ph 35 悪霊の正体
phase 35 悪霊の正体
1
愛理はリビングを通過する人影に話しかけた。
「ジーク、まだ朝の10時だよ。外出には早過ぎない?」
呼ばれた相手が振り返った。
顔はジークだけど、何かが違う。
「ジ…、ジーク!?」
愛理は寝ぼけ眼を擦ってから、再び人影を見た。
鵜野は走って玄関を出た。
ジークと顔は瓜二つでも、波はまるで異なった。
そして、黒飛龍剣を左手に掴んでいる。
「…!?」
愛理が混乱した。
そこへ本物のジークが、寝室から出て来た。
「愛理、今、誰か来ただろ?」
深淵のジークは彼の中に眠り、本物のジークの意識が戻っていた。
「あいつ、誰!? なんでジークと同じ顔!?」
「あれは鵜野って骸骨野郎だ。鵜野、聞いたことねーか?」
ジークは首筋から流れる血に、手をやった。
夢の中で鵜野に血を吸われたら、現実の世界でも血が出ていた。
「鵜野…って、鵜野影馬…、あ…、そんなはずないか。影馬は死んだ人の名前だし…」
愛理は首を傾げ、自分の口に出した名前に慌てた。
「愛理。たぶん、それだ。むかーし昔に行方不明になった男だよ」
「まさかー。そんなはずないよ! かなり古い時代に、一族にいた人らしいけどね。よく知らないな。ねぇ、なんでそんなヤツが、ここにいたわけ?」
愛理は言葉を濁し、影馬に関する情報を伏せた。
「黒飛龍剣を奪われた」
ジークは落ち着いて答えた。
「ええっ!?」
愛理の方が焦った。
「ヤバいんじゃないのー、それぇー!? ヤバいよ、ヤバいよ!! だって、すごい量の闇を動かすような剣だもん…」
ジークはしかめ面で、興奮する愛理を見た。
「じゃ、とりあえず、取り返すか。ジイサンは黒飛龍剣のこと、何か言ってたか?」
「おじいちゃんは、ジークに預けておけば安心だとか言ってた…。ジークが闇に食われるって、私は言ったんだけど…。その程度で死ぬような男なら…、一族に加えなくていいって言ってたよ…」
と、愛理が正直に話した。
ジークは鼻で笑った。
「ふん、ジジィが。愛理、ちょっと朝日がきつい時間帯だけど、もう出掛けるぞ。支度しろ」
ジークは黒い薄手の上着を取り、帽子を被った。
「了解」
愛理は急いで着替え、最近入手したピストルをリュックに詰めた。
2
ベイカフェの店長ヨッシーが、店の前の歩道を掃除していた。
そこに、鵜野が隣りのマンションの105号室から、走り出てきた。
「おはようございます、ジークさん!! 今朝は早いっすね!!」
ヨッシーが元気いっぱいの笑顔で言う。
「あれー、ジークさん。髪、急に伸びたんじゃないっすかー?」
鵜野は長めの髪を、一つに束ねている。
「…貴様」
ジークと同じ顔で、同じ服を着て、彼の靴を履いている。
しかし、目つきはジークより悪い。
表情も愛想がない。
側まで来て、ヨッシーも相手の持つ日本刀に気付いた。
「ジークさん!! そんなもの、銃刀法違反で捕まりますよ!!」
しかし、鵜野はいきなり右手でヨッシーの胸ぐらを掴み、
「貴様、黒瀧がどこにいるか、知ってるのか!?」
と怒鳴った。
揺さぶられたヨッシーのキャップが傾き、黒縁の眼鏡がずれた。
「は? 黒瀧? ジークさん、何のことっすか?」
「黒瀧だよ。貴様、黒瀧を知らんのかー?」
鵜野は親指と人差し指の二本でヨッシーを吊し上げ、ゆらゆら揺すった。
ヨッシーの足は宙に浮き、更に高く浮き上がって跳ねた。
「な、何を言って…るんすか? イケメンの朔夜さんの…関係者のこと…?」
苦しそうに、足をバタつかせるヨッシー。
鵜野がヨッシーの鳩尾を、黒飛龍剣の柄頭で小突いた。
途端に、邪悪な闇がヨッシーの全身を駆け巡った。
ヨッシーは宙吊りから、胃の中身をゴボッと吐瀉した。
尿が衝撃の為に押し出され、足を伝って流れ落ちた。
ヨッシーの脳内を透かし見る鵜野は、大きく頷いた。
「…朔夜…、ああ、あいつのことか…」
鵜野はヨッシーの記憶に残る顔を確認した。
鵜野は歩道にヨッシーを投げ飛ばした。
ヨッシーは完全に倒れ、ゼイゼイと荒い息をした。
