ph 40 闇の契約書の、最後の一行
phase 40 闇の契約書の、最後の一行
1
ジークがナオの結界の壁を通過した。
続いて、ガラスのタワーの形をした、鵜野の結界を通過した。
鵜野が驚いて言う。
「空間を斬り裂く黒飛龍剣もなしに、貴様はどうやってジャンプした?」
ジークは黒く塗り潰された空を、大きな翼で滑空した。
彼はタバコを指で弾き、麒麟の顔にめがけて投げた。
「知るかよー。ここはおまえの世界じゃねーかぁー。ここじゃ、最初から、決まったルールなんかありゃしねー」
麒麟は鼻息でタバコを吹き飛ばした。
「この世界は、俺がコントロールしている。貴様に俺の結界が破れるはずがない。俺が貴様をただ殺すのでは面白くないから、少しずつ抜け道を用意して、ゲームを刺激的に進めてやってるんだ」
麒麟が言い訳のようなことを言った。
「うぜぇー、馬ジジィがー!! 早くくたばりやがれぇー!!」
ジークは底に達し、ナオの刀を拾い上げた。
刀は落雷を受け、柄巻きが燃えてなくなっていた。
更に、切っ先10センチが折れてしまっていた。
「そんなちびた刀を、何に使う?」
麒麟は可笑しくて仕方ない。
「黙れー!!」
ジークが刀を構えたら、納豆のような糸を引き、ネバネバした黒い液体が太腿に垂れた。
鵜野の血液である。
鵜野は天空に向かって羽ばたき、神獣の声で嘶いた。
「シャアアーアーー!! シギャアアッ!!」
天が光った。
稲妻が黒雲を照らし、雷鳴をオーケストラのように壮大に轟かせた。
雷鳴の交響曲が始まった。
黒雲の中を走る、金色の光。
弾けるような音が、交響曲を盛り上げていく。
「ちゃちな花火だったな。もう一度、俺の鼻先に雷を落としてみるといい。俺も貴様の為に、大花火を打ち上げてやろう。百連弾ぐらいでな…」
麒麟が黒雲の上に駆け上がる。
「待て、クソジジィー!! 馬サシにしてやる!!」
ジークが鋼の刀を高くかざし、鵜野を追って飛び上がった。
「ジーク、危ない!!」
ナオが思わず、目を閉じた。
2
雷の雨が降った。
落雷が雨のように隙間なく、地表まで無数に走った。
耳をつんざく音は限界を超え、世界は鼓膜を失って、静寂と化した。
地表は赤々と燃え、地獄絵図のようだった。
炎が大きく立ち上がり、踊るように揺らめいた。
上昇する気流が、熱風となった。
タワーは蒸し焼き状態で、闇の水が煮え立った。
「どこだ、ジーク…」
雲の切れ間から、麒麟が顔を覗かせた。
「くくく、わざわざ避雷針みたいに、あんな鉄屑を掲げて…」
鵜野の嗤いが止まらない。
見下ろす谷間は、地獄火に燃えて赤く、眩しかった。
「さぞ、真っ黒焦げの炭になっただろうよ…」
鵜野は炎の中に、ジークの死体から微かに放たれるであろう、波の残り火を見出そうとした。
ナオは朔夜を抱きかかえ、タワーの内部で震えていた。
「ジーク…。ダメだ。鵜野影馬の正体は…、…ブラックホールみたいなものだ…」
ナオの結界が、麒麟の吐き出した闇に浸っていく。
鵜野はジークの死体を見出せず、大きなギョロ目をもっと凝らした。
地獄火の燃え盛る中に、ジークは全く見当たらなかった。
唖然として、麒麟の口が閉まらなかった。
空気の中に溶けた黒い粒々が、煤に混じり、上空まで噴き上げていた。
黒い粒は麒麟の口から入り、鼻からも入り、食道を通過して胃に届いた。
その黒い粒が集合し、ジークが実体化した。
「クソジジィが…。黙らせてやる…」
ジークが口の中から、先の折れた日本刀をゲロと共に吐き出した。
