ph 33 血みどろジーク
phase 33 血みどろジーク
1
愛理は朔夜の背にしがみ付いて空を飛び、朔夜は天を翔け続けて街へ戻った。
朔夜は幾つも持つ隠れ家の一つへ入った。
ビルの地下にある広い店舗で、吸血鬼の溜まり場になっている。
愛理は初めて入る場所だ。
厳重な警備のエントランスから、ホールの入口に入る通路で、朔夜はナオに抱き留められた。
ナオは血の気のない、顔が真っ青な朔夜を抱き留め、
「愛理ちゃん!! 少しは責任感じてる!?」
と、愛理を睨み付けた。
鱗に覆われ、カタチが人間に戻り切らない朔夜を、ナオが仲間と数人で抱えて別室へ運ぶ。
愛理はホールに置き去りにされ、うるさい音楽の流れる中、一人で壁に寄り掛かった。
彼女はどのグループにも入れず、しばらく孤独と不安を感じた。
やがて、彼女を見知る者が声を掛けてきた。
「愛理ちゃん、久し振りー」
圭太だった。
圭太は甘く可愛い顔立ちで、見た目は十七歳ぐらい。
髪は少し癖っ毛。
笑窪がくっきり入るが、笑顔は無邪気ではなく、邪まな空気が漂う。
「圭太さん」
「愛理ちゃん、こっち来なよ。何か飲もうよ」
圭太がバーカウンターに愛理を連れていった。
愛理は焼酎ロックをもらい、圭太はロンリコでアルコール度の高いラムコークを作ってもらった。
「愛理ちゃん、例の蛾人に襲われたんだ? この前、俺達が襲われたヤツらだよね?」
圭太は真っ暗な店内の一画で、小さな席に二人きりで愛理と座った。
天井のLEDが、遠い天の川のように煌めいている。
愛理は焼酎をグビグビ飲みながら、
「あいつら、どこまでも着いて来る。どんなに気配を消しても、読まれるんだ!」
と、溜息を洩らした。
「あいつらの殺し方、知ってる?」
圭太がシャツの裾を捲って、シースを見せ、ナイフを抜いた。
刃渡りが結構な長さの、サバイバルナイフだった。
「刃を横にして肋骨の間から、心臓に刺してさ、ぐちゃぐちゃって刃を捩じる。掻き混ぜて、太い血管を全部斬るんだよ。血管だけじゃない。闇とこの世を繋ぐラインも切断するんだ」
圭太が吸血鬼の正しい殺し方をレクチャーした。
「…心臓が…、私達の唯一の弱点なんだよね…」
異種との殺し合いを望まない愛理は、顔をしかめて聞いた。
「そんな顔しないで、愛理ちゃん。あいつらを殺さないと、俺達、人間に正体をバラされて、行き場所がなくなっちゃうから。結構、厄介な存在でしょー」
圭太は身に迫る危機を笑い飛ばした。
「あいつら、武器をたくさん持ってて、それを人目気にせず使ってくるから」
愛理は圭太が平気そうなのが、わからなかった。
「ジークはどうしちゃったのぉー?」
圭太は心配するというより、面白がって聞いてきた。
「ジークは…どうなったか、わかんない」
愛理は黙り込んだ。
「ええっ、愛理ちゃん。ジークを黒瀧サンに任されてんでしょー。ヤバくない? 見捨てて来たの? あいつ弱いから、きっと今頃死んでるよー」
圭太はもっと笑いたいのを堪えた。
「死んでない…と思う。死んだら、私、きっとわかるし…。ジークは本当は、そんなに弱くない…」
愛理が口を尖らせ、むきになった。
「無理、無理。あいつは吸血鬼の成り損ない。下等な半腐りのゾンビ野郎。大体、根性が弱っちいんだもん。惚れた女が殺されてどうとか、そんなのさ。女なんか、いくらでも代わりがいるのにさ。あ、失礼? 俺はこう見えても、たくさん子孫を残してるからねぇー」
圭太はちらっと愛理のバストに視線を走らせ、すぐ階段を振り返った。
圭太は入口の階段を度々、振り返った。
愛理と視線を長く合わせない。
何かを気にかけている様子だった。
恐らくは、朔夜を。
「ジーク、深淵から、黒飛龍剣を持ち出して還って来たんだろ?」
圭太が唾を飛ばし、尋ねた。
愛理は驚いて、圭太を見詰めた。
「なんで…知ってるの…!?」
「俺、見てたもん」
