ph 14 屍
phase 14 屍
1
ルビーが黒瀧教授と一緒だと知り、ジークは心配でたまらなかった。
大祐も、ジークと同じ気持ちだった。
彼は大慌てで、
「ルビーさん! 黒瀧教授を信用したらダメだ!」
と言った。
ジークはスマホを大祐から遠ざけ、なるべく平静を装いながら、
「ルビーさん、気を付けて帰って。何だったら、黒瀧教授に送ってもらって。俺達も、もう帰るから。明日になっても細井先生が戻らなかったら、警察に捜索願を出そうかと思ってます」
胸の早鐘が打ち鳴らされているのを隠した。
ルビーは飾らない笑い方で応え、
「そうですか? それがいいかも知れませんね。わかりました。…ああ、教授が送って下さるって」
と、通話を切った。
「ふぅー…」
ジークが長い息を吐き出した。
怒ったように、大祐がジークの肩を揺さぶった。
「おい…! ジーク! 黒瀧教授に送ってもらえって、なんで無責任なこと言ってるんだよ! ルビーさんが危ないじゃないか!?」
「いーや、教授もルビーさんを気に入ってんだ。怪我させるようなことはしねーだろ?」
ジークは大祐を落ち着かせようとした。
しかし、自分も震えていた。
二人は暗い病棟を抜け、夜道を歩きながらタクシーが通るのを待った。
タクシーは拾えそうになかった。
「何が起きてるんだろう?」
大祐が頭を抱えて唸った。
「とんでもねー副作用のある薬で、教授はそのことを承知してそうだな」
ジークは薄寒い街頭で、ポケットに両手を入れ、ぼんやり街の明かりを眺めた。
地方都市なので、繁華街は小さく、夜空に星が見えた。
「確かに内臓は復活するが、異常な食欲と興奮状態を生み出す…。どこか、ゾンビみたいだ」
大祐は悩んだ。
「何かトリックがあるんだよ。興奮状態については、違法なドラッグかも…」
ジークは理性的に話しながら、自分でも、別の恐怖に捕らわれていた。
田村に生えていた、あの長い犬歯。
狼みたいだった…。
2
ルビーは黒滝教授の車の助手席に座り、流し目をするように、教授を隣りから見詰めた。
「黒瀧教授。あの奇跡のような、患者達の復活はどんな魔法なんですか?」
彼女は楽しそうに、尊敬する教授に話しかけた。
とても単刀直入だった。
黒瀧教授はふっと微笑み、ハンドルを握り、前を見据えたまま答えた。
「ルビーさん。君にだけ、話そうかな。実はね、そんな難しい治療は行ってないんだよ。彼等の新陳代謝を高める栄養を補い、老化を食い止める。尚且つ、彼等を若返らせる。そうすると、自然に臓器や細胞が復活を遂げるんだ。この方法なら、どんな病気も治せるようになるだろう。ただ…」
教授は溜息をついた。
「深刻な副作用があってねぇ…。効果の持続に問題がある。特殊な方法で栄養を補給し続けないと、細胞は元通り朽ちていく。若返った彼等を退院させると、彼等は元の年寄りに戻り、元の病気で死んでしまうんだ。しかも、…薬に適合する人と、しない人がいる」
教授は悲しそうに言った。
ルビーは面白そうに話を聞いていた。
「初期の治験においては、そんなものだと思いますわ」
「君は最後まで協力してくれるかね? 私のアシスタントとして」
教授は美しいルビーの黒目がちの眸を見詰めた。
ルビーは純真無垢な眸で、教授を見詰め返した。
「勿論です、黒瀧教授。この研究の行く先を、見てみたいと思います」
ルビーは医者として、熱意を持って、返事をした。
「ほら、達紙くんだ。あいつら、いつも一緒だな…」
黒瀧教授が車内から、ジークと大祐の後ろ姿を見つけた。
二人はタクシーを拾えずに、病院からホテルまで、トボトボと歩いて帰るところだった。
「彼等と一緒に帰るかい? ここから歩くと、ホテルまで二十分ぐらいかな」
教授が尋ねた。
車の速度が落ちた。
ルビーは首を振った。
「いいえ。まだ、お話が終わってませんから」
「君は野心家だね? ルビーさん」
教授はルビーの心を押し測れず、ごまかすように笑った。
3
翌朝五時、ジークは驚くべきニュースで起こされた。
ホテルの部屋のドアをノックしたのは、愛想のいい渡辺医師だった。
もっとも、その朝の渡辺に笑顔なんてなかった。
「達紙先生ー! 大変ですよぉー!」
かなり長い時間、ドアを叩き続け、ようやくジークが鍵を開けた。
「何すか、朝っぱらから…」
ジークは寝癖で爆発した髪を掻きながら、顔だけ廊下に出した。
