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ph 19 四階の魔物

phase 19 四階の魔物 


 1


 ジークの心は、ベックの遺した言葉に打ちのめされた。


 黒瀧教授の血こそが、原因なんだ。


 深く動揺し、逃げ回る間も気にかかって仕方ない。

「どういうことなんだよ? なんで、黒瀧の血を輸血するんだ?」

 獣達に追い回され、逃げ惑いながら、ジークは考え続けた。


「何とか、この情報を大祐に伝えなきゃ」

 と、ジークは思った。




 2


 ジークは切り刻まれ、白衣もズタズタに裂けている。

 額から血が流れ、汗と混じり合う。


 ぼこぼこと音を立て、筋肉が盛り上がっていくゾンビ達。

 爆発的な破壊力で、跳躍力も優れているが、脳が退化するというか、思考力が活発に働かなくなる感じである。

 ジークも後で知るけれど、こういうゾンビは、治験薬とのいわゆる不適合を指す。


「うあっ!」

 ジークは血みどろの廊下で、滑ってひっくり返った。

 血溜まりに滑り込み、床に着いた彼の両手も頬も、鮮血で汚れた。

 ジークは無意識に、胸元のクロスのペンダントを手探りで探す。

 しかし、そのクロスはルビーに貸し出し中だ。


 ジークが突っ込んだ血溜まりには、骨の欠片や、歯や髪の毛、臓物の一部などが散らばっている。

 全て、ゾンビの食い残しだ。


「何とか、朝まで…」

 そう思うけれど、彼等はジークの(パルス)を見出すだろう。


 病棟は惨劇で朱に染まった。

 もう大半の患者が食われ、食い返す段階に入っていた。

 今宵、一度も血や腸を得られなかった負け犬は、朝には食い尽くされて骨と化す。


 勝敗は粗方、決していた。

 体力や年齢は関係なかった。


 闇を受け入れる力。

 闇を凌ぐ精神力。


 それだけが、吸血鬼(ダーク)の誕生に求められるものだ。



 荒い息に肩を弾ませながら、ジークは点滴を釣り下げるキャスター付きのバーを手に取った。

 それから、棒の部分を力ずくで取り外した。

 ジークは、モップに代わるものが欲しかった。


「誰かが患者のボスになる…。そいつが退院して、行方不明になって、どこかの街で密かに…人を食らって生きていく…」

 ジークは苦悩した。


「俺はどうすればいい? 医者として…!」

 ジークは頭を抱え、ふらふらと座り込んだ。

 大量の血の匂いが鼻に付き、気分が悪くなった。




 3


「え…?」

 ジークが我に返り、はっと気配に気付く。


 廊下の物音は途絶えていた。

 弱い者は食われて息絶え、やがて溶けた。

 強い者は腹が満たされるまで他を食い、生存を賭けた闘いを始めた。

 闘いは病室を破壊し、窓を割り、電球を割り、壁に穴を開けた。


 ある勝者は他の階に回り、他の階から三階へ、別の患者が踏み込んできた。

 どいつもこいつも、化け物だった。

 しかし、ベックのようにカタチを失った者は他に見られなかった。

 また、元が人間であったことがわからないほど崩れた獣もいなかった。


 三階は静かになり、勝者は空腹が満たされた。

 ヒキガエルのようなブツブツした突起が顔じゅうに現れた男は、腹も無傷だった。

 彼はジークを見るなり、狩猟本能に目覚めた。

「お? こんなところに人間が……」


 ジークに染みついた血の匂いが、この男を狂わせた。

 男は壁から壁へ飛び移り、吸盤状に変形した皮膚で天井からぶら下がった。

 そして、カメレオンのような長い舌を垂らし、その数メートルにも及ぶ長舌で、ジークの顔をペロッと舐めた。


「へへ、血の味だ。あんた、いい味してるよ」

 蛸がじゃれるように、ジークを殴り飛ばして転がした。


 軟体動物の手足のように、骨がなさそうな柔らかな動きをする腕。

 それが伸びてきたかと思うと、ジークの頭を殴り、左右に思いっきり揺らして飛ばした。

 ジークは射的屋の的のように弾き飛ばされ、床に落ちた。


 ジークは肩の骨が折れたことを知った。


 また別の獣が、反対側のドアから入ってきた。

 こいつは床を這いながら、かさかさと害虫みたいな音を立てる。

「へぇ、医者か。まだ、人間かよ。うまそうだな。後の楽しみに取っておく」

 と、言った。

 こいつも全身無傷で、鋸のような細かな歯を見せ、次なる闘いに備えようとしていた。

 

