ph 39 麒麟変化
phase 39 麒麟変化
1
対峙する鵜野と朔夜。
ジークが息を飲む。
既に、朔夜は龍に近付き、鵜野も巨大な異形の影と化していた。
「ヤバいな。すぐ、ナオを連れてくる。ジークも早く覚醒してくれ」
圭太がジークを振り返って言う。
「覚醒…って、どうやるの?」
ジークは今更ながら、質問した。
圭太は不思議な笑みを湛え、
「おまえの内側の、もう一人のジークと一つに融合するんだよ。内なる闇に耳を貸し、理性を少しばかり麻痺させる。それだけのことさ」
と囁き、三度目、ジッパーで空間を開き、ナオのところへ行った。
「えー、あいつと一緒になるのは、ちょっと……」
ジークは口の中でゴニョゴニョ言った。
その一方で、朔夜は黒い龍となり、広い空間を蛇身で埋めようとしていた。
虚の世界では、幻覚が実になった。
物質の世界で、本体と龍のカタチが別々にあったものが、虚の世界で一つになる。
朔夜の龍の姿は実体として、これから鵜野の麒麟と実際に傷付け合う。
鵜野は身をくねらせ、巨大化していく。
長過ぎる翼を左右に広げ、馬のような四本の脚で地面を掻いた。
たてがみと尾を逆立て、その場の波の高まりに靡かせた。
黒い鱗のカラダに、赤い炎のようなたてがみを渦巻いて逆立て、眼は金色に光っていた。
「おあっ!! あれが麒麟かよ!? …強そうじゃねーか!?」
ジークは鵜野の波に押し返され、立ったまま、後ろに数メートル下がった。
空気がビリビリ振動して、地震が続いているような感じ。
「ペガサスみたいじゃねーかよー」
ジークが興奮した。
麒麟の頭部に牛のような角が生えた。
前脚の爪先から、頭の角の先まで、高さにして20メートル以上ある。
鵜野の目玉が気持ち悪いほど飛び出て、顔が赤黒く、鼻筋が太く高く獣のよう。
「天狗みたいな顔になったなぁ。元は男前だったのにー」
「古代中国の伝説の魔物と似てる」
ナオがジークに答えた。
いつの間にか、ナオと圭太が到着していた。
ナオがガタガタ震えているのを見て、ジークは、
「どうした? ナオさん」
と聞く。
ナオは日本刀を握る手に汗をかいていた。
「麒麟となった鵜野に勝てる見込みがあるのは、黒瀧さんだけだ…」
ジークが頷いた。
「そうか。じゃ、愛理に言って、ジイサンを呼んでもらおう。プライドなんか言ってられねぇ。朔夜が死んじまう」
「ジーク、もう一回、黒飛龍剣を取り戻して、鵜野をダークランドに封印するんだよ。それしかないだろ?」
圭太が横から割り込んだ。
ジークは黙った。
ジークは目前の敵を見た。
強大過ぎる敵の姿を。
2
鵜野は変化を終え、空間全体を破るほどの大きな声で嘶いた。
荒い鼻息。
燃える黒い業火。
ナオと圭太が、ジークの背後で喋っている。
「圭太、黒飛龍剣はどこだ?」
「麒麟の腹ん中だよ。ナオの刀じゃ届かないな。かなり深い」
ナオは魔神の切れ味を持つ、備前ブルーの刀を抜いた。
刀の銘は、鬼美津と刻まれていると言う。
「これで麒麟を解体して、刺身にするしかないだろう」
「マグロの解体ショーじゃねーよ」
ジークが皮肉って言った。
朔夜の黒龍は嘶こうと頭を持ち上げたが、苦しそうに垂れた。
ずるずると身をうねらせ、とぐろを巻いただけ。
「おまえら、黒瀧さんに報告に行って来い…。ここは俺に任せてくれ……」
思念で伝えてきた。
「任せられるかよ。もう勝負は見えてる…」
ジークは心の中で呟いた。
麒麟はジークを無視した。
朔夜の最期をよく見ておけと、言わんばかりに。
黒龍と麒麟が激突し合った。
空間を揺さぶる衝撃が走った。
巨大な黒龍が、麒麟の背に噛みついた。
麒麟が頭を下げ、黒龍の腹に角を突き刺す。
黒龍の腹から血が流れ、その血を麒麟が啜る。
黒龍は麒麟から牙を抜くと、地面にどうっと倒れた。
