ph 41 分かれ道
phase 41 分かれ道
1
ジークは額の血を拭おうとしない。
ただ、棒のように突っ立っている。
ヨッシーが愛理をへっぴり腰で引き寄せ、尻餅を着いた。
愛理はうろたえ、
「ど、どうしたの、ヨッシーさん…。何言ってんの…?」
と、早口に言った。
「あああ、愛理ちゃーん!! 後で話すっ!! 早く逃げて…」
ヨッシーは鼻水を垂れながら、愛理の前に手を広げ、彼女を庇った。
ヨッシーは情けないぐらい震えていた。
が、彼が鵜野にやられたことを考えれば、その行動は立派で勇敢だった。
愛理は瞬間的にヨッシーの記憶を読み取り、状況を理解した。
「ヨッシーさん、それは本当のジークじゃないよ!!」
「愛理、警察が来た」
ジークが愛理の片腕を引いた。
警官が二人に気付き、マンションの前からこっちに駆け寄ってくる。
「だって、ジーク……」
愛理がジークを振り返った。
ジークはとても悲しそうな顔をして、ヨッシーを見詰めていた。
「でも、俺は連続殺人事件の犯人じゃない…。犯人を捜してたんだ…。ヨッシー、……それはわかってほしいんだ……」
彼は苦しそうに言った。
ヨッシーは恐ろしさと、嫌悪の籠った眸を向けた。
「ジークさん……。俺はもう…、もう…、あなたが怖いです」
ジークとヨッシーは互いに、初めて会った日を思い出した。
数ヶ月前のある夜、ヨッシーの店で客が暴れ出した。
ある客がワインの瓶を振り上げ、その喧嘩相手の外国人の男が刺青だらけの太い腕で、ワイン瓶の男を一発殴り飛ばした。
更に、感情が高ぶった男はナイフを取り出した。
ヨッシーは流血沙汰を覚悟し、割って入った。
ヨッシーは頭をへこへこ下げて、男二人に喧嘩をやめるように頼んだ。
彼は穏便に済まそうとした。
だが、腹の虫が収まらない男は、何故かヨッシーにナイフで切りかかった。
「ひいっ」
ヨッシーは心臓が縮むような思いをした。
でも、ジークが一瞬のうちに刺青の男の腕を怪力で捩じり上げ、素早くワイン瓶の男の肘を逆に捩じって、ナイフと瓶を落とさせた。
二人の男は床に崩れ落ち、長身のジークを見上げ、慌てて出ていった。
ヨッシーは目を瞬かせた。
「最近、急に動体視力が上がってさー。死んで生まれ変わった感じ? なんかさぁー、俺以外の奴の動きが全部、すげーとろく見えるんだよ」
ジークはヨッシーの腕から血が流れてるのを見た。
「あ、救急箱みたいなのってある? 縫うほどじゃねー、掠っただけだ。消毒しといた方がいい」
ジークはカウンターのバイトの女の子から薬を受け取り、ヨッシーを手当した。
ガーゼを切り、テープを使って傷の上に貼った。
器用に包帯を巻くのも、何だか手慣れている。
まるで、医者みたいだ。
「はぁ、強いんですね。俺、喧嘩はどうも、得意じゃなくて…」
ジークは年下の店長を、じっと見た。
「すげーうまかった。あの生パスタ」
「そうですかね」
「俺、ニンニク大好きなんだ…。吸血鬼になれない男」
ヨッシーは笑い出し、
「いいですね。じゃ、お礼に一週間食べ放題の無料券をプレゼントします!! 毎日でも食べに来て下さい。うちの店の用心棒をお願いします。なんたって、ここは不二富町の真ん中だから!!」
と、手を差し出した。
「ま、マジで!? 俺、毎日来るよ。突然の一人暮らしなんだけど、料理が一切出来なくて。買ってきたものをチンするのも面倒で…」
ジークは嬉しくて、両手でヨッシーの手を握り返した。
「一人で食べても美味しくないでしょ。ランチタイムもやってますから、本当に昼夜食べに来て下さいよ。歓迎しますから」
ヨッシーの優しい笑顔、笑窪がきゅっと入って、目尻が垂れ下がる。
色々と思い返し、ジークの胸が痛んだ。
ヨッシーは心の動揺を意識しながら、
