾンビが返事をした。
その息から、腐臭が漂った。
男はかなり腐っていた。
「志願? 何の?」
ジークは焦った。
手錠を解く方法がない。
思いもかけない、大祐の策略に嵌まった。
「白衣を着てるな。俺はおまえの前任者だ。俺は不死になりたくて、自分から志願したんだ!!」
ゾンビが喚き、鉄格子の側に擦り寄った。
「食いたい、人間が食いたい。早くしないと、俺は腐って磨滅してしまう…」
ゾンビの腕が鉄格子の外に伸び、長い爪をジークの手首に掛けた。
「もう何カ月も食ってない……」
ゾンビが告白した。
ゾンビの喉が大量の涎で、ゴクゴク鳴った。
「おまえも医者かよ。じゃ、教えてくれ。これは感染症か? なんかの生物兵器か?」
ジークが問うた。
精一杯、手錠の鎖を外側に伸ばしながら。
「はは、そんなもんじゃないよ。これはなぁ、一種の呪いだ。俺達が学んできたこととは正反対の、最も非科学的な領域だぁー!」
ゾンビは床に涎を垂らし、鎖を引き寄せようとした。
ジークは眩い光をゾンビに向け、その視力を奪おうとした。
しかし、ゾンビは眼を閉じても、正確に鎖を引っ張った。
「おまえも俺と同じ道を辿ればいいじゃねーかよう。そうすりゃ、この体内の変化について、正確なレポートが書ける。まあ、そんな気力は失われると思うがね。理性なんて残らねぇー。あるのは、食欲だけだぁー!!」
苛々したゾンビは、両腕にぐっと力を込め、鉄格子を曲げようとした。
今までにも、ゾンビは何度も挑戦した。
しかし、この鉄格子は太くて、ゾンビの怪力でも易々とは曲がらなかった。
それが、今、美味しそうなご馳走を目の前にして、腐った腕の力を使いきるほどに激しく、ゾンビは少しずつ鉄格子を曲げていった。
ジークは焦って、何とかその場を凌ごうとした。
「落ち着けよ。俺はそんなに美味くねぇって。ちょっとインタビューさせてくれよ。おまえはどうやって、ゾンビにしてもらったんだ? 点滴か?」
「ぶはぁー!!」
ゾンビが腐敗臭を吐きかけた。
「俺は不適合者の烙印を押された。そして、捨てられてしまったんだ。後は黒瀧の実験の為に、時々細胞を提供するだけ。このカラダは、もう長く持たねぇ…。残る手段は一つ。おまえを食って、進化するしかねーんだぁー!!」
めきめきと、ゾンビが鉄格子を曲げていった。
人間の頭が一つ、通れるほどに。