体内にしまった刀を取り出し、彼の発するエネルギーが徐々に熱くなっていった。
鵜野は喉の奥に違和感を感じた。
何か熱い異物を飲み込んでしまったような。
麒麟は大きなゲップをした。
ジークはガスに襲われた。
身を伏せてガスの通過を待ち、後は一気に、自分の持つ全ての波を電子に置き換えていった。
「もう一回、見せてやるぜ。雷神ジークの底力を…!」
ジークが胃の膜壁に、ナオの刀を突き刺した。
切っ先は折れていたが、ジークが体重をかけて体当たりし、刀は深々と鍔元まで突き刺さった。
ナオは麒麟の腹から、閃光が射すのを目撃した。
瞬間、内側から腹肉が爆発して飛び散った。
「ジークか!?」
ナオが立ち上がった。
しかし、ナオの結界はそのまま、闇に全体が沈み込んだ。
世界が砂のように崩れていく。
麒麟の啼き叫ぶ声がこだまする。
ガラスのタワーが、煌めく粒となって砕け散る。
タワーのカタチに凝り固まった闇が、ナオの結界を覆い尽くしたまま残った。
そこは、朔夜の失われた寝室のあった場所だった。
倒壊したビルの残骸、瓦礫、変わり果てたアジトの姿。
東の空の色が、濃い紺色から瑠璃色へ、次第に薄くなっていく。
麒麟の姿は消えた。
ジークが空中に現れ、凝り固まった闇に降りた。
彼はぎらぎらと眸を光らせ、四方に視線を走らせた。
彼は月を覆う雲に向かって飛び、一握りの小さな影に鵜野を見つけたのだ。
もう一つ、固まった闇の影から、別の影が分離した。
潜んでいた圭太だった。
彼は火傷もなく平然としていて、ヤモリがガラス窓を這い上るみたいに、闇の垂直な壁を登った。
圭太は最上端まで登りきり、両手をあてがった。
圭太は手に力を流し込みながら、澄んだ声で唄を口ずさんだ。
パトカーと消防のサイレンが鳴り響く夜空に、か細い声の唄が流れる。
圭太は自分の闇を手から放出し、闇で闇を溶かした。
ナオの結界が見えてきた。
既に、ナオの結界は溶けて押し潰され、穴が開いていた。
そこから、鵜野の闇が流れ込んでもいた。
「朔夜さん!! 朔夜さーん!! 無事ですかー!?」
圭太が穴から頭を挿し込み、叫んだ。
「てめぇー。今頃、遅いんだよ…」
結界の底で、虫の息のナオが圭太を見上げている。
その腕の中には、彼が守り抜いた朔夜の姿があった。
「あはっ。ナオ、生きてたんだ? すっごいギリギリかな? へぇ、命拾いしたねぇー」
圭太は逃げたことを悪びれず、ここぞと恩を売ってきた。
「畜生…。わかってたよ…。おまえはちゃっかりしてるんだよな、圭太…」
ナオは安心し、眠くなった。
3
ジークは人間の視界から外れた、空の片隅に、鵜野を発見した。
もう麒麟でなくなった鵜野が、両手で腹を押さえ、蹲っていた。
その周囲には血が溜まり、黒い池を作っていた。
鵜野の腹にでかい風穴が開き、内臓を再生する時間を必要とした。
鵜野は顔をしかめ、ジークを睨み上げた。
「貴様…に、俺の心臓はやらん…。俺は…黒瀧と会う為に…」
急に、鵜野が血を吐いた。
「あらあら、弱ってんじゃねーかよー」
ジークは面白そうに、重傷の鵜野を見た。
しかし、空の東を見れば、かなり夜明けが迫っていた。
ジークは顎の、伸びてきた髭を撫でながら考えた。
「影馬。黒飛龍剣を渡せ。俺はそいつが欲しいわけじゃーねぇー。また、おまえが取り戻しに来るのを待っててやるよ…」
「誰が、貴様なんかに…」
鵜野は、喉に込み上げる血にむせた。
鵜野はプライドの為に、最後の持てる力を振り絞った。
世界が軋み、彼の方向に歪んでいく。
ブラックホールのように。