「くふふ。簡単に食える獲物なら、後回しにして、先に強敵を倒したほうがいい」

 と、先の獣が答えた。

 二匹の獣が病室から出て行った。


 ジークは汗と血で汚れ、床に(うずくま)っていた。

 二匹の獣が戻って来るまでに、安全な場所に避難した方がいいだろう。

 その安全な場所とやらを、思いつかない。


 三階の獣達は二階の獣と闘って、勝ち残った。

 この二匹の獣が(パルス)を追い、四階に隔離されている獣の気配を読み取った。

 二匹の獣が四階の獣を檻のような病室から出し、闘いを挑んだ。


 四階の獣は、一切の点滴が数ヶ月切れていたのに、この攻撃によって覚醒した。


 その気配が、階下の三階に伝わって来たのだ。

「え、何だ!? この地響き!?」

 ジークが天井を睨んだ。

 振動は何故か、下からではなく、上から来る。

 まるで地震のように、揺れが激しくなってきた。


「嘘だろ? 四階に何がいるって!?」

 ジークはベッドの脚にしがみ付いた。

「えと、確か…。治験薬に不適合だった患者が…」

 ジークはベックの話を思い出した。

 ルビーがナンセンスな怪談だと一笑に伏した話だ。


「ベッドを壊して窓ガラスを割った患者…、看護師の血を吸ったとかいう…」

 ジークは嫌な予感がした。


 四階の窓ガラスが瞬間に破砕し、地上にきらきら光る雨となって降り注いだ。

 ジークは窓辺で、それを目撃した。


 ドンドン、ドーンと縦揺れが響いた。

 ジークが部屋の床を転がるほどの衝撃だった。


 ジークは耳鳴りがするほどの空気の高まりに、喉の奥がからからに乾くぐらい緊張した。

「なんか、とんでもない化け物級ゾンビが生まれたような…」

 ジークは手の震えを抑えきれなかった。


 窓の外で、円い月が真っ赤だった。

 今宵は湿度が高いのか、じめじめしている。


 満月が次第に欠けていく。

 ジークは今日が皆既月蝕だったことを思い出す。


 こんな時に、気持ち悪いほどぴったりと時刻を合わせたみたいに、月蝕が始まった。

 夜に真の闇が訪れる。


 四階の窓のない病室から、最後の勝者が欠けていく月を眺め、遠吠えのように吠え上げた。

「パアァァー…ウォーォ…ンーン……」

 少し音の高い汽笛のように、よく透る音が鳴り響いた。


 龍のごとく、と言ったらいいのか。


 神獣の格の高い響き、その威厳、誇らしさ、音の美しさ。


 ジークは勝者のその声が、四階に隔離されていた獣のものだと推察した。

 四階には、二・三階の勝者とはレベルの違う化け物が閉じ込められていたのだ。


「来るぞ!」

 ジークは確信した。

 彼は棒を片手に握り、急いで病室を飛び出した。




 4


 廊下に出た正面で、ジークは誰かと鉢合わせしそうになった。


 相手はジークより小柄で、年も大して変わらないぐらい。

 ただ顔色が悪く、眼の下の隈が尋常じゃない。

 