「朔夜!! おまえ、お得意の流星剣はどうしたよ!?」
ジークははらはらした。
「ジークは麒麟の尻尾側から来い。圭太は例の…、わかってるよな? 俺は正面だ」
ナオが変形し始めた。
かなり歪な形状に変化していく。
彼等は心の歪みがカタチに変わる。
顔は醜く…というよりは、鎧兜にも似て、骨が変形した。
ジークが振り向いたら、もう圭太はいなかった。
圭太はするりと、闇に溶け込んだ。
圭太は奇怪な技を使う。力の封印が解けたからだろう。
ジークにも武者震いがきた。
相手が途方もなく強いということが、その波からもよくわかった。
異形の武者、ナオが飛んだ。
彼は刀に波の勢いを乗せ、一振りで麒麟の前脚二本を切断した。
刃が触れた長さより、斬られた長さの方がずっと長い。
彼は刀の大きさを完全に凌ぐ領域を、丸ごと斬り裂いた。
麒麟は動じず。
傷は瞬間に塞がり、前脚が繋がった。
麒麟の前体が崩れることもなかった。
麒麟が嘶いた。
「ピシャアア…!!」
神獣を思わせる声だった。
と言っても、鵜野は本物の神獣ではなく、その姿を盗んだ吸血鬼である。
ナオの身が、麒麟の吐いた火焔に晒された。
「ナオさん!! 危ねー!!」
ジークが叫び、急いで飛んだ。
ジークは翼を羽ばたかせ、麒麟の尻尾に食らいついた。
「おいっ、聞こえてるんだろ!? どうやったら融合出来るんだよ!? 教えろよ!!」
彼は深淵のジークに怒鳴った。
「ケッ、お断りだよ。こっちもおまえみたいな出来損ないのゾンビなんかと、融合したくねーんだよ!! 俺はおまえのカラダだけが目当てなんだ。おまえと融合せずに、そのうち乗っ取らせてもらう!!」
深淵のジークが、ジークの口を借りた。
「ムカつくなぁ、このクソ野郎。ちょっとだけ協力しろよー!!」
とジークが叫び、
「一回結ばれたら、それでもう離れられなくなくなるんだよ。俺は結ばれたくねー!!」
とジークが叫び返す。
「結ばれるとか、カラダが目当てとか、気持ちわりーヤツだなぁー!! 俺はおまえみたいなブサイクメンに興味ねーんだよっ。早くチカラだけ寄越しやがれ!!」
とジークが喚き散らし、
「同じ顔なんだよー!! 女にフラれっぱなしのブサイク野郎がー!!」
とジークが罵り返す。
「ジーク!! 何やってんだよー!? 加勢するって言ったくせに」
ナオが怒っていた。
彼は火炎砲の直撃を免れ、その俊敏さを活かして戦っていた。
ジークは自分の胸に指を突っ込み、
「やい、深淵のコピー野郎。融合しねーと、このライン引きちぎるぞ!! 俺のカラダが欲しけりゃ、力ずくで俺の自我を征服してみな!!」
と脅した。
深淵のジークは大慌てで、
「やめろ!! もうしばらく、このままだっていいじゃねーか。そんなに朔夜を助けたいのか? なんでだよ? おまえ、冷静になれよ!!」
と、ジークを言いくるめようとした。
「俺は医者なんだよ。例え嫌いなヤツでも、死にかけてんのを放っとけねーんだよ!」
ジークは頑なに言い張った。
「麒麟と戦ったら、おまえも死ぬぞ!?」
深淵のジークが指摘した。
「…わかってらぁー、クソ野郎ー」
「どうなっても知らねーぞ」
深淵のジークが折れた。
ジークは両眼を眩い光に灼かれた。
彼の意識が堕ちていく。
3
ジークは光の中をゆっくりと回転していた。
果てしない銀河に乗っかって、その渦の中心で目を閉じて回っているみたいだった。
銀河の中心からから伸びた星の集合、天の川が幾筋も伸びて、光の粒を真っ暗な宇宙に撒き散らしていた。
渦の中心は、真っ黒のブラックホールだった。
渦の中心から伸びる、数々の天の川は、星々のネックレスだった。
天の川は勾玉のように曲がり、その先で闇を掬うように曲がっていた。
ジークは天の川に引っ掛かって、どこまでも回転し続けた。
ジークは光に溶けながら、中心のブラックホールに引き寄せられていく。
