三十二丁目 油蝉の鳴くころに 〜里帰り編〜 第一編『メモリーズ』
今回は里帰りということで少し長編になります
夢を見ていた
ぼんやりと、草木が生い茂り、しかし隅々に渡るまで丁寧に整備された庭園にいるのがわかる。
西洋の庭園を模したその空間は、四季折々の花で覆われ、美しく、それでいて派手でない。
―ねぇおばぁちゃん
―なぁに?さんくん…
大きな木の下で、木漏れ日を浴びながら、ギリシャの幾何学的な模様をかたどった長椅子に座り洋書を読む女性、そしてその膝の上に俺がいた
―なにかおはなしきかせてー
―あらまぁ…なにがいいかしら…
甘えるように足を交互に振り、焦れたこども、それが俺、浅岡三丁目だ
―あのね、おばぁちゃん
―はいはい
ニコニコしながら急く俺の頭を撫でてくれる。
……
…そうか…俺はばぁちゃんが好きだったんだ…
まだ…このときまでは…
―なにしてるの?
そこへ一人の少女が、とてとてと走ってきた。歳のほどは、俺…いやこのときは僕か、僕と同じくらいだ
―きみは…?
―あたし『ことは』っていうの!あなたは?
―さんちょうめ!
―さんちょうめ?
おうむがえしに少女が首を傾げる。このときの俺は、名前に対してなんの嫌悪も抱いていなかった。幼すぎたからかもしれない
―みんなほめてくれるよ?なぜかかなしそうなおかおでだけど…
―いい名前なのにねぇ…琴葉ちゃんもそう思うでしょう?
―うん!さんちょうめ…さんくん、ってよんでいい?
―いいよ、おばぁちゃんもそうよんでくれるんだ
きゃあきゃあと無邪気に笑う二人、それを見て優しく微笑むばあちゃん。
照れ臭さとなつかしさを覚えながらも、ゆっくりとその光景はフェードアウトしていった……
――――――
『メモリーズ』
―――
目が覚めた
ガバッ、と勢いよく半身を起こすと、まず自分の部屋では無いことを理解する。ベッドも異常にやわらかい。
「……来たのか…」
ため息をつき、頭に手をやる。石作りの壁、洋風を気取った洒落た部屋、そうだな…中世ヨーロッパの城、ファンタジーでよく出てくる城の中を想像して欲しい。まさにそれだ
「う…くぁぁ…」
三丁目は大きく伸びをした。
誰が着替えさせたのか、いつのまにか寝巻が新しくなっている。布を引っ張れば明らかに上質の絹だ。朝は寝巻のまま外へ飛びだし、そしてシスターに肩の部分を焼かれた、それがないことから確実だろう
「う…うぅん…」
「うわっ!」
短く悲鳴を上げる三丁目、気付けばこのベッド、大分大きいサイズである。二人用は、ある
「さんく〜ん?」
「……」
三丁目と同じベッドに寝ていたのは、果たして三丁目と同じくらいの年齢の女性だった、起伏に富んだ体つき…かろうじて要所は隠されてはいるが、『そういうこと』にしか使えなそうなネグリジェを纏っている。
「おはょ〜…」
ぼさぼさな髪の毛をぽりぽりかき、むにゃむにゃと目を擦る
「はぁ…」
「どうしたのぉ?」
再度ため息をつく三丁目、少女はぼんやりしながら小首を傾げた
「いい加減にしてくれませんか…?」
「?」
きょとんとする少女
「莉梨華ばあちゃん…」
「えへへ〜」
祖母、嵯峨野神莉梨華は当年とってよわい82になる、カエルの子はカエル、と言ったところでは済まされない妖怪っぷりだ。いくら若作りだからと言って、80代でシワひとつない老人を見たことがあるだろうか?
