ph 34 悪霊の来訪
phase 34 悪霊の来訪
1
愛理は圭太の牙を、拳で殴り飛ばした。
「はうっ!!」
圭太は鼻血を噴き、壁まで飛んで頭をぶつけた。
続いて、圭太の顔面に愛理の渾身の右肘が入った。
「むがぁっっ!!」
圭太の顔面が潰れたように見えた。
圭太の顔は形状記憶素材なのか、頭を振ると元に戻った。
「ひ、ひでぇ…」
床に転がったまま、圭太は前髪を乱す。
「痛ぇー!! 愛理ちゃん、そんなに思いっきり…」
圭太が言い終わる前に、愛理は蹴りを彼の鳩尾に入れ、畳み掛けた。
「あうううっ!!」
圭太は後方に跳び、胃の中のものをリバースした。
圭太は波で感じるより、何故だか、弱かった。
愛理はそこで攻撃をやめ、
「圭太さんは、元はうちの一族の者じゃないって、おじいちゃんが言ってたよ。そうなの?」
と呟いた。
圭太は溢れる鼻血を、手の甲で拭った。
「ああ。俺には、黒瀧の一族の血は流れてない。伏見で黒瀧サンと初対面の時に、俺は既に吸血鬼だった。でも、…認められて一族に迎えられたんだぞ」
彼は血をタオルで丁寧に拭き取り、鏡を覗いて前髪の崩れを直した。
「愛理ちゃん。俺は黒瀧サンに忠誠を誓ってる。君に乱暴はしない。わかってくれるよね?」
圭太が手を差し出した。
「圭太さん、話は後で。私、急用ができた!」
愛理は急いで、部屋から走り出た。
彼女は廊下を突っ切り、エレベーターの手前で階段室に飛び込んだ。
手摺から身を乗り出し、はるか下の階を覗く。
「大祐さーん!!」
もう、先刻の男はいない。
「どこに行っちゃったんだろ?」
愛理は残念そうに、空気に残る匂いを嗅いだ。
2
真っ暗な部屋。
入口に長く垂れた、赤い唐辛子を連ねた魔除け。
出窓に赤いアロマキャンドル。
ジークはリビングに入るなり、愛理の寝息を耳にした。
「無事か?」
彼は愛理の寝顔を見た。
安堵が表情に出た。
「そうか。で、おまえが無事なら、朔夜も無事ってことか…」
彼はソファーで眠る愛理の側を抜け、自分の寝室へ向かった。
彼はベッドの壁際に、シャツで包んだ剣を置いた。
まだ妖気を放っている。
ジークはシャワーを浴び、新しいシャツに着替えた。
スタンドミラーに映る自分に、
「出てけ、悪霊」
と罵った。
鏡の中のジークは、突然、唇を斜めに歪めて喋り出した。
「おまえが出てけよ。このカラダは俺がもらう。…おまえは早く、ダークランドでくたばっちまいな!!」
鏡の中から、ジークがジークを呪った。
「黙れ、ニセモノ。こっちの世界に来たって、おまえは俺と融合できてねーじゃん」
鏡の中のジークは同じポーズを取らずに、やれやれと肩を竦めた。
「融合? おまえに取り込まれるわけには行かねーんだよ。俺が本物のジークだ。おまえは闇に溶けて消えてしまえ」
「はあ!? 俺のコピーのクセしやがって。深淵はよく出来たもんだな!!」
ジークが鏡を叩いた。
放射状にひび割れが広がった。
すると、もう一人のジークの声が聞こえなくなった。
3
雨の中、食事を済ませたジークがマンションに帰ってきた。
外は肌寒いけれど、ジークの血は温まっている。
ジークは先日のことを思い出す。
マンションの玄関の鍵を開けている時、隣りのドアが開いた。
隣りは南米系衣料通販の会社になっている。
その会社で働くベロニカが、ジークを呼んだ。
「ジーク!! あなた、大変よ…」
「オラ、ベロニカ!!」
ジークはベロニカに両手を開き、頬にキスの挨拶をした。
ベロニカは気が動転していた。
「マンションの誰かが警察に、あなたが不審者とか通報した。ほら、最近、吸血鬼騒ぎが起きてるでしょー!!」
ジークは瞬きして、動きを停めた。
「え…、なんで俺が不審者…」
「ジーク、働いてるのか働いてないのか、よくわからないでしょ。いつも顔色悪いし、目つき悪いし。
夜に出掛けるし。若い子と同棲してるし。だからヨ、変な人って思われてるー!!」
