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ph17 ゾンビ予備軍

phase 17 ゾンビ予備軍


 1


 ジークは笹木医師と病棟に入った。

 二人はクリーニングから戻った白衣の、真っ白でばりっとした襟を引いて前を合わせ、気持ちを引き締めた。


「達紙先生…」

「患者が奇病に感染しているかどうか、確認に行きます」

 ジークが告げたら、笹木は小刻みに震えていた。


 その頃、ルビーは黒瀧教授の住まう城へ、弟を連れて行っているはずだった。

 大祐が付き添っているので、ジークは不安もなかった。


 未だ、ジークは城が危険な場所だとは考えていなかった。

 実際、城が一番危険な場所だと知るのは、ルビーが死んでからなのである。



 ジークはPCに表示された、患者のリストを指でなぞった。

 治験薬を投与された患者は、全部で十五人、入院中。


「行きましょう」

 ジークが笹木を誘った。

「どうやって、確認するんですか?」

 笹木は眼鏡の奥で、目を瞬かせた。

「こういうことです」

 ジークは患者の口を開けさせて、一人一人の犬歯の長さを見比べた。


 恐ろしいことに、十五人のうち十二人までが、既に犬歯が異様な長さまで伸びていた。

 それは点滴の回数に比例して長かった。


「あれれ、ドクター。私達の歯が、どうかしましたか?」

 患者の一人が、にやにや笑ってジークを見返した。

「…いや。内臓だけじゃなくて、歯まで復活するなんて、驚きですからね」

 ジークはのんびりとした口調で答えた。

「最近、肉がうまいんですよ。以前は苦手だったんだけど」

 患者は意味ありげに囁き、口を歪めて笑った。



「た…達紙先生」

 診察終了後、笹木がジークに抗議してきた。

「癌患者の治療と犬歯に関連があるとは、私は思えないんですが。常識で考えて」


 ジークは片耳にシルバーのピアスをした、ちょっと型破りな医者だった。

 白衣の下のデニムも腰履きで、下着が見えることもある。

「俺に常識だのクソだの、言われましてもね」

 本人も非常識の自覚アリだった。


「笹木先生。治験と犬歯の長さに関連はありませんが、おそらく、ゾンビと犬歯の長さには、関連があるでしょ?」

 ジークの意見に、クソ真面目な笹木は唸った。

「まさか。犬歯を診るなんて、歯科医の仕事です。我々は内科医ですよ?」

 ジークは溜息をついた。

「笹木先生も見ましたよね? ベックさんの筋肉が急に盛り上がって、ライオンみたいに唸るとこを」


 気が付けば、笹木の眼鏡の奥の、小さな眸が潤んでいる。

「みんな…、なっちゃうんですか? ベックさんや田村さんのように? 私は信じたくない! そんな事態に、どう対処すればいいんですか?」

 笹木はもう泣き出しそうだ。


「映画だったら、バンバン射殺したり、焼き殺したりするシーンです」

 ジークは残念だった。

「ただ、我々は医者です」




 2


 ジークはふらふらとロビーから中庭に出て、眩い昼の光を眺めた。

 ゾンビなんて、本当に嘘みたいな話だった。

 ジークだって、笹木と同じように、信じたくなかった。


 眩い光と反対に、中庭には建物の濃い影が落ちていて、その日陰のベンチに男が杖を持ち、座っていた。

「あ、黒瀧博士」

 ジークは喜んで呼びかけ、黒瀧博士に近付いていった。


 若々しく魅力的な黒瀧博士は、整えた白髪にハットを被り、その被り方がいかにもサマになっていて格好よかった。

 白っぽいスーツに、きちんとネクタイを締め、背筋がしゃんと伸びて老人には見えなかった。


「やぁ、ジーク」

 黒瀧博士は外国暮らしに馴れているせいか、彼をファーストネームで親しげに呼んだ。


「ジーク、治験の患者達はどうだね? みんな、とても元気だろう?」

 黒瀧は田村やベックの失踪を知らないのか、細井の変死体も知らないのか、楽しそうに尋ねた。

 ジークは苦笑いした。

「元気ですよ。元気過ぎるぐらいに。三階から飛び降りたって、死なないでしょう」


 意味がわからずに、黒瀧博士は目を丸くした。

「そう? それは、結構。ジークは自分の研究のテーマを追えてるかな? 患者の苦痛を和らげ、尊厳死を現実にしたいと言ってたね。もっとも、うちの患者達は完全に癌から立ち直って、尊厳死にはまだ早いが…」


「尊厳死…、彼等には無縁でしょうね」

 ジークは博士の隣りに並んで座った。

 彼は溜息を洩らした。


「博士、余命宣告から復活した彼等は、時に異様な精神状態に陥ることがあるようですよ。自分が神に選ばれたかのような高揚感や、何か別の物に生まれ変わる感じがするらしいです」