「さんく〜ん」
「寄らないでください、俺は桐葉じいさんでは無いですよ」
ぼーっとしながらもたれかかってくる莉梨華の額を抑え、三回目のため息をついた。
―――――
説明しよう
母、嵯峨野神(浅岡)小春は、今は亡き嵯峨野神桐葉じいさん、そして今俺の目の前で額を抑えられ、可愛らしく唸っている嵯峨野神莉梨華夫妻の間に、三人兄妹の次女として生まれた。
驚くほど富豪な家庭で何不自由なく育ってきた母だったが、まあそこからいろいろあって父、幹春と結ばれ、この家(というか城)を出ていくことになる。
が、その話はここではあまり関係ないし、俺も良くは知らないことなので割愛させていただこう
ともあれ、この嵯峨野神家、代々女性限定で顔はおろか体つきまで老いないという摩訶不思議な家系なのだ。
何回かテレビでこの城が映され、ばあちゃんの外見についても度々議論が持ち上がったそうだが、その度に幾人もの科学者の人生を棒に振らせてきたらしい…
不憫なもんだ…
おっと、話が少しそれたかな…
肝心な所へ戻そう。
そう、何故俺に懐くのか、だ。見る人はこう思うだろう、孫とのスキンシップかぁ、微笑ましいなぁ。と
よくはわからないが、孫は子よりも可愛がられると聞く、俺だってそう思っていた。
そうだな…12歳くらいまでは…
ばあちゃんの行動がエスカレートしてきたのはちょうど俺が中学に入ってからくらいだ。
俺達浅岡家は、夏休み、冬休みとここを訪れるのだが、あれは…確か中2の夏休みだったはずだ。莉梨華ばあちゃんは帰郷した母さんときゃあきゃあ言いながら抱き合ったあと、俺を見て固まった。
当時名前のことで今以上にやさぐれていた俺は、常時ぶすっとしてたのだが、次の一言でさらに言葉を失った。
『桐葉…さん…』
え?
そう、思春期を迎え、顔つきも体つきも大人になろうとしていた俺は、どうやら死んだ桐葉じいさんに生き写しだったらしい。
後で母さんに聞いたら、そういえばそうかも…と自分の父親のことなのに首を傾げていた
それからだ
死んだ桐葉じいさんの着物を俺に着させて、無理矢理夏祭りに連れて行かされたり、桐葉じいさんは雪合戦が好きだった、と言ってクソ寒い中外で雪合戦やらされたり……
それだけならいい、まだ許せる
親孝行…違うか…まあばあちゃんに孝行するのはやぶさかではないので、無邪気に走り回るばあちゃんにしぶしぶ付き合ったのだが、大事なのはここからだ
『桐葉さんはねぇ……綱渡りが得意だったの』
『…綱渡り』
…………
はい、もう説明は不要だろう。広大な敷地内にそびえたつ城の地の利を生かされて俺は血糊を何度も吐いた。
綱渡り、東と西に天高くそびえる鉄塔の合間に、たゆむロープを張り、命綱無しで強風の中を渡る。
雨が泣きながら、もうやめてサンお兄ちゃんが死んじゃう!と叫んでいたのが印象的だった
猪狩り、広大な敷地内にあり、うっそうと茂るジャングルの中に、槍ひとつだけで放り込まれ、なぜか飢えた百獣の王と闘う……というか逃げた
ぼろぼろになって奇跡の生還を果たした俺のため、ライオンキングを熱唱してくれた兄貴に思いっきりドロップキックをプレゼントしたのは、一生忘れられそうにないトラウマだ
これで俺の朝とった行動も、妥当であったと納得してくれたかと思う。
顔も見たことのない桐葉じいさんの本当にやったかどうかもわからない過去の偉業を実演させられ、俺は精神的にも肉体的にもかなりたくましくなった……
だからと言って耐えられるはずもない、三丁目はなんとかしてこの魔の古城から脱出する計画を練りはじめた。
「さんく〜ん」