「あ…」

 ぶるっと、ジークの心臓が縮み上がった。

 若い男は手術着のような衣類を着ていたが、返り血は一滴も付着せず、無傷だった。

 骨の変形も、筋肉の歪みもなく、痩せているけれど均整のとれた筋肉を持っている。

 つまり、普通の若者に見えるのだ。


 若い男がジークを見詰め、ぼんやりと、しかしはっきりと、人語を話した。

「ドクター? 僕の知らない方ですね。僕の名前は、ケイシー」


 ジークは心臓をバクバク鳴らしながら、返事をした。

「俺は日本から来た、達紙ジーク。…君、一瞬で四階から降りてきたの…?」


 ケイシーは首を傾げ、

「ここは三階? じゃ、僕、やっと四階から出れたんだ? そいつは嬉しいな。腹減ってたし、退屈してたから…」

 と呟き、ジークに爽やかに微笑みかけた。


 ジークは何かヤバいと思った。

 若い男の爽やかさ、寂しげな微笑みに、違和感を感じた。


 ジークが男に尋ねた。

「君、薬に不適合で副作用がひどかっんだよね? それで暴れて、隔離されてたんだよね? 死んだって聞いたけど?」

「そいつは教えられないよ!」

 ケイシーは笑い出し、途中で深く息を吸った。


 廊下の壁がばりばりと剥がれ、彼の(パルス)に揺さぶられて、掲示物やプレート類が剥がれて飛んだ。

 ジークは引き寄せられるように、ケイシーの胸にぶつかった。


 ケイシーの額に青い静脈が浮き上がった。

 今さっきまで、通常の長さだった犬歯がひゅっと伸びるのを、ジークは見逃さなかった。

「ドクター。病み上がりなんだ。ちょっとだけ、献血をお願いできないかな? ちょっとでいいんだ」

 ケイシーが頼む。

 でも、断るには勇気がいるほどの、威圧感がある。


「君が退院出来るように、黒瀧教授に掛け合ってあげるよ!!」

 ジークが叫んだ。

 すると、ケイシーも、

「あの人が、僕を退院させてくれるもんか!!」

 と、黒瀧への憎しみを爆発させるように叫んだ。

「本当だよ、ケイシー。今日の共食いを生き残った者が、退院出来るんだ。生き残った患者は君一人。俺が証人だ」

 ジークは間近にケイシーの牙を見上げた。


「共食いだ? 僕はさっきの気持ち悪い屍は食ってない。僕が欲しいのは、人間の生き血だけだ。だから、ドクター。あなたでなきゃ、ダメなんだよ。なんで、ここにいるの? 黒瀧に頼まれたのか? だったら、僕の餌じゃないか!!」

 ケイシーは当然のことのように主張した。

 ジークはびっくりした。

「く…黒瀧が餌を…」


 ジークは本能で危険を察知し、一歩下がろうとした。


「僕の正体を知りたいか? 魔王とでも言っておこうか? (いにしえ)の血を継いで生まれた、闇の新たなる支配者さ。今日は月蝕だからね、たぶん無限にパワーが湧いて来るよ!!」

 ケイシーは少しずつ、人間から解離していった。


 髪がざわつき、風に煽られるように波打った。

 白目が真っ赤に充血し、眸の色が真っ白に変わった。

 顔の皮膚がばりばりと硬くなり、青白さを増した。


 顎から銀色の(ひげ)が伸び、たてがみのように首を覆っていく。

 彼の頭蓋から角が二本、鬼のように生えていく。


「ケイシー、止まれ! 自我を見失うな!」

 ジークが叫んだが、ケイシーは変貌し続けた。


 月蝕の夜、闇との境界に現れた男。


 彼は魔王を自称し、悪魔(サタン)のような、山羊の角を持つ。


 彼の耳が裂け、薄い皮膚が長く後方に伸びて、獣の耳のように毛で覆われる。

 彼の鼻が前に突き出して伸び始め、銀色の鱗に覆われていく。


 ケイシーは異界の、銀色の(ドラゴン)の姿へ転じていく。

 しかし、その度に彼の実体は薄く周囲に滲み、輪郭がぼやけていく。

 彼は白い靄を生じ、龍が雲をまとうように身にまとっていった。


 ジークは蒼褪め、ケイシーの巨大化していく姿を仰いだ。

 廊下の天井を、ケイシーの(パルス)が破った。

 コンクリートの躯体を破り、四階の床を突き抜ける。

 彼の(パルス)が金色の偽りの光となって、更に四階の天井を打ち破っていく。


 ジークはケイシーに触れようとした。

 だが、ケイシーの体は透け始め、指にスカスカして、触ることが出来ない。

 ケイシーの顔は完全に龍となり、人語で答えることが出来なくなった。 


 ケイシーは荒々しく咆哮した。

「パァァァー…ウォオーーゥー…ンーン…!!」


 翼のある(ドラゴン)となったケイシーが、天へと昇っていった。




 5


 ジークは話し疲れ、一杯のコップの水を一息に飲み干した。


 蝶人・哲は面白そうに聞いていた。

「今帰ると、夜明けまでに間に合わん。野良犬、泊まって行けばいい。まぁ、ゆっくり話してくれ」

 哲が先を促す。


 ジークは深呼吸し、借りたタオルで汗を拭った。


「俺は…、その夜はケイシーのおかげで助かった。でなきゃ、三階のゾンビに食われたと思う。でも、ケイシーは病院から逃げ出した。彼はたぶん、朔夜に匹敵する怪物だったんだ。…ああ、その時のことは俺も、よくわからりゃしねーのさ」

