ph 37 不死身の男
phase 37 不死身の男
1
ナオの手がドアに触れた途端、ドアが外れ、内側に落下した。
「あ…」
ナオが絶句した。
夜空が彼を見下ろしている。
どこにも天井がなく、壁も消失している。
地下のホールを見下ろすみたいに、床も抜けていた。
「朔夜さん…」
濃い闇の霧が左右に開いていく。
黒飛龍剣が吐き出した闇は、部屋を完全に押し潰し、周囲へ流れ出していた。
ナオは朔夜の気配を感じ取り、空中へ飛び上がった。
黒い霧が張り付いて蠢く、黒い箱状のものが空に浮かんでいた。
ナオは迷わず飛びつき、自分の刀を一振りして、箱の一角にこびりついた闇を払い落とした。
透明の結界の箱があり、朔夜が見えた。
朔夜は六面体の結界の中に自分を封じ込め、眠っていた。
「朔夜さん!! よかった……!!」
ナオが胸を撫で下ろした。
涙がぽろぽろっと零れた。
ナオは空中で自分の体を安定させ、朔夜の結界にこびりつく闇を剥がし始めた。
2
圭太はすぐ、鵜野の死体の異変に気付いた。
「くれてやるかよ!! もう、こいつは俺のものだ!!」
圭太は天井に飛び移り、黒飛龍剣を握り締めて叫んだ。
ゆらり、と鵜野の死体が起き上がった。
どの関節や筋肉を動かすこともなく、倒れた姿勢のまま瞬時に直立する。
ジークに似た顔は頬がこけ、骸骨じみてきた。
「徳阿弥ぃ…。それで俺と闇のラインを切ったつもりか?」
鵜野が圭太の昔の名を思い出し、呼びかけた。
圭太が鵜野を睨み、悔しそうに唇を噛んだ。
「徳阿弥…、貴様、主君の秀吉を裏切って、首を斬り落とされたんだったな…。思い出すよ、貴様が蘇った夜を…。俺が貴様の血の父親ではなかったものの、俺はあの夜、復活の儀式に立ち会ってやったんだよ。あれから、四百年余りか。まさか、今度は俺の首を取りに来るとはなぁー」
鵜野は腕組みし、圭太を見上げた。
「貴様を吸血鬼にしたのは、別の一族の長で、鵜野の一族とは対立関係にあった。鵜野の一族は天下を取る者を見定めた上で、どの武将に着こうか、計算しているところだった。貴様は褒賞に目が眩み、秀吉の茶に毒を盛ろうとした。哀れな奴、逃げようとして後ろから斬られ、首を斬り落とされた…。貴様はいつも、主人に噛みつく腹黒い犬だ…」
「黙れ!!」
圭太が白目がちになる上目使いの眸に、殺気を宿らせた。
「黙れだと? 誰にものを言っている? 貴様は俺に、自分を蘇らせてくれた一族の長を売った。俺の頼みに応じて、かの一族の長を誘い出し、謀殺に手を貸したんだ。しかし、その件で黒瀧に警戒されることとなり、後に黒飛龍剣で、力を半分封印されてしまったんだ。ふはは…」
鵜野が腹をよじらせて嗤った。
「どうだ、徳阿弥。貴様も黒瀧が嫌いなんだろう? 貴様の力、解放してやろうか?」
「お断りします」
圭太は即答した。
「鵜野さん。失った力は自力で取り戻す。でも、今後は誰を裏切るつもりもない。あんたも俺に遠慮したらどうですか? また異界へ封印されることになりますよ…」
圭太は黒飛龍剣の柄に手をかけ、余裕の発言をした。
「その刀を使った途端、貴様は闇に食われて死ぬ。貴様は不完全な、半分だけの魂だからな」
鵜野は全ての事情を知っている。
圭太は舌打ちして、ためらった。
「なんでラインを絶たれても、平気なんですか?」
「俺か? 俺の心臓は二つあるからな…」
鵜野が、圭太によって傷付けられた胸に指を挿し込み、傷を自分で押し広げた。
鵜野は傷付いた心臓を取り出し、異界の闇に投げ入れた。
「どうだ、闇よ。うまいか。それは、鵜野黒陽の心臓だ」
鵜野が闇に囁いた。
闇と闇が奪い合うように心臓に群がり、貪り食った。
