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ph 11 悪魔の治療

 phase 11 悪魔の治療


 1


 黒蝶の哲は何とも言えない、複雑な気持ちを表情に出した。


「さぁ…、どうだったかな……」

 哲の声が掠れた。


「挨拶は済んだか!? ジーク」

 朔夜が空気をびりびりと震わせ、ジークに尋ねた。

 ジークは溜息をつき、哲に手を振った。

「じゃあな、哲さん。生きてたら、また会おう」


 朔夜はジークの態度に、むしゃくしゃした。

「俺が一度捕えた獲物を、逃がすとでも…?」

 朔夜は口の中で、小さく呟いた。


 ジークは階段を昇り、中二階から観ている愛理の側へ戻った。

 彼女は初めて間近に見る、異種の吸血鬼(ダーク)に興味津々だった。

「俺、気配が消せねーみたい」

「ジークったら、ドン臭いなー。朔夜に教えてもらえば?」

 愛理が哲から目を離さずに、答えた。


「朔夜はあの状態で、闇に支配されてねぇと言えるのか?」

 ジークが疑問を口にした。

 ジークが闇に完全に堕ちかけた時、彼も獣のような雄叫びを上げ、涎を垂らして牙を剥いた。

 自分でも、微かに記憶に残っていた。


「朔夜はちゃんとコントロールしてる。出来の悪いジークとは、全然違うー」

 愛理がジークを振り返り、彼を睨んだ。

 ジークは呆れ、

「はい、はい。何でも、朔夜、朔夜って」

 彼女が朔夜をベタ褒めすることに、反発を漏らした。



 階下から、地響きが伝わってきた。

 朔夜が更に、力を底なしに解放し、化け物と化しつつあった。

 建物がメキメキと、悲鳴を上げて軋んでいる。


 哲はなす術もなく、力を巨大化させていく敵を見詰めていた。


 貸倉庫の一階全体に、朔夜の(パルス)が充満し、壁を圧迫して亀裂(クラック)を生じさせた。

 亀裂が稲妻のようにジグザグに走り、粉塵が舞った。

「俺がどこにいるか、わかるか…」

 龍の(いなな)き、人語ならぬ声が響き、その波長から意思だけが直接伝わった。


 既に、哲から朔夜の姿が見えなかった。

 朔夜は巨大なエネルギーとなり、ヒトのカタチが失われていた。

 龍のような気配と幻覚に変わって、朔夜と闇の混じり合った攻撃力そのものが、哲を狙っている。


 朔夜のエネルギーの中心点が近付いてくると、塵が哲に吹き付け、周囲がミシミシ鳴った。

 哲は翅を開き、高速で一瞬跳び上がり、天井にとまった。

 ぎりぎり躱し損ねたのか、哲は全身からぶわっと血を噴き出した。


 体中の血管を破損したみたいに、哲は全身から出血し、天井から血のシャワーを降らせた。

 大量に体内の血を失い、哲はひどい頭痛を感じた。

「ヘル!! 儂より、この男を先に殺せ!! より多くの人間の命を、おまえが守りたいならな!!」

 哲が大笑いしながら叫び、天井を体で突き破って、屋根を貫通した。


「ヘル…!? 何の話だ!?」

 朔夜が闇を結集させ、夜に滲み出すように、屋外へ逃げた哲を追おうとした。


 しかし、その前に、哲が屋根を突き破ったことが亀裂を決定的に広げる結果となり、屋根が崩壊した。

「愛理!! 建物が崩れる!! 外へ出よう!!」

 ジークが愛理の手を引き、彼女も慌てて従った。


 崩れた屋根を取り囲むように、誰かが現れた。

 そいつらも、各自が大型の四枚の翅を備えていた。

 翅を持った特殊部隊が上から、銃弾の雨を降らせた。


「出やがった…! 蛾人ども…!!」

 ジークが建物の出口で呟いた。


 哲は、自分を捕獲しようとしていた吸血鬼(ダーク)と、追手の蛾人を戦わせ、漁夫の利を得ようと企んでいた。




 2


「誰だ、おまえら…」

 朔夜が龍の嘶きを(ほとばし)らせ、特殊部隊に問い掛けた。


「ある筋に雇われてる、吸血鬼専門の駆除隊だ。まずは、おまえを血祭りにあげてやるよ。俺の名がヘルだ」

 ヘルが防毒マスクの下で、ほくそ笑んだ。

 彼は黒蝶相手に使うはずだった、殺虫剤の入ったガス弾を投下した。


 対吸血鬼用のガスが、貸倉庫に広がった。

