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八丁目 肉じゃが

「落ち着いた?」


「ああ…もう大丈夫だ…」


俺達は今天草宅付近にある公園のベンチに並んで座っている。月は三月、暦の上ではすでに春だとしても、吹きすさぶ風は冬の色をまだ残している


「寒いな……」


「うん…」


静けさが二人の気持ちをさらに沈ませた


「………帰るか…?」


「……」


目的も忘れかけていた。明日になれば元通りという気もしてきた…


「千軒神社には行ってみない…?」


「……」


別に受験生というわけでもないし、今年はお参りも行かなかった。健康においては、あの家にいさえすれば否が応でもついてくるのだ


「そだな…ついでに祭銭でも投げとくか…」


日曜日だと言うのに若い覇気を失った二人は、両親のはじまりの場所であるという情報は半ば忘れかけたまま、千軒神社へと歩みを進めるのであった…




――――――


―――




雨は真面目、というか几帳面だったため、千軒神社の場所をしっかりと覚えていた。長い石段を登り、小気味よい音をたてて揺れる竹林を抜けたところに境内はある。なかなかに広い敷地があり、地面にはゴミひとつ落ちていなかった。これを神主ひとりでやっているのだからすごい


「久しいの、浅岡さん家の」


「うぃっす」


「こんにちわ」


禿頭の神主にそれぞれ挨拶すると、奥まであるいていき、祭銭を投げた。何を願うでもない。ただ手を合わせて目をつむる。薄く目を開けると、俺とは違って雨は眉をよせて熱心に祈っていた、優しい妹のことだ、親父と母さんのことでも祈っているんだろう


そんな兄妹の後ろ姿を見て、神主がぽつりと呟く


「……懐かしいのォ…三丁目君を見ていると昔の幹春を見ているようじゃ…」


それはそれで喜んでいいのか複雑だ。三丁目は反射的に顔をしかめる


「はっはっは!そう嫌な顔をしなさんな、あやつも昔はお前のようにごくごく平凡な学生じゃった」


「じいちゃん親父の若いころ知ってんの?」


神主は顎髭をさすりながらやや上目づかいになる


「おお、知っているとも、幹春はいわゆるガリ勉とやらでな、ここに来るときも大抵はやれ試験やら、やれ受験やらの祈願ばかりじゃった、もちろんそれが悪いとは言わんが、勉強以外のことに心をおく余裕が無かったんじゃな…」


ガリ勉ならんなことしてる間に勉強しろよ、というツッコミは置いといて


ぴゅう、と木枯らしが吹き抜ける。雨は身を震わせながらも黙って神主の話を聞いていた


「……うむ、それが変わったのはあやつが大学に入学してからじゃ、いきなりわしに、好きな人ができた!と詰め寄ってきての、話を聞くにもやつの口から出るのはその想い人の自慢話ばかりでなぁ、今までそういう色恋沙汰が無かったせいじゃろう、もう前しか見えておらんでな…」



「……」


それが母さん…か


「その後は大変だったぞ?どうしたら気が引けるのか?どうしたら仲良くなれるのか?聞くことなすこと中学生みたいな内容での、年老いたわしより若いやつの方が知っているだろうに…」



「それで…どうしたんですか?」


雨は待ちきれない様子で神主をはやした、寒いせいか鼻先が少し赤い


「ふむ…あまりうるさかったんでの。だったら最近の映画やら本やらで気を引いたらどうだ、って言ったんじゃよ、そうしたらあやつは馬鹿みたいにそればかりしよって、気付けば役者になりきるほどに何度も何度も繰り返し本を読んでおった」




ああ…それで…ね…


三丁目は苦笑した。ばかばかしすぎていて、変態性を非難する気も失せてしまったのだ


「しばらくしてとても美しい女性を連れてきたときは本当に驚いたなァ…あの堅物がどうして…、いや、その女性自体にも…な」


雨がクスリと笑った。母の力はそのときから顕在していたのだ。おそらく威力は変わっていない、神主はよく生きていられたな、そんなことを考えていると笑いが込み上げてくるのも頷ける。まあ笑いごとでは無いのだが…


「あれから何年も経ち、何人もの人間がこの神社を訪れたが、あの二人のことは忘れたくても忘れられんよ…」



「……」


「……」


話に聞きいっている二人を見て、神主は回想からはっと我に返った


「おっと、すまんすまん、年寄りの長話に付き合ってしまわせて…体が冷えてしまったろう、お茶を出そう。時間はあるかな?」


「あ、いえ、お構いなく」


遠慮する雨を無理矢理口説き、神主は裏にある小やまで案内した



俺だけ境内に取り残される



「……」


……意外と普通だったんだな…


それが三丁目の抱いた感想であった。住職の話からすると、二人の、特に親父の行動には変わったところはあるものの、今に比べたらたいしたことない、そう思った。だが決して驚かなかったわけじゃない……なんて言えばいいのかよくわからないけれど、なんとなく…そう、なんとなく心地いい驚きだった…