「け、警察ぅー。こっちー、た、助けてぇー!!」
と叫んだ。
「行くぞ」
ジークが愛理の手を掴み、走り出した。
「あっ、待て!!」
警察官が叫ぶ。
振り切って、ジークと愛理は必死に走った。
2
格子戸を引き、
「御免下さーい! 三浦先生ー」
ジークが三浦邸の玄関を覗き込んだ。
「先生、ちょっと献血お願いしまーす」
ジークが返事を待たずに上り込む。
後から、恐縮しながら、愛理も純和風の玄関に上がった。
「あ、ジークさん…」
深由が現れた。
手にはバスタオルを数枚、抱えている。
「え、どうしたの? 三浦先生、入院したの?」
ジークが慌てた。
避けられない時が来ていた。
「ジークさん…。献血なら、私がします」
深由は俯いて答えた。
「おじいちゃんはもう…、ダメかも知れないの…」
彼女は泣いていたらしい。
「そう…」
ジークは情けなくなった。
内科医だった時も、何度も何度も出くわした場面だ。
彼は不器用で、何一つ、慰める言葉も出ない。
深由が白く透き通る肌の、細い腕を差し出した。
ジークは右の掌に、蛇のような毒牙を生やした。
牙が深由の肌に食い込み、右手が喉を鳴らして、美味しそうに血を飲んだ。
ジークの疲れと痛みが和らぎ、眼がとろんとする。
血を吸われている間、深由もうっとりとした。
恋人とキスを交わしている時のように、深由が幸せに満ちた表情をするのを、愛理は座敷に座って眺めていた。
「ジークさん、昨夜、おじいちゃんが会いたいって言ってた。…私の代わりに、行ってもらえないかな…?」
軽い貧血を起こした深由が、ジークに荷物を託した。
「うん、行くよ。先生には沢山、恩があるんだ…。何も返せなかったな…」
ジークはしみじみ呟いた。
廊下で愛理を待たせ、ジークは一人で個室の病室に入った。
ジークの見慣れた光景があった。
点滴に繋がれ、ベッドで眠る老人。
側の医療機械の画面には、血圧と脈拍、呼吸の表示が点滅し続けている。
「三浦先生…」
「ジーク…くんか…」
酸素マスクをずらし、三浦が喋ろうとした。
「マスクしたままで聞こえてますよ」
ジークは枕元に近い椅子に座った。
一般病室のパイプ椅子と違い、個室は洒落て上質なインテリアになっている。
「君に遺言を…残そうと思ってな…」
三浦が寝たまま話した。
「何でも聞きますよ、俺でよけりゃ」
ジークは複雑な思いで、三浦を覗き込んだ。
こんな医師みたいな姿勢で、三浦の最後と向き合うことになるなんて。
染みだらけの三浦の顔、肌は薄茶色に濁った蝋のようで、眼の色が薄くなって、死相が現れている。
皺が落ち窪んだ眼を囲み、髪に寝癖がついて束になっている。
「私が死んだら…、よろしく頼む。あの黒蝶の始末を…、君しかいない…」
「わかってます、先生」
ジークが力強く答えたら、三浦はすっと涙の粒を流した。
「修羅の戦いが君を待つ…。心安らかになる日は、ないかも知れない…。私は残酷なことを頼んでいる…。過酷な宿命の君に…。君も、ろくな死に方をしないかも知れない…。教え子にこんなことを…頼むなんて……」
三浦は泣き続けた。
「わかってますってば、先生。俺こそ…、立派な医者になれなくて、すみません」
ジークが三浦の手を取った。
「ジークくん!」
急に、むくっと三浦が起きた。
マスクが大きく歪み、顔から落ちた。
ベッドが軋んだ。
「わ、私を吸血鬼にしてくれ! 私も共に戦いたいんだ!!」
三浦が大声で言った。
「いや、違う。まだ死にたくないんだ。私を助けてくれ!! 死にたくない!!」
三浦が恥もかなぐり捨て、ジークにすがりついた。