「この物質界のルールまで巻き込むつもりかよ? おまえ、力を使い過ぎて死ぬぞ? 朔夜の二の舞になる!!」
ジークは怒鳴ってから、はっとして、後ろを振り返った。
遥か後方、固まった闇から出て来たナオが見える。
ナオは朔夜をおんぶしている。
その朔夜に、僅かながら生気がある。
朔夜はジークを一瞬見て、ぷいっと顔を背けた。
ジークの硬かった表情が、和んでいった。
春の日差しが雪を溶かすみたいに、ジークの中の凍っていた心が解けた。
「朔夜、よかったな…。おまえ、いい仲間がいるんだな…」
呟いたジークは、深淵のジークではなくて、いつもの優しい眼差しに戻っている。
ジークは気持ちを切り替え、鵜野に向き直った。
「やっぱ、おまえを生かしとくわけには行かねーわ。影馬」
ジークが距離を詰めた。
鵜野は世界を歪めて、ジークを闇に引き摺り込もうとした。
腹の傷が癒える速度が落ち、傷が再び開いて、体中の血が腹から絞り出されていく。
鵜野の顔に皺が寄り、皮膚が弛む。
鵜野にはブラックホールのように、世界に圧力をかけて押し潰すほどの力がある。
けれど、今はその前に、全ての血が失われて彼自身が分解しそうだ。
死の一瞬手前。
鵜野は覚悟を決め、黒飛龍剣を抜いた。
「ジーク!! 我が呪いを受け取れぇー!!」
鵜野が柄頭を前に突き出し、鞘を後方に引いた。
剥き出しになった白刃に、鵜野自身の痩せこけた顔が映り込む。
鵜野は逆手に柄を握り締め、
「影馬っ!!」
ジークが叫び終わる前に、
切っ先が首筋を裂き、血飛沫を撒き散らした。
鵜野は口から血を噴き、闇に向かって声なき声で囁いた。
「闇よ、契約通りだ…。最後は貴様らに、俺の全てを食わせてやる…」
鵜野のカラダが闇に包まれた。
ポキポキと骨の砕ける音が漏れた。
何かが溶けて焦げるような音が聞こえた。
闇と契約を交わした者の末路。
「死んだのか…」
ジークは唾を飲み、呆然と状況を見ている。
鵜野を食った闇が、煙りのように黒飛龍剣に吸い込まれる。
周囲の闇全部を、黒飛龍剣が掻き集めていく。
「ヤベッ」
ジークは慌てて刀を拾った。
闇が溜まりまくって、ずしりと重い。
「くそー、こいつ、死んでも黒瀧のジイサンを殺すつもりでいるんだな…」
ジークは鵜野の執念にゾッとした。
ジークは闇の血を刀で吸い取って始末すると、その場から去った。
3
愛理は鵜野の迷路でジークとはぐれてしまい、ずっと彼を探していた。
迷路から出られたと思った途端、崩壊したアジトのビルを見た。
「ジーク!! 朔夜ー!!」
不安に駆られたけれど、愛理にはどうにも出来ない。
愛理はパトカーのサイレンに怯え、ミッドタウンを彷徨った。
彼女は一人、地下街の階段に座っていた。
「ジークが鵜野影馬に勝てるわけない…。影馬は先代の長で…、私のひいおじいちゃんに当たる人だもん」
愛理は最悪の結果を想像した。
「あーあ、あの様子じゃ、朔夜も戦えてないだろなー。ナオさん、大丈夫かな…」
「あいつら、無事だよ」
背後から、誰かが答えた。
愛理は聞き覚えのある声に、身を震わせた。
どきどきして、振り向けなかった。
「ま、重体だな。朔夜のヤツ、しばらく動けねーだろうな。無理するからだよ」
誰かが愛理の頭を軽く叩き、隣りに腰を下ろした。
そいつは尻ポケットからタバコを取り出し、ゆっくりと美味そうに吸った。
「なぁ、この刀さ。やっぱ、ジイサンに返品しといてくれねー? 一応取り返して来たんだけどさ」
と、愛理の前に、黒いタールの塊みたいものがこびりついた、醜い鉄の棒が置かれた。
