ph 32 ニセモノ
phase 32 ニセモノ
1
ジークは頭を振り、記憶を辿った。
ジークは三浦邸を訪ねた後、玄関を出てすぐ電話をかけた。
「ディーヴァちゃん。愛理のやつ、見つかった?」
「ジーク? 誰の話?」
蛾少女ディーヴァが、彼を呼び捨てにした。
「何だよ、俺達を尾行けてるんだろ?」
「…ああ、あんたと一緒に住んでる女のこと? その女だったら、今朝からF県の山の中に閉じ籠って、出て来ないんだけど。私は今から行く。ジークはどうする?」
ディーヴァが問う。
「へっ、ドライブのお誘い? でもねぇ、俺の車、愛理が乗って行ってるんだ」
ジークは一瞬だけ、浮き浮きする気分を味わった。
「あんたの車なんか。私は仲間の車で行く。あの女は気配を消してるけど、匂いまでは誤魔化せない。吸血鬼の匂いがプンプン匂う」
ディーヴァは自分も吸血鬼だということを忘れたみたいに、憎々しげに語る。
「その女はたぶん、朔夜を探しに行ったんだ。この街の代表を務める、大物の吸血鬼をね。ねぇ、ジーク。そいつら二人を、洞窟から呼び出してくれない? そしたら今回、あんただけ見逃してあげるから…」
と、ディーヴァが言う。
「どうやって朔夜を仕留める気なの? ディーヴァちゃんが殺るの?」
「私は車の中で待機。ヘル達が山を囲んでー、スカルが洞窟に毒ガス弾を撃ち込む。その後は火攻め。山なんてね、目撃者もいないから堂々と狩れる」
ディーヴァはその日の作戦を漏らした。
ジークは舌打ちした。
「早く、そんな組織抜けてしまえよ」
「…血液パックが保障されない生活は、不安なの! 血を飲まないと頭痛がするし、体中の筋肉がズキズキする」
ディーヴァが言い返した。
「俺だって、今は血を分けてもらってる。かつての恩師とか、医者仲間、大学時代の友人とかに。…みんな、最初は驚くけど、事情を話せばわかってくれる。少しずつ提供してくれるようになった」
葛藤と復讐の思いの間で、ジークが選んだ道。
「甘いなぁー。ジーク。通報されたら、あんた、終わるよ。あんたは闇の業界で、グラム当たりいくらとかで取引きされて、研究材料の細胞になる。細かくシャーレに分けられて。粉末になって、資産家の不老不死のサプリメントになるんだ」
ディーヴァは嫌味で応じた。
「リアルな話だな。金持ちはそういうこと考えてそうだよな。あ、昔、親友の大祐って男がそんな話をしてたな。実際、いるもんなんだな。自分だけは死にたくねー金持ちってのが」
ジークは嫌悪する。
「愛理のやつ、F県のどこにいるって?」
「S神社の滝の洞窟」
ジークは長い溜息を吐き出した。
「迎えに行くとするか…」
2
ジークはもっと、ディーヴァの話を思い返そうとした。
火が目前まで迫っていた。
風で煙が流れ、風下にはとても行けなかった。
燻し出されるように、逃げられるコースは限定されていた。
そこにはきっと、ヘル達が待ち構えている。
「野良犬、俺は行くぞ。おまえの手を借りる気はない」
朔夜は体中の骨をピシピシと鳴らし、体を変形させていった。
ジークは不安になり、朔夜の異変を眺めた。
朔夜はまた自分の理性を一つ削ぎ落とし、自己のカタチを失う。
そうすることで闇を増し、自在に体を変化させていく。
朔夜の腕から骨の一部のようなものが露出する。
首の後ろからも、伸びた頸椎の一部が露出する。
朔夜は人間とは思えない滑らかさで、腹と胸と背を波打たせながら、蛇のように長く伸びた。
「朔夜。おまえ…、ヤバくねーか? 俺の患者のベックさんが死ぬ時みたいに、少しずつ薄くなってるぞ…」
ジークは朔夜が心配になった。
戦いの中、本気で自分を殺そうとした相手を。
ジークは愛理を探した。
「愛理…、愛理…!! 朔夜を頼む!! こいつ、闇に溶けちまうぞ!!」
ジークは囁く程度の小声だったが、愛理の耳なら、この火事の音さえ消去してジークの声だけを聴きとれるはずだ。
「ジーク!! 私はここだよ…」
愛理は風上の森の樹上にいた。
ジークは目で確認した。
「愛理…!!」
ジークは嫌な予感がした。
