ph 38 ガス代貸して
phase 38 ガス代貸して
1
崩れ落ちる朔夜を、慌ててナオが支えた。
「朔夜さん!!」
朔夜は鵜野と戦うとか、そんな悠長な状態じゃなかった。
朔夜を守る為、アジトに居た吸血鬼十数人が狭い通路に押し入ろうとした。
通路は有り得ない形状に破壊され、ビルの上の階が倒壊するのも時間の問題だ。
夜風が吹き込む背後のドア口から、パトカーのサイレンが聞こえた。
朔夜は苦痛に歪む顔を上げ、部下の一人に、
「警察に対処して来い。誰も通すな。結界を守れ」
と、指示を与えた。
朔夜は仲間達に、鵜野に手を出さないように命じた。
「これは何かの手違いだ。行方不明だった先代の鵜野さんが、生きておられたんだ。話せば、わかるはず…」
しかし、鵜野本人が打ち消す。
「俺が一族に戻ったからには、黒瀧秀郷と決着を付ける。生き残った方が、この一族を統べる。異論がある者は、戦いに参加するがいい。長が持つべき黒飛龍剣は、ここにある」
鵜野が刀を高く掲げ、後方の吸血鬼達に示した。
朔夜は咳き込み、口を押えた手を血だらけにした。
「鵜野さん、俺は…そんな戦いには参加しません。俺は黒瀧さんでいいと思ってる…。他の地区代表がどうか、知りませんが…」
「朔夜、俺は貴様を…食ってみたい…」
鵜野の返答は、ナオと圭太、彼等の仲間を激怒させた。
鵜野は朔夜の真向いまで進んだ。
至近距離で、ナオは死を決意して鵜野を見た。
どんなことがあっても、朔夜を守るつもりだ。
「ちょっとお邪魔しますぅー。通してよぉー」
その場の緊張感を破る、若い女の声がした。
仲間を掻き分け、愛理と、そして新入りのジークが通路に入ってきた。
「誰が通した!?」
朔夜は舌打ちして部下を睨み、ジークを振り返って、
「おまえ、何しに来たんだ!?」
と、問うた。
ジークは照れ笑いを浮かべた。
「いや…、ちょっと、ガス代借りに来たんだ…。あれ、影馬、来てんじゃん」
鵜野とジークの視線が合い、火花が散った。
「愛理!! なんでこいつを連れてきた!? どっちのジークだ? 深淵の方か、それとも…?」
朔夜は苛々して、愛理に怒鳴りつけた。
愛理は思わず、気を付けの姿勢になった。
「ごめん、朔夜!! 胸騒ぎがしたんだ。変な波を感じたから、来ちゃった!! こいつを連れて来る気はなかったんだけど…。一応まだ、いつものジークだよ!!」
ジークはアジトの連中と鵜野を見回し、
「えー、ただいまご紹介に預かりました、達紙ジークです…。って、うわー、冷たい視線だなー」
と、肩を竦めた。
ジークは空気が読めていないらしい。
「そうそう、鵜野のオッサン、その刀さぁー。俺が深淵から持って帰って来たんだよ。だから、俺のじゃね? 黒瀧のジイサンも、俺が所有者でいいって言ってるらしいぜ。返してくれない?」
と、ジークが鵜野に訴えた。
その時、ざわめきが起きた。
「黒瀧が…貴様に…黒飛龍剣の所有を認めたのか…?」
驚愕を込め、鵜野が問い直した。
「帰れ」
朔夜が言った。
「この刀はおまえみたいな、ウスノロの野良犬が扱えるモノじゃない。帰るんだ」
殆ど命令といった口調で、朔夜が繰り返した。
ジークは膨れっ面になり、
「へぇー、別に俺だっていらねーと言えばいらねーんだけど、何か呪われた刀らしいじゃん。だったら、俺がその呪いを引き受けてやってもいいんだぜ、朔夜?」
と、軽いノリで話した。
愛理は、
「あちゃー。わかってないから、ジーク…」
と、頭を抱えた。
「わかったよ。俺が取り返して、おまえにくれてやらぁー。朔夜、ちょっと待ってろよ」
ジークがずかずかと歩を進め、鵜野に近付いた。
鵜野は静かにジークを見据えた。
「貴様…、黒瀧と話したのか? 黒瀧の血を授けられたのか? 何故か、ちょっと腐臭がしてるが…?」
鵜野は判断に迷った。
