ph 23 黒蝶の生まれた場所
phase 23 黒蝶の生まれた場所
1
ジークが牙を引き抜いた。
血を吸ったジークは、肌が紅潮し、とても温かみを感じていた。
老いているとは言え、三浦の高い精神性が血にプレミアを与え、その血が全身を巡ることがジークに新たな作用を及ぼしつつあった。
「三浦先生!? 今、何て仰いました!?」
ジークが三浦を揺さぶった。
三浦は既に意識がなかった。
ジークは三浦の記憶を捕えようとした。
愛理がジークの記憶を覗いた時のように、ジークも自らの波を三浦の脳内に侵入させた。
ジークの意識が、三浦の深層意識を侵犯する。
ジークが自分のことを脳で考える時のように、三浦の中でジークの意識が三浦の感覚で思考する。
以前に、愛理と一緒に蝙蝠の意識を乗っ取り、ジークが蝙蝠の行動を支配したことがあった。
それと道理は同じだった。
三浦は眠っている。
でも、三浦の脳内では、神経の伝達物質の流れが滞っているわけじゃない。
ジークはそこで、三浦の声を細切れに拾っていく。
ジークは三浦の脳細胞に一つのキーワードを与え、細切れになっている三浦の声を組み合わせていく。
三浦はジークの意識に向かい、ぶつぶつと話し始めた。
「ジークくん…、あの連続殺人事件は……全て一つに繋がるのだ…。何人かの犯行に見える…不規則さ…。しかし…同じなんだ…。あの吸血鬼達は人為的に生み出されたもの…。迷信の吸血鬼のように…中世の城に棲み、墓から蘇ったわけではない…。あるラボで作り出された黒蝶の卵が…、盗まれたらしいんだ…」
「ラ…ボ…?」
ジークが質問の思念を送り込み、その信号に三浦の脳が回答する。
「潤沢な資金で作られた、極秘の研究所だ…。公的な機関じゃない…。一番最初の黒蝶は、ラボで生まれた。そして、その組織は暗殺専門の傭兵部隊を持っている……」
三浦は途中で、苦しそうに呻き出した。
三浦の脳は、出血のひどい体を庇う為に、刺激的な思考を避けようとした。
三浦は本能的に拒否反応を示し、二度、三度、痙攣するように全身を震わせた。
ジークはさっと波を引いた。
余り覗き過ぎると、三浦の中に自分の一部が取り込まれそうな気がした。
「黒蝶の卵を持ってたのは、確か、憂ちゃんだったよな…」
ジークは嫌なことを思い出した。
彼はルビーの弟が苦手だった。
「暗殺専門の傭兵部隊って…、たぶん…」
ジークが独り言を言いかけた時。
突如、もの凄い音を響かせ、診察室の片側の壁が崩壊した。
2
一瞬、ジークはガス爆発かと思った。
その崩れた壁の塵、煙、飛び散る破片を切り裂くように、男の蹴りがジークの頭部を正確に狙って回転した。
「…あっ!!」
ジークは叫び、蹴りを避けながら、逞しい脚の迷彩服と軍ブーツを凝視した。
がらがらと崩れる壁の向こうに、黒い髑髏の覆面の男が仁王立ちで立っていた。
「何だよ、おまえかよ。俺の愛しいディーヴァちゃんは、どこ!?」
ジークが舌打ちした。
「…おまえの女じゃねーんだよ!!」
蛾人スカルが、覆面から赤い舌を1メートルほど垂れ、ジークに侮蔑的に中指を立てた。
「蛾が何の用だよ?」
ジークは三浦を護る為、ベッドの前に立った。
「うるせぇー。俺は人間だって言ってるだろーが。おまえこそ、のこのこ不二富町から出歩きやがって。さっさと朔夜って吸血鬼のところへ案内しろよ!!」
スカルが追っていたのは、朔夜だった。
ジークは少し気分を害された。
「あんな吸血鬼一匹の気配も追えねーのか? おまえらの嗅覚も大したことねーな…」
ジークが吠える一方で、スカルは四枚の翅を膨らまし、ビルの狭い通路に大凧のように張り上げた。
「う…」
ジークは思わず、たじろいだ。
こいつらは毒蛾だったはずだ。
猛毒の鱗粉が、夜風に舞う。
バサバサと、驚くほど大きな羽音を立て、スカルが翅を羽ばたかせる。
「俺の鱗粉は、ディーヴァの毒の比じゃねーぜ…」
スカルがほくそ笑む。
「くそっ、こっち来い! 毒蛾ヤロー!」
ジークは咄嗟に飛び出し、毒を浴びた。
彼が無茶をしたのは、恩師・三浦に鱗粉を浴びせたくなかったからだ。
ジークは雑居ビルの通路に飛び出した。
狭い通路に物が溢れている。
巨大な翅を広げた蛾人は通りにくい。
ジークはビルの通路を走り抜け、エレベーターの脇の階段を駆け下りた。
ジークは前回の蛾女の攻撃を受けた際、毒を排出する方法を学んだ。
彼は全身の毛孔から、黒い闇の血とともに毒を排出した。
タールのような黒い液体を全身から垂れ流したが、それでもジークは猛毒からすぐに逃れられなかった。