ベロニカはたどたどしい日本語で話した。
「心配してくれて、ありがとう。ベロニカ、大丈夫だよ。俺は何も悪いことはしてねーから」
ジークは内心、焦った。
たぶん、近く警察が来る。
「そう? 吸血鬼、怖いよ。もう自分の国に帰ろうかな。神様、助けて下さい」
敬虔なキリスト教徒のベロニカは、天を仰ぎ、十字を切った。
ぴしっと空気が裂ける音がジークにだけ聞こえ、彼は一歩下がった。
「ベロニカ、もし俺が吸血鬼だったら、どうする!?」
と、彼が質問したら、ベロニカは大きな二重瞼の眸で睨んだ。
「そんな冗談、ヤメテ。私は吸血鬼、嫌い。吸血鬼は怖い。悪魔の仲間ね」
外国人の方が、吸血鬼の噂に過敏に反応している。
この界隈は外国人が多いから、いろんな噂が飛び交っているみたいだ。
ベロニカはジークに警戒心を見せ、そそくさと会社に戻った。
「あ、ベロニカ。待って…」
ジークは悲しい気持ちで、彼女を見送った。
ジークは過去から現実に戻り、鍵の回転する音を聞いた。
沈んだ気分でドアを開けたら、玄関の内側に、愛理が立っていた。
「ジーク!! お帰りっ!!」
愛理がジークに飛びつき、きつく抱きついた。
「うわぁー、やめろよ!! 胸を密着させんなよー!!」
ジークが大声で喚いた。
ジークは彼女を力ずくで引き剥がそうとする。
「イヤだー。離れないー。だって、嬉しいんだもん」
愛理はにこにこ笑顔で抱きついた。
「ジーク、よく深淵から帰って来たよねっ!! あの蛾人の包囲網から、よく抜け出せたねぇー!!」
愛理から、甘い匂いがした。
「俺が朔夜とマジでやり合ったことは、忘れたのかよ。なんで、また俺の部屋に戻ってんだよ?」
ジークは愛理の腹を足の裏で蹴るように押し、
「早くジイサンに報告しろよ、愛理」
と、嫌味で応え、彼女を離してキッチンへ入った。
愛理は慌てふためき、憤慨した。
「何よ、心配してたのに。そんな言い方しなくてもいいじゃない…。勿論、報告はするけどね…」
ジークは冷蔵庫から、吸血鬼定番のトマトジュースを出した。
「るっせぇー。ああ、さっきの血、うまかったぁー」
ジークはトマトジュースをタンブラーに注ぎ、喉を鳴らしてゴクゴク飲んだ。
愛理が拗ねるのが、ジークに伝わった。
「ジーク。朔夜が言ってたよ。あの剣は、おじいちゃんに返した方がいいって。ね、朔夜とやり合う必要なんて無いんだから。蛾人とか、黒蝶とか、今、こんな時に仲間同士で……。今後は私に、何かする前に相談して…。ジークは何も知らなさ過ぎる…」
「もうすぐ朝なんだよ。カーテンをきちっと閉めて、寝るぞー」
ジークが話を遮り、自分の寝室に入った。
「何で、ちゃんと聞いてくれないのー!?」
愛理は怒って、ジークの寝室のドアを叩いた。
でも、寝室の内側から返事はなかった。
4
あれから、何日か過ぎた。
ある夜。
暗い夢の中、影が蠢いている。
異界での悪夢の続きみたいな、今宵の夢の始まり。
夢の中でも現実と同じように、ジークはベッドに寝転んで、寝室の窓辺のカーテンを見上げている。
妙にリアルで生々しい夢だ。
体は寝ているのに、心だけが起きていて、耳を澄ましている感覚。
枕元に、何かが来る。
しゃらしゃらと、長い着物を床に擦る物音。
枕元はジークの死角で、頭の裏から眺めることは出来ないから、相手の姿が見えない。
ジークは鳥肌立ち、気配に神経を研ぎ澄ます。
幽霊でも、やって来るのか。
近付く空気の振動、ぴりぴりと張り詰めていく空気。
衣擦りの音を立て、白い着物を引き摺る何者か。
腰には、一本の刀。
伸びた白髪が長く、適当に束ねられている。
いつの間にか、枕元に立ち、ジークの顔を覗き込んでいる。
そいつは髑髏、骨が死装束をまとっている。
その長い着物が崩れ、裾を引き摺っている。
そいつには、内臓も皮膚もない。
きれいに白骨化した肋骨が、着物の袷から覗く。
「おまえ、誰だ?」
ジークが髑髏に向かって言った。
