ph 20 復讐の理由
phase 20 復讐の理由
1
ジークは一般病棟で、ゾンビ達を発見した。
彼等は昨日までより若くなっているだろうと、想像していた。
しかし、明らかに衰えていた。
ある患者はますます日の光を嫌ってカーテンの中に閉じ籠り、シーツを被っていた。
彼はジークを見て、のそのそと顔を出した。
「やぁ、ドクター。昨夜はどうも……」
意味ありげに、にやにやと笑いを浮かべた。
その患者の体格が以前より、一回りから二回り、大柄になっていた。
歪な形に筋肉が盛り上がり、下瞼が黒ずんでいた。
不自然な美容整形手術後みたいだった。
「気分はどうですか?」
ジークが診察のように言った。
「ドクターこそ、大丈夫なんですか? それって…」
患者が指差して、包帯だらけで手術着を着せられているジークの姿を、低く嘲笑う。
しかも、ジークは裸足。
いつもは胸に下げた聴診器も、今朝は身に付けてない。
「俺も入院中です」
ジークは言いながら、本当に肩に痛みを感じた。
背後のカーテンが揺れ、僅かな隙間から別のゾンビの視線がジークに突き刺さる。
シーツの中のゾンビは、やがて悲しそうな表情になり、
「腹減った…。腹が減って死にそうです。今朝から、何を食べても美味くない。腹いっぱい食べても、満腹にならないんです。私は…誰でもいい、誰かを食べたい…!!」
と、訴えた。
ジークは同情する気にもなれなかった。
ゾンビは啜り泣いた。
「私はどうしてしまったんでしよう? 人間を食らう…恐ろしい大罪を犯したのに、何の後悔も湧いて来ない。良心も咎めない。ただ、普通にフライドチキンを食べるみたいに、生きた人間の骨付き肉を食べたいんです」
ジークは心の中で呟いた。
「恨むなら、黒瀧の血を恨んでくれ」
この患者は、既に死体なのだ。
そのうち、腐り始める。
生きた人間を食わない限り。
ジークは舌打ちし、
「そう言えば、火災があったらしいんだけど。何人残ってます?」
と尋ねた。
「四人だけですよ。後は不明」
ゾンビはシャッとカーテンを閉め、ジークを追い出した。
2
ジークは慌ててロビーに向かった。
「こうしちゃいられねー。ケイシーはどこへ行った?」
独り言が自然と漏れた。
あの四階に封印されていた魔物は、昨夜以来、解き放たれているのだ。
大祐が追いついてきた。
「ジーク、本当におまえは…。殺しても死なないんだろうなぁ!!」
病室から走り出たジークに、大祐は呆れて言う。
「殺したら死ぬんだよ、誰だって」
ジークは言い返した後、真剣に大祐に向き合い、
「わかったんだ。田村さんやベックさんがゾンビになった理由。黒瀧の血を輸血されてたんだ」
と、大雑把に説明した。
大祐はすぐに大体の事実を飲み込んだ。
「ゾンビの血からゾンビに感染するのは、理解出来る。おまえがベックさんに噛まれたのに、未だ人間なのは、よくわからないけど」
「俺もそのうち、ゾンビ化するかも知れない」
ジークは焦っていた。
その時、二人の背後から、
「黒瀧教授の血を飲めば、癌から内臓が復活したり、老人が若返ったりするってこと!?」
と、子供の声がした。
ジークと大祐が同時に振り返った。
髪の薄茶色い、眸も色が薄い、色白の少年が腕を組み、柱の影に凭れて立っている。
ルビーの弟の、憂である。
大人びた表情で、ちっとも可愛げのない少年だ。
「信じられないだろうけどね、そうみたいなんだよ」
大祐が頷いた。
「信じるさ」
憂は生意気な話し方で応え、顎を上げて、見下すように水槽の熱帯魚を見詰めていた。
「黒瀧教授の血を少し分けてもらってさ、そこの魚に注射してみたらどう? 魚が巨大化して共食い始めたら、黒瀧教授がゾンビのボスってことだろ!?」
憂は乱暴な理屈をこねた。
ジークは心の捻じくれた少年を、残念そうに見た。
「君は…そんなゾンビになる薬が欲しいわけじゃねーんだろ? 健康な、普通の子供になりたいだけだ」
ジークの言葉を、憂は笑って切り捨てた。
「は? 普通の子供ですけど? 別に永遠の命なんていらないけどさ、こんな中途半端な体も結構辛くてね。ゾンビで充分。人を食い続けりゃ、ずっと腐らずにいられるんだろ? それでいいじゃん」
ジークは言葉を失い、憂に見入った。
大祐が胸を詰まらせながら、
「君の苦しい気持ちはわかる。でも、そんな邪道な方法で生き続けても、幸せって言えないだろう? 医者として、君みたいな子供達を、僕達もルビーさんも必死で何とかしたいと思ってるんだ」
と言った。
憂は大祐から三歩下がり、ぺっと唾を吐いた。
「きれいごとは、もうたくさん。医者は口先ばっかり。努力してる、って言うんだ。でも、結果はどうなるかわからない。この薬の効果には個人差があります。そう言ってうまく逃げるんだ」
憂は、医師の耳に辛い言葉を並べた。
「オレは遠からず、死ぬ。その前に、黒瀧教授の血を試すかどうか、オレには価値のある実験だ」
憂は唇の端を斜めに傾けて笑った。
ジークは憂の、心の闇を垣間見た気がした。
「ジーク。あんた、あの有名な心臓外科医の達紙丈一郎の息子だろ!?」