目眩、吐き気、心臓が動悸して呼吸が苦しくなった。
ジークは痺れを感じながら、よろめいて裏口を出た。
喉がひりつき、血を吐きそうだった。
蛾人は地上に飛び降り、上空からジークに襲いかかった。
スカルの拳は、ビルの外装タイルを割り、コンクリートを砕いた。
ジークは拳すれすれで避け、追い詰められそうだった壁際から抜け出した。
ジークは地球の引力が回転したみたいに、外壁を普通に走り上がった。
そして、外壁の途中で振り返り、足場なき空中を足場に、蛾人と戦った。
スカルの拳と蹴りは執拗にジークを狙い、何発かヒットした。
「毒蛾ヤローが!!」
ジークも打ち返したが、スカルの武闘は基本からみっちり習得した技であり、ジークには勝てそうにない。
ジークは、闇に取り込まれた時のベックの技を、思い出す。
波に意識を集中し、ジークの力が黒い霧となり、蛾人を押し包む。
見よう見真似で覚えた技だ。一度、蛾女の内臓を抜き取ることに成功している。
ジークはスカルと一瞬、空中で交錯するタイミングで、スカルの体から内臓を抜き取ろうとした。
誘導するようにジークの右手が、スカルの腹に触れた。
スカルはジークの手の甲を舌管で叩いた。
「おまえの血を寄越せ、ニセ吸血鬼!! 下等吸血鬼の血がどんなものか、味見してやる!!」
スカルが自分もグロ吸血鬼であることを棚に上げ、長い舌管を振り回した。
舌管が鞭のようにしなり、竹のように硬く弾んだ。
「おまえが俺の血を吸って、どうすんだよ? 異種の吸血鬼から、混血の吸血鬼へ!?」
ジークは嘲笑おうとしたが、激しい動きで息が切れていた。
「う…?」
体内に入った三浦の血が、ジークのレベルを一段上げ始めた。
すると、筋肉が剥がされるような痛みがジークに生じた。
「痛ぇ!!」
ジークがのたうち、雑居ビルの裏口周辺へ墜落した。
スカルは攻撃の手を緩め、
「ははは、あの医者の血の質が良過ぎて、拒否反応が出たんじゃねーか? お安い女の血で満足してりゃよかったんだよー」
舌管からくぐもった声を響かせた。
彼はジークにとどめを刺そうと、側に降りていく。
ジークの二度目の成長が始まる。
新たな筋肉が盛り上がってきた。
ジークの中の闇の血が活性化し、彼の内なる心の姿が、外形に繋がっていく。
彼の心が醜く病んでいれば、彼は醜いモンスターになり、彼の心が憎しみに支配されていれば、恐ろしい鬼の顔に変貌すると思われた。
ジークの上げる奇声と、みしみしと鳴る筋肉、骨の不気味な動きに、スカルは途中でためらった。
ジークの背骨が盛り上がり、シャツを突き破った。
背骨の一つ一つのパーツが大きくなり、尻尾のような骨が腰から下へ伸びていった。
勿論、背骨は浅黒い皮膚と細かな獣毛に包まれている…。
変化は他の場所にも表れた。
彼の指が大きく鉤状に曲がり、鋭い爪が伸びた。
血色の悪い、薄紫の爪だった。
彼は人間らしさを失っていく。
「何だってんだ…!?」
スカルが三歩後ろに下がった。
ジークの顔は蝋のように白くなり、表情も消えた。
眸は完全に白く、気味悪いほどに白目と一体になって見えた。
その顔は恐ろしい鬼というよりは、奇怪な死神のマスクだった。
「ヒュウウウウ…」
ジークの喉が鳴った。
「キシャーアアー…!!」
ジークが気持ちよさそうに啼いた。
今や、全身の痛みは消え去っている。
ジークの細長い尻尾が地面を叩き、彼は大地を蹴った。
背中をばりばりと割り、黒い何かが弾け出した。
それは、翼だった。
スカルの蛾の翅とは厚みも、カタチも違う。
左右にやたら長い、ハングライダーの主翼部分のような…、蝙蝠のような…。
ジークは黒い翼でごうごうと風を巻き起こした。
「な…何だよ、そりゃー!?」
スカルは呆然として眺めた。
ジークが空に飛び立ち、辺りを旋回した。
「すげぇ!! すげぇ!!」
翼を得たジークは、空高く舞い上がって、興奮して叫びまくった。
「待てよ、このヤロー!!」
スカルも蛾の翅で宙に舞い上がった。
けれど、ジークには追いつけない。
見る見るうちに、引き離されていく。
ジークは夜空を滑空した。
高速道路の明かりや、車のヘッドライトの行列、渋滞を遥か下に見下ろす。
街に聳える高層ビルの明かり、ダウンタウンの住宅街の細かな明かり。
ジークは片手で、顔を流れる黒い血を拭った。
彼は満足そうに夜景を見下ろしながら、楽しくて口笛を吹いた。
3
数日後、ジークは三浦と連絡を取り合った。
三浦は自宅で休んでいた。
しとしと、細かい雨が降っている。