黒飛龍剣は、ジークが深淵から手に取った時のカタチに戻っている。
愛理はぷっと笑った。
「あんたがこの剣を、武器とも思ってないことがよくわかるよ。そんなカタチになってるもん。…でも、よく取り戻せたねぇ、ジーク。一人で、どっかに逃げたんじゃなかったんだー」
「バカ言えー。心配したから、一番に探してたんじゃねーか」
ジークがタバコを斜めにくわえ、ボソボソと喋った。
「うん。そうだね…。待ってたよ」
愛理が微笑み、剣を持ち上げようとした。
「うわ、何!? この重さ!!」
「いいよ、俺が持つ」
闇が詰まった剣を、ジークが持ち上げた。
「刀には見えねーから大丈夫だってー。行こうか。始発の時間だ。しばらく地下鉄に乗り続けるか?」
ジークが笑いながら、愛理の手を引っ張った。
「うん…、眠い。地下なら、どこでもいいや」
愛理が立ちあがった。
二人は地下の暗闇に潜り込み、朝を遠ざけた。
互いの背中の体温で温まるように眠り、夕方を迎えた。
ジークは空腹で目が覚めた。
彼は疲労困憊し、腹が腐り始めるのを感じた。
喉が渇き、腹部に強い痛みが走った。
無意識に、体が血を求めていた。
愛理も起きて欠伸をしながら、
「あ…。思い出した。さっきのアジトでね、前に大祐さんに似た人を見かけたんだけど。アジト崩壊して、散り散りになっちゃったね」
と、残念そうに言った。
「はっ!? おまえ、誰って言ったよ?」
ジークが跳び起きた。
「だ…大祐…。ジークの記憶の中に居た人…」
愛理がおどおどした。
「それ、なんで早く言わねーんだよっ!!」
ジークが膝を叩いて怒鳴り、彼女の肩を掴んだ。
「ちょっと、怒んないでよ。声でかいってば。…だって、ほら。色々あって忘れてたんだもん。私もすぐ見失って、ちゃんと確認出来なかったし」
愛理がジークの顔色を窺った。
ジークは真っ青になり、震えていた。
愛理はびっくりした。
「ジーク、大丈夫?」
ジークは、
「後でゆっくり話す。とにかく、マンションに帰ろう。ベイカフェのパスタか、ピザ食おう」
と言った。
夕刻、無国籍な不二富町の通りに、ジークと愛理が戻ってきた。
愛理がすぐ、普段と違う匂いに気付き、ジークを呼び停めた。
「ね、なんか変だよ? ピリピリしてる。警察官がいる」
ジークも気付いた。
「また他殺体でも落ちてたんじゃねーの? 前にもそんなことがあったけど。この辺、よく外国系のヤバい奴等がヤバい薬売ってるからな…。おまえも気を付けろよ」
二人は露店のアクセサリーを見るふりをして、マンションの10メートル手前に立ち止まった。
警察官が二人、ジークのマンションの部屋の前で、ドアホンを鳴らしている。
ジークの脳裏には、ベロニカの言葉が思い浮かんでいた。
誰かがジークを警察に通報したとか、言っていた。
「愛理。黒蝶が攻めてくるかも知れねぇー。どっか、別のとこに行こう…」
ジークが愛理に、こっそり耳打ちした。
「えっ、ヤダァー。ベイカフェのマルガリータピザ食べたいよ。あっ、ヨッシーが出て来た」
愛理がベイカフェの店長を見つけ、手を振った。
「ヨッシーさーん! お腹空いたぁー。マルガリータ…」
愛理が言い終わらないうちに、ヨッシーが突然叫んだ。
「あああぁー、愛理ちゃん!! そいつから離れて!!」
「え!?」
愛理は大きな目を丸くした。
「愛理ちゃん、そいつはヴァンパイヤなんだ!! ジークさんから早く離れてくれ!! 危ないっす!!」
咄嗟に、ヨッシーが道端の石を拾って、ジークに投げた。
石がジークの額に命中し、黒い血が一筋流れた。