「細井先生が森で野犬に襲われて…死んだらしいんですよ!!」
「えっ!?」
ジークもつられて叫んだ。
「森で?」
ジークは自分の耳を疑った。
手術台に血塗れで横たわっていた細井。
腹を食い荒らされ、肉を抉られていた。
その光景がまざまざと蘇ったのに、ジークは渡辺の話す内容に納得もする。
つまり、黒瀧教授は堂々と、ジーク達が目撃したことを無視してきたのだ、と。
「今、このホテルに警察が来てました。達紙先生…、ぼ、僕はですねー。ここに残りたいんですけど、妻がうるさくてですねー。ま、どうしようかなー、なんて…」
渡辺は周囲を見回しながら、ジークに相談した。
「いいんじゃないですか? 俺達が残りますから。渡辺先生はまず、奥さんを安心させてあげて下さい」
ジークは適当に言い、渡辺が作り笑いでなく、初めて本心から嬉しそうに笑うのを見た。
「そ、そうですね。そうしちゃおっかなー、なんてねー。達紙先生はどうなさる気ですかねー?」
新婚の渡辺は跳ねながら、自分の部屋へ帰った。
渡辺はすぐにでも、帰り支度を始めそうだった。
渡辺の後ろ姿を見送り、ジークは床に唾を吐いた。
「帰れっかよ。大祐が余計なことに首突っ込んで、ルビーさんが奇跡とやら、嘘臭い幻に目が眩んでるんだ…」
と、心の内で呟いた。
彼はスリッパで部屋から飛び出した。
元々癖のある髪は更にひどい寝癖で、しかも、よれよれのTシャツで、冴えない格好だ。
いつもは、シルバーのアクセサリーをチャラチャラ付け、服装や髪にはこだわりを持っていて、お堅い医者には見られないぐらいだ。
しかし、今日ばかりは、それどころじゃない。
ジークが、ルビーの部屋のドアを強く叩き、
「ルビーさん、起きて下さいー。もう帰ってるんでしょー?」
と、呼びかけた。
彼はドアを、何度も速いリズムで叩き続けた。
ルビーの部屋を訪ねるのも、初めて。
誰かの為にこんなことをするのは、ここに来てから初めてだ。
「達紙先生…?」
ルビーがスッピンで出て来た。
帰宅してから、まだ二時間。
彼女は寝始めたばかり。
まだ、眠そうに瞼を擦っている。
化粧をしてない彼女は、高校生と言っても通じそうなぐらい、肌が綺麗で若く見えた。
化粧がないと、あどけなく、可愛らしかった。
「細井先生が死にました」
ジークはルビーの部屋のドアに、がっと手を差し込んで、強引に部屋に入った。
「ルビーさん、ちよっと聞いて下さい。細井先生は森で野犬に襲われたことになってるけど、事実は違う。誰かに襲われて、食い殺されたんだ」
ルビーはぽかんとした。
「達紙先生…、その頭…。マンガみたい」
ルビーは吹き出し、笑い出した。
「いや、ルビーさん。俺は今、すげぇマジな話してるんだから…」
ジークは続きを話そうとした。
ルビーの無邪気な笑いは止まらなかった。
「聞いてくれよ、ルビー!」
ジークはルビーを呼び捨てにし、彼女の肩を両手で掴んだ。
彼は素の自分を曝け出し、ルビーに何とか伝えようと必死だった。
「ヤバい話なんだよ! ちゃんと聞いて! 細井サンが殺されたんだから! 俺達も殺されねぇとは限らねーんだ。この件には、黒瀧が一枚噛んでる…」
「黒瀧教授がー?」
ルビーはびっくりした。
「達紙先生、待って…。細井先生が食われた…!? 何かの間違いじゃないですか? 交通事故とかじゃなくて?」
彼女はまるきり、本気にしなかった。
「信じられねーのは仕方ねぇと思う。でも、そうなんだよ。俺と大祐は死体を見た。…そうだな、ハイエナかライオンに襲われたみたいに、腹が食い破られてたよ…」
ジークは彼女を押さえ、その眸を覗き込んだ。
ルビーは面白がった。
「夢でも見てたんじゃないですか? 誰かが虎をペットにしてたとでも? 食われたなんて…、達紙先生ってば、面白ーい!」
彼女は鈴を転がすような、澄みきって可憐な声で笑った。
そして、彼女は反論してきた。
「達紙先生。黒瀧教授は立派な方ですよ。私、尊敬してます。黒瀧教授に限って、そんな殺人事件に関わったりするわけないんですよ。…でも…、私、達紙先生も好き! なんか、カワイイ。いつも飄々として、変わってて、見てて面白いもん」
カワイイとか言われ、ジークは顔から湯気を出しそうなぐらいに、真っ赤になった。
彼は照れつつ、腹を立てた。
「俺の言うこと、信じられねぇ? 出来たら、今すぐにでも日本へ帰ってもらいたいんだ。それが一番安全な方法だから」
