ph 12 異界の城
phase 12 異界の城
1
今にも雨が降り出しそうだった。
灰色の雲が頭上を覆い、景色が暗い。
青白き氷河のアルプスは、既に白く霞んで、鋸の刃のようなギザギザの稜線を眺めることが出来ない。
麓の湖も暗く濁り、鏡のようにアルプスを逆さまに映し込んでいる、普段の姿がない。
ジークと大祐は、丘の上から街を見下ろしている。
湖を挟んで向こう岸に、島のように見える形に突き出た場所があり、優美な白亜の館が建っている。
街の喧騒から距離を置き、郊外の森の中に佇む。
「あれが先日の、歓迎レセプションの会場になった…、城だな」
ジークが双眼鏡を覗いた。
中世の城のような尖塔を備えた城塞じゃないし、宮殿でもない。
左右シンメトリーの広大な庭園を持ち、部屋数が多くて迷路のようになっている…、そんな建物のことだ。
「19世紀に、欧州から来た富豪が建てた館で、現在は外国の富豪が買い取って、別荘にしてるらしいよ」
大祐がレンタカーの運転席のウィンドーを開け、さらさらした髪に風を受けながら言った。
「内装やインテリアが当時のままで、貴重な文化財なんだって。特に、その昔は何度も舞踏会が催されたというホールは豪華絢爛…。てね、書いてある。俺達は実物を見たけどね」
大祐がタブレット端末の旅行ガイドを読んだ。
ジークはタブレットを車内へ押し返し、大祐に双眼鏡を手渡した。
「その舞踏会に、時を超えて招待されたわけだ。二階も三階も部屋が多過ぎて、どれだかわかんねぇよ。黒瀧教授の部屋」
「どれどれ?」
大祐が双眼鏡を受け取り、レンズを覗いた。
街がよく見渡せた。
古めかしい、歴史を感じさせる街並みだ。
この街が生まれた頃の姿を伝えている。
日が暮れかけ、雨がぽつぽつと振り出し、薄暗く陰気に見えた。
レンズはやがて、白亜の館の一部を捕えた。
森に半ば埋もれるように、しかし、雪のような白さが際立って見えた。
「どこの国の富豪の所有になってんの!? 実際に、その文化財に住んでるのは黒瀧一族だぜ? あの教授、なんか胡散臭ぇー」
ジークが軽自動車のボディに凭れ、指先で雨粒を払った。
ジークと大祐は、この街の大学で研究を進める黒瀧教授の元、研修を受けることになった。
だが、正直、気乗りしなかった。
日本の方が最先端の医療の研究が出来そうだったし、二人は勤め先の病院で派閥の対立に巻き込まれ、こんな海外に飛ばされた感じだった。
けれど、日本でのつまらない意地の張り合いに辟易していた二人は、休暇を兼ね、リゾート地での研修を受け入れることにした。
「休日は釣り三昧だ。もう休日出勤も夜勤もない。気楽だな」
ジークは釣竿を日本から持参していた。
「そうとは限らないよ。山のようにレポートを書かなきゃならない」
大祐が腕を組み、車の中から景色を眺めた。
濃い緑の森が、見渡す限り、どこまでも続いていた。
「クソッ。小学生の夏休みの宿題かよ。絵日記書いて出してやろーかぁー!?」
ジークが巨木の下に雨宿りに入り、ポケットのタバコを取り出した。
くしゃくしゃの箱から一本取り出し、口の端にくわえ、しばらく火を点けることもなく、館を眺めていた。
ジークの頭の上から枝が垂れ、緑の屋根が出来ていた。
湖は雨で波立ち、水面に無数の波紋が広がった。
景色は色褪せ、館も森に滲んでいくようだった。
「他の病院から、何人来てたっけなー?」
ジークが我儘な子供みたいに口を尖らせ、指を折って数えた。
「日本各地の有名な病院から、有望な若手が集められたらしい。俺達含めて、七人だったと記憶してるけど」
大祐が皮肉を込め、
「有望な!? 居ても居なくても差しつかえない若手、の間違いじゃねーの?」
ジークが自嘲気味に大笑いした。
「ジーク。もし、男ばっかりだったら、つまんなかったよなぁー」
「はん、どうだかな。大祐はいつも、若い女の患者に人気がある…」
言いかけたジークに、大祐がコーヒーを飲み干した缶を投げた。
「患者に手なんか、出したことないって…!」
大祐はジークを睨んだ。
大祐は急に小声で、
「ジーク。女医って、結構美人が多いよな」
話を変えた。
