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ph 18 共食い

phase 18 共食い


 1


 ガラスを砕き、腹のない男達が詰所に飛び込んできた。

 詰所の照明が消えた。

 いや、病棟全体の照明が落ちた。

 非常口を示す灯り以外、全てが真っ暗闇に落ちた。


 暗がりで、相手の荒い息遣いだけが伝わってくる。

 ジークは床を四つん這いで這い、デスクの影に回った。


 非常灯の灯りに僅かに見える、背骨がいびつに曲がり、筋肉が不自然に盛り上がった体。

 髪がばさばさになってうねり、眸が白っぽくなり、唇から牙を剥き出していた。

 腹部には食い荒らされた穴が開いたまま、腸が食われてグチャグチャで、肋骨や内臓が丸見えになっている。


 ジークは可能な限り、息を潜めた。

 冷や汗が額を垂れる。


 ゾンビ予備軍の男達は、(パルス)というものを追っていた。

 彼等は、人間とは異なる視覚・聴覚を備えている。

 男達がデスクの上に跳び上がった。

「シァアアア…」

 男が獣の咆哮とともに、鋭い爪でジークに襲いかかってきた。


 ジークは殆ど無意識に、身を沈めて避けた。

 男の爪が白衣の背中を切り裂き、背中部分が左右にパックリ開いた。


「おまえの内臓、差し出せよ!! ドクター!!」

 男が涎を垂らしながら、そのような言葉を吐いたが、おおよそは獣の叫びだった。

 彼の脳はほぼ獣の状態にあり、言語の知能は後退していた。


 再び、男がジークを爪で襲い、ジークの白衣とシャツの胸元が切り裂かれた。

 ジークは見る暇もなかったが、血が垂れて流れていく感触がわかった。


 ジークは男に蹴られそうになり、その一瞬、回転椅子を回して盾にした。

 男の一蹴りで、椅子がひしゃげて飛んでいった。

 男の力は人間離れしていた。

 椅子が壁に食い込んでいた。


 次の瞬間、男がジークの腕を掴み、肩に噛みつこうと大きな口を開いた。

 男は、人間大の肉食恐竜みたいだった。

 ジークはモップの柄で、(したた)かに男の口の中を突いた。


 男はモップごと噛み裂こうとする。

 がふっと音立てて、アルミの柄が曲がった。

 ジークが柄を喉のより奥へ突き直そうとしたが、アルミの柄がポッキリ折れ、男に飲み込まれた。


「こいつら、不死身なんだろうな」

 ジークも思い知った。


 その時、腹を食い切られた男が、無理やり接合した()じれた半身を蛇のようにくねらせ、

「ヒィハハァー!!」

 デスクの下から回り込み、ジークの足元に食らいついた。

「うぁっ!!」

 ジークが瞬間に脚を引くと、靴が片方脱げ、男の顎に残った。

 蛇男は靴をむしゃむしゃ食べた。

 異常な事態だった。


「ドクター・タツガミ! 詰所から出て下さい。ここには大事な物がたくさんあるんだから!」

 看護師長がAEDを手に持ち、電源を入れてから叫んだ。

 まるで、この状況に馴れているかのように。

 彼女も生き残らねばならない、犠牲になりたくなければ。

 その柔らかそうな肉はジークよりご馳走と見え、刺激を受けた男達は涎を撒き散らした。


「知りたいんだ、ちょっと聞くけど、いつからこうなった?」

 ジークが看護師長に尋ねた。

「何年も前よ。今忙しいから、後にしてくれない?」

 看護師長は恐竜男を電気ショックで弾き飛ばし、ジークに言った。


 暗闇で青い火花が散る。

 ナース服が破れ、下着が見えた。

 白い胸元に、男の血と涎が飛び散った。


 ジークは、

「今度、食事でもどう?」

 と看護師長を誘った。

 看護師長はAEDのパワーを上げ、

「今誘うの!? 有り得ない!!」

 とジークにブチ切れた。


「あ、いや、君はいつから犬歯が伸びたのかと思って」

「今診察するの!? あんた、頭おかしくない?」

 看護師長はゾンビの腸に手を巻き取られ、絡まるように乱戦となった。

 ゾンビは更に変形し、蔓性植物のように食指を伸ばした。


 看護師長はゾンビの頭を白いヒールで蹴り付け、AEDでボクシングするように連続で電撃を打ち込んだ。

 ゾンビは顔が半分めり込んだまま、奇怪に動き続けた。

 元々医療機器なので、相手を殺傷するほどの威力はない。

 もはや、電撃も大きなダメージにならない。


「別に輸血された覚えはないんだけどね。感染しちゃったみたいなのよ」

 看護師長が叫び、

「そっち行くわよ、弱そうな獲物さん」

 と、にやりと笑った。


 金髪を振り乱し、破れたナース服でとてもセクシーな看護師長にジークは見とれ、

「じゃ、後でまた」

 と応えた。


 ジークが目前の敵に向き直った。

 何が可能だろう?