「この地区の住民に伝えろ。俺はこれから、血を吸いに行く。俺は吸血鬼だ」
鵜野は長い牙を剥き、ヨッシーに見せつけた。
そして、通りの中央へ出て行く。
「ジークさんが…吸血鬼……」
ヨッシーはガタガタ震え、その場に固まっていた。
その後ろを、少し離れてジークと愛理が通った。
「ヨッシーのやつ、何、道に寝そべってんだよ。夜通しヒップホップに踊り狂って、今日はピザの仕込みも、ランチタイムに間に合わねーんじゃねーの?」
「呑気だよね、店長」
ジークと愛理は顔を見合わせ、駐車場に急いだ。
3
ジークはポンコツSUVのナビで、某大学病院を探した。
「ジーク、今ならまだ、その辺に鵜野って人が居るかもだよ? 気配を探そうか?」
「そのうち、鵜野には会えるだろ。俺達は別口から進む。まず、蛾人のラボだ」
ジークは音楽をかけ、ボリュームを上げた。
それと合わせて、アクセルを軽く踏み、スピードを上げた。
愛理は乗り心地の悪いシートで、足をダッシュボードに載せた。
「どうしたんだろう。私達を監視してるはずの蛾人の気配がない」
「急なパーティーの予定が入ったんじゃねぇ?」
ジークが下手くそな運転で、制限時速オーバーで交差点に突っ込み、強引に右折した。
「ラボの住所はどうやって調べたの?」
「この間、朔夜を餌に、蛾人を釣ったよな。蛾人は私立A中学から近い、某大学病院から出動されましたぁー」
ジークは音楽に乗せて喋った。
「A中学?」
「そこに蛾人部隊のリーダーの娘が、在学中なんだよー」
「ぶっ」
愛理はジークの記憶を盗み見て、噴き出した。
「このロリコン変態がぁー!! 可愛い蛾に惑わされてんじゃないかー!!」
彼女はハンドルを握るジークの首を絞めた。
「あんた、どっちの味方なんだよーっ!?」
「愛理、やめろー!! ぶつかる…」
車体がセンターラインを越え、右の車線に入った。
対向車がけたたましいクラクションを鳴らした。
「危ねぇ」
ジークが車を元の車線に戻した。
「別に、俺は正直言って、若い女なら誰でもいいんだよ。もう婚約者も死んじまって、俺に愛情なんつーものは残ってねーんだな。あるのは性欲だけなんだからよ」
ジークがキッパリと言い、愛理は、
「サイテーだね!」
と、罵って、運転席から遠ざかった。
「さあ、今度は俺達があいつらのアジトを焼いてやろうぜー。あいつら、血液パックに依存してる。きっと病院内のどこかに、ラボがあるんじゃねーかってね…」
と、楽しそうに鼻歌を歌った。
「待って、ジーク…。あの煙…」
愛理が前方を指差した。
肉眼で、煙は見えない。
愛理は遥か前方を見据えている。
「病院の裏の施設が…燃えてるよ…」
愛理は恐ろしそうに、口を手で押さえた。
ジークは押し黙った。
病院の裏手を、消防が立ち入り禁止にしていた。
火は消し止められ、黒く煤けたコンクリートの建物が見えた。
病院内は騒然としていて、スタッフが対応に追われていた。
「どの病棟が燃えたんです?」
ジークが野次馬に尋ねた。
「病棟じゃないみたいだね。不幸中の幸い、使われてない建物だったみたいだよ。深夜、不審火で燃えたらしいよ。その建物に、人間は誰も居なかったらしい」
老人が返事した。
「人間は誰も…ね」
ジークが呟いた。
ジークと愛理は車に戻り、どうにか、現場を覗こうとした。
「カラスの体を借りよう。前に、蝙蝠の体を乗っ取ったみたいに」
愛理が提案した。
二人は車のシートを倒し、胸の前で手を組み合わせ、目を閉じた。
二羽のハシブトガラスが、病院の屋上にとまっていた。
一羽は避雷針の上にいた。
カラスは敏感な動物で、ジークと愛理の気配が近付いて来るのを察し、飛んで逃げた。
二人は意識でカラスを捕え、無理やり支配していった。
間もなく、二人はカラスの視界を得た。
高いところから急な角度で見下ろされる景色、頻繁に視界が揺れる。
それは乗り物酔いを誘う。
二人は凶悪なほどの鋭さの嘴と、漆黒の翼を手に入れた。
二羽のカラスは焼け跡の上空を旋回し、カァカァカァーと鳴いた。
建物は焼け焦げ、内部は荒れて水浸し。
消防士がカラスを見上げた。