「伏せろ…。狙撃される…」
ジークが声を上ずらせた。
愛理はライフルの弾丸を、素手で弾き返した。
パンパンと、連続でビンタするように掌で打ち返し、愛理は更に風上の樹へ逃げた。
彼女は目視できない、茂った枝に隠れた。
しかし、それも蛾人からは正確に位置が知られるだろう。
ジークは冷や冷やした。
ディーヴァの言葉が、彼の脳裏に蘇る。
「私達は朔夜を生かして捕えようとは思ってない。そんなの、危ないもん。ラボは強い吸血鬼を欲しがるけど、おとなしくて使い勝手のいい方が望ましいに決まってる。今回、私達は朔夜を完全に処分して、あの未成熟な女の吸血鬼の方を捕獲する」
「ヤベェ……」
思い出したジークはおろおろとした。
「俺はどうしたらいいんだ? 愛理はまだ誰の血も吸っちゃいねーんだ。実験動物は可哀相だろう?」
口の中で呟き、藪から無意識に立ち上がった。
彼からいくらか離れた影で、朔夜は黒龍に変わりつつある。
迫る火がはぜて火の粉が飛ぶ。
夜空も見えないほど、煙が立ち込める。
「さすがにこの規模の山火事だと、消防が来るんじゃねーの?」
逃げ場が見当たらず、ジークの顔も炎に照らされ、眸にオレンジ色が映り込んだ。
3
愛理は背後に気配を感じた。
愛理は自分の探知能力に絶対の自信があったから、死角を突かれるとは思ってもみなかった。
樹上に打たれた網がさっと広がり、枝葉ごと愛理を絡め取った。
「わぁっ!!」
愛理は手で網を引きちぎろうとした。
特殊なワイヤーを捩じり合わせ、更に束を捩じり合わせて作られた網。
だから、彼女の怪力でも破れなかった。
「ジーク!!」
愛理が藪の方へ、助けを求めた。
「来るかよ。あの蝙蝠野郎は、自分だけ退路を確保してあるんだよ」
蛾人の迷彩服に黒ニット帽のマスクの男が、網を手繰り寄せながら現れた。
「やめてよ。ジークはそんな人じゃない。馬鹿がつくほど正直で、不器用なぐらいに曲がったことが出来ない人なんだからぁっ…」
愛理は網の中でもがき、ずるずる引き寄せられた。
「可愛い顔してるじゃん。吸血鬼の娘なのにな。うまそうだよな…」
二十歳の若き蛾人は、骸骨模様の黒いニットマスクの下から、長い舌管を垂らした。
それがくるくる巻き上がり、アンモナイトみたいな渦巻き型になった時、愛理は悲鳴を上げた。
「きゃあああ…!!」
愛理の悲鳴に、蛾人スカルは自虐的に答えた。
「キモいってか!? ハッキリ言っていいよ。もっと泣き叫んでくれ。俺はその方が興奮するから」
スカルが愛理の腕を、網越しに掴んだ。
「なぁ、今夜は護送車でデートしようぜぇー」
ぎゃははと哄笑を響かせた。
「おまえ、そんなんだからフィアンセに嫌われるんだよ。スカル…」
ジークの声がした。
草を踏みしめる音がして、スカルが死角を振り返った。
「き…さまぁ…」
スカルが犬のように低く唸った。
ジークが右手に黒い棒を構え、よろめきながら立っていた。
あちこち骨折し、傷だらけのジークは、ゾンビだから歩けるだけ。
これが人間なら、重傷過ぎて救急車待ちだ。
「なんだ、その棒は? 鬼の金棒か?」
スカルはジークの黒飛龍剣を嘲笑った。
「うーん、どうかな。この世では、どんな結果をもたらすのか、俺にもわかんねー」
ジークは返答にちょっと迷った。
黒飛龍剣は構えるだけで、しゅわしゅわと妖気を吐き出した。
近い闇を吸い込み、周辺は明るくなってゆく。
剣は黒く汚れがこびり付いた鉄クズにしか見えないので、スカルが笑った。
「ぎゃはは!! そんな棒きれ出してくるなよー。は、腹が痛ぇー!!」
スカルは笑い過ぎ、涙を浮かべた。
「愛理。そのワイヤーを切ってやる。危ねーから、退いてろよ!!」
ジークが真剣な表情で言い、
「わかった…」
愛理は素直に頷いた。
愛理は瞬間に、剣の持つ異様な波を感じ取った。
ジークがぶんっ、と剣を一振りした。
綱の切断面が躍り上がって、大地に地割れが生じた。
「なっ…!?」
スカルが声を失い、目を剥く。
地割れした大地の窪みで、青白い稲妻が走った。
その稲妻は、ジークの剣の切っ先へと吸い込まれた!!