ジークが目を覚まし、肩口を見ると、ブラックホールがすぐ側まで迫っていた。
「おまえが…深淵だったのか…」
無意識に言葉が出た。
ジークは最初、胎児のように丸くなっていた。
ブラックホールが近付くにつれ、ジークの手足が自由に伸び、彼は無意識に抵抗を始めた。
「こんなおぞましいものに、飲み込まれなきゃならねーのか…?」
ジークはまだ夢現で呟いた。
やがて、ひたひたと、冷たい水のように闇がジークの襟元に侵入してきた。
全身が水に浸かるような感覚は、ジークに死の間際の、湖で溺れる瞬間を思い出させた。
ジークはおとなしく、闇に浸されていった。
首まで闇に浸り、次に脳に冷たい闇が流れ込み始めた。
闇は禍々しい思考をもたらした。
殺意や憎悪や嫉妬、凶暴さ、ありとあらゆる悪感情を流し込んできた。
ジークが近頃忘れがちだった、狂おしいほどの飢餓の辛さを復活させた。
二度と満たされないぐらいに、激しい飢えと渇きをもたらしてきた。
ジークは闇への嫌悪で、吐きそうになった。
けれど、すぐに、暴力的な快楽で満たされたくなった。
ジークは力が漲るのを感じた。
自分の顔が変わったのを感じた。
目つきの悪い、暗い顔が、不気味な妖気の漂う仮面に憑りつかれた。
「俺の人生はピエロみたいなもんだった…」
ジークの腹の底に、怒りと憎しみが湧き起こった。
「大祐…。おまえは今、どこにいるんだ…? おまえを滅茶苦茶に引き裂いて、ライオンの餌にでもしてやりたい…。おまえの恐怖に歪む顔が見たい…」
ジークは血の涙を流した。
「大祐を探しに行く…。それから、俺とルビーを殺した奴等に復讐するんだ…」
ジークの顔に黒い隈取が生じた。
刺青のように、白と黒で模様が出来上がった。
ジークは立ち上がり、光の世界を後にした。
彼は闇への扉を自分で開き、真っ暗な中へ足を踏み出した…。
4
ほんの短い間、ジークは意識を失っていた。
「ジーク!! 寝てるのか!?」
ナオの叫ぶ声で、ジークは覚醒した。
ジークの全身が一瞬、稲妻のように光った。
ナオは眩しさに目を覆い、麒麟も動きを停止した。
新しいカタチのジークが誕生した。
「うっ、これは……」
ナオが言葉を思いつかない。
ジークの漆黒の翼が、コンドルみたいにでかくなった。
顔は歌舞伎役者のように、白黒に塗り分けられた。
長い牙が閉じた口から露出し、手の爪も悪魔じみて長くなっていた。
かろうじて人の姿ではあるが、人の気配は微塵もなかった。
妖魔。
ナオはジークの桁外れに強くなった波を感じ、
「これならイケる!! ジーク、鵜野影馬を何とかしてくれ!!」
と叫んだ。
ジークはナオの言葉を理解しなかった。
以前に一度、朔夜の寝室で、闇に堕ちた時と同じに。
「シャアアーアー!!」
ジークが雄叫びを上げた。
「ジーク?」
ジークは瞬間移動なみの速度で、ナオの目前に移動した。
その右手の人差し指の爪が、ナオの胸を刺し、背中まで突き抜けた。
「ぷはっ」
ナオが血を吐いた。
ジークは復讐の鬼の形相で、ナオの腹を蹴り付け、このホールの限界域の壁まで飛ばした。
ナオは高い壁を擦りながら墜落し、痙攣した。
ジークはただ刺し貫いただけじゃなく、電流のようなものを流したようだ。
ナオの体から煙が昇った。
「シャアアーアー、ギアーッ!!」
ジークが雄叫びを繰り返し、今度は朔夜の前に瞬間的に移動した。
ジークは雷鳴のように波を激しく打ち鳴らし、雷光を閃かせた。
「待てっ!!」
死にかけのナオが、震えながら起き上った。
「その人には…、触れないでくれ…」
ナオの命の火が、ゆらゆらと燃え上がった。
「ジーク。わかるか、俺達は…同じ一族だ。殺し合うな」
ナオが掠れた声で囁いた。
ジークはまっすぐに、獣の眸をナオに向けた。
