二十九丁目 マリア様が見てぬ
「…もうダメだ……」
一宮金次郎は絶望していた
政治家は汚職を繰り返し、国は国債を国債でまかなう始末…
…まあそれとはまったく関係なしに、期末テストの結果がすこぶる悪かったのだが。
普段共に帰宅する友人の三丁目は朝から様子がおかしかった、宙空に向かってなにやらぶつぶつと独り言を繰り返し、あげくのはてには結婚なんかしねぇッ!…と叫び出したのだ。これはやばいと思い、今日は一人であった、他の連中と帰る気などしない、なんだ70点とか、未知の領域だ。
そして彼はふらふらと千軒駅の前をさ迷っていたのだが、なにやらロータリーの交番前が騒がしい、特にすることもないので、一宮は野次馬に加わった
「ですから、わたくしは神の裁きを…!」
けんけんがくがく、とやっているのはシスター、そうだシスターだ。金髪、碧眼なので外国人かと思われるが、日本語が流暢だ、ハーフだろうか
「だからってここまでやることないでしょうに…」
対するは交番勤務、清浦氏、先日青森まで走っていったと聞いたが、本当だろうか
と、まあ野次馬の隙間から様子を覗き込むと、いやはや、目を疑った、真っ黒な煙を上げて、二人の男が炭になっていた。かろうじて息はあり、ピクピクと痙攣している、早く病院に送れば蘇生可能かもしれない
「まあひったくりを捕まえたのは感謝に値しますが……」
頭をかく清浦氏、次いであわただしく救急車が到着し、えっほえっほと二人組を担いでいた。悪者二人は、うーあー呻いているのでおそらく大丈夫だろう。悪いやつほどよく眠るとは言うものである
「…というか、なにか凶器を持っているでしょう?スタンガンでもああはなりませんよ?」
「ですから凶器など…わたくしの所持品は全て渡したでしょう!?」
ビッ、と指差す先を見れば、交番内の机に小さなハンドバッグが、そして中身が広げられていた。よくは見えないが、財布やハンカチ、女性が普段持ち歩いているであろう小物しか…おや?
「わたくしは神の御心によりあの方達を罪から救ってあげただけです!」
机からロザリオ―十字――を取り清浦氏に見せるシスター、それだけが他の私物とは一線を画していた
「う〜ん…」
悩む清浦氏、ギャラリーもハラハラしながら事の顛末を見守っている、かくいう俺もその一人だ
「すみませんが事情聴取を…」
「仕方ありません……」
悲嘆の声をあげる千軒町民、この町の人間は祭事、というかトラブル大好きなのだ
「あ」
「え?」
交番に入っていくシスターとふと目が合う
「あ、あなたは…」
「な、なに?」
一度は帰りかけたギャラリーが戻ってきた。期待と歓喜に満ち溢れた顔で両者を見比べている
じっ、と見つめられる一宮。
まさか恋か!?
1ポンドの福音か!?
彼女いない歴=年齢の俺にとうとう春が!?
「なんて可愛そうに…」
「…はい?」
うつむき、悲しそうに首を横に振るシスター、どうしていいかわからないでいると
「悪霊にとりつかれています…それもかなり力が強い…」
なにを言ってるんだこの人は、総勢2、30人にも上ったギャラリーも一様にポカンとする
「わたくしがはらって差し上げますッ!」
バッ、と法衣を脱ぎ捨て、ロザリオを一宮に向ける。鬼気迫る表情に一宮はたじろいでしまった
「な、なんで?」
「あなたの背後に着物を着て薪を担ぎ、片手で本を読みながら全国ありとあらゆる小学校で銅像になってそうな少年の霊がーーーー!!!」
「ちょっ!それたぶん善霊!」
そんな一宮の叫びもお構いなし、ロザリオを持った手とは反対の手で、胸の前で十字をきり、祈りの言葉を囁いたあと、ロザリオを天に掲げた
「人に害なす悪霊に…今こそ神の鉄鎚をッ!!!」
ロザリオがまばゆく光り輝きだす
「お、おいなんだアレ!」
「ら、雷雲!?」
さすがの千軒町町人も、はるか上空に立ち込める漆黒の雲に恐れをなし、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。あたふたとしていた一宮はぽつんとひとり、残されてしまう
「な、なにコレ!なんなの!?」
「ご安心を…あなたを今すぐ解放しますッ!はぁぁぁぁぁぁ!!!」
ゴロゴロ…
「え?ちょっと、ま────」
ピシャァァァァァ!!!
………
6月22日金曜日
午後17時32分47秒
◯県×市千軒町に謎の落雷発生
被害者……1名
――――――
『マリア様が見てぬ』
―――
「ん?」
「どうしたのサンお兄ちゃん」
ここは浅岡家、三丁目はソファにねっころがって週刊誌をめくっていた
「いや、なんでもない、ちょっと耳鳴りがしただけだ」
「ふーん…」
意識を宿題に戻し、カリカリと書き込みはじめる雨
「そういや母さんは?」
「んー…なんか昔の友達と会ってくるって」
「……まともな友達だったらいいな」
万に一つもその可能性はあるまい、依然母が、超有名な私立の高校に在籍していたときの写真を見せてもらったが、下手すりゃ我が近衛高校と肩を並べるくらい常軌を逸していた、何が?とは聞かないでくれ、とにかくやばかった。
無論、母、小春の姿は今のまま。
セピア色の写真の中、まったく変わりない様子でセーラー服に身を包んでいた。
いい加減人間を語るのはやめにしたらどうだ、と言ったら突然台所の茶碗が割れたので、素直に謝った
「ねぇサンお兄ちゃん、ここわかんないんだけど…、教えてくれない?」
「ん?ああ、いいぞ」
のそのそとソファから立ち上がり、リビングのテーブルにつく雨の隣に腰掛ける。何故自分の部屋でやらないのか、理由は言わずもがなだ、今朝兄貴が円周率を一億桁まで暗記したとか、わけのわからないことを言い出して着替え中の雨の部屋に押しかけた、あとは硝子が割れて、いつも通り
「ん?古文か…」
日本語であって日本語じゃない文字の羅列を目で追う
「あれ?サンお兄ちゃん文系だったよね?」
「…まさかできないとでも思ってるのか?」
「え!いや!そんなこと無いよ、あははは…」
完全に目が泳いでいる雨。俺の妹とは思えないほどに成績がいいのだ。こうやって聞かれる機会は貴重だ、ふっ、所詮は中学生の古文だ余裕余裕♪
「どれどれ…」
……………
う……
わからなくは…ない
だがあやふやだ。なんだっけ…?