圭太の視力は、愛理よりも優れているらしい。
「この距離で、圭太さんは視れるんだ!?」
「ああ。俺を誰だと思ってる? 黒瀧サンと同世代だよ? ま、実力はケタ違いだけどなー。あの人には勝てない、俺は朔夜にだって勝てやしない」
圭太は自分を嘲笑った。
「戦国時代の終わり頃だよ。羽柴秀吉ってサルが天下を取った。俺は京都の伏見で、黒瀧サンと逢ったんだ。とある茶会の席で…」
圭太は遠くを眺めるように、目を細めた。
「俺はサルの家臣だったんだよな。サルは嫌味なヤツだった。黒瀧サンは天下取りとは無縁なところで、権力なんかに従わず、もっと自由にしたたかに生きてた…。俺達は小さな茶会で、意気投合した…」
愛理は不思議に思った。
優しい祖父と、子羊の皮を被った狼のような腹黒い圭太と、話がどう噛み合うのか。
「黒瀧サンは一本の刀を俺に見せた。刀の装飾、拵えは至って地味で…。その時代のサルが好んでた桃山文化みたいな、絢爛豪華な金ぴかとは全く異なる。全てが黒い、光を寄せ付けない影みたいな刀だった…」
圭太は思い出して言った。
愛理はジークのイメージの中で、黒飛龍剣が両刃の剣だったことを思った。
圭太は愛理の思考を読んだ。
「ああ、そう。そうかもね。どのぐらい古い年代のものかは知らない。伏見で見た時のカタチは、黒瀧サンによるモノだ。元のカタチはわからない。例えば、古墳時代ぐらいの直刀か、日本神話に出てくるスサノオの剣みたいなやつかも知れない。俺が知ってるのは、黒瀧サンが何代目かの持ち主だったという事実だけだ。既に多くの闇を吸い込み、妖刀となっていた」
圭太はぶるぶるっと小動物のように震った。
「あの刀はこの物質界で、持ち主に合わせて変化する。持ち手のイメージ通りのカタチになる。だけど、根本は変わらない。あの刀が闇を吸い寄せるって特質だけは…」
「圭太さんは、あれが欲しいの?」
愛理はふと感じた通りに尋ねた。
「馬鹿言っちゃいけない。あんな物騒なものを? あれは自分の身を滅ぼす。刀が吸った闇は、所有者の内側に溜まっていく。つまり、早く闇と同化して、持ち手は闇に食われてしまう。…愛理ちゃん、知ってたかな? 俺達は不老不死じゃなくて、いつかはそんな終わり方をする。闇は俺達に永い時間とパワーを与えながら、俺達を通じてこの世界の養分を取り込み、闇そのものの勢力を拡大するんだ…。だから、遂には黒滝サンもヤバくなって、刀を手放した」
圭太は慌てたように言い返した。
「おじいちゃんが闇の深淵を封印したんでしょ?」
「そうとも言う。闇を開けっ放しにしておくと、どんどんこの世界に流れ込んでくるので、異界に留めておく為に、刀がちょうどいい磁石になった。あの刀を持ち出すと、ダークランドから、この物質界へ流れ込む闇の量が増える!」
圭太は秘密を話すように、小声で囁いた。
愛理はジークが心配になってきた。
「ジークは…」
「今頃、体の隅々まで、闇でパンパンに膨らんで、闇の風船みたいになってるだろ。あいつと黒瀧サンじゃ、器が比較にならないんだよ!!」
圭太は爆笑した。
「そんな…!!」
愛理は思わず、ソファーから立った。
圭太は悪魔的な表情で微笑み、
「だって、あの刀は…、黒瀧一族の代々の長が、所有した刀なんだぞ…」
と、静かに囁いた。
2
ジークは暗い海の底にいた。
海底で目を覚まし、慌てて浮上する。
光に満ちた水面を求めて。
墨汁のように黒い水だ。
水面から頭を出し、息を吸うなり、ジークは黒い水を拭って眸を開けた。
黒い水の海原が四方、水平線まで続く。
波が三角に立ち上がり、無数に連なって上下している。
「クソッ、俺、また戻って来てるじゃねーか!?」
ジークは墨汁のような海水を吐き、絶望的な景色を見回した。
荒い波に飲まれそうになる。
「俺の剣はどこだ…?」
物質界に戻る為、ジークは剣を探した。
