ph 30 悪夢を食らう
phase 30 悪夢を食らう
1
ジークは刃で紙を破るように、空間の壁を斬り裂き、次の次元へ飛び込んだ。
その先は、ジークの住み慣れた港区のダウンタウンにも似たエリアだった。
どこかで見たような風景、でも、来たことはない通り。
よく知っているような街や店、でも、実際には知らない場所。
夕闇迫る、人の疎らな街。
道をゆく人は、誰も後ろ姿だ。
声は賑やかに聞こえているけれど、何を話しているかまでは聞き取れない。
ジークは孤独を覚える。
あの後ろ姿は、昔よく知っていたと思う。
しかし、名前は出て来ない。
あの声、あの匂い、懐かしい。
しかし、思い出せない。
ジークの側を、冷たい風が吹き抜けていく。
乾いた音を立て、枯葉が舞う。
ジークは片手に漆黒の黒瑪瑙を鏤めた剣を下げ、ぼうっと橋の上に突っ立っている。
頬の傷から血が流れているが、彼の眸は虚ろだ。
ゲームのように、この展開を何となく知っている。
この街は吸血鬼に呪われていて、夜になると奴等が人間の生き血を求め、狩りにやって来る。
人間達は日が暮れる前に、その日の隠れる場所を決め、夜を過ごさなくてはならない。
奴等は人間の体温と匂いに敏感なので、その前では息を止めなくてはならない。
奴等が通り過ぎるまで、息を堪えるのだ。
と言って、ジークには何も怖くない。
自分もその鬼の一種だ。
ジークの姿が、カフェのドアガラスに映り込んでいる。
その姿は、遠い日の医師だった頃と大きく異なっている。
ジークはきょろきょろして、誰かを探している。
雑踏の中にいそうな気がして、走って分け入っていく。
「誰を探してるんだっけ?」
口に出し、自分自身に問う。
「そうだ、俺を探してるんだ。ジークという男を…」
ジークは自分を探していた。
探して、捕まえなければ帰れなかった。
ジークはカフェのドアガラスを剣で斬り裂いた。
ガラスの中に、万華鏡のような迷宮があった。
一つ一つの光の屈折の中に、数十人のジークの姿が、大小様々に映っていた。
その表情がどれも異なっていた。
どのジークを掴もうとしても、手は宙を切る。
彼は自分の胸を剣で斬り裂いてみた。
シャツの下の空洞に亀裂が入り、その向こうの空間で、眩い光の中を蠢く影が見えた。
それは幻のようだった。
「俺はどこに消えた? 俺はいつの間に盗まれた? 俺は一体…」
ジークは片手で胸を押さえ、苦しそうに呟いた。
2
駆け足で夜が訪れた。
街灯も割れたままの、寂れたダウンタウン。
廃墟のような街。
ジークは暗がりの石畳の路地をゆく。
彼はこの世界の筋書きを感じる。
そろそろ、吸血鬼が現れる時間だ。
通りには、ジークの他に誰もいない。
街は死んだように静かで、野良猫一匹いないし、車も通らない。
アパートの窓ガラスが割れていて、テレビの音が聞こえてくるけれど、電灯は消えている。
街に獣臭い匂いがする。
ジークは見慣れたような、見知らぬ街に迷う。
唐突にもう一人、ジークが現れた。
「よぉ、何やってんだ? こんなところで」
ジークがジークに笑いかけた。
「おまえは…俺の…?」
絶望していたジークは驚き、もう一人のジークを捕まえようと掴みかかった。
相手は手をぱっと振り払い、嫌悪を浮かべた。
「やめろよ。俺はもう、自由になったんだよ。おまえみたいに暗くて女々しくて、本当は卑怯なくせに善人ぶってる男が嫌になったんだよ。だから、おまえから離れて独立した。これからは、好きに暮らすんだ。俺は相手構わず、血を吸いまくる。どうだ? それでも、俺と一つになりたいか? 俺は人間を食い殺すと言ってんだぜ?」
ジークは違和感を感じた。
「俺が探してたのは、おまえじゃねぇ。おまえに用はねぇー。じゃあな」
ジークは手を振り、彼から去ろうとした。
相手はジークを引き留めた。