死装束が、余計にジークの緊張を高める。
「おい、おまえは何しに来た? 生前の面影が残ってねーから、誰だか思い出せねーんだけど」
「初めまして…かな」
髑髏が歯をカタカタ鳴らし、無表情に言い捨てた。
ジークは髑髏が歩いて来た方向を振り向いた。
部屋の隅に、一枚のスタンドミラーがあった。
髑髏は鏡の中から出て来たのだ。
「おまえ、異界から…、ダークランドから来たのか…?」
ジークの声が掠れる。
舌が喉の奥に張り付き、うまく動かない。
髑髏が屈み、ジークの顔を真上から見下ろした。
髑髏の顎が、ジークの額にくっつきそうだ。
これは金縛りだ。
悪霊の祟り。
ジークは動けない。
「どうだ…? 理解してくれたかな? 俺はダークランドに棲む、鵜野」
髑髏が奇妙な名乗りを上げた。
「ふふふ。貴様がダークランドを駆け抜けるのを見て、血を頂きにきた。吸わせてもらう」
鵜野が歯茎の痩せて長く伸びた歯をカタカタ言わせ、くぐもった声で喋った。
ジークは首を後ろ向きに曲げ、鵜野を見上げた。
「今のとこ、俺の血を吸った吸血鬼は、ケイシーだけだ」
ジークは懸命に金縛りを解こうとした。
けれど、彼の体は更に硬直してしまった。
「俺が二番目。そのうち、三番目が来る。四番目も…」
鵜野は不吉過ぎる予告をした。
鵜野は長い歯を、ジークの首筋に当てた。
息から腐臭が酸っぱく香り、冷たい歯の感触が首筋に当たった。
「やめろ、クソ骸骨野郎ー!!」
ジークが叫ぼうとした。
ジークの皮膚がぱっくりと裂け、血が流れ始めた。
鵜野は美味しそうに、血を啜った。
ジークはたまらない快楽を感じた。
血を吸うより、吸われる方が気持ちよくて、恍惚となった。
正気を保とうと、奥歯を噛み締めた。
しかし、次第に意識が遠のいていく…。
「濃い…。こんな濃い血は滅多にない…。封印の剣のせいで、貴様の血に、闇が濃く溜まってるのか…」
鵜野がジークの血を味わった。
「濃いのに、味に恨みとか、憎しみの念が足りないな…」
鵜野は物足りなさを感じた。
「こってりとした…恨み、妬み、絶望…。そんな味が欲しいな。俺が貴様の腹を抉ってやろう」
瞬間に抜刀し、切っ先をジークの腹に捻じ込み、肉を抉って掻き出す。
「ううっ…!!」
ジークが激痛に呻き、白目を剥いた。
「これで味が増す。虐ぶりながら吸ってやろう」
鵜野が優しく囁いた。
「くふふふ…ふはは…」
ジークが白目の裏返ったままの気持ち悪い顔で、気味悪く笑う。
何か、異常な雰囲気。
「ぐふふふふ。おまえの方が、俺の獲物だぜ…。はっはぁはぁー」
ジークが急に起き上がった。
金縛りが解けた。
だが、首が捻じれた状態だ。
彼は鵜野と視線を合わそうともしないで、白目で宙を眺めていた。
「よう、鵜野ちゃん。初めましてだ。俺はジークのB面だ!!」
ジークが口の端からヨダレを垂らした。
「…なんだ? どうした?」
鵜野は刀の柄に手を掛け、ぱっと後ろに飛び退いた。
「おまえの血を、俺が吸ってやるぅー。おまえをコピーしてやるぅー」
白目のジークが薄汚く嗤い、首をポキポキ鳴らしながら元の角度に戻した。
腹から、そして首筋からも出血していたが、本人は気にしていなかった。
ジークが鵜野に向かって、捨て身の突進を見せた。
鵜野は目にも止まらぬ速さで抜刀し、ジークを肩から袈裟斬りに斬った。
ジークは黒い血を噴き上げながら前進し、そのまま体当たりで鵜野の首筋にしゃぶりついた。
血の奪い合いが始まった。
「おまえの血はマズイな!! すげぇー薄味だよ!!」
ジークは鵜野の血を口から滴らせ、叫んだ。
鵜野はがっくりと膝を着き、震える片手を床に着いた。
「俺は深淵のジーク。ゾンビ野郎の複製でありながら、オリジナルを凌ぐ存在だ。俺は元のジークの力をコピーし、本体を乗っ取った。今から、おまえの能力も全てコピーしてやろう!!」
ジークが宣言し、左手の平を鵜野にかざした。