―ヒュウ…




ふいに後ろを振り向く。




「……親父」




父がいた。シャツの上にセーターを羽織り、やわらかい色合いのパンツ、普通、の休日のお父さんだった




「…三丁目」






父も息子の名を呼ぶ。そこで三丁目は今日の目的を思い出した


「……おや…」


なんて言えばいいのだろう。なまじ普通の恰好をしているため、何に影響されているかわからない。そんなふうにあたふたする息子を見て、父が優しく笑った



「親父でいいよ、三丁目」




「あ……うん…」




コツ…コツ…。石畳の地面を、親父の革靴が叩く




「懐かしいなぁ…、ここに来るのは何年ぶりだろう……」


たぶん…独り言なのだろう…


「うん、この神木の下で和訳洋書を暗くなるまで読みふけったんだ…」


父は神木から思いでを掘り起こすかのように、その表面を強く、しかし優しく撫で回した


コツ…コツ…


「それからここでママへラブレターを書いたんだよなぁ…」


木陰の座石に腰掛け、ざわざわと風に揺れる楠の木を見上げた。その掠れる音のひとつひとつが、心の底に波紋を立てる


「ふっ…我ながら何を考えていたんだか……」


「……」


自嘲気味に笑う父を、三丁目はただただ立ち尽くしたまま、眺めていた


「親父…」




「……今日は…何の日か…知ってるか?」


三丁目を試すかのように父が尋ねる



「今日……って3月16日……あ!」



そうか……いや、でもなんで忘れてたんだ?



「そう、今日は父さんと母さんの結婚記念日だ」



「じゃあなんで…」



そう、今朝はお世辞にも祝い事をする雰囲気とは言えなかった。



「覚えてないのか?」


「?」



三丁目が何も答えられずにいると、父は構わず話を続けた


「まあ無理もないか、5年も前のことだからな…」


「………」



「……喧嘩を…したんだ…結婚記念日にね…」



「喧嘩…」




三丁目に背を向けたまま父は頷いた。なんだか変身時の父とは違い、小さな背中だった



「きっかけはささいなことだったような気がするな…でもお互い譲らなかった……」


…なんとなく思い出してきたような気がする…



雨がわんわん泣いて、俺は何もできなくて、兄貴が俺達を見ててくれて…



「仲直りはしたんだけどね…どうもピリピリしちゃって…」


親父が照れ臭そうに頭をかく、なんだか、俺の知っている親父じゃない気がした


「お前達にも迷惑かけたな…すまん」


「今更だろ、いいよ別に」


そうか、と父は呟き、振り向いた


「じいさんに聞いたと思うが、僕はここでママにプロポーズした」



三丁目がコクリと頷く



「ママは喜んで承諾してくれたよ、いやぁ、嬉しくて嬉しくて、僕が泣いてしまったよ」


親父は笑った。目を伏せ、どこか寂しげに…


「はは…いつも僕はあんなんだからこういう日くらいはまともに祝いたいんだけどね…どうも…うまくいかないもんだな…」


「………」



そのとき、風が消えた




「………くさ」



「は?」


「…くさいんだよ、さっきから聞いてりゃ」



腰に手を当て、しかめっつらを作る



「いいか?あんたら夫婦は誰がどう見ても変態夫婦なんだ、だったらんな普通の喧嘩続けてんなよ、やるんならもっと派手にやれ」


あー、何言ってんだよ、俺…


「…ッ……ははっ…」


しばらく目を丸くしていた父は、ややあって笑いを漏らした。息子の予想外の返答に、拍子を抜かしたらしい


「そうだな!お前の言う通りだ!」


「うるせー、クソ親父」


「親父じゃねぇ、上様と呼べ!!」



「調子にのんな!」


ガスッ!