「何を抜かす。俺は正真正銘、おまえだよ。それも、おまえが虚栄心で、拒否して締め出した本能のままのジーク、それが俺だよ。俺を拒否したから、おまえは吸血鬼になり損ね、下等なゾンビで腐ってきてんだよ!」
相手はゲラゲラ笑い出した。
ジークは不愉快になった。
「だったら、余計にいらねーよ。女々しくて結構。二度と現れんなよ、ボケ!」
「はぁ? おまえを殺して、俺がおまえの肉体に戻ろうかな。そしたら、ディーヴァちゃんだっけ? あの胸の大きな女の子。俺がいただいちゃおーかなぁー?」
相手がジークの顔を覗き込み、下卑た表情でふざけた。
「うぜぇー。消えろよ」
ジークがそいつを突き飛ばした。
そいつはジークと同じ剣を構え、
「ここは闇の支配する街だ。おまえが消えてしまえよ!!」
と叫びながら、鏡を覗くように同じ体勢を取った。
ジークとジークが対峙した。
二人は同じように打ち合い、金属音を響かせ、火花を散らした。
二人の実力は伯仲した。
吸血鬼のジークは長い牙を剥き、白光りする眸でジークを睨んだ。
相対するジークは黒い隈のある顔で青白く、黒い衣装も相手とそっくりだった。
光と影が入れ替わり立ち代わり絡み合うように、二人は延々と打ち合った。
こんなこと有り得ないのに、二人は互いの攻撃の先を読み、交互に防御をした。
決着が付かない。
戦いの真っ最中に、ジークは夢に落ちた。
ルビーの夢だった。
ルビーが初めての手料理を作り、フォークで彼の口に味見を迫る。
「ハイ、あーーんして。ジーク…」
甘えるような声を出す、猫眸のルビー。
ジークはデレデレしていることを隠す為に、わざと不機嫌な顔をして、面倒臭そうに口を開く。
「なんだよ。仕方ねーなぁー」
一瞬、ルビーの眸が殺気に光り、彼女はフォークを握り直した。
彼女は研いだように鋭いフォークの先を、婚約者のジークの喉の奥目がけて突いて来た。
「うぐっ!! ぐあああ!!」
ジークは瞬間、自分の眼を疑った。
突き立てられたフォークは喉の内側から粘膜を突き破り、脳を狙った。
「嘘だ!! ルビーはこんなことしない!!」
喉を突かれ、悲鳴が出ない。
ジークは咄嗟に彼女の手を押さえ、フォークをもう片手で引き抜いた。
血と唾をどっと吐いた。
鮮血が床を汚した。
ジークはその床に転がった。
ルビーが肉料理を切るナイフを握り締め、ジークの上に馬乗りになろうとする。
彼女が美しければ美しいほど、その顔は鬼のようであり、狂って見えた。
ルビーは肉用のナイフをジークの首筋にあてがい、掻き切ろうとする。
「ルビー、何うぉするんでゃ!?」
口から血を吐きながら喚くジーク。
ルビーの顔がいつの間にか、先刻の吸血鬼ジークに変わっている。
吸血鬼の長い牙がジークの首筋に食い込み、血が垂れた。
ズルズルーッと蕎麦を啜って食べるような音を立て、そいつがジークの血を美味そうに啜った。
嫌な夢を見たことに、ジークは憤慨した。
ジークは剣を一閃させ、その世界ごと引き裂いて、この話を終わらせた。
世界は消え失せ、闇に帰した。
3
ジークはまだ、見知らぬ街を彷徨っていた。
ゲームの展開では、この後、沢山の吸血鬼と遭遇することになる。
ジークは展開を何故か読むことが出来たので、気が焦った。
深淵を出てから、ジークは意のままにならない世界にいた。
彼もゲームの一つの駒に過ぎず、誰かプレーヤーに操られているみたいだった。
ジークは鍵の開いていたアパートに侵入し、内側から戸締りして回った。
奴等が大勢来ることに備え、厳重にシャッターを閉めた。
全部閉めたのに、玄関ドアのサイドのステンドグラスを砕き、吸血鬼が飛び込んできた。
驚いたことに、その吸血鬼は愛理だった。
ジークは剣を振るうことを躊躇した。
愛理はバリケード代わりの大きなデスクとキャビネットを軽く蹴倒し、拳の一突きでぶち破った。
