ph 15 ゾンビ薬
phase 15 ゾンビ薬
1
ルビーをホテルに送り、ジークはすぐにタクシーに乗った。
病院の裏口で、大祐が待っていた。
大祐はジークの帽子を一目見て、
「遅いんだよ。何だよ、その寝癖。ルビーさんと朝飯食うのに、その寝癖はないだろ?」
と、嫉妬の炎を燃やした。
「帽子で隠してるのに、わざわざ突っ込むなよ」
ジークは苦笑いし、頭を掻いた。
「な、大祐。羨ましいんだろ?」
「ジーク。相手にされてないんだよ」
大祐はすかさず、客観的で冷たい言葉を吐き捨てた。
親友が同じ相手に好意を持つということは、お互いに、とても複雑な気持ちになる。
大祐はジークを建物の裏へ連れて行った。
病院職員用の駐車場の裏側は、森との境界が曖昧になっていた。
芝生が雑草に切り替わる辺りから森で、芝生側が病院の敷地だ。
大祐は疎らに雑草が茂る場所で、立ち止まった。
「ここを見ろ、ジーク」
ジークは木立の陰の、斜面を降りた。
日当たりの悪い場所に、酸っぱい匂いが立ち込めている。
「カラスがたかってたんだ」
大祐が呟いた。
ジークは草影に、干からびた抜け殻のような、茶色い四肢を見た。
顔は皺くちゃで、禅宗の寺の石庭のように、眼と鼻と口の周囲で円弧を描いて波打っている。
眼は溶け出してしまい、黒い眼孔のみになっている。
腹の辺りが泡に包まれ、溶けたアイスクリームみたいに草に染みついていた。
「た…田村さん…?」
ジークは見覚えのある、犬歯を見つけた。
その死体の上顎の犬歯は、他の永久歯から飛び出るように二倍は長いだろう。
ジークは少し離れて座り、ハンカチで口と鼻を押さえながら、遺体をよく観察した。
「ありゃー…。田村さん、…どうやったら、こんな死体になれるんだ…?」
ジークは細菌等を警戒し、遺体に触ろうとはしない。
大祐は無防備に触り、遺伝子検査をするために、遺体の組織が付着した着衣の一部を、ハサミで切り取った。
「昨日、行方不明になったばかりなのに、もうこんなにミイラ化してるんだ…。死んで何週間も経ったみたいに」
大祐は納得できずにいた。
「もしかして、前から死んでた? 死なない死体か? …いや、そりゃ、ねーかな。毎日、聴診器で心音を確認してるんだから。体温も測ってるし。田村さんは平熱だったよ」
ジークは吐き気が込み上がるのを感じ、遺体から目を逸らした。
「田村さんの、癌だった消化器は完全に復活してたんだ。異常なぐらいに、正常になってた。つまり、それはやっぱり、異常な事態だったんだろうな。何かの魔法が一瞬で溶けて、復活してたはずの田村さんの肉体は、一晩で腐って崩壊したと……」
ジークと大祐は歩き始め、その場から遠ざかっていく。
「おい、ジーク。真面目に医学的に話したいんだけど、どう考えてもオカルトなんだよ。俺の得意な分野なんだよ。また、変な映画の観過ぎだって言われるんだろうけど…」
大祐は口を両手で覆い、息を吐いた。
彼は興奮し、自分の理性をコントロールすることに苦労していた。
「話してみろよ、大祐」
ジークは聞き役に回った。
大祐は病院の白い建物を仰ぎ見て、溜息を続けた。
「ジーク…。もしかして…こう…危険な何かが…、あの病棟に蔓延してないか? 一人じゃない。田村さんみたいに…治験を受けた人全員が…、何かの奇病に感染している…? 回復してるんじゃなくて…新たな病気が進行してる感じだよ…」
大祐は自分の身を抱き、ぶるぶるっと震えた。
「ジーク…。例えるなら…、内臓が回復するのは治療の成果じゃなくて…別の病気の症状なんだ…。ゾンビとかの…」
返答に困りながら、ジークは大祐の言葉が妙な説得力を持つのを感じた。
「ゾンビって…、心拍数正常値なのかよ?」