ジークは頭をガツンと殴り飛ばされたみたいに感じた。
衝撃で頸椎が折れそうに思った。
刹那、視界が真っ暗に転じ、彼の意識が遠のいた。
愛理は驚愕の為に、口も聞けずにいた。
彼女の見詰める前で、地面が二つに割れていた。
どこからともなく風が吹き、火は煽られて引き戻され、煙はデタラメに渦を巻いた。
網が破れていることに気付き、愛理は飛び出して、地割れを飛び越えた。
愛理とスカルの間を、地割れが大きく切り離した。
地震のように揺れながら、地面が深く陥没した。
「あ、あ……。これは何だ…!?」
スカルが地割れを覗き込んだ。
地割れの底では、渦巻く闇が黒いマグマのように、静かに沸き立っていた。
黒いマグマは音もなく噴き上がり、スカルを取り込もうとした。
スカルは俊敏な跳躍で後方に跳び、難を逃れた。
愛理はその波の強さに怯え、ガタガタと震えた。
スカルは初めて出会う恐怖に竦んだ。
ジークは…ニタニタ笑い、剣を高く被って構えていた。
目つきが変だった。
「おい、愛理。ジークに二度と剣を振らせない方がいいぞ。こっちの世界まで混乱する。闇の領域が乱れてしまう」
朔夜がシャーシャー息を漏らしながら、二股の舌を口から垂らし、声でない声で囁いた。
彼が鱗だらけの腕を伸ばして愛理を拾い上げ、蛇腹に抱えた。
「朔夜! ジークを置いてくの!?」
愛理は彼の腕の中でもがいた。
「俺達だって、逃げ切れるかどうかわからない。でも、ここにいたら空間が裂ける。異次元に堕ちるかも知れない。あの剣なら…」
朔夜が空に飛んだ。
彼の半身は龍となり、長い尾で風を叩いた。
空中を魚が泳ぐように、彼は愛理を抱いたまま飛んだ。
「朔夜、ジークは…?」
愛理が身を捻って、真下を見下ろした。
4
スカルは悪夢を見ていた。
ジークは異様に暴力的な人物に豹変していた。
「スカル、面白いものを見せてやるよ。俺は今から、おまえの恐怖を具現化する」
ジークは切っ先を地割れに向け、伸びた黒い霧状の闇を捕え、それをスカルの方へ跳ね飛ばした。
闇は泥の飛沫のように、簡単にスカルに飛び散った。
「うあっ!!」
スカルは薄気味悪さに、悲鳴を上げた。
彼の迷彩服に点々と飛んだ黒い染みは、すっと消えるみたいに滲みこんだ。
スカルは頭をガツンと殴られるような衝撃を受けた。
視界が真っ暗に転じた。
心臓の音が、妙にでかく耳に響いて聞こえ始めた。
スカルの前に、一つ目の闇の化け物が立ち上がっていた。
黒くて薄っぺらで、影絵みたいだ。
一つ目の化け物が牙を剥き、スカルの肩に噛みついてきた。
「うわああっ!! やめろ!! これは何だよ!?」
スカルはダメージを受け、肩の傷から黒い血を飛び散らせた。
片膝を着いて崩れ、何とか化け物を剥がそうとしたが、逆にどんどん力が抜けていく。
急に酸素が薄くなったように、息苦しい。
「楽しいだろぉー? おまえの血を吸ってもらうんだよ、吸血蛾ー」
ジークが笑い、スカルの背後から顔を覗き込んできた。
その顔が、スカルのマスクを取った顔と同じだった。
毒蛾の昆虫的な複眼と、触角のように立ち上がる眉、巻かれた舌管、左右に開閉する口。
「ギャー!!」
スカルは自分の顔を見せられ、絶叫した。
「鏡で見たことあるだろ? おまえの顔だよ、スカルぅー。可愛い顔だな。虫みたいで。舌が長くて便利だよな。一挿しで心臓まで届く。首の動脈から挿しこんでぇー、ゴクゴク心臓から飲めちゃうんだな! てか、しばらく相手を生かしたまま、温かい生き血を飲む方が美味くねー?」
ジークが口を歪めて笑う。