低級ゾンビと、覚醒済み吸血鬼の、両方の波を持つジーク。
鵜野は彼を、怪しく思う。
「ナオ。あの忌々しい野良犬を、ここから叩き出せ」
朔夜がナオに命じた。
「はっ。…黒瀧さんの孫娘も、追い出しますか?」
「当たり前だ。あの娘に怪我をさせてみろ。黒瀧さんに殺されるぞ」
朔夜が小声で耳打ちした。
ジークが鵜野とやり始める前に、彼の背後にナオが回った。
ナオは目にも止まらない速さで一撃を加え、ジークをエントランス側に投げ飛ばした。
「ひゃー」
ジークは不恰好にひっくり返り、悲鳴を上げた。
「何しやがんだよ、てめぇー」
ジークがナオのシャツの襟を掴んだ。
ナオのシャツは百年経過したみたいに古びて、粉々に散った。
ジークはそれを見て、唖然とした。
「出てくんだ、ジーク。おまえじゃどうにも出来ないほどの、強敵なんだぞ」
ナオの言葉には、優しさが根底にあるようだった。
「ああ、愛理の家族らしいよな、訳ありの。まぁ、いいって。俺も体力充実してるからさ、朔夜に加勢させてくれよ。なんか、ヤバそうな雰囲気じゃねーの?」
ジークは吐血した様子の朔夜を、遠くからそっと窺った。
「だからって、おまえの出る幕じゃないんだよ。この間は、おまえが朔夜さんを殺ろうとしたくせに」
ナオがジークの手を引いて立たせ、彼の背中を出口へ向かって押していった。
「さぁ、愛理ちゃんも」
ナオが、愛理の腕を引っ張った。
「ナオさんだっけ? 愛理を頼むよ」
ジークがナオを躱して跳ね上がり、大きくバックフリップするように空で回転した。
次の瞬間には、ジークは朔夜のすぐ側に着地している。
「よぉ」
ジークが朔夜の肩を叩いた。
朔夜は迷惑そうに、溜息をついた。
「ジーク。死にたいなら、好きにしろ。ただ、俺の邪魔はするなよ」
朔夜がふらつきながら立ち上がった。
「冗談だろ? 俺はしたいようにする、邪魔かも知れねーけどな」
ジークはにやにや笑い、朔夜に寄り添って立った。
「貴様ら、俺を倒す相談はまとまったか?」
鵜野が足を大股に開き、空を仰いだ。
「天から龍が降りてくる。見えるか?」
鵜野が刀を斜に構え、低く吠えた。
2
ジークの側に近寄った小柄な少年、圭太が、
「ジーク。朔夜さんが今度龍になったら、確実に死ぬ。体力が尽きかけてる」
と、こっそり打ち明けた。
「俺が鵜野から、刀を奪う。おまえ、援護してくれ」
圭太が拝むように頼んだ。
「ああ、いいよ」
ジークは軽く引き受けた。
以前会った圭太に比べ、違和感は大いにあったけれど、ジークは気付かなかった。
ジークの眸は、自分によく似た顔の鵜野だけを追っていた。
今再び、黒い霧が、この空間を物質世界から切り離した。
異界と重なり合う世界で、幻覚が始まった。
ジークは吐き気を感じた。
世界が歪み、傾く。
視覚では傾いてないのに、体が傾きを感じる。
気が付いたら、ジークは一人だった。
高い壁がそびえ、迷路のように曲がりくねった通路に入り込んでいた。
「朔夜ー?」
ジークが見回しても、誰もいない。
「クソッ。各個撃破って作戦かよ、鵜野影馬?」
ジークが駆け出した。
「どこだ? 早く出て来いよ、影馬ー!!」
通路の先が、二股に分かれている。
ジークはねっとりとした闇を掻き分けるように進み、鵜野の気配を追いかけた。
曲がり角の先から、ふいに鵜野が現れた。
「幻覚か? 幻覚だよな?」
ジークは自分の頼りない視覚を疑った。
彼は、鵜野の作り出した虚の世界に入り込んでいるのだ。
鵜野の側に鬼火が浮かび上がり、青い炎で顔を照らし出した。
「ジーク…。貴様、黒瀧とどういう関係だ?」
鵜野はすぐに斬りかかろうとはしなかった。
「どうもこうもねぇよ。家賃の他にも、毎月、金を払わなきゃなんねぇー。仕事を紹介してくれるわけでもねーのに」