「意地悪なこと言うなよ、ジーク。俺が知るかよ…。そんなことより、細井先生はどうなるんだ? 遺体を日本に空輸するのか? 細井先生は感染してないんだろうな? 棺桶の中から蘇ったりしないよな?」
大祐がジークに詰め寄った。
「て言うか、あの病棟の患者全員が、こういう道を辿るってことなのか? 人を襲ったり、突然干からびたり」
大祐は泣きそうな顔をしていた。
ジークは、
「感染源はあの点滴か、最初の輸血じゃねーか?」
と指摘した。
大祐は蒼褪め、
「俺達、ゾンビの製造病棟で、品質管理をやらされてるんじゃないだろうか?」
と言い出した。
「それは最悪だ…」
ジークは裏口の手摺に凭れ、ポケットからタバコを取り出した。
大祐は不快そうに、タバコを睨む。
ジークはお構いなしに、タバコに火を点けた。
「どうやって告発する? それとも、病棟に放火して、逮捕されてみるか? あの患者達はここから出て自由になると、みんな人間を襲うのかな?」
ジークは迷った。
彼の患者は、人間なのか、化け物なのか。
救うべき存在か、葬るべき忌まわしき存在か。
悪い夢を見ているみたいだった。
「わからない。そもそも、どんな点滴がゾンビを生み出せるって言うんだ? この話、研修組の他の先生に話す?」
大祐はタイルの床に座り込んだ。
「渡辺サンは帰国した。たぶん、もう空港だ」
ジークが馬鹿にするように鼻で笑った。
「へ? なんで帰したんだよ?」
大祐は味方を一人失ったように思い、心細くなった。
ジークは吸い殻を携帯灰皿に入れた。
「大祐、おまえ、前に不老不死の研究なんて言ってたよな。あのさ、俺達はそういう幻を見せられてるんだ。ものすごくヤバい場所に、深く入っちまってる…」
ジークはふと、黒瀧博士を思い出した。
黒瀧教授の祖父。
推定百歳以上。
見た目は五十~六十歳。
「ヤバい。あのジイサンはヤバい気がする…」
ジークは独り言を言った。
「俺達、品質管理じゃなくて…、餌かもな」
大祐も独り言を言った。
2
週末、ジークは釣りに行き損なった。
大祐が大学の設備を借りて、田村の遺伝子を調べた。
特に変わった点は見つからなかった。
血を吸った蚊が死んだというベックは、田村と同じ部屋だった。
ベックは神経質になっていた。
「ドクター・タツガミ」
ベックがジークの姿を見つけ、話しかけてきた。
「タムラさんがいなくなって、ドクター・ホソイが死んだって聞きましたが」
「どうしたんですか、ベックさん?」
ジークは優しい声音で尋ねた。
「タムラさんは四階に行ったんですか? 四階に、投薬が適合しなかった患者が行く病室があると聞きました」
ベックは青い眸をしょぼしょぼさせ、力ない声を絞り出した。
「…そんな噂が!?」
ジークは勿論、聞いたことがない。
「この治験はかなり以前から始まっていて、薬に合わない人が出ると、四階の病室に移されると、前に誰かから聞きました。夜中に暴れて、壁を叩き壊したり、ベッドを折り曲げたりした人がいたそうです。…その人は看護師に噛みついて、首から血を吸ったらしい。…嘘か本当か、知りませんけど」
ベックは奇怪な噂話をした。
「血を…吸った…!?」
ジークは愕然とした。
「…ええ。その人はそれから数日後、肌が土色に変わって白目を剥き、腹がしゅうしゅうと白い煙を出して溶けて、ドロドロの内臓が見えてきた。その人が喚いた時、振動で三階の窓ガラスが一斉に割れたとか…」
ベックの話に、ジークは顔色を変えた。
「誰から聞いたの、ベックさん?」
「あの…、看護師さんから…」
ベックはぼそぼそ呟き、看護師の名を伏せた。
ベックは小声で恐る恐る、
「その不適合だった人は…四階で、治療の甲斐なく死んだということです…」
と、話した。
ジークは膝がガクガク震え、歩くのもぎくしゃくした。
この病棟の四階に病室はない。
四階は倉庫と検査室だ。
その看護師は何を見たのだろう?