 ジークはベックの話を思い出しながら、黒瀧に語った。

 教授の祖父の黒瀧博士が、果たしてどこまで知っているのか、探る意味もあった。


「ははは…」

 快活な笑い声を立て、博士はとても楽しそうに噴水を眺めた。

「ジーク。君は素晴らしい。目のつけどころがね。つまり、患者達はとても幸福なのだよね。恐ろしい死というものが目前に迫り、それはギロチンの刃が落ちて来るかのような避けがたい終わりであるはずだった。…なのに、それを回避した今、彼等は生きる喜びに満たされてるわけだよ」


 ジークは首を振った。

「一人の患者が言ったんです。闇に堕ちていくと。彼等は生き長らえたが、苦痛は終わらなかった。それは精神に大きな負担となって蓄積した…。彼等は体内で静かに進行する、新たな病の気配を感じていた。…一体、どの段階で退院させるんです? 点滴なしでは、彼等は苦痛で狂い死ぬかも知れないのに」

 ジークは治験に否定的な考えを示した。

 だが、博士は何も怒りもせずに、微かに笑った。


「ジーク。そろそろ退院できる者がいそうだ。彼等は点滴ではなく、別の方法で痛みを取り除く手段を発見するだろう」

 ジークはゾッとした。

 黒瀧博士の言葉は大抵、具体的ではなかったが、時に恐怖を起こさせる不思議さを持っていた。

 ジークは直感的に、黒瀧博士は何もかも知っていると悟った。


「別の方法って…何です? まさか、血を吸ったり、(はらわた)を食ったりするんじゃないでしょうね?」

 思わず、ジークの声が上ずった。


 ジークが本気で言っているのに、博士は大笑いした。

「馬鹿な。退院に必要なのは、点滴の成分と同じ錠剤の服用だよ!」

 博士は可笑(おか)しそうに、身を(よじ)って笑い続けた。


 ジークは何故か、急にベンチから腰を浮かせた。

「博士の心拍数は正常値ですか?」

 ジークは自分でも意味がわからないことを言った。

「博士の犬歯は長めですか?」

「それがどうかしたの? 恥ずかしながら、もう入れ歯だけどねぇー」

 博士はにっと笑って、真っ白に輝く歯並びを見せた。

 犬歯は通常の長さで、歯先も丸く見えた。


「…よかった」

 ジークは深呼吸をついた。

 博士がすまし顔で、

「さあ、ペペロンチーノを食べてこよう」

 と言って立ち上がった。

 ジークはその時の博士の横顔が忘れられない。

 ユーモアがあり、誇りと自信に満ちて明るく、子供みたいな茶目っ気がたっぷりだった。


 博士は眩しい光の中庭を堂々と横切り、ロビーへ入って行った。

 光に屈しない、強い吸血鬼(ダーク)だった。





 3


 ジークは夜になるのを待ち、笹木と準備を整えた。


 ジークは患者の興奮を鎮める為の精神安定剤を注射器に詰め、ケースに入れて白衣のポケットに忍ばせた。

 医師として持てる自衛手段を、笹木と考えた。

 患者達が嫌う強い光を放つライトを持ち、あの牙から身を守る為に軍手をはめ、首にストールを巻いた。


 笹木は何故か、モップを選び、モップを構えてジークに続いた。

「達紙先生…。私は今、後悔しています…」

 廊下で笹木が話しかけてきた。


「この研修に参加したことですか?」

「違います。ルビーさんと組まないで、こうして達紙先生、あなたと組んだことをですよ。…ああ、今頃、彼女は城でディナーでもよばれているところでしょう。…私達と来たら…!」

