ph 36 門番達の防戦
phase 36 門番達の防戦
1
鵜野は馬鹿にするような眸で、ナオを見た。
「おいおい、貴様がどれほどの剣術の使い手だとしても、人間を斬る方法で、俺の心臓を斬ることは出来ないんだ。命を粗末にするんじゃない」
ナオはうっすらと汗をかいていた。
「例え、魂を全て闇に売ってでも、俺はここで倒れるわけにいかない…」
彼はじわじわと力を放出していく。
その力に、鵜野の持つ黒飛龍剣が反応を示し、微妙な振動を起こし始めた。
鵜野の背後から、圭太が口を挟んだ。
「よしましょうよ。その刀を使うことは、縁起が悪い。前回どうなったか。影馬さんは消滅しかけたじゃないですか」
鵜野は背後を睨み付けた。
「この刀は訳あって、途中で黒瀧に譲ったが、元々俺が父から譲り受けたものだった。それを取り返したら、黒瀧が細工を仕込んでいて…、トラップで、俺は異界に封印されてしまったんだ」
「影馬さんが黒瀧さんを斬ろうとしたから、セキュリティが作動したんですよね」
と、ナオが言い直すと、
「セキュリティ? いや、トラップと言うべきだろう?」
と、鵜野がまた言い直した。
「時空を斬り裂く刀…」
圭太が呟いた。
「黒瀧を斬れるのは、俺だけだ。貴様らに、俺が斬れるか?」
自惚れの強い、鵜野の発言だった。
ナオは殺意をたぎらせながら、まだ刀を抜かなかった。
「報復ですか? それとも、百五十年以上も前に仕損じたことを、意地でもやり直したいとか?」
「俺は黒瀧がやってることを、異界の闇の中で感じ取っていた。生ぬるい理想を追い求め、昔の繁栄を復活させようとしている。…無意味なことだ」
鵜野はナオの向こうのドアを通し、内部にいるはずの朔夜に語りかけるように、声を張り上げた。
ナオは首を左右に振った。
「長が何を考えようと、我々の知るところではないんです。闇の世界にお帰り下さい。そこから、黒瀧さんに話しかければいい。ダークランドには、黒瀧さんに繋がるチャンネルが用意されている」
鵜野はぺっと唾を吐いた。
「深淵から? 何度も呼びかけてみたさ。あの男に百五十年も、俺は無視されてたわけだな。それほど長い年月が経過してたから、貴様らはそんな奇妙な出で立ちで、奇妙な言葉を使い、奇妙な名前を名乗ってるんだな。こちら側の世界が、おかしなことになっている。箱が走り、小型の太陽があちこちに眩しい。武士も消滅した。ここに、本当に貴様らの居場所があるのか?」
ナオが自信を持って、頷いた。
「ええ。ありますよ。とっておきの、俺達の場所が。あなたは帰って来なくていいんです」
最後の一文を、とても冷たく言い放った。
「黒瀧に…闇の血を与えてやったのは、この俺なんだぞ? 何故に、俺を疎んじる?」
鵜野は不満を爆発させつつあった。
顔立ちがジークと同じでも、性格は別人。
「あなたは戦国時代、一族を私用の兵隊として利用した。黒瀧さんは、一族を私物化したりしない…。俺達にも、長を選ぶ権利があるってことですよ」
「何を抜かす。あの戦国の乱世を生き抜くには、一族が結集するしかなかった。どうしても、黒瀧と連絡つかないと言うんだな?」
遂に鵜野が、黒飛龍剣を抜いた。
刀身に、縦長の麒麟の彫り物が施されていた。
咄嗟に身を屈め、ナオと圭太が夫々の武器を抜こうとした。
圭太の武器は、いつものサバイバルナイフである。
「影馬さんの麒麟変化、…久し振りに見れますかね?」
ナオは額から汗を滴らせた。
彼は震える右手で、柄を前に押し出していった。
2
「黒瀧のジイサンと、連絡取れるの?」
運転席のジークが、愛理に尋ねた。
「うん、簡単に取れるよー。ちょっと待っててー」
愛理はスマホを耳に当て、ジークに微笑む。
「もしもしー。あっ、おじいちゃーん? 愛理だよっ! あのね、うん…、…そうなんだ? 言わなくても知ってるの? 見てた? うん、うん、そう、蛾人がね…。…えっ、何? 朔夜? 彼はまだ、体調悪いみたいだよー」
愛理は車の中で、騒がしく喋った。
「愛理、鵜野影馬のこと、伝えろよ」
ジークが口出しした。
「ちょっと、ジーク! うちの家族の問題に口を挟まないでよ!」