 ナオと圭太はむせながら飛び出し、待ち構えていた特殊部隊のマシンガンの掃射を浴びた。


 勿論、二人は弾丸を弾き返した。

 二人は夜に溶けるように消えた。


 気配が馬鹿でかくなっている朔夜は、容易に姿を(くら)ませることが出来なくなっていた。

 朔夜は(パルス)を激しく揺らし、ガスを身から遠ざけようとした。

 が、ガスを直接吸引しなくても、建物いっぱいに広がっていた朔夜の身が糜爛(びらん)した。

 双頭の龍は悲鳴を上げ、のたうち回った。

 朔夜の気が、急速に弱まって縮んでいった。


「朔夜!!」

 愛理が物陰から飛び出そうとした。

 ジークが後ろから愛理を抱き留め、

「愛理!! おまえはうまいこと、気配を消してた。蛾人に気付かれてねぇ。このまま、俺の車でマンションへ帰れ! どうせ、朔夜は簡単には死にやしねぇー」

 と、車のキーを握らせた。

「ジ…、ジークは!?」

 愛理はキーを握り締め、不安と衝撃で震えていた。


「警察が来るぞ。それから、街の自警団も。面倒臭ぇだろ? おまえは早く逃げろ。俺は蝶人を追う!」

 ジークは早口に答え、血塗れで夜空に消えた哲を探した。



 屋根から様子を窺っていたヘルと特殊部隊は、翅を使って舞い降りた。

 元の人間大の大きさに戻った朔夜を、取り囲むように。

 朔夜は防毒マスクの精鋭達を見た。


 朔夜は全身(ただ)れ、痛々しくズル剥けた皮膚から血を流し、荒い息をしていた。

 が、その傷も徐々に修復され、白い肌に戻っていく。


 朔夜は右手に、黒い血の結晶の剣を構え、ヘルの隙を狙っていた。

 一方、ヘル達の持つ武器は、マシンガンに手榴弾に、独自のガス弾などの化学兵器だ。

「おまえら吸血鬼に銃弾が効かないことは、これまでの実験でわかってる」

 ヘルが防毒マスクの下から、くぐもった声で話した。

「…実…験…!?」

 一瞬、朔夜は相手の話が飲み込めなかった。


 ヘル達の合図で、何かの発射音が響いた。

 特殊なワイヤーで編まれた大型ネットが、ばっと朔夜の上に広がった。

「おまえを抑え込んで、心臓をくり抜く」

 ヘルが予告した。


「やってみるんだな、毒蛾ども!!」

 ネットに絡み付かれ、形成が逆転してしまったた朔夜だが、蛾人に抑え込まれるほど弱くない。

 彼が睨み付けただけで、床に落ちていた屋根材が吹き飛び、蛾人の一人を跳ね飛ばした。

 塵が宙に浮き、ガラスが彼の周囲を、小惑星帯の軌道のように漂った。




 3


 ジークは建物の屋根から屋根へ飛び移り、疾走していた。


 愛理のように、蝶人の(パルス)を追う器用さもない。

 ジークは哲の血の匂いを辿った。


 ほどなく、ジークの眼が哲の後ろ姿を捕えた。

「哲さぁーんー!!」

 ジークが狼の遠吠えのように、大声で叫んだ。


「野良犬か…」

 空で哲が嗤った。

 哲が降下し、四本の腕のうちの一本で、ジークを空中へかっさらった。


「うわぁー…!!」

 ジークは地面から離れていく、自分の足元を見た。

 彼は右腕を掴まれ、そのまま浮かび上がっていった。


 ミッドタウンの高層ビルの外装ガラスに、黒い翅の老天使と、もがく自分の姿が映る。

 哲の翅と体が黒く、ジークの今宵の服装が黒一色だったから、彼等は都会の光の合間を縫って、影の世界だけを飛び続けた。


「哲さん、どこに連れてくつもりだよ!」

「静かに話せるところへ行こう。邪魔が入らず、誰の聞き耳も及ばないところへ…」

 哲が羽ばたきを強めた。



 郊外の峰に建つ山小屋に、哲が降り立った。

 忘れられた粗末な山小屋が、最近の哲の住まいらしかった。


 ジークは墜落する恐怖と緊張から解放され、ほっとした。

 哲が戸を引き、中にジークを案内した。


 壊れかけた狭い小屋、埃臭く、蜘蛛の巣だらけで、手作りらしき椅子とテーブルも砂でざらざらしていた。

 哲はお構いなく、砂だらけの椅子に座り、大木の年輪が刻まれたテーブルに肘を着いた。

 腕の数が二本に戻っていた。


 潔癖なジークはややためらいながら、向かい合う椅子に腰掛けた。