ジークは困り果てた。
ワンピース型の部屋着だったルビーは、今更恥じらうように、ジークの背中へ回った。
「達紙先生、後でお話伺いますからー。よかったら、朝食をご一緒しましょうー。とにかく、髪を…直して来て下さい!」
また吹き出しながら、ルビーがジークの背中を押した。
「ルビー! お願いだ。かなりヤバいことが起きてる気がする。とにかく、一旦、帰国してくれねーか?」
抵抗するジークが部屋の入口から、ルビーに押し出されていく。
「私、まだ帰りません」
ルビーはジークの背中に言った。
「すげぇヤバいんだって。…ルビー!」
ジークが振り返り、叫んだ。
ドアが、彼の目の前で閉められた。
4
ルビーは昼頃、起きた。
その日は土曜で、彼女は休みだった。
花柄のワンピースに着替えながら、テレビのローカルニュースを聞き、細井の死を確認した。
ルビーがジークに電話を掛け、二人はホテルの近くのカフェに出掛けた。
快晴のテラス席の、遅い朝食だった。
「細井先生、何に食われたのかな。ニュースじゃ、野犬って言ってたけど」
ルビーは香ばしいパンを割り、半分をジークに渡した。
ジークは、パンを一口で頬張った。
彼は寝癖の直らない髪を、黒い帽子でごまかしている。
「ニュースは嘘。俺は病院の手術室で、細井サンの死体を見た。歯形の付いた腸が、抉れた腹からぶら下がってた」
「やだー」
ルビーはパンに、赤いラズベリージャムをドロドロと掛けた。
ジークはラズベリージャムを食い入るように見詰めた。
果肉と赤い汁の混じり合うジャムが、血だらけの手術室を思い起こさせた。
ルビーはテーブルに頬杖を着き、下からジークを見上げた。
「じゃ、達紙先生。説明して下さいよ。どうして病院で死んだ細井先生が、森で発見されたんですか?」
「そうだな。例えば、ルビーを送った黒瀧の車のトランクに、細井サンの死体が入ってたんじゃねーの? 君を送った後、黒瀧が帰る途中の森に、細井サンを捨てていく……」
ジークは推測を言ったが、大体当たっているはずだ。
ルビーはカフェラテを飲み、
「…気持ち悪いけど、もし、事実だとしても、黒瀧教授の研究に対する私の興味は尽きないわ」
と、あっさり決断した。
ジークは驚き、
「へっ!? 怖くねーの? 俺ははっきり言って、怖かったよ」
と、あの時の恐怖を自分でも認めた。
細井の死体を見た時も。
手術室に黒瀧教授が現れた時も、怖かった。
「私、どんな方法でもいいの。悪魔に魂を売り渡してもいい。私は子供達を、残酷な病気から救いたいの。その為なら、何だって出来る」
ルビーはジークを睨み返してきた。
ジークはちょっと感動した。
こんな女には、出会ったことがなかった。
「だけど、ルビー。もし、黒瀧の研究がとても卑怯でデタラメなものだったら? 子供達の為に、何も役に立たないような嘘だったら?」
ジークが尋ねると、
「そんなことない。治験を受けた患者が回復したのは、本当の出来事。多少酷い内容の研究だとしても、あの奇跡の回復について掴むまで、私は黒瀧教授から離れない。例え、研修の期間が終わったとしても、謎が解けるまで教授につきまとってやる」
と、ルビーは見た目の儚さと食い違うギャップ、激しい気性を見せ、彼を戸惑わせた。
「黒瀧が間接的に、細井サンを殺したんだとしても?」
「細井先生を殺した存在に、心当たりが?」
ルビーは好奇心の塊で、ジークの話に乗ってきた。
「患者の一人じゃねーかと思う」
ジークは田村を思い浮かべた。
「何故?」
「歯形を見たからさ。細井の腸を食いちぎった歯形と、そいつの歯形が似てたんだ」
ジークはゾッとしながら答えた。
ルビーはしばらく黙り込んだ。
彼女が一体何を考えているのか、ジークには全くわからなかった。
そのうち、大祐から電話が掛かってきた。
「大祐? 俺、今さ、ルビーと一緒なんだー。近くで、朝飯食ってる。ちょうど、例の件の話をしてたとこ…」
ジークは自慢をするように、ルビーと一緒だというところを強調した。
大祐は嫉妬を感じたが、別の用事を口にした。
暗い声で、静かな話し方だった。
「ジーク。317号室の田村さんを発見したよ。…病院の裏手で、死んでたんだ…。田村さんの遺体は……、干からびて…半分溶けてる……」
「はぁ…!?」
ジークは唖然として、返事出来なくなった。