「愛理、降りてみよう。何かあるかも」
ジークが舞い降り、裏口の辺りを探し回った。
愛理も静かに降り立ち、あちこち燃えかすを突いた。
「焦げ臭くて、何も見つからないよ」
彼女はカラスの嗅覚にがっかりした。
「愛理、見ろよ。これは…」
ジークが先に発見した。
黒い半透明のフィルムのようなもので、何かからちぎれた欠片。
それは特殊な素材で出来ており、燃え残っていた。
「黒蝶の翅の一部…」
愛理もジークと同じ判断をした。
「黒蝶が攻めて来たんだ…。気配を感じる…。結構な数だ…。十匹はいる…」
愛理は眸を瞬かせ、その場の持つ記憶を感じ取った。
「大方、戦いの最中に翅がちぎれたんだろう」
ジークは嘴で突き、孔が開かない頑丈な翅の欠片をくわえた。
「蛾人は全滅した?」
愛理はその場の記憶に浸りながら、首を振った。
「何匹かは生存してる。…どこかへ逃げたみたいだよ。私がそんな騒ぎに気付かないなんて、有り得ないんだけど。昨夜までは、ここは特殊な結界の中にあったんだね。…ジーク、このラボのスポンサーって、病院の経営者なの?」
「そんなチャチな組織じゃねーんだろな」
ジークは翅をくわえた状態で飛び上がり、車の上空へ向かった。
車内のジークが眸を開いた。
彼は運転席のドアを開き、道に落とされた翅の欠片を拾った。
「呪われた黒蝶の卵は五つ。そう言ってたのにな…」
ジークは外の日差しの暑さと反対に、うすら寒い気がした。
4
鵜野は地下に続く階段を駆け下りた。
若い男達がエントランスにいたが、誰も鵜野に近寄れなかった。
「誰だ、こいつ?」
警備の任を担う者が、鵜野の波の強さに警戒し、うかつに近寄れないのだ。
「俺のことも知らん餓鬼どもが」
鵜野が唾を吐き捨て、中央に開く人の輪の中心へ進む。
「待てよ、どこのヤツだ? 黒瀧の一族じゃないなら、名乗れよ!」
怖いもの知らずの若い男が言う。
「黒瀧の一族だとも。黒瀧本人より、年寄りだけどな。俺の名は、鵜野影馬。聞いたことあるだろう?」
鵜野が長い舌を出し、乾いた唇を舐めた。
その場が一瞬にして、静まり返った。
警備の者達が凍りついた。
鵜野は堂々とエントランスの扉を開き、背後を囲む若者達に、
「朔夜というヤツを呼んでくれよ。影馬が来たと伝えてくれ」
と、頼んだ。
「影馬さん、お久し振りですね…」
エントランスの扉の内側に、ナオと圭太が立っていた。
「へぇー。誰かと思えば…」
鵜野が片方の眉を上げた。
「すっかり、闇に溶けたと思ってましたが。さすがですね。まさか、この世に戻っていらっしゃるとは…」
ナオが腰に差した刀の鍔に親指を掛け、いつでも抜刀できる体勢にいる。
「しかも、その刀を再び手になさったんですねぇー。二回も呪われたいもんなんですかね?」
圭太がふざけ、鵜野を挑発した。
「雑魚に用はない。朔夜と久し振りに話をしたいだけだ。黒瀧の現在の居場所を教えてもらう…。わかるな? 俺は黒瀧に裏切られたんだからな…」
鵜野が黒飛龍剣の柄に右手を掛け、内部に踏み込んできた。
彼はナオと圭太を交互に見ながら、二人の間を進んだ。
「朔夜さんはお休み中です。それと、黒瀧さんの現在の居場所なんて、誰も知りません。そんなことは、よくおわかりのはずですが」
「そうだな。臆病な男だったからな。でも、連絡ぐらいは取れるんだろ? 黒瀧と話をさせろよ。俺達はな、元々、黒瀧の一族じゃない。鵜野の一族と言ったんだ」
鵜野がどんどん奥へ進む。
一度も来たことのない場所のはずなのに、直線で朔夜の部屋へ近付いていく。
「先代…。お言葉ですが、今は黒瀧の一族と呼ばれてるんですから…」
ナオの波が急速に高まり、力が解放されていく。
殺気が漲っていく。
「貴様、死ぬ気か? 雑魚が、あんな病人の為に?」
鵜野が歯を剥いて嗤い、ナオを振り返った。
「先代…。あなたこそ、黒瀧さんを殺そうとしてる、我等一族の敵なんですけどね…」
ナオは百五十年前の事を、詳細に思い出した。
「ここから先は通せません。お引き取り下さい」
ナオが鵜野の前に回り、立ちはだかった。