前回は窓から逃げ出そうと思ったが、メイドさんに捕らえられてあえなく失敗したし…
「お〜いさんく〜ん」
前々回は地下から逃げようとしたら終わりがなかった、恐くて引き返したしな…
「さんくんってば〜」
その前は……
「ってなんですか?」
「桐葉さんはねぇ…」
来た
次はなんだ。まさか流鏑馬……の的か?いや、あれは5年前にやったはずだ…
「頭いたい〜」
「は?ああ、すんません」
いつのまにか小さな頭部をギリギリと締めていたらしい
「で、なんですか…?ってか何度も聞きますが、桐葉じいさんは本当に俺に似てるんですか?写真とか全然無いじゃないですか」
「そりゃもう!顔から声までそっくり!桐葉さんはね〜、写真が嫌いだったのよ〜」
西郷隆盛かよ
「と、まあよくわからないツッコミはいいとして……」
三丁目はすがってくる莉梨華をどかし、備え付けの大きな扉に向かって叫んだ
「いつまでそこにいるんだ…、琴葉!」
ガタン、と物音がして、ゆっくり扉が開く
「あはは…バレた?」
舌をぺろっと出し、やられたー、という風な顔を作った、三丁目のいとこにあたる琴葉が現れた
「扉の向こうで独り言ぶつぶつ言ってりゃ誰だってわかるわ」
「ひ、独り言なんか言ってないもん!」
顔を真っ赤にして頬を膨らます琴葉
「いい加減無意識に独り言言うのやめろ」
「言ってないってばー!」
「だから無意識に…ってもういいや…」
ため息をつき、約半年ぶりにあったいとこを眺める。容姿端麗、おまけに賢い、連日お誘いが絶えないと聞くが、あと妙な癖さえ直せばもっとモテるだろう
「お祖母様、支度が調ったようなので大広間に」
急に声色を変え、まるで人格まで変わったようにバカ丁寧に挨拶をする
「はいは〜い、さんくん一緒に行こ〜」
腕を絡めてくるばあちゃん、それをやんわりと振りほどき、ベッドから起き上がる
「なぁ、今日何かあるのか?」
「ありゃ、さんくん知らないの?」
声色を元に戻し、抜けた声でうそぶく
「無理矢理連れてこられたからな」
「また〜?いい加減諦めなよ〜」
「そりゃお前はいいだろうよ、去年俺が何させられたか覚えてるか?」
「え〜っとぉ、紐無しマット無しバンジーだっけ?」
桐葉じいさんはつくづく人間ではない、俺がどうしたって?雨に頼んでこっそりマットを持ってきてもらっただけさ…
「まあ来たらわかるよ〜」
脳天気にバイバ〜イ、と抜かし、琴葉はぴょんぴょん跳ねていった。賢いは賢いが行動に関しては落第点だ
「そういやさっき何言いかけたんですか?」
二人になった部屋で三丁目が尋ねる
「うん」
どうしたことか、ばあちゃんは急にしんみりした表情になった
「今日なのよ、桐葉さんが亡くなったの」
「あ…」
すっかり忘れていた
顔も知らないので感慨もあったもんじゃないが、ばあちゃんにとっては大事な日だろう。
なんだか悪い気がした
「ま、今はさんくんがいるからいいけどね〜」
にぱっと笑う莉梨華ばあちゃん。それは替えが効くと取っていいのかはたまた強がりか
「はぁ…まあいいや…いきましょうか…」
すっかり毒気を抜かれてしまい、しょうがなくばあちゃんに手を差し出す
「えへへ、ありがと、さんくん」
少女のように、まあ実際少女なのだが、ばあちゃんは俺の手を取り、ベッドから下りた
「とりあえず着替えてくださいね」
「え〜」
ぶーたれるばあちゃんにタンスから適当に洋服を見繕い、ポンポン投げた
「暑いんだも〜ん」
「いいから着てください、俺が変な目で見られますから」
文句を言いながらも、よいしょよいしょと着はじめる
「あぁ……まだ死にたくねぇなぁ…」
誰に言うでも無く独りごちる三丁目であった…