 笹木は本当に、ジークと組んだことを後悔している。

 大祐と組んで城に行っていれば、たぶん、ルビーの美しい夜会ドレス姿や、彼女の笑顔を眺めているだけでよかった。


「はは…。そりゃー、申し訳ねー」

 ジークは笑い、ライトを廊下の先に向けた。


 廊下の先からは、いつものあの呻き声が聞こえてこなかった。

 今日ばかりは、静寂が立ち込めている。

「ん…? 何かあった…!?」

 二人は異様な気配に気付き、立ち止まった。


 消灯後の病棟の暗闇に、何かが息を潜めている。

「痛い、痛い…」

 と、呻く代わりに、今日は誰かが物陰からジークと笹木を見詰め、舌舐めずりをしている。


 ジークはふと、殺気の籠った視線を感じた。

 瞬間、嫌な予感がした。

「笹木先生、走れ!!」

 ジークが早口に叫んだ。


 瞬時に二人は駆け出していた。

 何かが闇の翼を羽ばたかせ、二人に触れるほど近くを掠めた。

 眼には捕えられないほどの速度で、闇色の影が一瞬、その場に翻った。


 笹木は何かに釣り上げられ、くるっと身を回された。

 反射的に、笹木がモップを振り回した。

 素人のモップ攻撃は相手に当たるどころか、激しく空振りをして壁を叩いた。


 ぱっと鮮血が跳んだ。

 何者かが笹木を噛んだ。

 病棟の白い壁に血飛沫が飛び散った。


「笹木先生!!」

 ジークは後ろを振り向き、慌てて駆け寄ろうとした。


 夜が廊下の非常灯の照らす部分まで、支配する世界を広げていく。

 笹木は黒い影にくわえられたまま、猛烈な速度でズズッと廊下の端まで引き摺られた。

「たっ、た、達紙せんせーぇー!!」

 笹木が絶叫した。

 何かがみしみしっと骨と肉を砕き、笹木を噛みしだく音が聞こえた。

 笹木の首が直角に折れ、ぶら下がった。


 そのまま、笹木をくわえ込んだ闇が、廊下の角を曲がっていく。

 笹木の引き摺られた跡が、流れた血で道のようにジークを誘う。


「さ、笹木せ…んせい…」

 ジークは笹木を助けようと、血が跳んだモップを拾い、廊下の先へゆっくり進んだ。

 辺りに、骨をばりばり噛み砕く音が響き渡る。

「う、ぎゃ…あ…、うぎゃぎゃ…あ……」

 笹木の断末魔の声が聞こえた。


「ダメか?」

 ジークは廊下に膝を着き、頭を抱えた。

 その時、別のことが頭に浮かんだ。


「もしかして…殆どの人が…」

 ジークは慌てて、途中の二人部屋のドアを開き、中へ飛び込んだ。

 カーテンが引きちぎられるように開いて落ちている。

 二人の患者が内臓を食い荒らされ、ベッドからずり落ちているという、悪夢のような光景に出くわした。

 細井医師以上に悲惨な状態だった。


 ジークは衝撃を受け、背中を壁にぶつけ、患者の顔に目が釘付けになった。

 しかし、二人の患者は未だ、息をしていた。


 腹を食われた患者は、目玉だけギョロッと動かし、ジークの存在を追った。

「ド…、ドクター…」

 腹の大半を食われた血塗れの男が、ジークに向かって微笑みかけた。

「ドクター。……共食いが始まったんだ。…俺達は先に食われちまった…」


 ジークは荒い息をしながら、震える手にモップを握り締めた。

「共食い…?」

 ジークは危機が迫るのを感じた。


「あんたも食われる…。順番だ…」

 もう一人の男が、腹を食い尽くされて皮一枚で繋がっていたのが、重みで皮膚が切れ、ちぎれた上半身がベッドから床に落下した。

 ジークはゴクッと唾を飲んだ。


 ジークは右手の痛みを今更に意識した。

「俺も感染してるかも知れない。こいつらみたいになるかも……」

 ジークは焦りまくった。


「焦るなよ…。あんたはまだ、感染しちゃいない」

 最初に話しかけた方の男が手をカタカタと動かし、シーツを払い除けた。

 彼はジークの心を読むように話し、徐々に手を伸ばしてベッドの支柱を掴んだ。

「ドクターァ…。何でもいいんだ。腹が減ってる。俺は今すぐに腹を満たさないと、田村さんみたいに死んでしまう…」


「あ…」

 ジークは腹に空洞が開いた男が、ベッドに起き上がるのを眺めた。


「ドクター…。俺は腎臓癌から肺に転移して、この治験を受けることにしたんだ…。でも、苦しいんだよ。今でも、息が……」

 男は胸を押さえ、はあはあと喘いだ。

 同時に涎がボトボト落ちた。


「ドクター。くれてやってよ、あんたの内臓を。俺の飢えを満たすために…。あんた、医者だろ? 食わせろよ…!!」

 男が片足を床に降ろし、ジークに向き直った。

 肩の辺りがぼこぼこと音を立てて歪み、盛り上がっていった。

 彼は人間でないカタチに変形しようとしている。


「うあっ…」

 ジークはモップを構えたまま、気持ち悪くて唸った。

 緊張し過ぎて、胃液が上がってきそうになった。


 ベッドの上と床に半身が分かれて、胴体真っ二つになっていた男の方も腕の力で起き上がった。

「おい、俺を置いてかないでくれよ…」

 男の上半身がベッドによじ登り、下半身を掴んだ。

 背骨が捻じれたまま繋がったが、男は気にしない。

「このままでは、狩りに失敗して返り討ちにあった田村みたいに、(むご)たらしく死んでしまう。早く何か食わねーと…」

 男は焦って、ぎこちない歩き方で数歩、ジークを追った。


 ジークは初めて、本気で逃げた。

 必死で、格好も構わず、元来た廊下へ引き返した。

 すぐに男達が追ってくる気配がした。

 男達は骨を軋ませ、歪ませながら追ってくるので、ジークの方が先に看護師の詰所に着いた。


「大変だ!! 救急車を呼んでくれ!!」

 言ってから、ジークも自分で可笑しくなった。

「いや、違う。ここが、この街の救急病院か」

 警察を呼んでも、意味がなさそうだ。

 誰の助けを呼べば、助かるのか。もう何もわからない。


「ドクター・タツガミ?」

 金髪碧眼の美人看護師長が振り返り、長い牙を剥いて答えた。

「今宵はノータッチでお願いします。夜勤の人手は足りてますから」

 そして、彼女は野犬のような唸り声を上げた。

「ウウー、グァッ!!」


「うわあっ!!」

 ジークは美しい看護師長の表情が獣に変わるのを見て、後ろに飛びずさった。


 その瞬間、後ろから追ってきた腹のない男達が追いつき、ガラスを砕いて飛び込んできた。












 



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