「弱い人間だと笑ってくれ!! 何百人もの患者を看取ってきた。静かに死を、現実を受け入れるように諭してきた。その私が、だ。死ぬのが怖くて泣いてる。君と再会する前は…、最早なす術なく、死を受け入れてたのに! 今となっては…、ああ、吸血鬼になってもいい。生きていたい。何をなそうと言うのですらない。この年寄りだ。もう思い残すこともないはずだったのに! 死ぬことだけが怖くなったんだ!!」
三浦は子供みたいに泣きじゃくった。
「いや、こんな頼みは聞かないでくれ。聞き流してくれ、頼む。ああ、私は死にたくない。でも、死ぬしかないんだ。せめて、最後の時が来たら…、私に苦痛がないように、君は私の血を残らず飲み干してくれ! 私の血を、君の中に生かしてくれ……」
三浦が泣くのを、ジークは黙って、抱き留めていた。
ジークが病室から出て来た。
「もういいの? 話は済んだ?」
愛理がタオル地のハンカチを差し出した。
ジークはそれを目頭に当て、数歩進んだ。
愛理はジークの背中を見上げた。
ジークは時折、肩を小刻みに震わせていた。
3
消灯後の真っ暗のロビーで、ジークと愛理は並んで座っていた。
「どこまで話したっけ?」
ジークが膝の上で、手を組んだ。
彼は無言で過去を振り返った。
海外の美しい自然に囲まれた街で、彼は最愛の人と知り合った。
とにかく、毎日が充実していた。
しかし、不思議な怪事件が起こり始め、末期の癌患者達は若返り、苦痛を訴えながら異変をきたしていく。
病棟のゾンビに襲われたジーク。
特Aクラスの吸血鬼誕生となったケイシーがゾンビを殺し、逃亡した。
結局、生き残りのゾンビ患者は衰弱して死んだ。
そしてまた、癌患者を吸血鬼にする為の研究が続いた。
その実験の事を、愛理は伯父から聞いて知っていた。
吸血鬼を人工的に作り出す実験。
闇の血に不適合だったものは、やがてゾンビ化し、死ぬ運命だった。
しかし、愛理は黒瀧教授の研究の目的までは知らなかった。
吸血鬼を作り出す実験は再開され、ジークは黒滝教授に操られるように実験を手伝った。
ルビーは彼のクロスのペンダントを付け、黒瀧教授のアシスタントになった。
彼女は弟の為に、不老不死の秘薬について探り出そうとしていた。
そして、ジークの同僚の大祐も、黒滝教授に近付き、一日中監視し始めたのだ。
ジークは記憶の中に、心を投じた。
愛理は同じ記憶にシンクロし、その映像を脳裏に描き出した。
ジークは、行方不明のケイシーのカルテを見つけた。
カルテは一年も前から、内容が更新されていなかった。
最後の診察日の記述は、黒瀧教授のサインで、
「順調」
と一言だけ、記入されていた。
順調だったのに、ケイシーは隔離されたのか?
ジークはここに何か、真相が隠されている気がした。
ジークは消えたケイシーを探した。
ケイシーは血を飲みたがったから、事件を起こしていてもよさそうだった。
それなのに、州内はおろか、州外でも、それらしい事件は起きてなかった。
街を離れると、郊外は田舎というより、手つかずの自然のままだ。
余り現代人には不向きな環境、厳し過ぎる自然が待っているように思う。
「ケイシーはどこへ行ったんだ?」
ジークは英字新聞の三面記事を、毎日全て読み通した。
しばらく経ち、大祐がジークを、病院の裏口に呼び出した。
「ジーク、手がかりを見つけたんだ。黒瀧教授は毎晩、地下室に降りる。地下に何かあるみたいだ」
「へーっ、でかい棺桶でもあるんじゃねーのか?」
ジークがふざけた。
「そうかも知れない。でも、何か特別な研究室があるのかも知れない。俺は行ってみる」
大祐が口をへの字に曲げ、頑なに言い張った。
「やめとけよ。来週なら、俺も付き合う。今週は…、俺は釣りに行く」
「ジーク!! またか? また釣りなのか!?」
大祐は呆れたように言う。