「へっ? 先々代の心臓?」
圭太は変な顔をした。
「そうよ。父親を食った後、心臓をいざという時の為に残しておいたんだ」
鵜野の告白に、邪悪な圭太もさすがに顔を背けた。
「あんたに腹黒いとか、言われる筋合いねーな…」
圭太は床に向け、ぺっと唾を吐いた。
「鵜野さんもこれで、一つしか心臓がないわけです。じゃ、用心することですね」
圭太がその場から消えようとした。
「逃げ足には自信があるみたいだが」
鵜野が圭太を追った。
その足を掴み、
「俺から逃げられると思うな。俺はそんな封印の剣なしでも、貴様のような雑魚には負けないんだ」
と、牙を剥いた。
鵜野の牙が、デニムの上から圭太の腿に食い込んだ。
「同族の血を吸うんだ!? 父親を食ったり。趣味悪いですね、鵜野さん」
圭太が叫び、鵜野の顔面を残る足で蹴った。
鵜野は噛みついた足を腿から食いちぎった。
血飛沫が広範囲に飛び散った。
「仲間に今の話を聞かれちまった。余計なことをしてくれる」
圭太は荒波のような形状に盛り上がったコンクリートの瓦礫の上に片足で降り立ち、左腿の傷口から大量に黒い血を流した。
普通の人間なら、もう失血死だ。
鵜野はローストした鳥の腿肉を食うように、圭太の落ちた足を拾って食い、
「ふふ、やっぱり古い血が含まれているほど美味だな」
と、味わった。
圭太はすぐ、左足を復元した。
彼は黒飛龍剣を抱え、竪琴を引くように撫でた。
癖のある髪、その顔立ちも、彼は美少女みたいだ。
天使のような弧を描く赤い唇から、鈴みたいな高いキーで何か口ずさんだ。
か細いけれど、透明な歌声。
子守唄のように聞こえる。
「悪魔のさえずりってわけか?」
鵜野は耳を塞ごうとした。
圭太は鞘を繊細な指で撫でながら歌い、ゆっくりと刀を鞘から引き抜き、しばらく歌い続けた。
周辺の闇色の霧が、刀に吸い込まれていく。
「まさか、こんな可愛い子供が首を掻くなんて、誰も思わないよなあー。花のような顔をして、鈴のような声をして…、心だけ薄汚れた金の亡者だったんだからな…」
鵜野が圭太をほめた。
鵜野は圭太の力が存分に膨れ上がるまで待った。
封じられていた力と魂の半分が解放され、黒飛龍剣を通じ、圭太に戻るのを見届けた。
圭太はバランスを失わず、何とか、魂を元通りに融合できた。
圭太の内側から滲み出る雰囲気は、魔界の堕天使みたいだった。
純白の翼を広げ、微笑みを口元に浮かべ、中身は清らかでも無垢でもない、淫らで邪悪な子供。
彼は十七歳から成長していない。
白鳥の羽毛が辺りに舞った。
「じゃ、徳阿弥よ。そろそろ行こうか? 退屈しのぎになってくれないと困るんだが…」
鵜野が手の指をポキポキ鳴らした。
圭太は既に、その翼で舞い上がっていた。
3
圭太は空間をうまい具合に斬り裂いた。
異界が覗き、闇が怒涛の勢いで流れ込んでくる。
それは、この物質世界が精神から汚染されていくということを指す。
誰も気付かないうちに、心が腐っていく。
その闇の力を武器に、圭太が戦う。
鵜野の周囲が闇に閉ざされ、外部と遮断される。
鵜野は突然、幻覚の世界に迷い込む。
鵜野はジークの服を着ていたはずなのに、いつの間にか、着物を着ていた。
黒い小袖に袴を履き、笠を被っていた。
目の前に、和装の似合う、美しい女がいた。
現在の鵜野の意思とは関係なく、彼の口が動いた。
「俺の子を孕め」
女は黒瀧の妻だった。
鵜野は過去の幻影と重なっていた。
「ああ、俺と黒瀧はこうして対立した…」
鵜野は忘れていたことを思い出した。
鵜野は圭太を探し、きょろきょろとした。
気配は微塵もなかった。
「そんなはずはない…」
鵜野はまた、幻影を見た。