「よし、いい子だ…。覚醒したばかりで、気が立ってる。何をしたらいいか、わからないんだな…。ジーク、生まれたての吸血鬼。おまえが覚醒した理由は…、そのデカい面した四つ脚の獣を、地面に引き倒す為だ…!」
ナオが子供をあやすように、優しく言った。
ジークはしばらくナオを見詰めていた。
それから、ゆっくりと首を回し、麒麟を見返した。
麒麟はその一瞬を待っていた。
「グゥルグゥラグ…!!」
麒麟が喉で声を詰まらせた後、ぱっと口を開いた。
何もかも瞬間に焼き尽くす地獄火が、ジークに向けて噴射された。
ジークは身を翻し、火炎砲をまくるように飛んだ。
虚の空間で、細かい無数のスパークが発生し、火焔が吹き荒れた。
しかし、瞬くより早く、ジークが麒麟の鼻の上に立っていた。
ジークの拳が鼻を上から突き破り、麒麟の眉間にナオの刀・鬼美津を突き立てた。
刀が避雷針のように、落雷を受けた。
「あ?」
ナオは自分の手を見て、仰天した。
つい一秒前に手元にあった刀が、無い。
今は麒麟の額に突き立っている。
「ビャアア!!」
麒麟が後ろ足で立ち、反り返った。
頭部に火が点き、燃え上がっている。
「鵜野さん、今度こそ頂くよ!!」
圭太が空中から泡のように湧き立ち、両手を麒麟の腹に突き刺した。
圭太はその奇怪な力で、黒飛龍剣を引き寄せようとしているのだ。
「そうは行くか…」
麒麟がくぐもった声で唸った。
鵜野が築いた世界は、砂のように崩れた。
鵜野が描く幻想は、暗い夜空にそびえるガラスのタワーへ変わった。
ガラスのタワー、鵜野の結界に閉じ込められた三人。
タワーに囚われているのは、ジークと朔夜、ナオだ。
麒麟はタワーの外にある。
朔夜は龍変化を維持出来ず、元の姿に戻ってしまう。
瀕死の朔夜を重傷のナオが背負い、ナオの刀はまだ麒麟の眉間、普通に動けるのはジークだけ。
「ジーク。受け取るがいい、我が闇を…」
麒麟が吠えたて、ガラスのタワーに闇を吐き出した。
光を完全に遮断し、穴が開いていくように見える闇が、ひたひたとガラスの容器を満たしていく。
肝心の朔夜は最早、意識が混濁し、結界を張る余力もない。
「絶体絶命か。圭太は?」
ナオがタワーの内部を見回した。
「居るわけないか。あいつは昔からそうだ…。形勢不利な時には、絶対助けてくれない。元々、続けて二回の主君殺しなんだ…」
ナオは圭太に期待してなかった。
でも、失望があった。
「あいつは黒飛龍剣が欲しかっただけなんだ。…ジーク、おまえも利用されただけ。さっきだって、黒飛龍剣さえ取り戻せば、圭太は朔夜さんを置いて逃げた可能性がある。あいつは…ああいうヤツなんだ。永遠に成長を停止させられた、自分勝手な餓鬼。…子供を吸血鬼にしたこと自体が、マズかったんだろうけど」
ナオは溜息と共に、足元を見た。
タワーの床は闇が小波立ち、どんどん、闇の水位が増してくる。
ナオが力を振り絞り、結界を張って、三人は宙に浮かんだ形になっている。
「俺達は闇そのものには弱い。同化し、溶け合う相性なんだよ。結界は長く持たない。押し潰され、ひしゃげ、食い尽くされる…」
ナオは危機感を強めた。
ジークはガラスの外を眺めた。
タバコとライターを取り出し、こんな時に一服吸い始める。
「ナオ。結界がひしゃげた時、死ぬのはおまえらだけだよ…。俺は関係ねー。俺は今から、影馬と決着つけてくる…」
ジークが口を斜めに歪め、ナオを凍りつかせる言葉を吐いた。
「な…んだって…? おまえ…、深淵のジークか…?」
ナオが怒りに震えながら言う。
「一つになったんだよ、俺達」
ジークが一息に煙を吐き出し、ナオの顔に吹きかけた。
麒麟は額に刺さった刀を、舌で引き抜いて捨てた。
麒麟にとって、刀なんて、爪楊枝みたいなものだった。
受けたダメージから完全に立ち直っている。
麒麟は闇を悠々と駆けた。




