ph 25 朔夜
phase 25 朔夜
1
ジークは耳を疑った。
彼は無意識のうちにディーヴァの腕を掴み、問い質した。
「吸血鬼の遺伝子を発見したのかよ!?」
そんなものがあれば、とうに大祐が黒瀧教授の血液から見出していたはずなのに。
「あはは…」
ジークの驚きを嬉しそうに、ディーヴァは笑い声を立てた。
「知らないんだ? 何も? あんた達は科学の常識から外れてる。血そのものに、何か吸血鬼という種の秘密がある。逆に、吸血鬼と吸血鬼が結婚すれば、100パーセント間違いなく、吸血鬼の子供が出来ることがわかってる」
ディーヴァは得意になって、べらべら喋った。
動揺した彼の様子が、ディーヴァにはとても面白かった。
「詳しいことはまだ、解明されてない。ラボが繰り返しやってきたのは、吸血鬼を捕獲し、細胞からクローンを作ろうとしたり、その血をラットや実験動物、果ては昆虫や人間にまで注入した……」
「吸血鬼を捕獲…」
ジークは虫唾が走るのを感じた。
この件については、人間の方が吸血鬼より、非人道的な気がした。
「結論から言えば、クローンは作れなかった。捕獲した吸血鬼から、人間に臓器提供が可能か、それもやってみた。吸血鬼の臓器は、人間の体内では、瞬く間に腐った。腐る、腐る。奴等は悪臭を放って溶ける。わかったのは、首を切断しても死なないとか、脳を抉っても復活するとか、軽く炙っても焼け死んだりしないとか…。でも、一つだけ弱味がある」
ディーヴァは挑むように、ジークに囁いた。
「ジーク。吸血鬼は心臓をくり抜いたら、死んじゃうの。不死身のあんた達が、どうしてその方法で死ぬのか、わからない。心臓は吸血鬼の聖なる部分。そこが唯一の弱点なの…」
ディーヴァは人差し指でジークの左胸を突き、うっとりと囁いた。
「ココを刺されたら、あんたも終わる…」
「ラボは何体もの吸血鬼を切り刻んだわけか…。どうも、正義の味方じゃねーな…」
ジークは嫌悪感を込め、ディーヴァの指を軽く払い除けた。
ディーヴァは足を踏み鳴らして、腹を抱えて笑い、
「正義の味方!? なワケないじゃん!! 金儲けの為なら、地獄の魔王だって担ぎ上げるような連中だよ!!」
と、仲間をけなした。
「港バーガー食う? オリジナルだってよ」
ジークがカウンターの上に掲げられたメニューを指差した。
ディーヴァは唐突な話に、きょとんとした。
「ジークのおごり? ヒトの血を主食にする私達が、ビーフ100パーセントのハンバーガー?」
ディーヴァは皮肉かと思った。
「おごるよ。たまには、まともなものを食おうぜ。型にはまる必要ねーんだし」
ジークがカウンターに向かった。
ディーヴァは血液パックの血を飲み干し、不思議そうにジークの後ろ姿を見た。
やがて、港バーガー二つとポテトとコーラをトレーに載せ、ジークが戻ってきた。
2
愛理はジークの車を駆り、朔夜の右腕のナオに会いに行った。
ナオはミッドタウンの、とても便利な地域に住んでいた。
マンションの地味で渋い感じが、派手好きな朔夜と比べると対照的だ。
周囲に溶け込み、特に目立たない建物である。
愛理を、ナオはむっとした表情で出迎えた。
「どうしたの、愛理ちゃん? 朔夜さんなら、来てないよ」
愛理はためらい、
「ナオさんなら、朔夜の居そうな場所を知ってるんじゃないかと思って」
もじもじして言った。
「知ってても、言わないよ」
ナオは冷たく断った。
玄関扉を閉められそうになり、愛理は焦った。
「待って! 心配なんだもん、ちょっと顔を見たら落ち着くから。連絡先、わかんない? 電話してくれない?」
すると、ナオは苦々しく答える。
「電話なんか、通じないよ。百年以上昔から、朔夜さんはそういう人だった。時々、仲間にも言わずに行方をくらましてしまう。ま、何かあった時には、必ず駆けつけてくれるけどね。要は一人になりたいんだよ。愛理ちゃん、そういうことだから、一人にしてあげてよ」