「家賃? 何を払ってるんだ? 一族は今、どんなシステムで運営されてる?」
「会員制だよ。会費を納めなきゃ、追放されるんだ。全ての保護から外される」
と、ジークは唾を吐き、昨今の吸血鬼事情を嘆いた。
鵜野は目を白黒させ、苦々しく言った。
「ぶっ弛んでいる。情けないな。俺には、貴様が黒飛龍剣の所有者に相応しいとは、とても思えない」
ジークは鵜野の返答に大笑いした。
「はっは、そんなことはどうだっていいんだよ。おまえこそ、その呪いの剣がそんなに嬉しいのか? 異界に閉じ込められてたんだろ? どうだ? 今、ここは異界と変わんねー景色だけどな!」
「俺は自由になった。貴様にはわかるまい。百五十年の永きに渡って、幻覚に食われながら魂を保ってきた、俺のこの世への執着が。貴様の血が俺に血肉をくれた。礼を言おう。…だが、もう腹が減ってしまった。貴様の血は、俺の中の闇に溶けた。最早、何も残ってない」
鵜野は唇を舐めた。
ジークは頭をボリボリ掻いた。
「浦島太郎みたいな感じか? いきなり21世紀じゃ、戸惑うだろ? 異界か。よくあんなとこに、そんな長い間いたよなー。あ、でも、俺もこの間、わかったんだよ。俺って意外に、深淵でもグチャグチャに溶けたりしねーって。結構、しぶといぞ…」
ジークの体がミシミシ音を立てた。
背骨が浮き上がり、カラス色の翼が生えてきた。
「貴様は馬鹿か? たまたま幸運だっただけだ。生前、それほど辛酸を舐めてないからだ。貴様の心に憎しみが薄く、生への執着が弱く、人を恨んだり嫉妬したりする経験も少なかった…。そこそこ恵まれた環境で育ち、医者になった。大した将来性も無かったんで、死んでも失望が小さいわけだ…。だから、深淵で短時間、貴様は自我を維持出来た」
鵜野がジークの記憶を読み、分析した。
「ジーク。婚約者を失ったことと、親友に裏切られたことが、貴様の最大の苦痛だった。それも今では…、復讐するほどの熱もない…」
鵜野も変形し始めた。
鵜野の変形はジークと似ていた。
背骨が膨らみ、黒い翼を吐き出した。
翼竜のような、蝙蝠のような翼だ。黒い獣の毛に覆われている。
「そうでもねーけど?」
ジークはデニムの尻ポケットから、何かを取り出した。
開いた掌には、ルビーにあげたクロスのシルバーペンダントが載っている。
「影馬。そうやってチクチク、相手の痛い過去をほじくることが、おまえの心理戦かよ?」
「何だ、貴様、それでも吸血鬼か!?」
鵜野は十字架を見て、不快感を露わにした。
ジークの掌から湯気が立ち、皮膚がシューシューと焼けていくのが見えた。
「これを、彼女の首に掛けてあげたんだ。お守りに。…でも、俺は彼女を守れなかった」
ジークはせつない思い出を、ペンダントと共に握り締めた。
皮膚が焼け、白煙が昇った。
「あれ? あんたはこんなものが怖いのか?」
ジークは鵜野の顔色に気付いた。
鵜野は口元を固く結んだ。
鵜野を取り巻く無数の鬼火が、ジークめがけて次々と落ちてきた。
ジークが黒い炎に包まれた。
この世のものならぬ火炎。
ジークは火炙りの刑のように、高温の地獄火で焼かれた。
激しく踊る火焔、ジークが倒れる。
「こんなものか」
鵜野はジークを食い損ね、残念に思う。
その時、ジークを包んでいた地獄火が消えた。
ジークは蛇のように、焼け焦げた皮を脱皮した。
脱皮したジークは気持ち悪いぐらい肌が白く、滑らかで、ぬるぬるしていた。
「馬鹿な。俺の地獄火が消えるはずがない…」
鵜野は信じられない。
ジークが起き上がって煤を払った。
カラスの翼を広げ、羽ばたき、黒い羽根を散らした。
「ふぅー。シルバーって、すげぇーな。闇を消してくれるんだな。で、ペンダントは引き換えに…、今、おまえの体内に…」
蘇ったジークが、鵜野の胸を指差した。
鵜野の左胸に、クロスのペンダントが食い込んでいた。
「ギャアッ!!」