「えー!? 俺はいらねぇー。あいつら、お高くとまって、ツンツンすましてるし。俺達みたいな薄給の若手医師には、興味ありませんって感じで。同じ勤務先の女医なんかとつきあったら、後々面倒だしなー」
ジークは思いきり顔をしかめ、嫌悪を込めて言った。
彼等二人の脳裏には、先日のレセプションで知り合ったばかりの、美し過ぎる女医の姿が鮮明に浮かんでいた。
「大抵、おまえは相手にされてないもんな。ジーク」
大祐はジークの天邪鬼ぶりが面白かった。
「俺は看護師の尻を眺めてるだけで、充分なんだよっ」
「そうかよ?」
大祐がゲラゲラ笑った。
ジークがタバコを吸いながら助手席に乗り込み、大祐がハンドルを握り直した。
丘から見る景色は、何だか、映画のセットみたいだった。
あのレセプション当日、館を囲む森に、カラスの鳴き声が不吉に響いていた。
夕刻、シャンデリアに灯りが点っていた。
エントランス入ってすぐのホールは、三階ぶち抜きの吹き抜けだった。
規模こそ小さいけれど、洒落た装飾が施されていた。
よく見ると、壁は古い建物にありがちな、雨染みやヒビ割れがある。
彩色はやや色褪せ、木造部は磨かれて艶を増し、そのアンティークな雰囲気こそが、この建物の価値を高めていた。
この館は、どこか影のようなものが染みついていて、ジークには薄気味悪かった。
例えて言えば、古い時代の幽霊が出そうな感じ。
シャンデリアの淡く温かみのある色みを帯びた光が揺らめき、その光の投げ掛ける陰影の中に、闇の魔物が息を潜めていそうだった。
テラスの向こうに、広大な庭園が旅行ガイドそのままに展開し、クラシックの生演奏が会場から流れてきた。
ジークは本気で、19世紀の舞踏会にタイムスリップしたのではないかと思った。
呆気に取られ、口を半開きにしたまま、間抜けな顔で見とれていると、誰かの笑い声が聞こえた。
「ぷふふっ…、ふふっ…」
子供みたいな声。
ジークが振り返って睨み付けた笑い声の主は、子供じゃなかった。
二十三歳の女性だった。
「あ。ああ…」
ジークは絶句して心を奪われた。
彼女はシンプルな真珠色のワンピースの裾を片手で軽く摘んで、お姫様みたいな挨拶とともに、ジークに笑いかけた。
「ようこそ。ダークランドの城へ……」
彼女は美の女神の化身のように完璧な顔立ちとスタイルで、一枚の、貴婦人の肖像画みたいに立っていた。
彼女の名は瑠美。
ルビーと呼ばれていた。
2
レセプションから数日が経ち、ジークと大祐は大切な話をする為に、郊外を車で流していた。
ジークは助手席でタバコをスパスパ吸った。
タバコを吸わない大祐は、車内のウィンドーを全開にした。
心地よい涼しい風と、雨粒が舞い込んできた。
「…で、誰だっけ? 研修組で、大祐が気に入らないって言うのは?」
ジークが隣りの運転席をチラッと見た。
「ルビーさん以外、全員だよ。黒瀧教授も含めてね」
大祐の機嫌が悪くなった。
「クソ真面目な笹木さん、ちょっと老けてる薄井さん、新婚ホヤホヤの渡辺さん…。それから…」
「レセプションで、一人でオードブルの残りを完食した細井さんだよ」
大祐が苛々して言った。
「ああ、キャラ濃いのばっかだな…」
ジークが頷いた。
ジークの脳裏に四つの顔が浮かんだ。
クソ真面目な笹木は、面長で地味な眼鏡を掛け、無愛想な男。
少し老けている薄井は、名前が太なのに痩せてガリガリの男。
新婚の渡辺は、笹木と正反対に愛想がよすぎて、八方美人な丸顔の男。
大食いの細井は名前ばかり細い。本当は巨漢で、高さと腹回りと横幅がある。一番優しい男だ。
ジークは次に、黒瀧教授のことを考えた。
黒瀧教授とも、レセプションが初対面だった。
ジークが調べたプロフィールでは、黒瀧教授の年齢は七十歳と記されていた。
しかし、ジークが見る限り、黒瀧教授は四十代後半ぐらいだ。
黒瀧教授はどこでも、スーツの上から白衣を着ている。
髪をぴっちり撫で付け、眼鏡を掛けている。
今でも背筋はしゃんと伸び、大股で歩くので、若々しく見える。
渋い二枚目で、ネクタイや腕時計、靴などの好みも、なかなか洒落ている。