「ば…幕末の話? それ、ちょっと聞きたいな…。ほ、ほらさ、新撰組とか、京都で会ったりした?」
愛理が話を引き延ばそうと必死だった。
ナオはぷっと吹き出した。
「愛理ちゃん、維新について色々勉強してくれた? 俺の実名言っても、知らねーんだろうなぁー。勿論、あの当時は何度も京都に足を運んだよ。…新撰組か。なかなか懐かしいよ。俺と朔夜さんは、どれだけたくさん幕府方を斬っただろう…。斬っても斬っても…、敵は減らない。新たな敵が湧いてくる。仲間の内からもだ。この国の新しい出発の為に、相当の血を流すことが必要だった…。…今じゃ、考えられねー話だな」
ナオは苦笑を浮かべながら、ドアに張り付く愛理の指を解いた。
「愛理ちゃん、その昔、俺達がまだ人間だった頃、朔夜さんは俺を庇って斬られたんだよ。俺は例え、どんなことがあろうとも、あの人を裏切ることはしないよ。…君が誰の孫娘であろうとね、俺はあの人が望まないことは言わない」
ナオは強い意志を感じさせるように、一語一語明確にゆっくりと話した。
愛理は何も言えなくなった。
「先に言っとくけど、圭太のヤローは朔夜さんの居場所を知らねーよ」
ナオがドアを閉めた。
ドアの前で数秒、愛理は身動きしなかった。
それから金縛りが解けたみたいに、慌ててドアを叩いた。
「ナオさん!! ナオさん!!」
返事がなかった。
3
愛理は運転席に戻り、目を閉じて瞑想に入った。
感覚を研ぎ澄ます。
彼女の聴覚と嗅覚、波を捕える視覚は仲間内でも群を抜く。
彼女の感覚は、ひどく僅かではあるけれども、朔夜の気配を見つけた。
「こっちの方向だ、たぶん」
愛理が車を発進させた。
夜道を照らすヘッドライトが、やがて暗い峠を見出させる。
A市を離れ、都会から隔たり、道は単調にうねり続ける。
時々、路肩に車を停め、愛理は朔夜の気配を追った。
自分でも、何故、こんなに必死なのか、考えた。
「知りたいことがあるんだ、朔夜…。きっと、あなたは全部知ってる…。あなたも、本当は…」
愛理はジグソーパズルのピースが一つ、どこかに紛れてしまったみたいにもどかしかった。
「朔夜。今、あなたが必要なんだ。でなきゃ、私達は……」
愛理は蛾人達を思い出した。
「人間が作った、私達を狩る為の兵器…。私達の波を読む…」
彼女はぞっとした。
明け方が迫る、きわどい時間帯に漸く、愛理は納得のいく場所に辿り着いた。
山間の農村だ。
冬は雪が深いのか、民家の屋根は傾斜の急な合掌造りだ。
民家と民家、集落の間を、田んぼと畑と雑木林が埋めていく。
愛理はスマホで、当日の日の出の時刻を正確に調べた。
後、三十分しかない…。
彼女は適当な場所に車を停め、走り出した。
彼女は目的地まで、最短の直線距離を辿った。
膝まで草が覆う。
深い藪の中だ。
彼女は真っ暗闇を恐れなかった。
暗闇で、夜行性の動物のように、愛理の眸が光っていた。
そして、愛理はカモシカのように岩場を跳び上がった。
人間離れした跳躍だった。
彼女はあっという間に崖を登り切り、雑木林を駆け抜けた。
彼女は爽やかな風が吹く、見晴らしのいい頂に立った。
眼下に山間の集落があった。
連なる山の、遥か先に海が見えた。
風が吹き抜け、汗を乾かした。
彼女は深呼吸をして、景色を眺めていた。
濃い緑に包まれた、自然のエネルギーの濃い土地だった。
大地から湧き上がる力を、びりびりと感じた。
こういう土地こそ、朔夜に相応しい。
愛理が深い草を掻き分け、山の向こう側へ回っていく。
彼女は途中、古めかしい神社を見つけた。
山全体が、神聖な霊域だ。
彼女は石造りの鳥居の下に立ち、先へ続く参道を覗いた。
鳥居の内側は、結界が張られている。
異質の空気が、鳥居の外と隔てられている。
「意外だなぁー。こんな辺鄙な場所に、こんな立派な神社が建ってるなんて…」
愛理は一瞬、ぶるっと震えた。
参道から冷気が流れてきたのだ。
この社に祀られし神が、彼女を見据えている。
冷水を浴びるように、冷たい空気が彼女を押し包んだ。