一つ目の化け物が、肩から長い舌をスカルの血管に挿しこみ、血をチューチュー吸った。
「ひっ…、ひっ…、うう…!!」
スカルは初めて吸われる側になり、引き攣って気絶しかけた。
「まだ気絶させねーよ」
いつものジークと意識が入れ替わった、もう一人の方の闇のジークが、スカルの耳元で囁いた。
一つ目の化け物が、スカルの肩の肉を食いちぎり、骨を噛み砕いた。
スカルの体に激痛が走り、彼は痙攣して痛みで目覚めた。
「た、助けて…」
「なんだ。もうギブしちゃうの?」
ジークはつまらなさそうに囁いた。
「ギブさせてあげない」
ジークは恋人に言うみたいに甘く囁き、スカルのマスクを引き剥がした。
スカルは絶叫して顔を隠し、顔を地面に伏せた。
ジークは無情に手を伸ばし、スカルの舌管を引きちぎった。
「…!!」
スカルは声もなく、のたうち回った。
「これは夢なんだ。わかるか? おまえは精神を食われてんだよ。あんまりダメージ食うと、本当に心が死ぬんだぜ」
ジークは足元に舌管を投げ捨てた。
舌管は生き物みたいに、ピクピク動いて跳ね続けた。
何かの腸みたいだった。
上空を旋回しながら、朔夜と愛理は全てを見ていた。
地面に倒れ、悪夢にうなされ続けるスカルと、横で嘲笑い、何か囁き掛けているジークが見える。
「先刻までのジークじゃないな…。入れ替わった…」
朔夜が呟いた。
「あれは誰? 本物のジークは?」
愛理は泣きそうになった。
「闇の深淵にいた、ジークのコピーだ。ジークは闇に乗っ取られた。同じカタチをしてはいるが、あれは闇が偽造したジークなんだ」
朔夜が答えた。
悪夢にうなされるスカルの肉体は、一つの外傷もなかった。
しかし、体の一部をもぎ取られたみたいに激しく悲鳴を上げてのけ反ったり、痙攣したりしていた。
悪夢の中で、ジークは楽しそうに囁いていた。
「スカル。目を開けてご覧。仲間がおまえの血を吸うよ。おまえの仲間はみんな、毒蛾なんだから…」
ジークが囁くと、ひらひらと蛾がたくさん飛んできて、スカルの体の上に舞い降りた。
蛾の群れがスカルの体を覆いつくし、肌の露出している部分に舌管を突き刺して、血を啜った。
毒蛾の鱗粉が舞い、彼の肌は酸をかけられたように爛れた。
スカルは自分への皮肉である蛾の夢を見まいと、固く眸を閉ざした。
けれど、どんなにきつく眸を閉じても、自分が吸血蛾にたかられている映像が、脳に直接送られてきた。
醜い自分の姿に劣等感を抱くスカルに取っては、これほど辛い悪夢もなかった。
彼は涙を零し、鼻水を啜った。
「…やめてくれ。俺の心がどんどん食われていく…」
スカルは自分が受けているダメージの深さに気付いていた。
このままでは、心が食われ、肉体が死んでしまう。
でも、涙が止まらない。
「スカルー、泣くほどのことじゃねーんだよ。人間はみんな、コンプレックスの塊なのさ。誰でも、何かコンプレックスを抱えてるもんさ。大抵、他人から見たら些細な悩みなんだよ」
ジークは優しく慰めの言葉を言った。
「おまえみたいに、虫にされた自分を恨めしく思う、そんな悩みのヤツは珍しいけどな」
ジークは止めを刺すように、残酷なことを言った。
「スカル。おまえはもう、生きてても仕方ねーよ。いっそ、死んでしまった方がいい。ディーヴァは俺に気があるみたいだぜ? おまえ、毒しか取り柄がねーもんなぁー」
ジークはスカルの頭をぐりぐり踏み付け、上から唾を吐いた。
「ひどい。あんなの、ジークじゃない」
聞いていた愛理は耳を覆い、眸を背けた。
「だから、ジークじゃないんだよ」
朔夜は舌打ちを鳴らし、真っ直ぐ天へと翔け昇った。