手には無かった。
「誰かが俺の頭を殴って、俺の体を乗っ取っていった。俺の魂は、今ここに…」
ジークは気を失う前の、うっすらと記憶を取り戻した。
「あいつだ。もう一人の俺…」
ジークが歯噛みした。
どんどん頭痛がひどくなり、頭が割れてしまいそうだった。
波が高く打ち寄せ、ジークは溺れそうになる。
水の冷たさに、手足が痺れていく。
「ああ、こんなのは夢なのに…」
悪夢の中で、ジークは墨色の海に沈んでいく…。
3
目が覚めると、ジークは山の中にいた。
地面が割れ、その手前に一人の男が転がっていた。
ジークは激痛に痙攣を起こし、息を荒げた。
「今度は何の悪夢だよ?」
手で腹を探ると、よく掻き混ぜた納豆みたいに糸を引いて、腸が完全に腐っていた。
「う…。血が…、血が飲みたい…」
ジークが呻いた。
今すぐ血を吸わなければ、腹から腐って、身がちぎれそうだった。
ジークの手は皺だらけで、顔の皮膚も土色のゴムみたいに干からびていた。
髪が白くなり、最早、体力の限界が訪れていた。
「どういうことだよ? 俺は元の世界に戻れたのか?」
ジークは腐った腸を左手から払い、腐臭に顔を歪めた。
彼の右手には、黒飛龍剣があった。
黒い錆が欠け、下から細かな象嵌細工が見えた。
黒飛龍剣は一部、元の姿を取り戻していた。
ジークが異界で見た時のように、黒瑪瑙で柄が飾られている。
「こいつ、闇を吸い込んで、きれいになってきやがった…」
ジークは悪寒を感じた。
黒飛龍剣が力を増していく一方、ジークは腐っていた。
ジークはその意味を理解した。
「この剣、うまい獲物にありつけたようだな…」
ジークは地割れの前に倒れた、若い男の死体を見た。
「スカル…。おまえも悪夢に食われたか…」
ジークは同情するような気持ちが湧いて来るのを感じた。
「おまえは元々持ってた劣等感で、自分の顔を醜いカタチに変えてしまってたんだな…」
ジークの見たスカルの素顔は至って普通で、もう昆虫みたいでもなく、隈取もなかった。
穏やかな死に顔だ。
「初めて殺してしまった…」
ジークは罪悪感を抱いた。
血を吸っても、誰も死なせたことがなかった臆病な吸血鬼は、とうとう、人を殺してしまった。
正気を失っている間に。
辺りは焦げ臭く、煙が立ち込めていた。
その煙の中から、鬼の顔を描いた覆面の男が現れた。
ヘルがスカルを肩に担ぎ上げ、ジークに銃口を向けた。
「死んでもらうぞ…。よくも、大事な仲間を…」
ヘルは憎々しげに至近距離で照準を、ジークの心臓に合わせた。
「スカルの仇か…。撃てよ…」
ジークがヘルに告げた。
「どうせ、俺はもう…こんなに腐ってる…」
ジークは諦めを見せた。
「ヘル、もういいじゃない!? そいつ、放っといても死ぬよ」
ディーヴァがヘルの銃口を下げた。
ディーヴァはジークに向き直り、見下ろして、
「ジーク。あんたも終わりだね! そりゃ、助からないよ! あんたは動けない。もう朝が来る…」
と、何かをジークに投げ付けた。
朝が来ると聞き、ジークは恐ろしさに震えた。
「ディーヴァちゃん!! 連れてってくれよ!!」
ジークが地面を這った。
上体が前に進み、腐乱した腹が腐って伸びて、下半身をその場に残した。
ボトボトと内臓が落ちた。
「うわぁぁ!! ちぎれそうだ!!」
ジークが恐怖に駆られて叫んだ。
ディーヴァはジークを振り返らず、涙ぐんでスカルの死体にすがりついた。
「スカルの馬鹿…」
彼女は父親のヘルと、煙の向こうへ消えた。
「うわあー、ディーヴァ!!」
ジークは掠れ声で泣き、両手で砂を掴んだ。
刻一刻と腐っていく。
涙を流しながら、ジークは横たわり、朽ち果てていく。
山火事の火は消えたのに、朝日がジークを焼こうとしていた。
東の空が次第に白んでいく。
何の気なしに、ジークはディーヴァに投げつけられた物を手に取った。