 暗闇にそろそろ目が馴れてきたが、相手の素早い動きに対応出来そうになかった。

 このスピードと互角に戦えるのは、同等以上のゾンビでないと無理だろう。

 ジークに死が迫る予感がした。


 ジークの背後に恐竜男が一瞬で回り込み、靴の脱げた足に蛇男が巻き付いてきた。

 ジークがポケットから精神安定剤の入った注射器を取り出し、恐竜男の眼に注射針を突き立てた。

 恐竜男は片目から血を流し、

「そんなもので倒れるかよ。量が足りねーんだよ、量が…」

 と、咆哮混じりの不明瞭な声で言った。


「目を…」

 ジークは呆気に取られ、恐竜男の顔を眺めた。

 目玉が膨らみ、注射器と一緒に眼孔から流れ出た。

 異物を排出する為に、目玉ごとだ。


「俺達は(パルス)でおまえを見てる。目玉なんか、いらねーんだ」

 恐竜男が吐き捨て、彼の牙がジークの首筋に近付いた。


 ジークは間近で、獣の牙を鮮明に見た。

 犬歯の他、全ての歯が鋭く尖り、あちこちにバラバラの方向を向いている。

 豹を噛み殺すマンドリルのような乱杭歯だ。

 汚らわしい、獣の牙。

 神に見捨てられた地獄の鬼の、骨を噛み砕く為に備わった牙。


 蛇男が足元からジークを締め上げ、徐々に巻き上がっていき、今、腹部に噛みつこうと狙っている。

 この男の関節は一体どうなってしまったのか、蛇のようにぐるぐると、幾重にもジークを巻いた。

 きゅうきゅうと固く締め付けられ、ジークは身動きが取れない。


 もう笹木も食われた。

 今度はジークの番だ。


「この内臓を食らえ」

 どこかで聞いた声がした。


 ゾンビ達の前に内臓がボトボトと落ちてきた。

 ジークはぽかんとして、降ってきた内臓を眺めた。

 まるで臓器提供のような、綺麗でぴちぴちした、新鮮な臓器が一セット。


 ジークは天井を見上げた。

 蛇男は落ちてきた臓器に食いついた。

 それがムカついたように、恐竜男が蛇男を足で踏み付けた。

 それを合図に、二匹の屍は臓器を奪い合い、互いに噛み合って凄惨な共食いを始めた。


 天井にショーツ一枚、半裸の女が釣られていた。

 看護師長だった。

 彼女は両手を後ろ手に縛られ、目を見開いて、口の端から血を垂れていた。


 彼女の大きな乳房、白い腹部に傷一つない。

 しかし、降ってきた内臓は彼女のものだ。

 彼女は心臓を抜かれ、絶命していた。


 心臓を失った看護師長は、闇と途切れ、永遠の苦痛から解放されていた。

 次第に干からびるように皮膚が縮み、茶色く変色していった。


 ジークはよろよろとその場から離れ、天井の黒い影に近付いていった。

「ベックさん…、ああ…」

 ジークは悲しくなった。


 ベックが黒い霧となって、床に移ってきた。

 彼は既に人間のカタチを持たず、闇の霧となって、周囲を広く覆っている。

 闇の中に、青白く顔だけが浮かんでいる。

 彼は生首のように、そこだけに自我という意識を集中し、何とか人語を形成した。

「ドクター・タツガミ…」


 ベックの意識はかなり不安定だった。

 揺れる映像のような、危うい自我のベック。


「ベックさんが…俺を助けてくれたのか…。…あ、ありがと…」

「お礼は言わないで下さい、ドクター・タツガミ。私はさっき、ドクター・ササキを食べました。骨ごと、全部…」

 ベックが告げた。




 2


 ベックが何とか、人のカタチを取ろうと、闇を掻き集めた。

 しかし、さらさらの砂を盛るように崩れ、闇はいかなるカタチを取ることも出来なかった。

 顔を再現することが、最大限のようなのだ。


「おまえ達、これでも食らえ」

 餌を分け与えるように、ベックは暗い片隅に向かって、看護師長の体を投げ与えた。

 ネズミが湧くみたいに、ゾンビ予備軍の患者達が数匹たかり、看護師長の体を食い漁った。