鵜野は胸を押さえ、両膝を着いた。
「こういうのを呪いって言うんだろ? 得意だぜ、俺は」
ジークは鵜野から抜き取った心臓を、大道芸人みたいに楽しそうに上に放り投げ、受けた手でまた投げて遊んだ。
「返せ!! 俺の心臓を!!」
一瞬で心臓は、鵜野の手元に移動した。
鵜野は急いで、心臓を埋め戻す。
「ふぅうぅう…」
鵜野が長い息を吐き出した。
指に火傷を負いながら、銀の十字架をほじくり出そうとする。
十字架は更に食い込んで、奥に陥没していく。
「勝ったつもりか、ジーク?」
通路の反対側から、もう一人、鵜野が出現した。
「あ? 影馬!?」
ジークは前後の鵜野を、交互に振り返った。
「そいつは最初っから、俺の作り出した分身だ」
後から来た鵜野が言った途端に、ジークのペンダントを食い込ませた鵜野の方が、消滅した。
どれが幻覚か、本物か、全くわからない。
鵜野が黒飛龍剣を一閃した。
世界が反転し、異界が口を開いた。
ジークは異界へ飛ばされ、タールみたいな黒い泥沼に落ちた。
「くっそぉー!! 汚ぇーぞ。勝負しろよ、勝負!!」
ジークが深淵の泥を蹴り、遥か上に向かって叫んだ。
彼の叫びは空しい。
「無理さ。俺達は深淵に戻った。影馬は朔夜と、麒麟変化で戦うつもりだ。おまえとは所詮、お遊びだったんだよ。ジーク」
深淵のジークが彼の内側から、双子みたいに同じ声を出して話した。
ジークはかっとなった。
「はぁ、麒麟だぁ!? なんだよ、おまえ、色々知ってんじゃねーか」
一人のジークの表情が二通りに、微妙に入れ替わる。
異界の口から遥か下を眺め、鵜野が皮肉を言った。
「一人で何を遊んでいる? 馬鹿のやることはわかりかねる」
鵜野は異界の口を閉じ、さっさと立ち去った。
3
ジークは泥水をバシャバシャ蹴って、前に進んだ。
「おい。早くここから脱出する方法を言えよ!! 何でも知ってるんだろー!?」
彼は内にいる深淵のジークに尋ねた。
「ひひひ。黒飛龍剣なしじゃ、難しーんだよ!」
彼は表情をがらりと変え、自問自答を繰り返す。
多重人格みたいに見える。
次々と、泥水の中から黒い化け物が浮上し、襲いかかってくる。
ジークは片方の拳で、化け物どもを殴り飛ばす。
「役立たずのクソ野郎がー。おまえ、古巣に戻ったんだから、このまま深淵に戻れよ!!」
すると、深淵のジークが言い返す。
「ひひひ。チキンのクセしやがって。鵜野に相手にされなくて、ホッとしてんだろ。ジーク?」
「ふざけんじゃねー。俺はあの結界に戻るぞ。まだ、あの刀を通じて、こことあの世界は繋がってるんだよな?」
ジークは考える。
「へっ、そうだとしても、おまえに何ができるのさ? ここで闇に食い尽くされるまで、どれぐらいの時間、自我を保てると思う? 自分の心配をした方がいいんじゃねーか?」
深淵のジークが、ジークの口を借りて嘲笑う。
ジークは何かに気付いた。
彼の目の前で、突然白い裂け目から光が漏れた。
ジッパーのようなもので、異界にL字型の亀裂が走る。
ドアが開くように、闇がジッパーで開閉される!
「うおっ、こりゃ何だよ?」
ジークが問うけれども、質問を受けた深淵の子のジークも驚いている。
ジッパーを開いたのは、圭太だった。
「ジーク、早く」
圭太が物質世界から、手招きした。
「おお、サンキュ」
ジークが急いで、開けられた四角い穴を潜った。
「ジーク、大変だ。朔夜さんが、龍変化を開始した。そこへ行く」
圭太がジークの背中を押した。
続いて、圭太は迷路の壁に再度ジッパーを作り出し、世界を切り開こうとする。
「お、そうだー。朔夜にガス代と…、水道代も借りなくちゃならねーんだ」
ジークは思い出して手を叩き、ジッパーが開く先を覗き込んだ。
圭太がジークを見上げ、
「それ、本気で言ってる?」
と睨んできた。