「今週はルビーの弟を連れてくんだよ。憂ちゃん。…あの、可愛くねー弟をだよ。俺とルビーのデートを毎回邪魔するようになったんだ! で、ルビーも言うんだ、憂ちゃんを楽しませてあげたい、とか」
ジークは口惜しかった。
「そうかい。俺は構わないよ。釣りはどこへ?」
大祐は苛々して、貧乏ゆすりを始めた。
「湖だよ。黒瀧家の別荘の側の。釣りのボートから、おまえの活躍を見ててやるよ!」
「チェッ。お気楽過ぎるよ。何人死んだと思ってる?」
大祐は腹を立てた。
「じゃ、今日はつき合えよ。ジーク」
大祐がジークの白衣の襟を引っ張った。
「おい、マジかよー。これから? 可愛いフィアンセが晩飯作って、部屋で待ってんだよ」
ジークがのろけて言った。
ジークは最近、婚約者ルビーと同室にしてもらっていた。
大祐はかっとなった。
「ジーク。俺ばっかり、危ない橋を渡ってるんだ。そろそろ、折れた骨もくっついてきただろ?」
「うわ、また傷が開くよ。そんなすぐに治んねーよ」
ジークは駐車場へ引き摺られていく。
「大祐ー! 荷物が、ロッカーに…」
「どうせ、タバコだけなんだろ?」
大祐が車の助手席のドアを開き、ジークを押し込んだ。
荒っぽくドアを閉め、彼自身も乗り込む。
「いいか、ジーク。俺は考えてたんだ。ゾンビになるにせよ、だ。この治療法は考え方によっては、永遠に生きる方法をもたらす。かなり非人道的ではあるけども、要は血さえ与えれば、患者の苦痛を減らすことが出来る。暴走しないようにコントロール出来るなら、こんなすごい科学的な医療はない…」
大祐は運転しながら、ジークに話した。
ジークは足をダッシュボードに載せ、大欠伸した。
「ルビーに毒されたか? いや、元々おまえはそういう、不老不死の秘薬を研究したがってたよなぁー。
お生憎、俺は考え方が逆なんだよ。こいつは死ぬ間際の苦しみを長引かせる、最悪の延命治療だって」
「だから、聞けよ。ジーク、最後まで俺の話を。こんな研究の成果は学会に発表する必要はない。何故かってーと、世界中からその秘薬の買い手が付くだろう? 黒瀧教授は潤沢な資金を持ってるんだ…。どんなスポンサーが付いてるか、その顔ぶれに興味ないか?」
大祐は興奮気味だった。
ジークは嫌そうに口を尖らせた。
「興味ねーな。金持ちの金頼みの、地獄便に乗るのを遅らせようとする悪あがき……」
ジークは皮肉たっぷりに含み笑いした。
「俺達がそれを手に出来るとしたら…」
「はぁー、冗談きついぜー。大祐、おまえはゾンビ志願かぁー!?」
ジークは驚いて、大祐に向き直った。
「そうじゃない…。ジーク、わかんないのか? これは年末ジャンボの一等前後賞じゃない、もっとすごい巨額の汚いマネーが絡む話なんだけど…。そこの中心に俺達がいるんだって、すごいことだと思わないか?」
「そのうち、俺達が餌にされちまうんだぞ? 寝ぼけんなよ、大祐!! 目を覚ませ!!」
ジークは大祐が黒瀧教授に洗脳され始めていると思った。
以前は、患者達の様子を悲しんでいた、正義感の強い彼が。
二人は別荘の裏手の森に、こっそり車を停めた。
草むらを歩く時、冷たい風が吹いて、大祐が薄いコートを抱くように歩いた。
彼の青白い顔がジークを見詰め、
「ジーク、建物の見取り図を手に入れて、俺の頭の中に完璧に入ってる。一階の奥の使われてない小屋の、窓の鍵が壊れてる。そこから入って、最短距離で地下室へ行くから」
と、強制的に連れて行く。
ジークは何故だか、背筋がゾッとするのを感じた。
大きな失敗をして後戻り出来なくなるような、そんな予感がした。
大祐の表情が、操られているみたいに虚ろに見える。
「おう。俺は怖かねーよ」
ジークは意地を張った。
二人は建物に付属した物置小屋から、窓をこじ開け、侵入した。