ファスナー付きの小さなバッグで、中から冷たい血液パックが出て来た。
「ディーヴァ…!?」
ジークは震える指でパックを開き、渇ききった唇にストローを押し当てた。
4
圭太は酔っ払った愛理を見詰めていた。
「愛理ちゃん、大丈夫? それぐらいにしたら?」
テーブルには焼酎を飲み干したロックグラスが、いくつか並んでいる。
「だいじょーぶだもん。これぐらひ…」
愛理は呂律の回らない舌で喋った。
「圭太さん、ジークは絶対帰ってくるよ…。彼は生きたいって願望が強いんだー。それに、闇に染まりたくないってゆーう、妙にイノセントな部分があってぇー、だから弱いんだけど、闇の支配に対しては強いんだよ…」
「そんなの。黒飛龍剣を通して、ガンガン闇が体内に入って来るんだよ? そう持たないって。賭けてもいい、あいつはもう死んでるよ」
圭太は笑いながらグラスを片付け、愛理の手を取った。
「俺、上の階に部屋を取ってあるんだ。そこで二人きりで話そうよ。教えてあげるよ。吸血鬼の歴史を…。知ってるかい? 最初、光と闇は一対で、同等にこの世に存在した。今のように光と影が分かれてたんじゃなくて、一つに混じり合ってた。闇は最初、光ってたのさ。そして、人類は吸血鬼だった」
圭太が愛理を支え、立たせた。
「それって、いつの話? お腹空いたぁー。パスタ食べたい」
「一万年ぐらい昔だよ。ルームサービス取ってあげるよ」
「嫌だ。ベイカフェのパスタがいいー」
愛理は駄々をこねた。
「吸血鬼は劣性遺伝で、やがて数が減少した。光に仕組まれ、闇は…駆逐されていく。吸血鬼は夜に活動し、鬼と呼ばれ恐れられるようになった…」
圭太は愛理の腰を抱いてエレベーターに乗った。
愛理は彼の手を払い、憮然とした。
「光に追われる前の吸血鬼は、太陽の下で活動出来たの!?」
圭太は首を傾げた。
一万年も昔のことだ、彼も曖昧だった。
「そう聞いてるけどね」
「本当に!?」
愛理は驚き、興味を示した。
「なぁ、愛理ちゃん。一万年前は吸血鬼同士で、血を奪い合ってたんだ。同族ばかりで、異種なんていなかった。何故、吸血鬼じゃない新しい人類が誕生したか…」
エレベーターは二人きりで、他の階に停まらずに、スムーズに最上階まで上昇した。
「それを知る為に、俺達、血を吸い合ってみないか? お互いに…」
圭太がキーを取り出し、廊下の突き当たりの部屋の鍵を開けた。
「ヤダ、悪趣味だと思うなー。圭太さん、そんなのはやめようよ…」
愛理は歩きながら、何気なく、廊下を擦れ違う男に目をやった。
背を丸め、視線を伏せて、無言で歩き去る男。
歳は三十歳になるかどうか。
病的に青い顔で、伏せた目は赤く血走り、口の端をぐっと下げて暗い表情をしている。
痩せていて長身で、何かに憑りつかれたみたいな顔。
男は圭太の部屋の隣りから出て来て、愛理と擦れ違い、エレベーターの脇の階段室に出るドアを開いた。
愛理は男をどこかで見たことがあるように思った。
でも、全く知らない相手だった。
男も愛理に一瞥もなかった。
圭太が部屋の中に愛理を招き入れ、鍵をロックした。
愛理は酔って、ぼっとしている。
「愛理ちゃん…。君の血、美味しそうだね…。生まれた時から吸血鬼の一族なんだよね…」
圭太は舌舐めずりし、愛理のパーカーを脱がせようとした。
「ちょっと、何すんの!?」
愛理はふらつきながら、圭太の波に抵抗した。
「愛理ちゃん…。胸でかいんだね。スタイルいいんだね…」
圭太が愛理の手を引っ張った。
狭い部屋の中には、普通のビジネスホテルみたいに真ん中にベッドがある。
「あっ…!! 思い出した!!」
愛理が声に出して叫び、ドアを振り返った。
廊下で擦れ違った男、ジークの記憶の中に見た顔だ。
「だ…、大祐って人なんじゃ…!?」
愛理が廊下に戻って男を追いかけようと思った瞬間、圭太が長い牙を剥き、襲いかかってきた。