「キンキンに冷えたビールで、もてなしてくれねーのかよ!? こんな山奥じゃ、無理ってか?」

 ジークが愚痴を零した。

「野良犬、憂と知り合いなのか?」

 哲が暗闇で尋ねた。

 小屋にはランプがあったが、彼等には必要なかった。


「憂ちゃんか。去年会った時は、病気で入院してたな…」

 ジークが浮かない表情で答えた。

 哲も頷き、

「儂も入院してたんだ。そうだよ、野良犬。おまえが正解だ。儂は脳腫瘍だった。それも、もう手術が施せないような…。儂の頭痛はやはり、あの腫瘍のせいなのかな」

 と呟いた。


「だろうな。腹を裂かれて死んだ俺が、今も腹から腐ってくるわけだから」

 ジークはタバコを取り出し、目で灰皿を探した。

 彼は適当な酒瓶を床から拾い、灰皿に使うことに決め、吸い始めた。


 ジークは死ぬ前の、最後の瞬間を思い出した。



 ジークは腹を滅多切りに切り裂かれていた。

 湖上のボートの上で、彼の腹部から(はらわた)がはみ出ていた。

 瀕死の彼の状態を嘆く、黒瀧博士。

 ジークは黒瀧の血を飲まされたところで、息絶えた。


 ジークはその翌日の夜、棺の中で目を覚ました。

 蓋を中からこじ開けると、病院の一室の、暗闇の静寂の中に黒瀧が(たたず)んでいた。

「やめてくれぇ…! これは夢だ!!」

 ジークは悲鳴を上げ、棺の内部を掻きむしった。

 爪が長く伸び、黒みがかった紫色をしていた。


「はぁ…、はぁ……」

 荒い息をしながら、ジークは大祐が言っていたことを思い出した。

「ジイサン…。てめぇ…、俺に何を…しやがった…!?」

 目眩と恐怖で、息が切れそうになる。

 目の前の黒瀧が怖いんじゃない、何が起きたのか、知ることが怖かった。


 黒瀧はゆっくり顔をこちらに向け、貴族的な、品のいい皺が刻まれた笑顔で、

「生き返ったんだよ、ジーク。君はこれから、不死身なんだよ…」

 と、優し過ぎるほど優しく囁いた。


 ジークは血の気が引くのを感じた。

 指先で腹を確かめれば、どこにも傷がない。

 彼は生まれてから現在まで、一度もこれ以上の恐怖は感じたことがなかった。

 彼は何もかもを失った気がした。

 恋人を失った時以上の喪失感だった。


「俺は…誰だ!? 達紙ジークは死んだはずだ。ここにいる俺は誰だ!? 亡霊か?」

 ジークは目の前の黒瀧を憎悪し、恨めしく思った。

「なんてことをしてくれたんだ…。俺は…俺は…何の為に蘇った!? 吸血鬼だって!? 俺は医者だぞ!?」

 ジークが怒りに震えながら叫んだ。


 黒瀧は微笑を返し、

「何だっていいじゃないか。どう生きようと、好きにすればいい。君は生きるチャンスを与えられた。それを活かしなさい。ただ、君はもう…医者ではない」

 と、ありのままに現実を語った。


 ジークの心臓が大きく膨らみ、瞬間、パンクしそうだった。

 もう医者ではないどころか、達紙ジークですらないのだ。

 そういう存在は、死んでしまった。

 彼はかつてのジークとは、別の種の生き物になっていた。


 彼は人差し指と親指で、棺の蓋を摘んだ。

 木製の蓋が紙をちぎるように破れ、マシュマロみたいに柔らかく感じられた。

 喉が渇き、早速血が飲みたくなった。

 赤ん坊が母乳を欲しがるみたいに、自然と血が飲みたくなった。


「君は生まれたての吸血鬼だ。ダークという、闇そのものの種だ。我々は闇の深淵から生まれ、この血を継いで、子孫が続いてゆく。我々の血の中には、濃い遺伝子がある。太古より始まる遺伝子だが、人間ほどに繁栄してない。しかしだ、我々の食糧は豊富にある。我々の命の源は、人間だ」

 黒瀧は平然と、呪われた血について打ち明けた。

 まるで、人類の誕生の歴史を語るように、吸血鬼(ダーク)の歴史について語ろうと言うのだ。


「我々はヒトと同時に、この世に創造された。初めは忌むべき存在とはされず、ヒトより優れた存在として、夜に君臨した。後に、我々は弾圧を受け、存在を抹消されることになる。我々は一時的に絶え、数百年前、(ようや)く復活を果たした…。闇が悪魔のものとされて以来、我々は不名誉な濡衣(ぬれぎぬ)を被らされることとなった。血を吸う鬼という……」