「あの教授が七十歳なら、その祖父の黒瀧博士って、いくつなんだよ? 現役バリバリなのに、百十歳ぐらいなのか!?」
ジークが大祐に突っかかった。
「うーん、確かに。黒瀧博士は五十代から六十歳そこそこぐらいに見えるなぁ……」
大祐も戸惑う。
黒瀧秀郷博士は、毎日のように、孫の黒瀧弥一郎の研究室に顔を出す。
皺は殆どなく、顔も手も皮膚に弛むところはなく、髪は白髪だが生き生きとして、全体に精悍さも感じられる。
黒瀧博士はハットを目深に被り、ステッキを持ち、レトロな空気を漂わせる。
いつも爽やかな香りがして、動きもきびきびして、年寄り臭さが全くなかった。
右目の下に古い傷跡があり、苦みと威厳のある、かっこいい老人だった。
ジークは黒滝博士の隙のない物腰や、穏やかだけれど貫録のある喋り方を思い出した。
博士の最近の論文を読んだが、歳の差を越えて共感させられ、素直に感動した。
「あの城に、黒瀧一族の面々が出入りしてる。この地域の有力者は、黒瀧教授の甥だってさ。他にも、警察の上層部の息子や、有名弁護士の娘がいたり…。なんか、普通じゃないと思わない?」
大祐はワイパーが拭うフロントガラスを、一心に見詰め続けていた。
「何が不満なの、大祐はー?」
ジークはどうでもよかった。
「ジーク! 大体、黒瀧教授の研究内容がさ…、変じゃないか!? 復活する臓器、ってさぁー、輸血と投薬だけであんなに成果出るもんか!? だったら、今頃、学会が大騒ぎだろー!?」
大祐が少し興奮していた。
「別にいいじゃねーか。何が困るんだよ!? 確かに胡散臭ぇー。でも、いいんじゃねーか!?」
ジークが言い返した。
「大祐。追々、研究の具体的な内容もわかる。俺達は毎日、治験の患者を診察して、データだけ見てりゃいい。楽な仕事だ。後は釣り三昧。おまえのやりたい研究は、日本に帰ってからでいいんだよ。下手なことに首突っ込むんじゃねーぞ!?」
ジークは大祐を宥めようとした。
大祐が車のブレーキを踏み、信号待ちで停止させた。
「ジーク…。俺…、少し調べてみる……。教授の研究、何かおかしい…」
暗い表情で、俯いて呟く大祐。
「俺は来週末から、釣りに行くからな」
ジークは興味なさそうに、大祐に念を押した。
その時、ジークは嫌な予感がした。
案の定、大祐はやばい話に巻き込まれていくことになる…。
3
ジークも初日から違和感を感じていた。
日本で診てきた患者と比べ、黒瀧教授の患者はどこか異質な感じがする。
まず、目つきがおかしい。
黒瀧教授の患者達は、眼が異様にぎらついている。
睡眠をしっかり取れてないらしく、眼の下が隈になり、肌も土色にくすんでいる。
太陽の光を眩しがり、病室は必ず、カーテンが閉ざされていた。
ジークは何も気付いてないふりをして、聴診器を患者の胸に当てた。
死人のような肌色でも、患者の心臓は力強く鼓動の音を響かせていた。
ジークは内心、ほっとした。
患者達は普通の病人の食事を、きちんと摂っていた。
点滴を付けていたが、軽快な足取りで廊下を歩き、自分でトイレに行くことが出来た。
ジークには、夜勤が怖かった。
夫々の病室から、呻き声が漏れてくる。
「痛い……痛い……」
という、歯を食いしばって息を吐き出す声だったり、
「腹減った……」
という、啜り泣きだったりした。
ジークは今までの夜勤で経験がないような、叫びや罵声、啜り泣きを聞いた。
「ここが外国だから、違和感を感じてるのか? 彼等の情緒が不安定で、感情の表現が豊かなだけか?」
ジークは色々と判断に迷う。
治験を受けている患者は身寄りが少なく、高齢者が多かった。
余命数ヶ月の死を待つのみの患者達は、藁にもすがる思いで、黒瀧教授の治験薬を試した。
彼等は宣告された期間より、ずっと長く生きた。
彼等の病魔に侵された臓器は、奇跡の復活を遂げ、彼等は通常に歩いたり食べたり出来るほどに回復した。
でも、痛みや苦しみからは解放されてなかった。
別途、薬を必要とした。
痛み止めは麻薬のように、より強い成分を必要とするようになる。
強い薬は何時間か開けなくてはならない。
患者達はその間、地獄の痛みにのたうった。
ジークは患者達が痙攣を起こして苦しむ様を見て、医師として苦悩した。