「俺を舐めているな、若造が…」
鵜野は苦々しく呟いた。
鵜野の波の強さが、急速に、桁外れに上昇し始めた。
5
深淵のジークは鵜野の血を体内に取り入れ、早速、全身を活性化させた。
炎のように光が広がり、彼を包んだ。
深淵のジークの波は、本物のジークと同質のものだったが、強さは数倍上だった。
闇の世界でジークと互角だったはずのニセモノのジークは、いつの間にか、ジークの魂をじわじわと削り取って、ジークを吸収しつつあった。
本物のジークでは、鵜野の支配から解けなかったのに、深淵のジークは易々と金縛りを解いた。
深淵のジークが、ベッドに寝かせてあった黒飛龍剣を取り、鞘代わりに巻かれていたシャツを剥いだ。
鵜野はひゅうと口笛を吹き、黒飛龍剣を眺めた。
「貴様、自分からその破滅の剣を手に取るとは…。余程の阿呆だな」
「何とでも抜かせ」
深淵のジークが黒飛龍剣を構えた。
黒飛龍剣を深淵のジークが構えれば、剣が呼応して、錆びのような塊が剥がれ落ちた。
黒飛龍剣の装飾がまた鮮明となり、その不思議なカタチが一段と蘇った。
その剣は白い光を放ち、真昼の太陽のように眩しく輝いた。
闇が吸い寄せられ、霧が光に触れて溶けるように、剣の内側に取り込まれていく。
「そんなヘボい刀で、こいつの一撃を受けるつもりかよ」
ジークが哄笑した。
「受け切れないってこともないだろうよ。まともに受けるつもりはないが」
鵜野はゆっくりと柄を前に滑らし、鞘を同時に引き下げて、白刃を晒した。
骸骨の、肉のない指骨が刀を抜いて横一文字に旋回させ、切っ先だけを頭の後ろに滑らかに回して、上段に振り被った。
「貴様に面白いものを見せてやろう」
鵜野は切っ先の辺りに、霧状の細かな水滴を作り出し、光るスクリーンを構成した。
そこに、何か映像のようなものが映し出された。
一族の長である黒瀧の羽織袴姿。
時代は江戸時代の末。
黒い羽織の胸に、龍の家紋が見える。
黒瀧の左右に控えるのは、髷を結った朔夜とナオ、更に圭太の顔もある。
黒瀧は片手を帯に挿し込み、片手で杖をつく。
黒瀧の左の腰には、大小の刀。
刀の柄が高めに、抜きやすい位置に差してある。
その刀の拵えは地味で、特に目を引くことはない。
洒落た色の下緒と飾りの黒瑪瑙も、特に目立たない。
「黒飛龍剣…」
深淵のジークが低く呟き、映像に見入った。
映像の中の黒瀧は、夜道を歩いていた。
前に誰かが通りかかった。
笠を被った男。
男がぱっと笠を跳ね上げ、刀を抜きながら斬り上げた。
朔夜が黒瀧の前に躍り出て、その男の刀の一振りを受け流し、男の首筋に自分の切っ先を突き付けた。
男の悔しそうな顔が、スクリーンに大写しになる。
「あ、俺…!?」
ジークはその男の顔を見て、一瞬驚いた。
ジークにそっくりなのだ。
「貴様ではない、俺の顔だ!!」
鵜野が叫び、スクリーンを破るように、ジークに斬りかかってきた。
不意を突かれたジークは、拙い防御で受けた。
スクリーンの二つに割れた映像では、黒瀧が黒飛龍剣を抜き、笠の男に斬り付けている。
「俺はそうして、黒瀧の封印の剣で、異界に飛ばされ、封印された!!」
鵜野の刀とジークの黒飛龍剣の刃が、まともにぶつかり合った。
閃光が走った。
「俺はもう一度、血肉を得る!!」
鵜野の叫びがこだました。
深淵のジークは言葉を失った。
目の前に、また一人増えたジークの顔があり、白く艶々と輝いていた。
鵜野は血肉を復活させ、最早骸骨でもなかった。
悪夢はリアルとなり、ジークが夢から覚めた。
彼のカラダはベッドの中で硬直し、金縛りの状態にあった。
「封印の剣、頂くぞ」
ジークの顔となった鵜野が囁き、ベッドに寝かしてあった黒飛龍剣を手に取った。
彼が鞘代わりのシャツを捲った。
黒飛龍剣は幕末の刀のカタチと変化し、夢の中で鵜野が腰に差していた刀とダブった。
鵜野は死装束をその場に脱ぎ捨て、ジークの服に着替えて逃走した。