「がはァッ!」



息子のドロップキックを喰らって地面に不時着しながらも、父は笑っていた。


「そうか……派手に…な…はは…」



心なしか嬉しそうだったのは、…気のせいではないだろう



――――――


―――




「だってさ」


「……」


本堂の影から二人の親子の様子を見る三つの人影があった


「うむ、あいつはあいつなりに考えてるようじゃの」


「……」



「今日はご馳走だね!」


満面の笑みで人影の一人、雨が微笑む。黙っていた女性はコクリ、と頷いた。言葉がうまく出せなかったのだ


「あ!おじいさん今何時!?」


「ちょうど6時…じゃな、それが何か?」


雨はあちゃー、と額に手を当てる


「スーパー閉まっちゃってるよぅ…」


「ふむ、マルノヒ百貨店はちと遠いからのう…」


ガサッ



「?」


後方の茂みから音がしたので、三人は振り返った。そこには…


「やあやあおそろいで」


「み、幹人お兄ちゃん!?」


茂みから現れたのは兄、幹人だった。爽やかに微笑みながら肩の葉をはたく


「母さん、結婚◯◯周年おめでとうございます」


「ってお兄ちゃん朝から知ってたの!?」


「ふふふ…当たり前じゃないかマイシスター、夫婦がはじめて手を取り合い…、将来をともに誓った輝かしい日を忘れるなんて僕にはできない…」


三丁目この場にいたら、顔面を集中殴打、いや、延髄蹴りが飛んでもおかしくないくらいの笑顔だった


「というわけで、ハイ」


ここで、三人がさっきから気になっていた重量感のあるビニールの袋を差し出した


「今日は肉じゃが、かな?」


幹人がにやりと笑う


「これって…」


たくましく盛り上がった上腕二頭筋、ミスターパワフルのトレードマークだ


「今日は特売日だったよ母さん、母さんが特売日を忘れるなんて、よっぽど気になっていたみたいだね…」


小春の頬がいっきに赤く染まった。たぶん一年に一度見れるか見れないかの表情だ。三丁目があとで聞いたら残念がるだろう


「さ、帰ろうか」


「うん!」


「ほっほっほっ!子に恵まれたの、小春殿!」


小春は神主を恥ずかしさから軽く小突き(そのまま神主は吹っ飛んだ)、二人の子と一緒に、夫と、それにもう一人の子を連れ、家族揃って暗くなりかけた千軒町を、我が家に向かって歩いていった…




――――――


―――




「なぁ兄貴」


「ん?なんだいマイブラザー」


今日の夕飯は案の定肉じゃがだった。三丁目も放り投げたい衝動にかられながらも、盛りつけられた大皿に箸を伸ばす


「あつっ…むぐむぐ…」


うん、うまい


「はっはっはっ、落ち着きたまえよ!」


「げほっ、蒸し返すようでなんだが、親父と母さんの喧嘩した理由ってなんなんだ?」


テーブルの反対側を見ると、父と母、妹が笑いながら食事をとっている。


そういったわけで、少しボリュームを落として隣に座る兄に尋た



「覚えていないのかい?」


「そりゃ親父にも言われたよ、全く覚えてねぇ」


「…ふむ、マイブラザーに深く関係することなんだがな…」


「俺に?」


それを聞いてますますその理由が聞きたくなった


「ああ…思い出すなぁ…あの日、父さんと母さんは結婚記念日ということで二人きりで映画を見に行っていてね」


幹人はそこでふと、顔を上げる


「今思えばあれが喧嘩の引き金になったのかもしれないな…」


「もったいぶらずにはよ言えよ」


「うーん…」


このとき俺は、認めたくないがこの家族がまともに見えていたんだ。親父と母さんの心温まるエピソードが聞けたんだ。そりゃそうもなるだろう。だが今になって思う…




「ほら、気になるだろ?早くしろ」










聞かなきゃよかった、と










「うむ、お前の名だ。あのときえらく興奮して帰ってきた父さんと母さんは、帰るなり激論をおっぱじめてね、やっぱり三丁目は変だから浅岡プライベート◯イアンにしよう、いや浅岡ジュラシッ◯パークにしよう、とね、ちなみに父さんがジュラ◯ックパークで……ってどうしたんだいマイブラザー?箸が止まっているぞ?」



三丁目は両親を見た。幸せそうに笑っている



……


「雨」


手首を曲げて妹を呼ぶ


「なぁに?サンお兄ちゃん?」


雨は忠実にそれに従い、三丁目の隣についた



「はっはっはっ!どうしたマイサン!顔が固まってるぞ!」


「今日は結婚記念日よ!?めでたいのよ!ほら、そんなとこに立ってないで食べて食べて!」


ガタッ


「おい三丁目、食べられないじゃないか。肉じゃがを戻しなさい」


「そうよねーあ・な・た?」



ガシッ


「何をやっているんだいマイブラザー!そんなとこを掴んだら!」



「ふぅ…」


三丁目は短く息をはいた。迷い?そんなもんは遠い昔に捨ててきたさ…


「お、おい三丁目!」


「さんちゃん!?」


「マ、マイブラザァッ!」




―ブチン




「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!!!!」



『ギャァァァァァ!!!』



テーブルが宙に舞う中、俺は思った。




高校出たら一人暮ししよう、と。

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