愛理は結界の外周を急いで走った。
足を踏み出す一歩毎に、足に錘がぶら下がっていくみたいだ。
結界の中は、幽玄の世界と次元が重なっている、愛理は思った。
「どうしよう…。夜明けまで少ししか時間がない…。今から車に戻っても、間に合わない。朝日に焼かれてしまう…」
愛理の心臓が速くなった。
彼女はひたすら、急な斜面を下りゆく。
細い道に沿って、小川がちょろちょろ流れていた。
小川が流れ着く先で、愛理の視界が急に開け、目の前に滝が現れた。
岩を削る激しい水が周囲にはねて、霧のように辺りをマイナスイオンで包んでいた。
「朔夜だ…。朔夜の匂いがする……」
愛理がふーっと笑顔になっていった。
涙がじんわり湧いた。
滝の奥に洞窟があった。
朔夜の気配は、その洞窟へ続いていた。
「朔夜ぁ…!!」
愛理は空を飛ぶように、川を跳び越えた。
彼女が洞窟に入った、その時。
東の空がサーモンみたいな曙色に染まり、たなびく雲を光で切り裂いた。
赤々と燃える日が、昇り始めた。
4
愛理は洞窟に入るなり、拒絶的な衝撃波を食らう。
彼女は吹き飛ばされ、岩場に転んだ。
危うく、朝日を浴びるところだった。
ぎりぎり手前で、彼女は冷たく湿った岩陰に倒れ込んだ。
愛理は驚いた表情で、洞窟の奥を透かし見た。
朔夜の強い拒否の思念が、空気の壁となって、彼女の波が流れ込むのを押し返してきた。
「どうして!?」
愛理が叫んだ。
「私は朔夜を必要としてる。なんで追い返すわけ!?」
彼女の顔のすぐ近くの岩がぱっと砕け、破片が飛び散った。
破片で頬が切れ、愛理は流れる血を手で拭いた。
洞窟の行き止まりに、濃厚な闇が渦巻いている。
澱んだ空気。
その中で、朔夜がとぐろを巻いている。
彼はとぐろを巻いている。
黒い小さな蛇のように。
その映像を感じ取り、愛理は首を振った。
「イヤだ!! どうして!?」
言葉を返す代わりに、洞窟が地震のように激しく揺れ、岩が軋み合った。
部分的に岩がひび割れ、細かな欠片が降った。
朔夜の思念が、洞窟を揺さぶり動かす。
愛理は咄嗟に危険も忘れ、洞窟の奥へジャンプした。
ここまで来たからには、朔夜と会わずに帰れない。
第一、外に出たら、彼女は焼け死んでしまう。
彼女は足元の悪い洞窟の中を駆け下り、地底の闇の中へ突き進んだ。
どんどん空気が冷え、寒いほどだった。
彼女の視覚の波は弾き返され、狂って反響するようで、役に立たなくなった。
「朔夜…!!」
愛理は飛び交う石つぶてを跳ね返し、時に身に食らいながら進んだ。
濃い闇が、愛理の視線を拒んでいた。
冷たい風が吹き付け、足元に水が押し寄せた。
洞窟の行き止まりは、方形に切り出した石の磨かれた壁で造られた、石室のようになっていた。
建物のように柱が彫り出され、庇が張り出していた。
地面はよく出来た石段となり、舞台に繋がっていた。
その場はテラスのような、神殿のような、一種独特の荘厳な美しさで設えてあった。
階段の手前には、数本の蝋燭に火が灯り、格子の扉が幻想的に浮かび上がって見えた。
扉が開き、中から黒い蛇が…持ち上げた鎌首をだらりと階に垂れ、ズルズル滑り落ちた。
「朔夜…」
「あ…愛理…」
黒い蛇が徐々に、人のカタチへ変貌する。
「か…帰れ!! 何しに来た!?」
朔夜は…顔に蛇の鱗を残し、力なく両手を岩に着き、肢体は萎えて一本の蛇の尾のようになっていた。
髪は白く、眼だけが炯々と光っていた。
「戻れないんだ…。すぐには…」
朔夜がシャーシャーと息が漏れる声で答えた。
「そんな…!! 朔夜、その姿は何!?」
愛理は腰から力が抜け、その場に座り込んだ。
「隠れたわけじゃない…。休息だ…。大地の奥深いエネルギーを…吸収する為…、人のカタチを…取り戻す為……」
朔夜は唇を歪め、自嘲的に笑った。
洞窟は揺れ続け、石粒が宙に舞い、カマイタチのように乱れる空気に乗って、あらゆる角度から飛び交った。
愛理は床に身を伏せ、石粒を避けた。