「サンお兄ちゃ〜ん?」
雨が疑いの瞳で見てくる
「いやいや、で、できるんだぞ?だからこれは…」
さらに疑惑の視線が強まる、痛い、痛いなぁ…
『ここは【なぁ見てくれよボブ、このマッスルメディシンで僕の上腕二等筋もモリモリさぁ】ですね』
口が勝手に開いて言葉を紡ぎ出した
「なんだやっぱりできるんだね!ありがとうサンお兄ちゃん!」
せっせと訳を書き込む雨
「…早良さん助かりました」
『ふふ…貸しひとつね、デートでもしてもらおうかしら?』
「…まあそれは後ほど」
背後にぷかぷかと浮かぶ早良さん、頭はなかなか良いらしい、古文が出来るのは古い人間だからだろうか
「ところで雨よ」
「なぁに?」
「お前の中学校はそんな訳をさせるのか?」
雨はシャーペンのノックを顎に当て
「ううん、私の担任の先生が古文担当でユニークな問題出してくるだけだよ、最初は変な先生だなーって思ったけど、授業が面白いから」
「……そうか」
この前のポー◯ョン事件もそうだが、最近雨まで変態どもの毒牙にかかりはじめているような気がする。三丁目はやばくなったら止めようと、心にかたく誓った
ピンポーン
「ん?母さんかな」
「お母さん夜まで帰ってこないって言ってたよ?」
じゃあ宅急便か何かだろう、6時をまわりはじめたし、蘭さんやシャウルが訪ねてくるとは思えない
三丁目は席を立つと、だらだらと玄関に向かった
「はーい」
扉を開けて驚いた。金髪碧眼の修道服を纏った若い女性が、十字架を握り絞めたまま、何かを訴えかけるような瞳で俺を見つめている
「あ、あの、わたくしシスター・アリシャ=グランナイザーと申します……近くの教会まで行くつもりだったんですが、この家からとてつもない邪気が……」
バタン
有無を言わさず扉を閉める
「ああ!なんで閉めるんですかぁ!」
「知りません!!ジャギだかジャッキーだかわかりませんが間に合ってます!!!即刻お引き取りくださいッ!!!」
あらんかぎりの声を振り絞った。
静まる玄関、さすがに少し悪いな、と思い、扉を開けたのが間違いだった
「天にまします我等が主よ……今一度このわたくしに神の力を貸し給え!!!」
「い、いきなり武力行使!?」
シスターのロザリオが真っ白な光りを帯び…
「うぉぉっ!!!」
かろうじて十字の形をした光線をかわすと、以前アニマに燃焼させられた扉が再び蒸発していた。アニマは前回三割だとか言っていたが、今の威力をそれに例えれば、八割はかたい
「な、なんで突然開けるんですか!?」
なにコレ?ああ逆ギレか
「……なんですかあなたは」
「さっき名乗ったとおりです…わたくしはシスター・アリシャ=グランナイザー…遥か海の向こうから神の教えを広めるためにこの地に訪れました…」
「………」
神の教えとやらがこんなにバイオレンスなら、信仰するものなどいるはずがない
「なに今の音!」
雨がリビングから駆け出してきた
「おや…?」
シスターが雨を見つけてなにやら反応する
「すばらしい…あなたはずいぶんと清らかな気をお持ちですね…」
聖母のような優しい笑みで、神々しく小首を傾げる
「え、えと、あの…」
照れ照れ戸惑う雨、おーい、扉を見ろー
「…しかしあなたの気でもこの邪気は消し去れません……いったいこの家になにが…」
きょろきょろと辺りを見回すシスターだったが、一番見てほしいのはあなたが燃焼した扉だ
『三丁目く〜ん、暇〜、遊びいきましょ〜』
ふわふわと早良さん
「…なるほど」
何がなるほどなのかシスター
『あにこの女』
早良さんはもはや喧嘩腰だ。相対する運命を感じたのだろう
「…雨、二階行っとけ」
「でも…」
「いいから」
後ろを振り向き振り向き、雨は二階へ上がっていった
「まあお二人とも気持ちは……」
「あなたがこの家に巣喰う悪鬼ですね」
『人聞き悪いです、このキンキン頭』
もうダメだ、話を聞く耳はない
「祈りなさい…」
『ふん、日本ご当地、古来より続く巫女の力、見せてあげますよ』
一触即発で睨み合う西洋VS東洋(霊)
俺が言いたいことは一つ
「表でやりやがれェーーーーッ!!!」
逆にそれが開始の合図になってしまったらしい。古今東西めったに見られない闘いの火蓋が、今、切って落とされた…
感想お待ちしております。巫女派かシスター派か、とか