「ベックさん…」

 ジークは胸が痛かった。

「あれから、どうなっちゃったの…?」

 ジークは掠れた声を絞り出し、闇に詰め寄った。


「私に余り近付かないで。…今は空腹ではありませんが、腹がひとたび減ってくると、私は…抑えられない。獣になってしまうんです」

 闇の霧ベックは1メートル、後退した。

「私は空腹に堪え切れず、次々と人を襲いました。すると、どうしたんでしょう。私の体にはそれまでにない、活力が生まれてきました…。それに合わせ、私の体はどんどんいびつに変形していきました。心の醜さを具象化するように…」

 ベックは自嘲気味に話した。


「私は闇の獣に生まれ変わってました。きっと、気付かないうちに死んでいたんでしょう。私はいつの間にか、地獄にいたんです。それまでとは、病院の景色も違って見える。薄汚れたような、黄ばんだ色に見えます。全て世界が歪み、濁って、浸水しているみたいに波打っています」

 ベックは眸をおどおどさせて、周囲を眺めた。

 彼の濃いブルーの眸は色褪せ、死んだ魚の眼のようになっていた。


「私は狂ってしまったのか。見える世界は、混乱と非日常で交錯しています。色彩も立体感もぐちゃぐちゃです。どこに凹凸があるのか、よくわかりません。何もかもが点描のような色彩や、白黒のチェス盤のように見えます。音も聞こえにくくなりました。静寂の中、時折、教会の鐘の音が響き渡る。耳が割れそうなほど、大音響で…。これは私の中の信仰心が、私を責めているのか…?」

 ベックは嘆き、苦しさをジークに訴えた。


「ベックさんを何とか、元に戻す方法はあるのかな? 俺はそれを知りたい…! その為に来たんだ!」

 ジークはベックを見詰め、怖がらずに彼の頬に手を伸ばした。

 その手には、ベックの歯形が残っていた。


 ベックは心を読み、ジークの心に偽りがないことを確認した。

 ベックは涙というものを再現しようとした。

「ああ、出ない…。私は心を失ったんですね…」

 ベックが呟いた。


「これはベックという男の、腐りゆく亡骸に過ぎない。ドクター・タツガミ、あなたは決して、闇に堕ちないでいただきたい…」

「誓うよ。俺は絶対に、闇には堕ちねーから!!」

 ジークが誓った。


 ベックは溜息をつき、

「…限界です。これ以上、自我を意識して集中できない…。ドクター、私は恐らく、もう人間には戻れない。このまま闇と同化して、朽ちていくでしょう。私はこれ以上、人を襲うこともない。自我がなくなったら、ただの闇に還るでしょう。出来れば、他の患者達を救ってあげてほしい…」

 闇が少しずつ薄まり、彼はまた霧となって拡散していく。


「ベックさん!!」

 ジークが叫び、霧を追おうとした。

 ベックの顔が闇の中へ滲んでいく。

「ドクター。私は闇の獣となって、この穢れの原因がどこにあるかを知った。…黒瀧教授です。私達はたぶん、彼の血を輸血されたんです…」

 ベックの顔が見えないほど薄くなっていく。

 ベックは眸を閉じ、安らかな表情を浮かべる。


「血!? 黒瀧教授の血に、感染症の原因が? 田村さんの遺伝子には、特に変異はなかった」

 ジークは呟き、必死にベックを追いかけた。

「田村さんはうまく適合しなかった…。私は緩やかに闇と同化せずに、心の弱さから、すぐに闇と同化してしまった…。誰でも彼でも、うまく適合するわけじゃないようです。この共食いの試練を生き残り、人のカタチに戻れた者だけが…、退院出来る……」

 消えゆくベックの最後の自我が、ジークに言い遺した。


 闇が拡散し、霧が晴れていく。

 病棟が先刻より、薄明るくなった。


 そして、共食いの第二幕が始まった。


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