憂がジークに話しかけた。
「ああ。…でも、親父は去年他界したよ」
ジークは父のことを聞かれ、渋い顔になった。
「なんであんたは、父親を越えられないの? 無名の内科医。こんなところに飛ばされて…、ぷふっ」
憂は笑って首を左右に振り、廊下側に歩き出した。
背を向けられたジークは、子供相手に本気で腹を立てるのも馬鹿馬鹿しいと思い直した。
ジークは大祐を振り返り、
「黒瀧がゾンビの大ボスだと思うか?」
と聞いた。
大祐は緊張して口を噤んだ。
ジークは舌を出した。
「俺は思うね。だって、やたら若く見えるじゃねーか…」
「黒瀧教授の血を、採血したいな…」
大祐が溜息をついた。
3
ジークはあらましを、蝶人の哲に語った。
海外で起きた事件と運命の出会い、不可思議な闇の存在を。
でも、自分自身が吸血鬼になったくだりを語る前に、夜が明け始めた。
哲は毛布を一枚、ジークに渡した。
「床下に食料品の貯蔵庫がある。そこで寝よう。朝日を浴びて一瞬で火だるまになるのは、儂もおまえも同じだ。焼けてしまっては、儂らの復讐が叶わない。夕方頃に起きて、続きを聞くとしよう」
ジークは立ち上がった哲を見上げ、
「いいだろう。話は後少しだったんだけどな…」
タバコを消し、欠伸をした。
「復讐か。それが哲さんの生き長らえている理由か? この生を呪いながらも、誰かに復讐する為に?」
ジークは首を傾げた。
何か腑に落ちなかった。
「おまえはどうなんだ、野良犬? 一度折れた牙で、人の血を吸った理由は?」
哲が床に設けられたドアを持ち上げた。
途端に、埃が舞い上がった。
「勿論、復讐だ。俺はその為に生きてる。俺の最愛の女を殺した吸血鬼と、その一族を滅ぼす為だけに、俺は生きてる」
ジークは言葉に熱を込めた。
そして、
「一番愛した女の為に、今、自分の精神状態をマトモに保ってる。でなきゃ、とうに、俺の心は闇に支配されてただろう…。復讐なんて、本来、闇の領分だからな。俺は彼女を殺した吸血鬼を追ってる。彼女は腹を食われてた。俺と彼女の間の胎児を…」
と、声を一段暗く落とした。
ルビーの腹の子供のことを思うと、噛みしめられた奥歯がキリキリ鳴った。
哲は嘲笑った。
「犯人はケイシーか、黒瀧か? いずれにせよ、化け物レベルの吸血鬼なんだろうな。おまえが善戦することを祈っておいてやるよ」
哲はあの大きな黒い翅を背中に小さく縮めて畳み、引き摺って梯子を降りて行った。
ジークも続いた。
湿気がジークの鼻に匂った。
「儂は吸血鬼撲滅に賛成よ。こんな種は早く滅びるべきものだ。儂も思いを遂げたら、この命を絶つ。それまでは野良犬、おまえに協力してやらんでもない」
哲が面白そうに言った。
ジークは頭を振り、
「いや、手伝ってくれなくていい。それより、また情報交換したいな。今夜は有意義だった」
と、答えた。
ジークは何も敷いてない床に、直に寝転んだ。
狭苦しい物置の片隅だ。
ひんやりとしたコンクリートの感触が心地よく、ジークはあっという間に眠りに落ちた。
哲がドアを閉め、辺りは完全なる暗闇に包まれた。
暗闇はジークと哲に深い安らぎを与え、疲労から体を回復させてくれる。
母親の胎内へ帰るようだ。
ジークは長く眠り続けた。
昨晩、朔夜が蝶人を狩るといい、廃屋に哲をおびき寄せた。
しかし、哲の反撃の最中に蛾人の集団が襲撃してきて、ジークは急いで哲を追いかけた。
哲を倒したかったはずなのに、何故か話し込んでしまった。
朔夜がどうなっかもわからないし、愛理がちゃんとマンションに戻れたかも、確認出来ていない。
ジークは謎を追っていた。
見知らぬ女性を次々襲う吸血鬼の正体を。
哲は残虐な殺人鬼のイメージと違っていた。
違っていたことが、ジークの心を悩ませた。
哲は吸血の蝶となり、苦しむ老人だった。
日が昇り、日が沈んだ。
ジークが目を覚ました。
既に、哲の姿はなかった。
哲は小屋から去っていた。
小屋は外からガソリンが撒かれ、猛火に包まれていた。
「あの野郎!!」
ジークは焦げ臭い異臭と煙に気付き、哲を罵った。
自分が馬鹿で、油断し過ぎたと思った。
ちょっと昔話をしたぐらいで、気を許した。
火は苦手だ。
不浄なるものを全て消し去る。
一度死んだジークは、空気と土を穢す、不浄なる闇の一部だ。
火によって浄められる。
ジークは狼狽え、逃げ惑った。
炎に包まれた梁が落ちてきた。
辺りは燃え盛る火の海で、ジークは呼吸を止めた。
覚悟を決め、炎の中へ飛び込んでいく。
不死身なら死なないし、死体なら、これ以上死にようがない。
ジークは体の中の波に神経を研ぎ澄ました。
力が空気の膜を張り、火を遠ざけるようだった。
熱が伝わってくる。
ジークは身を焼かれるような熱さを感じ、
「ルビー!! 俺をあの世から守ってくれ…!!」
と、声に出さずに思った。
ジークが火焔の波を潜っていく。
炎は小屋の何倍もの高さまで噴き上がっていた。
短時間で焼け落ちていく小屋の屋根や、梁、崩れる壁と柱が、ジークに襲いかかった。
遂に小屋は崩れ落ち、ぺっしゃんこの炭となった。