黒瀧と、その昔の姿の徳阿弥(圭太)が、満開の山桜の下を歩いていた。
徳阿弥は幼い表情で、頭は丸坊主、墨染の衣を着ていた。
二人は鵜野について喋っていた。
「早く殺してしまわれた方がよいかと存じます。あんな卑怯な男…」
徳阿弥は自分の主君暗殺未遂を棚に上げ、鵜野を非難していた。
黒瀧は反対した。
「長を殺すことなど出来ぬ。あの方は私の義父」
そうだ、鵜野は黒瀧の妻を奪い取り、代わりに自分の娘の一人を娶らせた。
黒瀧は鵜野にとって、婿という形になっている。
「いやー、あんな悪党、そうそう居りませぬー。後悔なさいますよ」
「徳阿弥。何も申すな。おぬしをここへお連れ下すった。おぬしも恩があるだろうに」
黒瀧が止めても、徳阿弥は止まらなかった。
その頃の徳阿弥は、集団の吸血鬼を率いて人間を襲う鵜野のやり方に、嫌悪感を感じていた。
合戦場のバラバラの白骨。
ゾンビに食われ、血を吸われ、累々と屍の山が続く。
やがて腐り、雨に晒され、屍は骨だけになる。
農民達は震え、鵜野の一族を忌み嫌った。
鵜野の一族は某武将の傭兵団となっていた。
当時は、土豪の武士や農民の出身の足軽など、土地に関わる者が多かったから、金と血の匂いに誘われて合戦場をさまよう夜襲専門部隊、鵜野の一族は、得体の知れない嫌われ者だった。
鵜野は孤独を感じた。
いつも裏切りを覚悟し、仲間を疑いの眼で見てきた。
粛清が続くと、部下達の心が自分から離れていくのを感じ取った。
「俺はずっと、黒瀧を殺さなくては、いつか自分が殺されると思い込んでいた…」
鵜野は粛清した仲間の死体を見た。
細かくバラバラに引きちぎられた遺体。
鵜野の歯形。
首を引き抜かれた遺体。
鵜野の牙の跡。
鵜野を軽蔑するような、仲間達の視線。
鵜野は神経を研ぎ澄まし、考えた。
「この幻影は、俺があの餓鬼に操られているということだ。幻影を見てる間に、俺の魂に闇が浸入していく」
鵜野は鼻息を荒げ、何も考えないように努めた。
次の幻影が鵜野の脳裏に甦る。
消そうとしても、より一層鮮やかに浮かび上がってくる。
鵜野は笠を被り、雨の砂利道を急いでいた。
一族の長の地位は、婿の黒瀧に譲っていた。その黒瀧が、今夜、誰かに会うらしい。
黒瀧は倒幕派の志士達を支援していた。
例えば、朔夜とナオだ。
鵜野は腹を立てていた。
「とにかく、武器を売るんだ。舶来の武器は儲かる」
鵜野は助言するつもりで、道を急いでいた。
しかし、途中で気紛れを起こした。
完全に気が変わった。
「あいつと俺と、どっちが強いか? 俺だ。黒瀧には、長の座を降りてもらう」
鵜野は黒瀧に殺意を抱いた。
ずっと邪魔だったんだから、早く殺してしまえ。
坂道を駆ける間に、心が決まった。
雨は土砂降り。
ずぶ濡れの鵜野が、雨を弾き飛ばしながら峻烈に黒飛龍剣で斬りかかった。
雨で視界が霞む中、何故か、憐れむような黒瀧の表情だけが見えた。
その刹那、稲妻に撃たれるような衝撃が全身を貫いた。
鵜野の魂はカラダから離れ、空中に湧いた渦の中を通って、異界へ引き込まれる…。
「そこか!!」
鵜野が地面に伸びた自分の影に剣を刺し込み、何か手応えを得た。
「徳阿弥、あの事件の瞬間を狙ったか? 俺が異界に封印される瞬間を…」
記憶は自動的に進み、幻影の中では鵜野が異界に引き込まれるが、その幻影に現在の現実の姿、自分の影を刺す鵜野自身がダブる。
地面に伸びた影を貫き、鵜野が剣に刺した相手は…、鵜野と同じ顔をしていた。
「な、なんだ、これは!?」
ぎょっとして、鵜野は相手の頭を掴んだ。
己れの頭が後ろから誰かに掴まれ、振り返ると、驚いた鵜野の顔がある。