 黒瀧は紳士的な態度を最後まで崩さず、粘り強くジークに話して聞かせようとした。


 ジークは涙を浮かべて頭を振り、混乱をきたしていた。

「どうして死なせてくれなかったんだ!? 放っといたって、ボートが沈んだ! 俺は死んだ恋人の側に行きたいのに!」


 黒瀧はジークの言葉を、何も聞こうとしなかった。

 黒瀧は自分の話を続けた。

「ジーク…。わかるね? 我々は鬼ではない。…闇そのものなのだ。闇とは何か? 光と(つい)の存在なのだ…」


 ジークはぶるっと震えた。

 彼の肌に、鳥肌が立った。

 眼が遠くを見詰め、その手は痙攣(けいれん)するように震え続けた。


 黒瀧がジークに近付き、眸の深淵にジークを引き摺り込もうとした。



 回想から現実に戻り、ジークは手の甲で汗を拭った。

 黒蝶の哲はジークの記憶を感じ取り、蒼褪めていた。


「野良犬。憂なんだよ。儂を黒蝶に変えたのは。…騙されたんだ。あんなガキになぁー。手術せずとも、痛みを取る方法があると言われたんだよ…」

 哲が長い溜息をついた。

「儂は憂と同じ病院に入院してたんだな。憂が、孤独な年寄りの儂に親切で、毎日、あいつの笑顔が慰めだった。それが、こんな罠に嵌められようとはなぁ…。不死になると知ってたら、どんなに頼まれても断ったものを…」

 哲が涙を零した。


「新しい治療方法だと言うんだ。あのおぞましい、グロテスクな卵の中身が? 治験だと信じ込まされたばかりに、儂はこんな恐ろしい、醜悪な鬼と化してしまった…」

 哲が翅を広げ、光沢のある黒いベルベットの翅をジークに見せた。

 美しい翅だった。空を飛ぶことが出来た。

 けれど、耐え難い頭痛、死ぬよりも辛い渇きがセットになっていた。


「人を襲い、血を飲んでいる間は、酒に酔うように痛みを忘れられる。酔いが醒めたら、痛みの地獄だ。これが永遠に続くんだぞ?」

 哲が埃だらけのテーブルを、拳で叩いた。

「朔夜に、とっとと殺されりゃよかったんだ」

 ジークが嫌味を言った。

「朔夜? あの男か?」

 哲は鼻を鳴らした。


「ありゃ、もう殆ど闇に食われとる。おまえのような正気も、残り僅かだ。闇に利用されてるだけさ。野良犬。儂の誇りは、真に強い相手に殺されて死ぬことだ。野良犬、おまえの牙を()いでくれ」

 哲がジークに頼んだ。

 ジークは切なくて、苦々しい思いで哲を眺めた。


「哲さん。蝶人は他に、何人いるんだ?」

 ジークが問い掛けた。

 哲は首を傾げた。

「儂が知るか。儂はすぐに病院を飛び出したからな。…でも、確か同じ病院に、子供と女の黒蝶がいたはずだ。子供の名前は翔太。小学六年生だったか。女の方は菊乃とか言う。憂が餌を運んでるはずだ。ま、詳しくは知らん」

 哲は無愛想ながら、ちゃんと答えた。


 やがて、夜明けの時が近付いてくるだろう。

 夜が明け始めるまでに、ジークは安全な場所に戻らなくてはならない。

 

「儂は今、憂と行動を別にしてる。憂には見つかりたくない。察してくれ」

 哲は憂を恐れていた。

「儂はこの街を去る。県外へ移るつもりだよ。そこを根城にする、別の吸血鬼がいるだろう。とは言え、儂はあの毒蛾どもや、憂から姿を隠さなければ」

「何言ってんだよ、哲さん。あんなガキが怖い? それより、今ここで俺に殺されてみねぇか? 楽にしてやるぜ」

 ジークの気が逸った。


「無理だな。野良犬も早く死にたいんだったな。なぁ、そっちこそ、儂が殺してやろうか?」

「ジークだ。達紙ジーク」

 ジークが面倒臭くなって、名乗った。


「ジーク…。よい名前だ。でも、野良犬の方が合っとるな」

 哲がタバコをねだるように、指を摺って見せた。

 ジークがタバコのひしゃげた箱を傾け、最後の一本を哲に譲った。

 哲はジークに火を点けてもらい、深く煙りを吸い込んで、ゆっくりと味わうように吐き出した。


「じゃ、野良犬。そろそろ聞かせてもらおう。おまえは何故、吸血鬼(ダーク)になった!?」

 哲が尋ね、ジークは記憶の糸を手繰り寄せた。











 



 





 

 





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