 ジークがボソボソと喋った。

 彼は次のタバコに火を点けた。


「ケイシーは患者の中でたった一人、完璧な吸血鬼(ダーク)として誕生した。逃げ出したケイシーは、街で一暴れした。それが更なる悪夢の始まりだよ。…そして、あの日の夜が明けた」

 ジークは思い出し、ゾッとして身震いした。

 表情に嫌悪感が漂った。




 6


 ジークは病院の一室で目が覚めた。


 全身が筋肉痛みたいにだるく、動けなかった。

 とにかく、夜明けまで生き延びることが出来た。


「車に跳ねられたんだよ。大丈夫か? 救急車で、自分の職場に運び込まれやがって」

 大祐が気のせいか、潤んだ眼差しでジークを見下ろしていた。


 ジークはびっくりして、

「え? ゾンビの共食いは終わったのか?」

 と、飛び起きた。

 全身に激痛が走った。

 彼はあちこち包帯だらけで、ミイラ男みたいになっていた。


「何寝ぼけてんだよ、男前。絶世の美女が泣いてるぞ」

 大祐が怒ったように呟き、枕元の席を、ルビーと交替した。


 ルビーは大祐の言った通り、鼻を啜って泣きじゃくっていた。

「びっくりした…。達紙せんせ…。こんな包帯だらけになって…!!」

 ルビーは両手を開き、ジークを抱きしめた。

 それから、彼の首に自分の頬を付け、愛しそうに甘えてきた。


「ええっ!? ルビー、どうしたの!?」

 急な展開が読めず、ジークは目を瞬かせた。


「心配したの!! 笹木先生と達紙さんが、事故に遭ったって連絡を受けたから!!」

 ルビーが泣きじゃくりながら言った。

 ルビーの大きな胸がジークに押し付けられ、彼は焦り、おろおろした。


「そ、そうだ。笹木先生はどうなった!? ベックさんに骨まで食われたってのは…、あれは夢か!?」

 ジークは夢中で尋ねた。

 ルビーも大祐も、ぽかんとしてジークを見た。


「どーなんだよ?」

 ジークはあれが夢であることを願った。

 同時に、脳裏には笹木の断末魔の声や、暗闇で聞いた、骨を噛み砕かれる音が生々しく思い出された。


「…笹木先生は事故で死んだらしい。と言っても…、俺達は遺体を見てないけど」

 大祐が苦々しく呟いた。

「ジーク。なんだ、そりゃ。ベックさんに食われたって…。夢も大概にしとけよ。おまえは肩の骨にヒビが入ってるんだ。変な場所に跳んで、全身ズタズタに切れて、打ち身だらけなんだよ!!」

 大祐はルビーの様子に不満そうだった。


「そうか…。あれは夢じゃねーんだな!?」

 ジークは直感で思った。

 彼は急に裸足でベッドから降り、治験の病棟に向かおうとした。


「やめとけよ。なんか、火災があったらしくて、病棟は閉鎖された。患者はみんな、一時的に一般病棟へ移された」

 大祐がジークを止めた。

 ジークは驚いて振り返った。

「どういうことだよ…」


 あの生き残りのゾンビ達を、一般病棟に移したんだろうか?

 そいつはヤバすぎる。

 強い者がぶつかり合い、弱い者は食われ、闘いに加われないほどの下等なドブネズミみたいなゾンビが残っていたはずだ。

 危険でない理由がない。

 あいつらはもう、人間の味を知っているのだから。


「達紙さん、無茶しないで。ベッドに戻って!!」

 ルビーが泣いた。

 しがみつく彼女を振り切り、ジークは病室を飛び出した。























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