自分の体が捻じれ、影を斬ろうとしながら、自分の心臓に切っ先をぶち込んでいた。
「そんなはずが……」
鵜野が蒼褪め、胸から流れる血を呆然と眺めた。
どこかで空間が狂い、捻じれている。
鵜野の胸から黒い紐状のものが、躍り出た。
ラインだ。
闇と心臓を繋ぐもの。
「う…」
鵜野は慌てて、紐を胸に押し留めた。
手の中で、ラインがぴちぴち跳ねている。
これがカラダから全て抜けると、鵜野は死んでしまう。
「無駄だ。あんたは自分でラインを切断した」
どこからか、圭太の声がした。
瀕死の鵜野を、嘲笑うように。
鵜野は狂ったように刀を振り回し、胸のラインを左手で押さえたまま、咆哮した。
空から黒い火の球が降り注ぎ、そこらじゅうの地面を砕く。
圭太の声は地中から聞こえた。
「グォウォーオオ…!!」
鵜野が唸り、獅子のように吠えた。
地面が火の球に掘り返され、クレーターだらけになった。
地平線の上に黒雲が湧き起こり、稲妻が閃く。
龍のようにジグザグに曲がった光が、黒雲を伴って押し寄せてきた。
雨が鵜野を激しく叩き、血を洗い流す。
轟音が耳をつんざき、雷が地面へ走り落ちた。
地面が砕け、火が散った。
鵜野の体が膨らみ、ミシミシと変形し始める。
その時、急に雨がピタリと止んだ。
鵜野の肩越しに、白い羽毛が舞い落ちた。
鵜野はビクッと身を震わせ、横目で羽毛を見た。
またも、白い羽毛が目前に落ちてきた。
闇の結界が、空を割るように開いていく。
ベースボールスタジアムのドーム天井みたいに。
「俺はずっと、真上に居ましたよ…。鵜野さん…」
圭太が鵜野の真上から、黒飛龍剣を突き下ろした。
切っ先は鵜野の頭頂を割り、顎を突き破って、右膝まで落ちる。
小柄な圭太の体が、長身の鵜野の上に覆い被さる。
圭太がラインを引っ張り、1メートルぐらい引き抜いた。
ブチッと大きな音がして、ゴムが切れるみたいにラインが切れた。
「うっ」
鵜野が真横に引っくり返った。
「あんた、すげー嫌なヤツだったよ。影馬…」
圭太は死体に足をかけ、黒飛龍剣を引き抜いた。
驚くぐらい粘っこい鵜野の血を、大きな血振りの仕草で払い、周辺を眺め回す。
異界があちこちに口を開いたままだ。
圭太は刀の向きを返し、辺りに立ち込める闇を切っ先から吸った。
異界に繋がる裂け目が消滅していく。
黒飛龍剣の周辺の闇が全て回収され、白く清浄に輝く。
圭太は、ナオと朔夜に目をやった。
「ナオー。俺、やったよー。鵜野影馬を仕留めたァー…」
無邪気に喜ぶ圭太。
ドアの落ちた向こうから、ナオの肩に手を掛けた朔夜がよろめき、瓦礫に一歩降りた。
朔夜は口から血を吐きながら、
「圭太…、危ない…。 影馬はそれぐらいじゃ、死なない…」
と、告げた。
圭太は慌てた顔で、鵜野の死体を振り向いた。
再び。
鵜野がゆらりと、直線で起き上がった。
「くふふふ。ふはははは…」
掠れた嗤い声が、全員の耳に届く。
「まだ心臓があったのかよ?」
圭太が問う。
「ふふふ。三つ目の心臓などない。闇との接続もない。俺自身が闇漬けで百五十年過ごした結果、何のアンテナもなしに、俺が闇そのものとして異界と繋がっているのだ!!」
鵜野が圭太の手から、磁石で引くように黒飛龍剣を奪った。
この瞬間、形勢が逆転したわけだ。
「久し振りだな、朔夜…。貴様のかつての名前を忘れてしまったよ。あの世で、あんまり長く待ち過ぎたんでねぇ…」
鵜野が朔夜に黒飛龍剣の切っ先を向けた。
朔夜は片膝を瓦礫に着き、血を吐いた。
「朔夜。貴様をいたぶり殺したら、黒瀧もさすがに、俺の前に出て来ざるを得ないだろう」
鵜野が嗤い、追い詰めるように近付いていった。