「ドクター・タツガミ。この薬は、私達の精神に作用を及ぼすんです」
ベックがジークの背中に言った。
「血が沸き立ち、何かが覚醒するような感じです。痛みが引いていくと同時に、自分が神に選ばれた特別な存在となって、新たな生命力を得たような…体中から力が湧き上がる感じなんです。気分は清々しく、高揚感があります。で、でも…」
ベックはそこで俯き、自分の足元を見詰めた。
「でも…、そんな自分を冷静に見てる、もう一人の自分がいるんです。もう一人の自分が言う、さあ、呪縛を解き放て。この病室から出て、自由に獲物を探し求めろ、と。獲物に牙を立て、獣のように血肉を啜って、生きてる喜びを噛みしめろ、と。この薬によって、私達の精神は汚れていく。体は若返りながら、心は闇に堕ちていくんだ」
ベックは膝を着き、神に祈りを捧げた。
「神よ。私は裏切りません。この身が激痛で苛まれても、もうあの点滴はいらない」
ベックが十字を切った。
ジークは振り返らず、早足で立ち去った。
3
ジークはルビーを呼び出し、知っていることを全部、彼女に伝えた。
「君に何かあったら、困るんだよ。君には、細井サンみたいな目に遭ってほしくねぇの。あの患者達、もしかしたら…ヤバい病気かも知れねーんだ」
ルビーは抵抗した。
「達紙先生。私のことは放っておいて下さい。自分の身は自分で守ります。それより、その田村さんの遺伝子のサンプル、私もいただきたいわ」
ルビーの返事に、ジークはかなり落胆した。
大祐の言う通り、彼女はジークにその気が無さそうだった。
残念ながら。
「わかりました。私、黒瀧教授に事件のこと、直接聞いてみます」
ルビーはジークを困惑させた。
「そりゃ、まずいってー!」
「達紙先生は本気で、黒瀧教授がゾンビになる点滴を末期の癌患者に与え、ゾンビを生み出してると考えてるの!? 馬鹿馬鹿しい!!」
ルビーは尊敬する黒瀧を中傷されたように感じ、怒り出した。
「そう考えることも出来るという…、仮定の話さ」
ジークは必死で訴えた。
「ルビー、考えてもみろよ。これだけの成果を出していながら、何の公式発表もしてねーんだぞ。なんで、出来ないと思う? 俺は調べた。治験を受けた患者がどうなったか」
ルビーの表情が変わった。
「途中で、容態が急変するってこと?」
ジークは医師として、続きを言うことに苦しんだ。
「退院してるんだけど。退院後、行方不明になるか、原因不明の変死を遂げてる。もしくは、自殺してる」
案の定、ルビーは衝撃を受け、悲しみに支配された。
「そんな…。…うまく癌が完治して、五年以上生存した人はいないの?」
ルビーの眸が、みるみる潤んだ。
「ある意味、死んでるんだよ、点滴を受けた段階で。ゾンビになってるんだ。死なない死体に」
ジークはルビーを慰めようがなく、項垂れた。
ルビーは涙をぽたぽたと零し、声も掠れた。
「死なない体なら、いいじゃない? それは、生きてるんでしょ。生きたいと願った人が、この世で命を繋いでいけるなら…多少変な部分があっても、いいじゃない」
ルビーは筋の通らないことを言った。
「いや、それは…本人の望むカタチじゃねーだろ? 毎日、部屋のカーテン閉め切って、変な点滴を打たないと激痛で苦しんで、変な妄想起こして人間を襲う。もし、自分の身内がこんな屍になったらどうする? 嫌だろ?」
ジークが言うと、
「あなたには、わからない!」
ルビーがジークを引っ叩いた。
ジークは目を白黒させた。
「達紙先生に、命が消えかかってる人の気持ちはわからない…。人はそれでも、生きたいと思うものよ。例え、鬼となっても…。長年病気で苦しんできた者は…」
ルビーは昂り、激しくジークを罵った。
「医者のくせに、そんなこともわからないなんて!」
ルビーがジークを突き飛ばし、彼の脇をすり抜けた。
ルビーは黒滝教授に会いに行った。
湖畔の館の庭では、様々な種類の花が咲き誇り、甘い香りを放っていた。
大輪の百合が咲く側に、庇の付いたアルコーヴがあった。
そこに、黒瀧教授が十歳の孫と座っていた。
彼女は震える両手を握りしめ、教授の前に進み出た。
「治験薬を試したい患者がいるんです。お願いします」
教授は驚いて立ち上がり、微笑んだ。
「それは、ルビーさんの身内かい?」
「弟です。如月憂と言います。まだ十四歳の中学生なのに、心臓がもう……」
ルビーは涙ぐんで、黒瀧教授に言った。