愛理が口に人差し指を当てる。
「家族ってか? 鵜野はおまえんちの家族かよ?」
「あんたに関係ないの! それに、もう死んでる人だから!」
愛理はジークを黙らせようとした。
ジークの声は、スマホの向こうの黒瀧にも届いている。
「何だよ。俺だって、ジイサンと喋りたいんだ。電話、替わってくれよ!」
ジークが助手席に左手を伸ばす。
「もう切っちゃったもんねー」
愛理がベロを出した。
「クソッ!! ムカつくー!!」
ジークがクラクションを叩き、交差点に響かせた。
3
ナオが斜めに飛んだ。
鵜野が黒飛龍剣を抜刀し、さっと一閃させた。
今までナオが立っていた場所の空間が裂け、闇色の異空間が覗いた。
鵜野も飛び、ナオの動きを追った。
ナオは壁に片足を着いて蹴り込み、天井へ逆さまに飛び移っていた。
彼は天井に留まることなく、無重力みたいに空間を渦状に走った。
ナオは空間の裂け目を避け、ランダムに天井や壁や床を飛び回った。
鵜野が空間を斬り裂き、あちこちに異界が口を開いた。
建物が切り刻まれ、屋根が軋んだ。
柱のコンクリートが衝撃で吹っ飛び、鉄筋が見えた。
空間の裂け目から、闇が流入してきた。
鵜野の手元、黒飛龍剣の白刃に、闇が筋となって吸い込まれていく。
鵜野の顔がどす黒く変化し、額に青筋が浮き上がる。
ナオは天井にしゃがみ、荒い息に肩を弾ませた。
圭太は…いつの間にやら、姿を消していた。
圭太はどこかの闇の中に潜んで、機会を窺っている。
そして、囮のように動き回っているのは、ナオ一人だ。
警備の若者達や、他の吸血鬼の手に負える相手ではなかった。
彼等は戦場の外側から、固唾を飲んで見守っている。
「退屈だ。猫が鼠を追うようなことを真似るのは、俺にはつまらな過ぎる」
鵜野は手を停め、刀を斜めに構えた。
「闇に潜んでる男。確か、秀吉の茶坊主だった…ガキだよな? 貴様、この刀が欲しいんだろう? よく見ておくがいい。正しい扱い方を教えてやる」
鵜野は切っ先を前方に向け、刀が吸い込んだ大量の闇を、切っ先から一気に放出した。
消防車のホースから噴き出す水のように、闇が勢いよく前方に浴びせかけられた。
濃い闇が猛烈な勢いで、朔夜の部屋のドアを叩き、ドアの隙間から内側へ侵入していった。
「あっ」
ナオが慌てた。
「貴様らなんか、どうだっていい。朔夜、その部屋を闇で満タンにしてやろう!! これが俺の病気見舞いだ!! 食らえ!!」
鵜野が高笑いした。
「やめろっ!!」
ナオが突進し、鵜野の心臓を背後から貫いた。
と思われたが、鵜野が瞬間に消えていた。
ナオの刀に血塗りがない。
「…!?」
ナオが周辺を見回した。
「ここだ、馬鹿者!!」
ナオの影の中に逃れた鵜野が、影から上半身だけをぬっと突き出し、素手の二本指でナオの目玉を狙った。
「ぎゃっ!!」
ナオは瞬間に頭を引いたが、片目に鵜野の指が入った。
出血するほどではないにせよ、利き目が真っ赤に充血し、潤んだ。
「圧というものを考えたことがあるか?」
鵜野がナオに問う。
「この世で最も恐ろしいものだ。山の上では空気が薄くなり、深海では、全てのものが水圧の圧倒的な力でひしゃげる。さて、今、朔夜は高圧の闇に満たされた室内で、闇に潰されかけている…。親衛隊の貴様は、俺の毒に食い殺されるがいい。貴様の眼球は毒に侵され、脳を内側から爆発させる」
鵜野がナオの赤い眸を指差した。
ドクン、と血が脈打つのを、ナオは感じた。
片目が急に熱くなり、激しい頭痛が起こった。
「うあっ!!」
ナオが片目を手で押さえ、床に倒れ込んだ。
吸血鬼の黒い血が指の間から流れ出し、床を染めた。
床に血溜まりが出来るほど、血が流れ出した。
鵜野は面白そうに、転がるナオを見下ろしている。
ナオは何かを掴み、闇の裂け目に投げ捨てた。
荒い息をしながら掠れた声で、
「俺達は…目玉だって、すぐに再生出来るんだぞ」
と言い返した。
ナオの血だらけの顔の中、真新しい目玉が青光りして、鵜野を睨んでいた。
「自分の目玉を、闇に食わせてやったか。ふふふ」
鵜野は戦いを愉しみ、