その音の大きさと激しさに、ジークはびっくりした。
「愛理!? おまえ…!?」
ジークが呼びかけたが、愛理は目を吊り上げ、飢えた牙を覗かせて、正気を失っている。
獣のように吠えまくり、ガーガー啼いて、爪で壁のクロスを引きちぎった。
「愛理、目を覚ませよっ!!」
ジークは驚いて避けたが、間一髪だった。
愛理のしなやかな回し蹴りが炸裂し、柱を砕く。
建物が軋み、ガラスが割れて飛び散った。
「ガウッ!!」
雌ライオンのような咆哮の後、愛理は長い爪でジークのシャツを斬り裂いた。
黒い血が点々と飛んだ。
「愛理ー!!」
ジークが呼んでも、愛理は目覚めない。
野獣と化したまま、彼を襲う。
突然、ジークは機械に巻き込まれ、腕の骨が逆方向に砕けていく。
何故か、ジークは巨大な機械の歯車がひしめく空間にいた。
「うあああっ!!」
ジークが痛みに呻いた。
痛いというより、恐怖だった。
腕は蛇のように逆向きに蛇行し、皮膚が紫色になった。
ぱっくりと裂けて血を噴き出し、脈打ちながら血を流していく。
機械から抜ける為には、電源を止めるか、今すぐ腕の根元から切断するしかない。
そうしないと、全身がぐちゃぐちゃに折れていく。
「あーっはっはっはっは……」
愛理が面白そうに高笑いした。
彼女は電源のすぐ側にいる。
ジークを救う為に、電源を切ってくれそうにない。
ジークは焦って、剣を肩に突き立てる。
死にたくなければ、自ら腕を切断する他ないんだ。
「待てよ」
ジークは考える。
これは夢か?
ここがダークランドなら、腕を切り落とすのは、自我を削り落とすのと等しいダメージを魂にもたらす。
もう一度考えろ。ここは、どこだ!?
数秒かけて決断し、ジークは腕を切り落とすのをやめた。
彼は世界を剣で切り裂いた。
しかし、次も見知らぬ街の片隅に戻った。
この街からは、脱出不能だ。
後ろからゾンビに襲われた。
抱きついてきたのは、顔が半分腐った三浦医師だった。
「ジーク君…」
三浦がドロドロに溶けながら、腐臭を放ち、囁いてきた。
「私を楽にしてくれ…」
微笑む三浦。
三浦は優しい声とは裏腹に、素手でジークの眼球をほじり出そうとした。
「やめろ!! これは全部、夢なんだ!!」
ジークは奪われた片目を取り戻そうとした。
激しい苦痛。
まさに、死ぬほどの痛みを味わった。
こんなに痛い夢って、あるんだろうか?
「朔夜のやつも…、相当、魂を食われてんじゃねーのか…? ヤバいぞ、これは…」
ジークはふと、邪魔者だったはずの朔夜のことを思い出した。
ジークは容赦なく、三浦を斬り捨てた。
両断され、三浦の上半身が宙を飛ぶ。
しかし、もぞもぞと這い回り、不死身の三浦は足の方へ近寄ろうとする。
「ジーク君。心臓と闇を繋ぐ回線を切らないことには、私は滅びんよ!!」
三浦が親切に指摘してから、自分の足を追いかけた。
「足よ。私を置いて、どこへ行くんだ? 足のくせに、おまえまで私を見捨てるのか?」
足は喜び弾むように駆け出し、三浦の上半身を置いて行った。
ジークは泣きたくなるのを堪え、三浦を背後から突いた。
心臓の辺りを狙い、深く踏み込んで、剣を寝かせて肋骨の間に滑り込ませた。
ひゅんと風が鳴った。
三浦が倒れて動かなくなった。
ジークは急いで背を向けた。
「さよなら、三浦先生」
ジークは大地を蹴って早足で去った。
「待ってたよ…。野良犬…」
朔夜が現れた。
「これは夢だ…」
ジークは口の中で、ブツブツ呟いた。
ジークは剣を振り上げ、
「うぉりゃああ…!!」
雄叫びを上げながら走り、朔夜に斬り込んでいった。
朔夜がにやりと嗤い、人差し指と中指で摘むようにジークの剣の切っ先を受け止めた。
「おまえに殺られるようなノロマじゃねーんだよ、ジーク」
朔夜の周囲で旋風が巻き起こり、枯葉が舞い上がった。