ジークは細い路地から石を敷き詰めた小道に入り、冠木門を潜った。
京町屋風の間口の狭い家の玄関があり、玄関を入ると土間があり、廊下から和風の中庭が見えた。
木材が自然と深く色づいて、味わいがある。
落ち着いた雰囲気で、いかにも三浦の自宅らしかった。
三浦は奥の座敷にベッドを置き、そこから寝ながら、庭を眺めていた。
「三浦先生…」
ジークが入口に正座し、頭を下げた。
三浦が振り返り、穏やかに笑った。
「…よく来てくれたね。こんな昼間に出歩いて、大丈夫なのかい?」
三浦の首に包帯が巻かれている。
ジークはバツが悪そうに、
「朝を避ければ、まぁ、何とか。今日は雨ですし。先生、体調はいかがです?」
と聞いた。
「いや、大したことないよ。軽い貧血だ。お茶でも淹れようか」
三浦がごそごそ、起き出した。
「吸血鬼がお茶なんて飲むわけないでしょー」
「トマトジュースがいいかね?」
三浦は真面目に聞いた。
「いや、どちらかと言うと、コーラの方が…」
ジークも真面目に答えた。
「コーラはないね。やっぱり、緑茶にしよう」
三浦は水屋から茶っ葉の缶を取り出し、急須にポットの湯を注いだ。
「さてね。何だって、君は吸血鬼になっちゃったの?」
三浦は残念そうに言った。
医師としてのジークに、とても期待していたから。
「俺だって、なりたくてなったんじゃないですよ。外国で研修受けてる最中に、そこの博士に感染源を飲まされたわけですよ」
ジークは正座のまま、茶を受け取り、一口啜った。
「それって……、やっぱり、血を飲まされるの? ホラー映画みたいだね?」
三浦は茶菓子を用意した。
ジークは手を出さず、
「灰皿ないですか?」
と尋ねた。
「ないよ。儂はタバコなんて吸わないからね。それでも、癌になっちまったけどね」
三浦は寂しそうに言った。
「MRIは撮りました? どのぐらいですか?」
「はは、結構進行してたよ。まぁねぇ、年取ってるから、すぐには死なないだろ。まだ持つと思うよ」
三浦が言っても、ジークは気配を捕え、三浦の癌が末期であることを知った。
「儂のことはいいんだよ、ジーク君。君、もうこの業界に戻って来ないの? 医者になった時の夢は、捨ててしまうのかい?」
三浦は変わり果てた容貌のジークを眺め、溜息混じりに呟いた。
ジークは数秒、黙っていた。
「…夢は…そうそう簡単に捨てられないもんですよ…」
やるせない思いで、ジークは視線を外し、中庭を眺めた。
雨で、梅の木がしっとりと濡れていた。
「ただ、もう、俺は達紙ジークじゃないんです…。もう別の何かだ…」
三浦は残念で仕方なかった。
「そうか…」
ジークが話を変えた。
「先生。黒蝶の生まれたラボのことなんですが…」
瞬く間に、三浦の顔色が変わった。
「な、な、なんで知ってるんだ…!?」
「失礼しました。先生の記憶を拝見させて頂きました」
ジークの返答に、慌てていた三浦は落ち着きを取り戻した。
「そうか。そんなことが出来るのか。本物だな…。そうだよ、ラボだ。そう呼ばれている。儂も詳しくは知らん」
三浦は声を低く、小さくした。
「儂が妨害を受けたのは、先月の初め。一連の殺人は、ラボから盗み出された黒蝶…かなりデカそうだが…、そいつが卵から孵化して、血を吸っているものらしい。つまり、逃げ出した実験動物だ」
三浦が話すことを、ジークは注意深く聞いた。
「このことを公には出来ん。何か政治的な力が動いている。君もこれ以上、関わるな!」
「…ラボはA市にあるんですか?」
ジークが核心に近付こうとした。
「…わからない。ラボは逃げ出した実験動物を捕獲し、殺すつもりだ。どうも、失敗作だと聞いている。何が成功で、何が失敗やら、わからんがね」
三浦は湯呑の底の、緑茶の残り滴を見詰めた。
彼の表情には苦悩が広がっていた。
「ジーク君、諦めなさい。君一人でどうなるもんでもない。ラボに回収を任せることだ。吸血鬼が実在するとして、その総数が全世界でどれほどになると思うんだ? 世界に告発してみるか? 意味もない。よく考えて、君は君の人生の修復を図ることだ。儂も協力する」
三浦はジークの為を思って、言う。
ジークは首を振った。
「確かに、仰る通りですね」
ジークが茶を三浦の机に置き、廊下に出た。
話が済んだ。
三浦は言葉を掛けない。
庭の木々が雨に打たれる光景に、視線を戻し、ただ無言で佇む。
「まずはラボを探すか…」
ジークは以前より遠くを見透かすようになった眸で、三浦の家の中から、A市をぐるっと見回した。