「どうしてカタチを失ったの?」
愛理は自分が震えていることに気付いた。
「俺も…完全にコントロールは出来てねーんだよな…」
朔夜がやっと肢体を二つに割り、脚を伸ばした。
彼はズルズルと脚を引き摺り、地面を這った。
「愛理、何しに来た? 俺がどこに居ようと、おまえには関係のないことだ」
「…心配だったんだよ、朔夜!! あれからずっと、連絡取れなかったし。どうなったかと思った…」
愛理は湧き上がる涙を堪え切れず、ポタポタと落とした。
しょっぱい涙が、頬の傷に染みた。
「ふん、俺は別にどうもなっちゃいないさ…。いつものこと…。あの黒蝶を取り逃がしたのは、本当に残念だった…。変な邪魔さえ入らなければ…」
朔夜は悔しがった。
「そう、その蛾人だよ!! グロ吸血鬼!! あいつら、私達と蝶人と、両方を追ってるみたいなんだけど。それも、人間に雇われてて…」
「チッ、クソな奴等だな。人間は餌だ。家畜に飼われるなんて、家畜以下の証明だな」
朔夜は顔をしかめ、人間と蛾人の両方に侮蔑を示した。
愛理は側で、蛇の鱗に覆われた、朔夜の端正な横顔を眺めた。
「朔夜も…ジークと同じ。うちのおじいちゃんに血を分けられたんだよね?」
愛理の唇の動くのを、朔夜の人差し指が止めた。
「言うな!!」
宙を飛び交っていた石粒がぴたりと静止し、地面に落ちた。
「あいつは俺よりコントロールが効かない。いつか、完全に闇に堕ちるだろう…」
「……!!」
愛理は息を飲んだ。
「あいつはクダラナイことに執着してる、弱虫の野良犬だ。たった一瞬の幸せが忘れられねーから、いつまでも負の感情を背負ってる。その負の感情そのものが、闇だ。闇と繋っていく。地獄の底まで堕ちてくのさ」
朔夜は大嫌いなジークを嘲笑った。
「愛なんて、錯覚だ。自分が寂しいから誰かにすがりたいというエゴを、独占欲が満たされることですり替えようとしてる。そもそもが、自己愛なんだ」
朔夜は頑固に言い張った。
「あんたが自己愛だよ、朔夜。誰かを早く、好きになった方がいいよ。少なくとも、その歪んだ恋愛観は直るかもよ」
愛理は早口で喋り、
「ジークはいつまでも、弱いゾンビのまま?」
と尋ねた。
「クソだな。…闇の血がどこから来たのか、帰ってジイサンに聞くことだ」
朔夜は立ち上がり、よろめきながら石の神殿に戻ろうとした。
「待って。今、外は夜明けの時刻なんだよ…。少しだけ、話をさせて!」
石段の下まで、愛理が朔夜を追いかけた。
石段の上で朔夜は振り返り、
「何も変わりはしない。俺が誰を愛しても、この孤独から解放されない。おまえがいくら力を尽くしても、ジークを守ることは出来ない。全ては無駄。…第一、あのバカに付ける薬はないよ。どうやったって、一人前の吸血鬼にはなれないさ…」
と、吐き捨てた。
「無駄かどうか、やってみないとわかんない!」
愛理が叫び返した。
朔夜は目を細め、
「愛理も早く、血を吸ってみることだ。それとも、まだ、血を吸う鬼と呼ばれることが怖いのか?」
と、彼女の心を見透かした。
愛理の心は未だ、人間だった。
彼女は恥ずかしさで真っ赤になった。
「わ…私は…」
「恨んでるんだろう? 吸血鬼の家に生まれたことを。普通の人間の恋が許されない運命を」
朔夜が冷やかす。
愛理は石段を駆け上がり、朔夜の頬を片手で打った。
「そんなんじゃない」
愛理は潤む眸で、彼を睨んだ。
「私はおじいちゃんが好き。パパもママも、私の自慢よ」
愛理は朔夜にしがみついた。
「もう、帰ろうよ、朔夜。あなたは強いはずよ。いつも理性的に、力と衝動をコントロールしてきた。こんな暗いとこで独りになってないで、街に帰ろう」
朔夜が闇を溶かし込んだ眸で、小さな愛理を見下ろした。
「その理性を少しずつ削り取り、減らしていくことだ。そうすることで、ジークだって強くなれる。狂っていくわけだが」
彼の口から赤い舌が垂れ、二股に分かれてシャーシャー音を立てた。