「でも、かなりの痛みだっただろう? その眼底に入った俺の血を取り除かない限り、貴様は何度でも、この激痛に苛まれることになる…」
と言い終わらないうちに、再び、ナオに激痛が起こった。
ナオは脚を踏ん張り、眼から黒い血を噴き出した。
「舐めないでくれ…。俺も百年以上、生きてるんだ…」
彼の眼から噴き出た血は、彼のシャツを染めている彼自身の血より、もっと鮮やかに黒かった。
その血は光を一切拒絶するみたいに、まるで孔が開いたみたいに見えるほど、濃く黒々としていた。
その血は彼を離れ、闇の裂け目の方へ移動していった。
ナオは朔夜が心配で、部屋に駆け込みたかった。
でも、目の前に鵜野がいて、動けなかった。
「別の使い方を教えてやろう。秀吉の茶坊主、よく見ておけよ」
鵜野が今度は、切っ先を床に向けた。
刀身が白い光のように見えた。
衝撃は床を大きく波立たせた。
壁が崩れて白塵が舞い上がり、コンクリートの床が砕けて、怒涛の波になった。
今や、鵜野は足元に何もない。
彼は宙に浮かんでいる。
「壊れていくのは、物質ばかりじゃない。真に壊れていくのは、物質を支える、見えない部分なのさ」
衝撃が止んだが、既に建物は寿命を失っていた。
僅かに残っていた壁紙や天井板が急速に黄ばみ、繋ぎ目から浮き上がった。
木枠が曲がり、変色する。
建物が急激な老化を見せた。
瞬く間に、まるで廃墟と化していく。
辺りは埃だらけになり、壁は内装材を完全に失い、茶色い染みに覆われた。
「老化したのは、建物だけじゃないんだ」
鵜野がにやにやしながら、ナオを顎で示す。
ナオのシャツが古びて生地が破れた。
シャツの端が擦り切れ、靴に穴が開いた。
彼の刀の糸巻が切れ、下緒が落ち、鞘が割れた。
彼の手の甲に、皺が寄って弛みができていた。
「なんだ、これは…。どういう…?」
ナオは驚いて、自分の両手を眺めた。
皺皺だらけの、黄色い手。
顔を触ると、顔も皺で波立っている。
ナオの身長が縮み、腰が曲がってきた。
髪が白髪になった。
「これは…夢か?」
ナオには意味がわからなかった。
ナオが刀を握ろうとすると、手に力が入らなかった。
「俺は不老不死の存在のはずだ!」
ナオは自分でも受け入れられないほど、数秒で老いてしまっていた。
「古くなったものは簡単に破れ、砕ける。貴様も、砂のような存在に帰るがいい」
鵜野が呟き、ナオは口から血を吐き、床に膝を着いた。
「貴様のカラダは朽ちた。そのカラダは必要な血の補充を受けられなかった為に老化し、ひからびた紙粘土のように脆い。上から落として、貴様を粉々に割ってやろう…」
鵜野が優しく言い、両手を広げて近寄って来た。
ナオは腰が曲がったまま、後ずさった。
彼は弛んだ瞼の間から鵜野を見上げ、染みとそばかすだらけの顔を向け、歯の抜けた口を開けた。
足はもうよろよろとして、戦うどころじゃない。
鵜野がナオを掴んだ時、
「行けるか?」
圭太が鵜野の影から現れ、ナイフで鵜野の心臓を突いた。
圭太は全く老化していなかった。
だって、鵜野の影に潜んでいたのだから。
「おう」
ナオが返事した。
彼は口から垂れた血を手で拭い、左手で頭の皮を後ろにぴんと引っ張った。
ナオの顔の皺が伸び、弛みもなくなった。
「圭太。全然出てこないから、どんだけズルいヤツかと思ったよ」
ナオの声が生き生きとした。
肌が透明感と艶を増し、髪が黒々としてきた。
「何故だ…?」
床に倒れた鵜野が、驚愕の視線をナオに向けていた。
「…教えてさしあげましょう。俺の血の貯金が、ハンパねぇということです。この程度で老化なんかしない」
ナオは圭太に念を押した。
「心臓と闇を繋ぐライン、切ったか?」
圭太は涼しい顔で、
「切ったよ。秀吉の茶坊主に任せてくれ」
と、片目を閉じて見せた。
二人は鵜野の死体を見下ろした。
「ナオ、朔夜さんを頼むよ」
「ああ。圭太、気を付けろよ」
ナオは圭太が黒飛龍剣を取り上げるのを、心配そうに眺めた。
しかし、すぐに朔夜の部屋へ飛んだ。
圭太は大きな眸をぎらつかせ、会心の笑みを浮かべて、黒飛龍剣を掴んだ。
その瞬間、鵜野の死体の眼が、ぎょろっと動いた。