「こうまでして生き長らえることが、本人の為になってるのか!?」
患者達は時に、ジークに訴えた。
「先生、もう殺して下さい……。辛過ぎる……」
患者達の涙を見て、ジークの胸は張り裂けそうになった。
患者がジークの後ろ姿を追いかけて来て、
「先生!! 薬を!! 早く、輸血をー!!」
ジークの白衣に爪を立てて掴みかかり、大声で叫ぶことがあった。
「あの点滴、もしかして麻薬でも入ってんのか…」
ジークは不思議になった。
点滴が始まると、うっとりした表情で微笑み、静かに寝付く患者達。
「これは…大祐の言うことも、あながちデタラメじゃないかも…」
ジークの心の中で、徐々に違和感を膨らませていった。
ある朝、同じく研修中の医師、細井がジークに呟いた。
「達紙先生、私、最近怖いんです。恐怖を感じるんです」
診察室で後ろから声を掛けてきた細井を、ジークが回転椅子ごと振り返った。
「は!? 細井先生、何言ってるんです? 何が怖いって!?」
「患者が」
細井が即答した。
彼は大きな体に似合わず、もじもじして小さくなりながら、
「達紙先生、怖くないですか? 気付いてますか? 彼等、私達を見る時、ヨダレを零すことがある…。うまそうな食べ物を見るような眼で、私達を見上げることがあるんです…」
と、話した。
「はぁー!? 俺達が食い物に見える!? 患者がそんな妄想を口走ったんですか!?」
ジークは目を白黒させ、面食らった。
細井は泣き出しそうになった。
「いや…。私の勝手な想像です。例えば、私が好物のチーズケーキを目の前に出されて、お預けをくってる。そんな状況でするような目つきを、彼等が私に対してしてるんです。私が彼等のチーズケーキみたいにね。そして、何人かはヨダレを垂れた。中には、変なことを言う患者もいました。ドクター・ホソイ、あなたはプリプリして柔らかくて、美味しそうですねー、と……」
「なるほど」
ジークはその話に納得した。
細井はぽっちゃりと、食べごたえありそうである。
この後、二人で病棟を回ることになっていた。
ジークの後ろに付き従うように、細井が付いてきた。
最後の病室の前で、
「細井先生。俺、後ろから見てますから」
ジークが励ました。
仕方なく、細井は聴診器を耳に掛け、患者のベッドのカーテンを開けた。
「やあ、田村さん。おはようございます。今朝のご気分は?」
汗かきの細井が、鼻の頭に汗を浮かべながら、日本人の患者に話しかけた。
田村は青い縞のパジャマ姿で、ベッドの端に腰掛けていた。
田村の白髪には寝癖がつき、笑った顔に前歯がない。
彼のテーブルの上にある、朝食の食器はきれいに空になっていた。
「先生…。これを見て下さい!!」
田村が右手に握っていたモノを見せた。
「何ですか?」
細井が覗き込んだ。
なんと、入れ歯だった。
「それがどうかしましたか!?」
細井はドギマギしていた。
田村はにこにこ笑い、口を大きく開いて、ジークと細井に喉の奥までよく見せた。
「先生!! あの薬、本当にすごいですね!! 歯が生えてきました!!」
「…!!」
ジークは息を飲んだ。
「うぁあ…!!」
細井は叫んで、後ずさった。
田村の口の中に、新たな永久歯が歯茎を割って、上下二列に並んでいた。
歯はまだ生えかけで、白い石の粒みたいだった。
その中で、上側の犬歯だけが異常に早く生え、牙のようになっていた。
ジークは言葉を見つけられなかった。
人間は永久歯が一回しか生えない生き物だ。
田村は一度に、全ての歯が生えてきていた。
「あの薬が…原因ですか!? こんなことって、有り得ないですよね!?」
細井は背後のジークに詰め寄り、小声で質問した。
ジークは愕然として、何も答えられなかった。
田村はぎらつく眼をジークと細井に向け、
「もう少しで生え揃いますわ。いやー、これで入れ歯はいらん。ステーキでも、せんべいでも、何でも食べれますわ。願いがもし叶うなら、自分の歯でもう一度、肉を食いちぎってみたいと思ってました…。ははは…」
と笑った。
細井を見詰める彼の口から、ボトボトッと、ヨダレが零れ落ちた。




